第17話 少年(トーヤ)に何が起こったか――②

 ゼラニムのダンジョンを這々の体で脱出した『星々の咆哮』の四人は、その後別行動を取った。

 カシームは、箱に収められたダブルヘッド・ワームの首を見せるため、一人ゼラニムの街の中心にある公爵の邸宅に向かった。

 言うまでも無く、このパーティで、貴族と話をするのに彼以上の適任者はいない。

 残りの三人は馬車でダッダリアの街に戻り、もう日も暮れようかという頃、根城としている宿屋「太鳳亭」に戻ってきた。

 その後、シャーリーはマシューからゼラニムで拾った魔石を換金するように言われ、冒険者ギルドに向かった。

 夜になると、ゼラニムではちらつく程度だった雪は、吹雪とまではいかないものの、本格的にダッダリアの街に降りしきっていた。

 太鳳亭には、マシューとトーヤしかいない。

 そんな状況で、は起こった。


 太鳳亭の一階には、飲食のために設けられている広間があり、その周囲に幾つか小部屋がある。

 冬の夜なので、広間の暖炉には薪がくべられ、パチパチと音を立てながら燃え盛っていた。

 その時は、同業の冒険者の風体をした者を含めた、数人の客が飲食中で、宿屋のあるじである初老の男がカウンターの中にいて、食器を布で磨いていた。

 突然、バキッ! と大きな音がした。

 とある小部屋の木製の扉が砕け散り、人影が、飲食スペースになっている広間に投げ出された。

 椅子やテーブルをなぎ倒して、どっと床に転がったのはトーヤの体である。

 既に体中、傷だらけ、血だらけになっており、ううっと苦しげに呻いている。

 客たちは、一瞬大きな物音にどよめいたが、小部屋の中からゆらりと姿を現したのがマシューであることを認めると、そそくさと広間の隅に退散していった。

 太鳳亭の主人もわきまえたもので、一度マシューとトーヤの方に目をやったが、その後は我関せずとばかりに食器を磨き続けた。マシューが酒に酔って暴れるのはもはや日常茶飯事であり、壊した備品は後で弁償してくれるのも分かっていたからだ。


「てめえ……俺を殺す気だったのかよ!?」

 マシューは、日頃のイケメンぶりはどこにやらの感じで、鬼の形相で怒り狂っていた。そして、酔っていた。

 とてもクエストに成功したとは思えない結果に終わったのに腹が立ったのか、吸わないようにはしていたけれど、それでも体内に入った毒の空気で悪くなった気分を晴らそうとしたのか、あるいはその両方だったか、とにかく宿屋に帰った後に強い酒をあおり、今、こうなっている。

 マシューの片手には、木片が握られている。それは、半分にへし折られたトーヤの杖の上半分だ。

 マシューは、その木片をトーヤめがけて投げつけた。

「いてえかこの役立たず! だが俺は、てめえのせいで、もっとひでーもんをこの顔にかけられたんだぞっ!!」

 叫びながら、マシューは倒れているトーヤの腹を思い切りキックする。

「あぐっ!!」

 トーヤの体が浮かび、その口からは、げぼっと盛大に血が吐き出された。苦しみにのたうち回るトーヤ――


 確かに、ワームが最後に吐いた溶解液は運良くマスクに飛んだが、違うところに当たっていたなら、或いはマスクを外すのが遅れていたなら――死ぬか、失明していたか、あるいはまだマシな結果でも二目と見られぬ顔になっていたか、の何れかであっただろう。

 だがそれは、果たしてトーヤのヘマのせいであったか。

 普通、《状態維持ステータス・クォー》の魔法をかけられた相手は動くことはできないが、それを打ち破った死に際のモンスターの執念、数多くの人間を喰らい、並のモンスターとは比べ物にならないほどのレベルに達していた敵の執念こそ、驚嘆すべきものではなかったか。

