ピアノを弾く魔王は私に恋をする

桜森よなが

第一話 勇者様への恋

 この世には幸福な人もいれば、不幸な人もいる。

 そんなのは当たり前の話だけど、その現実を突きつけられると、やっぱり辛い。


 何度も自殺を考えてはいるのだけど、そのたびに、「生きていればきっといいことがあるから、頑張って生きて」なんて無責任なことを両親や学校の先生に言われた。

 でも、今まで生きていていいことなんて、一つもなかった。


「あーあ、もう死んじゃおうかしら」


 私以外誰もいない音楽室に、独り言が空虚に響く。

 今、私の目の前には、ピアノがある。

 私は今の自分の気持ちを、鍵盤に叩きつけた。

 陰鬱な音が室内に轟いていく。


 こうしていると、少しだけ気分が楽になる。

 私は、ピアノがあるこの場所によく来ていた。

 本来は授業以外は使用料を払わないと音楽室は利用できないのだが、誰も使用していないときだけという条件で、わたしは学校側にピアノの使用を許可してもらっている。

 短時間しか使えないことが多いが、それでも私の数少ない救いだったので、暇があれば利用させてもらっている。


 そうして時間を忘れて弾いていると、ある女性の集団が部屋に入って来た。

 公爵令嬢であるミルドレア・エクレストンとその取り巻きだ


「あら、なんであなたみたいな庶民がここにいるのかしら?」


 鼻につく甲高い声を出して、ミルドレアは口をゆがめる。彼女に追随するように取り巻きたちもニタニタとした顔で私を見てきた。

 相変わらずむかつく顔をしているな、この女たちは。


「私はちゃんと許可をもらってここにいるわ」

「でも、使用料は払っていないのでしょう? 今からここは私たちが貸切らせてもらうわ。早く出ていってちょうだい」


 その言い方にカチンときた私は彼女を睨みつけるが、彼女は余裕ありげにフフっと笑った。


「どうしたの、早く出ていきなさい、それともあなたは私が払った使用料を上回る金額を払えるのかしら? 金貨五枚も私は払っているのだけど?」


 ぐぐ、とこぶしに力を籠める。あのムカつく顔を殴ってやりたいけど、我慢我慢……。

 ミルドレアはそんな私を見て、ニタァッと嘲笑する。


「払えるわけないわよね、あなたは貧しい家の子だもの。かわいそう、同じ人間だというのに、こんなにも暮らしに差があるなんて……。ねぇ、私とあなたがどうしてこんなにも差があるかわかる?」

「さぁ、なんででしょうね」

「それはね、運よ、私が裕福な家庭に生まれ、美しい容姿を持っているのは、ただ運がよかっただけ。あなたが貧困の家庭に生まれ、不幸な人生を送っているのは、ただ運が悪かった、それだけなのよ、でもね、それがこの世界では決定的な違いになるの」


 こいつのことは大嫌いだった。でも、悔しいことに、私は彼女のこの話が一理あると感じてしまう。

 こんな女の言うことなんて、無視してしまいたいのに。


「せいぜい嘆きなさい、自分の不運を。嘆くことはあなたのような人間が数少なく自由にできることなのだから」


 憐みの目を向けてくるミルドレアに、私はもう辛抱できず、立ち上がり、急ぎ足で室内を出ていった。

 背後から複数の嘲笑う声が聞こえてくる。

 耳をふさいで走り、私は学校を出た。


 外は雨が降っていた。

 傘は持ってきていない。

 私は頭を抱えて駆けだした。


 くそ、くそ、くそ、嫌なことばかりだ。

 どうしてこんなことばっかり。

 私の数少ない救いであるピアノですら、満足に弾くことができないなんて!


