第16話 少年(トーヤ)に何が起こったか――①

 今から、二ヶ月前のことである。

 ダッダリアの北西部、ちょうど王都ゴールドリマに向かうのとは正反対の方向になるのだが、馬車で半日ほど行ったところに、ゼラニムという街がある。

 ゼラニムの町外れに、さながら小規模なバベルの塔という様相の、円柱を五階積み上げた、タワータイプのダンジョンがある。

 そのダンジョンに、勇者パーティ、『星々の咆哮』の四人は向かっている。

 勇者、マシュー・クロムハート。

 重騎士、カシーム=マトラ・ユーバリー。

 暗殺者アサシン、シャーリー・セラッティ。

 そして魔道士、トーヤ・ベンソン。

 季節は冬、至る所が雪で覆われている。

 全員、さすがに寒いのか外套マントを羽織っており、シャーリーは頭にターバンもつけている。

 今回の彼らのクエストは、ゼラニムダンジョンの中層階付近にいるらしい、ダブルヘッド・ワームを討伐することである。


 事の起こりはこうである。


 実はゼラニムのダンジョンは、小規模でありながら、最も完全攻略するのが難しいダンジョンの一つに数えられている。

 その理由は、このダンジョンでは通路と言わず部屋と言わず特殊な苔が繁殖しており、その苔が、猛烈な毒の胞子をまき散らしているからである。

 常人なら、ダンジョンに入って物の五分と立たないうちに意識を失い、やがてそのまま死に至る。

 魔法で毒の耐性を強化し、その上マスクを装備しても、ここで活動できるのは約一時間が限度と言われている。


 かように危険なこのダンジョンで、ある日、一人の若い冒険者が死んだ。ダブルヘッド・ワームに食われて――

 問題は、この若い冒険者、ゼラニムの街を治める公爵の一人息子のお忍びの姿だったことだ。

 当然、そんなお坊ちゃまが何故そんな、という話になったが、このゼラニムという街、確かにダンジョンのおかげで栄えている一面はあるが、毎年、数多くの冒険者がこの地で命を落としている。そのことに、彼は心を痛めていたらしい。

 いわゆるノーブレス・オブリージュというものに目覚め、ダンジョン浄化を夢見てしまったのが、仇になった。

 ともあれ、たった一人の息子を失ったゼラニム公は、周囲の人間が正気を失ったかと思うほど嘆き悲しんだ。

 そして、どこの誰であれ、息子を殺害したダブルヘッド・ワームを討伐した者に、破格の賞金を出すと言い始めた。

 もちろん、マスターであるモンスターが斃され、このダンジョンが完全に浄化されない限り、また新たなダブルヘッド・ワームが生まれるのだろうが、ゼラニム公にとって、そんなことはもうどうでもよかった。


 この破格の賞金を目当てに、『星々の咆哮』は、ダッダリアからゼラニムまで遠征してきたのである。

 今、彼らはダンジョンの、雪のちらつく入り口付近にいる。

 トーヤが、木製の杖をカシームの背中に当てると、ポッと丸い魔法陣が浮かび、そしてすぐ消えた。

「全員の毒耐性向上、終わりました」

「よし」

 トーヤの報告を聞くと、マシューは用意していた革製のマスクを口に当て、くぐもった声で続けた。

「みんな、行くぞ」

 四人は眼前に立ちはだかる危険地帯へと、足を踏み入れていく――


 時間が限られているため、苔だらけの通路を、上層階に向かい一目散で進む四人。

 途中、全長五十センチほどの巨大カブト虫型モンスターの群れの襲撃を受けたが、あっという間に大多数はマシューの聖剣の錆となり、残りはシャーリーの湾刀と、トーヤが杖から放った雷撃により駆逐された。


 ほどなくして二階に上がると――すぐに、お目当てのダブルヘッド・ワームの姿があった。

「いたわ! あたしたち今日はツイてるんじゃない?」

「いや……奴の方がこっちに向かってきたんだろうな、俺たちの気配を感じて」

 マシューはシャーリーに答えた。

 冒険者にとっては常識だが、モンスターは、ダンジョンの中にいる限りは、建物から魔素が供給されるので、飲まず食わずでも死ぬことはない。

 しかし、侵入してきた人間を食えば、その者が持っていた魔力の元即ち魔素を吸収し、更に成長することができる。

 ダンジョン外に出て、野生化したモンスターが人間を襲うのも同じ理由だ。

「今まで、どれだけ多くの人がアイツに食われたのかしら……」

 シャーリーが思わず呟く。

 名前の通り、全長約五メートルの体躯の途中から、左右に枝分かれした二つの頭部を持ち、尻尾もまた二つに枝分かれしているこのムカデ型のモンスターは、丸々と肥え太っていた。


