欠品デスクヒーロー

イキリト

第1話 見えざる手

「アツいいいい。なんでこんな時期に学校に行かなきゃならないんだよお。」

アスファルトの上の空気が歪み、じんわりと汗が流れるのを感じる猛暑の朝に、一人の男の腑抜けた声がセミの鳴き声にかき消される。まだ新しい制服で風を仰ぎ、ゆっくり歩みを進めていた。

和夫かずおまでそんなこと言うなって。どうせ来年も再来年も学校はあるんだ。今のうち慣れとけばいいんだよ。」

僕も暑い事には同意しつつ、彼の文句を受け流す。

優希ゆうきはえらいねぇ。どうせ補習なんて出席入らないんだから、適当に受けてればいいのにさ。」

和人は不貞腐れたように言って、ぐだぐだとまた通学路を進んでいった。

「にしても優希。またソロで一位だったんだろ。いいなぁ、ゲームがうまくて。俺なんて部活と勉強のせいで、ほとんどゲームできないし。帰宅部の特権ってやつか?」

「昨日は結構相手の動きも読みやすかったし、エイムもだいぶ調子良かったしな。あと帰宅部は余計だ。」

和夫の皮肉なのか称賛なのかわからない言葉に反応しながら、脳天にチョップを食らわせてやった。

こいつが言っているゲームとは人気FPS「ガンズ」のことだ。ファーストパーソン・シューティングゲーム、通称FPS。簡単に言えば銃を相手に狙って打つ単純なゲームの事を指すのだが、正確な狙いを定める「エイム」と、戦況を有利に進めるための「立ち回り」が重要になる奥が深いゲームでもある。僕は部活にも入らず、特に家ですることもなかったというきっかけだけで始めたが、すぐさま没頭し今では世界ランキングに入り込むほどになった。

「ゲームなんて時間をかければ誰だってうまくなるさ。それより成績をどうにかしないとな。」

「そうだぞ優希。おまえ宿題完璧にこなす癖に、俺に成績負けてるんだからな。ゲームはほどほどにして、ちゃんと勉強しろよぉ。」

「口だけは達者だな。」

ぐいぐいと腰を押してくる和夫の肘を押し払い、すこし小さなため息をもらして、そのまま学校まで雑談しながら進んだ。


 学校の授業はいたって真面目に受けていた。補習と言っても午前中だけなのだが、いかんせん暑い。扇風機の風切り音がそれとなく暑さを紛らわせているのが唯一の救いといったところか。そして、放課後。僕は面談を受けるために進路指導室の前に立っている。自分が流している汗が暑さからか緊張からはわからなかった。がらりと引き戸があき、クラスメイトとその親が出ていった。それ続いて先生も出てくる。

「つぎ、優希。お前の番だ。入れ。」

「はい、失礼します。」

担任の先生に呼ばれ、顔を少しうつぶせて入室する。強めにあたったクーラーの風が汗に当たってやけに冷たい感じがした。そのまま誘導されるがままに席に着く。

「さてと。緊張しているところ悪いが、先に本題に入らせてくれ。」

先生が机の上で腕を組んで続ける。

「お前だけ進路希望調査が提出されてないんだが、どこか行きたい大学はないのか?自分の将来の事だから早めに目標ぐらい決めててもいいと思うぞ。」

「それが自分が何をしたいのかもよくわかってないんです。勉強も楽しいってほどでもないし、文系か理系かも定まってなくて。早々に自分がなぜこの学校にいるのかもわからなくなってきました……。」

先生は僕の目を見つめながら相槌を入れて聞いてくれた。正直進学校と聞いて入学していたので多少の事を言われるのは覚悟していたのだが、ここまで話を丁寧に聞いてくれるとは思っていなかった。

「おまえ、今まで本気で勉強したこと、いや、本気で何かに打ち込んだ経験はあるか?」

先生が真剣なまなざしでこちらに質問をしてくる。その気迫に意表を突かれてしまった。思えば受験も大して熱心には考えていなかったし、部活もなかったから何事もなく過ごしていた気がする。

「いえ、あまりありません。」

何を言われてしまうのかと唾をのむ。体をすくめて先生の顔色を窺ってくると、帰ってきた言葉は意外な言葉だった。

「だと思ったよ。お前みたいな真面目みたいなタイプな奴ほど日々に追われてることが多いから。別に攻めてるわけじゃないから気にするな。」

先生はほほを少しゆるめ優しい口調で語った。

「まあ、なんだ。これから学んでいくことも多いし、そのうち方針も決まると思うから自分の偏差値にあう大学を今回は書いて出しなさい。あと、お前成績芳しくないんだから、宿題だけじゃなく勉強もしろよ。」

「ぼちぼちやります。たぶん。」

「多分じゃなくて毎日するんだよ。」

先生にすこし頭を小突かれ、頭をかがめる。その場を後にした。


 面談が終わり、ひとりで再び暑苦しい道路を渡る。さっき言われた先生の言葉があたまからどうにも離れなかった。

『おまえ、今まで本気で打ち込んだ経験はあるか?』

「ゲームならいまも本気で打ち込んでますよ。なんて言えるわけもないか。」

不満を漏らすようにぽつりと独り言漏らした。言った瞬間、急にむずがゆいような感覚になり、あたりをすこし見渡す。

「おーい。ゆうきー。今帰りかぁー?」

あたりを見渡していると目の前にいた和夫が手を振ってこちらを向いていた。

「おう、今面談終わったところ。」

「そうか、いやぁお前も大変だなぁ先生から呼び出されて……」

和夫が僕の方へ歩いてきたとき、右側から車が近づいてきていた。

ちょうど、和夫の体にぶつかるぐらいには。

「あぶない!!!!」

迫りくる車体にぶつかろうとしていた和夫の体を右手で力の限り引っ張った。和夫の体が僕を中心に半円を描くように宙を舞い、歩道に投げ飛ばされる。

同時に、僕の体は車道側に傾き、自然の摂理にあらがえないまま倒れこんだ。

「優希!!!」

和夫の叫びとともに僕は死の迎えを感じ、そのまま意識を失った。激痛とともにであったことは言うまでもない。



 少し長い夢を見ていた気がする。

自分が大きな舞台の中央にいて、それでトロフィーを持っていて。みんなで抱き合って喜びを分かち合って。自分が誰かと助け合って何かを成しえるなんて一度もしたことがなかったのに。ひどく現実のような感触があった。