 そして、ダブルヘッド・ワームを斃したと思って油断していたのは……

 更に、時間制限のために行動に焦りがあったのは……

 それは、間違いなくマシューを含めたパーティ全員だった。

 あと一つ付け加えるなら、誰か一人でも予備のマスクを持っていたら、あんな無様な退却にはなっていなかったのである。

 だがそれらを、言い出す勇気は今のトーヤには無かった。

 そして自分が魔法をかけ損なったのではないと、自信を持って言い切ることもできなかった。

「ず……ずびば……せ……」

 すみません、と言おうとしても、もう上手く喋ることもできない。

 マシューは、そんなトーヤの上に馬乗りになった。

「このっ! 顔のっ! 印がっ! 消えたらっ! どうする! つもりだったんだよっ!!」

 いちいち文節で区切って叫びながら、拳をトーヤの顔面に続けざまに叩き込む。

 辺り一面には血が飛び散り、まさに凄惨な様相を呈した。

 腰に刀は差していなかったことが、唯一の救いだったか――


 宿屋の玄関の扉が開けられ、そこにつけられていたベルがカランと音を立てたのは、その時であった。

 ゼラニム公爵邸での用事を済ませ、カシームが戻ってきた。

 普段着の上に防寒用の外套マントという格好で、宿屋に入ってくるや否や、体に乗っていた雪をパラパラと払って、

「よお、帰ったぞ……あー、カネのことなんだが、公爵が言うには一週間……」

 言いながら、外套マントを脱ぎつつ、広間に入ってきたカシームは目撃する。

「それで俺が、勇者じゃなくなっちまったら、てめえどう責任取るんだよー!!」

 マシューが、完全にグロッキーなトーヤの胸ぐらを掴んで無理矢理立たせ、顔にもう一撃入れようとしていたところだった。

「なっ……何やってんだ!! やめろおおーっ!!」

 カシーム、マシューに駆け寄ると後ろから羽交い締めにした。

「はっ、放せえ!!」

 勇者のマシューと言えど、巨漢のカシームを振りほどくことは簡単ではない。

 解放されたトーヤは、その場にくずおれて、ゲホゲホと咳き込んだ。

「お前らも見てないで手伝え! このままじゃコイツ、マジで人をっちまうぞ!!」

 言葉通り、カシームは、何やら喚きながら激しく暴れるマシューを一人では抑えきれなくなってきた。

 だが、周囲の人間は、先ほど同様、誰一人動かない。

 仕方なく、カシームはその場にへたり込んでいたトーヤを見て、言った。

「逃げろ! このままじゃお前、殺されるぞ!!」

 くっと呻き声を上げながらトーヤが立ち上がり、逃げ出したのと、マシューがカシームを振りほどいたのは、ほぼ同時だった。

「逃げんな、クソがぁ!!」

「もうよせ、マシュー!!」

 なおもトーヤを追いかけようとするマシューを、カシームは後ろからタックルするように止める。

 カランと扉の音を立て、防寒具の一つもなしに、雪の降りしきる街に出て行くトーヤ。

 その背中に向けて、マシューは叫んだ。

「オマエはクビだッ!! 二度と、俺の前に顔を見せるなぁ!!」


  ◇◇◇


 広間の中――

「貴様……」

 まだ怒りが収まらない様子のマシューは、邪魔をしたカシームを睨む。

「いい加減理解しろよッ!!」

 カシームはマシューを一喝した。

「……そりゃなあ、世の中に酔っ払って喧嘩するヤツはごまんといるさ。でもなあ、お前には『格闘士グラップラー』のスキルの、それも上の方のやつがあるんだぞ! 分かるか? オークぐらいなら素手で倒せるんだぞ! そんなヤツがこんな調子で喧嘩してたら、いつか、マジで相手を殺すぞ!! 大した理由も無く人を殺したら、勇者だって言っても、必ず罪に問われるぞ!!」

「…………」

「それにな、いくら今日はと言ってもよ、トーヤは仲間じゃねえか。俺たちのために、よく働いてくれたじゃねえかよ……」

 ようやく少し冷静になったのか、マシューはその場にどっかと座り込んだ。言葉は何もない。


「……あのさ、入り口が開いてたけど、これは、いったい、何……」

 冒険者ギルドから、シャーリーが帰ってきた。

 乱れた広間の様子を見た彼女は、白い雪にまみれた外套マントを脱ぐのも忘れて、呆然と立ち尽くしている。

「ああ、帰ったのか、シャーリー……俺が説明してやる。ついて来い」

 カシームは広間から出て行こうとする。

 シャーリーは、傍らで座り込んでいる酔っ払いの男に目をやって、言った。

「マシューは……」

っとけ!!」

 怒気を孕んだ声でカシームは吐き捨て、その場を立ち去る。

 シャーリーも迷いながら後に続き、座り込んだままのマシューが一人、取り残されている。

 太鳳亭主人が食器を磨くのをやめ、カウンターの外に出ると、隅っこに固まっている客たちに言った。

「今日はもう、店じまいだ」

 その後は何も言わずに、倒れたテーブルや椅子を片付け始めている――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る