「へっ、どの道、ここであったが何とやらだぜ、賞金首!」

 既に大盾アイギスを手にしたカシームが、マスク越しに嬉しそうに言うのに続き、マシューが言った。

「よし、狩るぞ、抜かるな!!」

 マシューの号令一下、パーティ全員、ばあっと外套マントを脱ぎ捨て、ダブルヘッド・ワームに向かっていく。

 相手もキシャアアア! と声を上げ襲いかかってくる。鋏状の牙を持つ二つの口からは、涎のようなものが垂れている。四人を食う気は満々だ。


 そしてここから、『星々の咆哮』のの戦いが始まった。

 カシームが「挑発」プロボークのスキルを発動し、相手を引きつけ、アイギスでワームの牙をブロックする。ガンガンと響く、大きな音。

 その間にシャーリーがダンジョン内を素早く飛び回り、湾刀をふるって、少しずつ、敵の体にダメージを与えていく。

 シャーリーに気を取られ、隙ができたと見るや否や、居合抜きのマシューの聖剣が一閃! 

 相手が、キシャアアアと悲鳴を上げた。

 緑色の体液を盛大に撒き散らしながら、ダブルヘッド・ワームの右の首が切断され、宙に舞う。

「トーヤ!」

「はいっ!!」

 マシューに呼びかけられたトーヤが、木製の杖の先を飛ばされた首に向け、魔法を発動する。

「《状態維持ステータス・クォー》!」

 地に落ちたダブルヘッド・ワームを中心として、丸い魔法陣が広がった。


 今回のクエストで何より重要なのは、ダブルヘッド・ワームを討ったという確実な証拠である。

 この首をゼラニム公に見せてこそ、莫大な賞金が得られるのだ。

 下手に魔石になどならないように、トーヤは《状態維持ステータス・クォー》の魔法をかけた。

 ある意味これが、今回のクエストでの、トーヤの最重要任務であった。


 片一方の首を失ったダブルヘッド・ワームは、悲鳴を上げながら身をくねらせ激しく苦しんでいたが、まだ死んではいない。

 逃げるどころか、一本だけになった首を持ち上げ、まさに手負いの獣という勢いで、再びマシューに襲いかかる。

(「証拠」を手に入れた以上、「残り」に用はねえ……)

 マシューが心の中でそう呟いた後、ダンジョンの中で、はああッ! という気合いとともに、紅の聖剣が舞い踊った。

 マシューが納刀した時には、ダブルヘッド・ワームの長い体はバラバラに分解されていた。

 肉片と緑の体液が瞬時に蒸発し、後には辺り一面に黒い魔石が転がった。

 何せ図体がでかかったので、その量も半端ではない――


 目的を達成した以上、こんな所に長居は不要である。

 一同は撤収の準備に入った。

魔石こっちの方は好きにしていいんだったっけ?」

「ああ、公爵からは何も言われてないからな……持てるだけ持って帰って、ギルドで金にするぞ」

 シャーリーに答えた後、マシューは、切断されたダブルヘッド・ワームの首の近くでトーヤに言う。

「おい、こいつを入れる箱とか持ってきてるよな?」

「はい、いま出します!」


 マシュー以外の全員が《収納魔法インベントリー》を展開し、シャーリーとカシームは魔石を集め、トーヤは箱を取り出そうとしている――が起こったのは、まさにそんな時であった。

 状態維持ステータス・クォーの魔法がかかっているワームの首が、力を振り絞るかのようにピクピクと動き出し、側に立っていたマシューの顔をめがけ、最後の悪あがきとばかりに、口からどす黒い何かを吐いたのだ。

「うわっ、あああッ!」

残り三人、驚いて、作業を中断してマシューの方を見る。

 不意をつかれたマシューは、不格好に、のけぞってへたり込むような形で躱そうとしたが、遅かった。

 どす黒い液体は、彼のマスクにかかった。

 慌ててマスクを外し、放り投げるマシュー。

 ワームが吐いたものは、強力な溶解液、だった。

 落ちたマスクは、ジュウッと音を立て一瞬で溶けてなくなり、マスクがあった床すらも溶け始めている。

「てめえ……」

 マシューは怒りの目をワームの首に向けたが、すぐにウッと呻くと、ゲホゲホ咳き込み始めた。

「マシュー!!」

 心配そうに叫んだカシームが、マシューに駆け寄る。

 そう、ここは、常人なら五分と持たない、毒が蔓延するダンジョンの中。

 いくら魔法で耐性を上げているとはいえ、マスクなしでは何分持つか――

「なるべく息をするな!」

 服の袖で口を覆いながら立ち上がったマシューを支えて、カシームは言った。

「すぐ撤退するぞ! トーヤ! お前はそいつを氷漬けにでもして箱に入れとけ! シャーリーはもう少し魔石いしを拾って、後でついて来い!」


 『星々の咆哮』の一同は、まるで逃げるようにダンジョンを後にする。

 その様子は、クエストを完了して堂々の凱旋を果たすパーティの姿とは、ほど遠いものであった―― 

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