けれど、それもきっと訪れないだろう。


 やけにはっきりと視界で白い天井を見つめる。窓からの早朝の日光が、自分の体をじんわりと温めているのを感じる。あれからどれぐらい時間がたったのだろうか。和夫は助かったのだろうか。そう思っていると体にひどく違和感を覚えた。

「右手が……ない?」

包帯でぐるぐる巻きにされている右手に気づき、ゆっくり触れた。右手がないように感じる。いや、実際にはあるのだが感覚がほとんどないのだ。

自分の右手に衝撃を受けていると、病室のドアが開き、看護師さんがこちらを見て駆け寄ってくる。

「目が覚めましたか?どこか不具合を感じるところはありませんか?」

「僕の右手は、どうなってしまったんですか。」

看護師に落ち着いて状況を聞く。時間がゆっくり流れているような緊張感だ。

「あなたの右手は、車にひかれ粉砕骨折してしまいました。通常は、二か月ほどで修復しますが、元の動きに戻ることは保証できません。すくなくとも、指の動きは戻ることはないでしょう。」

空気が止まった。この看護師が何を言っているのか。それが何を意味するのかは分かっていた。でも、受け止める余裕はなかった。

 その後主治医の先生がやってきて、僕に真剣な表情で説明をした。右手が車にひかれてしまったこと。頭を強打し気絶してしまったこと。右手が壊れてしまい、もとの動きには戻らないということ。僕は、黙って聞き入れるしかなかった。それが現実であったから。目を背けても意味はないだろうと思った。


 僕の病院生活はしばらく続いた。父と母はすぐに僕のところに駆けつけ泣きながら安否を心配した様子だった。日常から遠のいたところで家族の愛情を知ることになるとは皮肉なものである。すぐ後に、和夫とその母がやってきた。母親は感謝の意を表し、僕をいたわってくれていた。和夫の方はうつむいてなきながらごめんとばかり言っていた。普段強気で笑顔な和夫の涙を見て、本当に彼がこんな目に合わなくてよかったと思う。僕は微笑んで無事でよかったと応えた。


 そして退院の日がやってきた。僕の右手は結局元通りにはならなかった。できることと言ったらエレベーターのボタンを押すか、何かを支えることぐらいしかできないだろう。手が不自然に脱力していて見ていて不気味なように感じる。それでも受け入れて前に進むことにした。決心するには十分する時間がこの病院生活であった。

「お世話になりました。」

受付の人にその人ことを伝えて病院を去り、母の車に乗った。

「あんたのやったことはすごいことだよ。自信をもってその右手と向き合いなさい。」

母は一言僕に言った。車の走行音にかき消されない程度にわかったとそう伝えた。



 「だめだ。全然できねぇ……。」

三か月ほどのブランクと右手の圧倒的なハンデを背負い、僕は再びこの画面の向こうの世界に入ろうとし、パソコンに向かってキーボードとマウスを使ってゲームをしていた。しかし、自分のやりたい動きと操作キャラの動きがかみ合わず、前にできていたプレイなんてほとんどできなくなっていた。気づけばすぐに投げ出してしまう。そもそも指がまともに動かないのにクリックとカーソル移動がうまくできるはずもない。敵がアクロバティックに動き回る『ガンツ』ではまともに戦うことはできないだろう。椅子から立ち上がり、うつぶせにベッドに寝転がる。無気力にスマホを掲げとりあえずホーム画面を開いた。そのまま電源を切って胸に当てる。

 「なんもできねぇなぁ……つまらん。」

このまま寝てしまおうかと思い、目を閉じるが、病院でさんざん寝てきたこともあり、睡魔が襲うことはなかった。

これからなにをしていけばいいのだろうか。たまっていた宿題でもやるかと思ったがどうにも取り組もうという気が起きない。いままで自分の真面目さをつなぎとめていた糸がこの右手とともに失われてしまったのだろうか。

ブー。ブー。

スマホのバイブレーションが胸元で鳴り全身に振動が伝わってくる。どうやらメールが届いたらしい。

「新作FPS『バトルボンズ』先行プレイのお知らせ?」

乱雑にメールの文章を読み漁る。どうやらガンツである程度のランクを誇っている人たちが先行体験としてプレイできるというものらしい。

「プレイヤーに求められるものはエイムスキルだけでなく戦術と読みあいなどがあり、戦略的な戦闘を味わうことができるでしょう……。」

戦略か。今までやってきたゲームなんてほとんど銃の腕前や反射神経を生かすものばかりだったしそんなこと考えたこともなかったな。いや待てよ、今の僕にできるFPSゲームと言ったら……。

「これだ!?」

そうだ。このゲームなら。もう一度目指せるかもしれない。

世界を相手に戦えるかもしれない。

毛だる気だった体を急いで動かし、僕はパソコンの前へとすぐさま向かった。

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