 体が寒い。ずぶぬれだ。

 足が前に動かない。

 私はその場にうずくまった。

 私の横を通り過ぎりる人たち。

 でも、だれも私を気に止めてくない。

 世界が、私を無視していく……。


 下を向いて、ずっと縮こまっていると、突然、雨が止んだ。

 顔を上げると、止んだわけではなかったことに気づいた。

 目の前に、とても整った顔立ちの男性がいて、私を傘の中に入れてくれていたのだ。

 自分が雨に濡れているにもかかわらず。


「大丈夫? 風邪ひくよ?」


 温かい声。なんだか聞いていると落ち着く声だ。

 彼の顔はどこかで見覚えがあった。

 たしか建国際のパレードで、馬に乗る彼を遠巻きに見たことがある。

 思い出した、彼は勇者様だ。

 彼は私の手を取り、ドキドキしていた私に傘の取っ手を握らせる。


「それ、あげるよ」

「え、そんな、それじゃあ勇者様は?」

「僕は走って帰るから。足には自信があるんだ、家まであっという間につくから、気にしないでいいよ」


 さわやかな笑顔でそう告げると、勇者様は雨の中を走っていってしまった。


「勇者様……」


 なんだか頭がぼーっとする。

 あの勇者様の笑顔が頭から離れない。

 胸がさっきからずっと高鳴っている。

 ああ、私、きっと彼を好きになってしまったのだわ。


 我ながら単純だと思う、ちょっと優しくされただけなのに。

 でも、そのちょっとですら、私はされたことがないんだから、しかたないじゃない。


 よりにもよって、勇者様に恋をしてしまうなんて。

 絶対、この想いが報われるはずなんてないのに……。



 それからというもの、毎日のように私は彼を恋焦がれ続けた。

 街中でおばさんたちがする勇者様の噂話に耳を傾けたり、勇者様の目撃情報があると、そこへ行ったり、でもすでにもうそこにはいなくて、がっかりしたり、毎晩、勇者様のくれた傘を抱きしめて寝たり……。


 我ながら気持ち悪いことをしていると思う。

 勇者様にこんなことをしていると知られたら、どう思われてしまうのでしょう。幻滅されるかな?

 でも、ごめんなさい、勇者様、私こうせずにはいられないのです……。



 勇者様に恋をして数か月後、ある噂が耳に入った。

 勇者様に恋人ができたらしい、と。

 ショックだった。一週間ぐらい何もする気が起きなくて、学校にも行かず、家の手伝いもせず、ただ寝込んでいた。

 泣きに泣いて、ようやく少し気分がすっきりして、まだ悲しかったけど彼が幸せならそれでいいと思うようにした。


 だけど、最後に、未練を完全に断ち切るために、勇者様の恋人がどういう人かということだけ確かめようと思った。

 それで、この恋を終わらせよう。

 

 きっとすごい美人で器量のいい人なのだろう。

 その人を見れば、きっときれいさっぱり諦められる。

 お似合いのカップルだって、祝福できるはずだと思った。


 でも、やめておけばよかった、そんなこと。


 町の広場に勇者様とその恋人がいるという情報を聞いて、私は急いで向かった。

 そこに着くと、私は愕然とした。

 勇者様とミルドレアがどちらも幸せそうな顔をして、手をつないでいたのだ。

 

 な、なんで、どうして、あんな女と……。


 広場の大きな噴水を背景にして、二人は顔を近づけ合う。

 やめて、それだけはやめて!

 見たくない、見たくないのに、目があの二人から離れない……。


 やがて、二つの影が重なり合った。

 周りに野次馬がいるというのに、二人はそんなこと気にせず、何度も口づけをした。

 まるで私に見せつけるかのように。


「うあああああああああああっ!」


 私は発狂し、その場から逃げだした。

 頭から離れない、あの二人の幸せそうな顔が。触れ合う唇と唇が。

 頭を何度振っても、鮮明にあの時の映像が焼き付いている。


 勇者様! どうして、どうしてあの女なの!?

 なんでよりにもよってあいつなの!

 あいつじゃなかったら、もっと美人で優しい女の人だったら、勇者様にふさわしい人だって思えたのに!

 勇者様へのこの想いを、あきらめられたのに!


 どうして……神様。

 なんでこんなに辛いことばかり起こるの?

 これも、運なの? あの女の言うように、運だけで私はこんなにも不遇な目に遭わないといけないの?

 

 もう嫌、こんな人生……。

 こんな残酷な世界、滅んでしまえばいいのに。

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