第6話兜は時々デンジャラス

「おお快晴快晴~。絶好のお出掛け日和だわ~」


 出発の朝、私は鼻歌さえ歌いながら馬車に乗り込んだ。

 ロジェ家のエントランス前には伯爵夫妻やムンム医師や男女問わず使用人たちが馬車の見送りに集ってくれている。

 当初はジャンヌを同行させる予定じゃなかったけど、向こうでの荷下ろしや部屋を整える所までは付き従うと譲らなかったから、私はその有難く義理堅くそしてちょっと頑なな申し出を承諾した。

 世の中にどれだけ優秀な侍女がいたって、私はジャンヌが一番よーって世界の中心で叫べちゃうわ。まあそんなわけで彼女も一緒。


 ヴィクトル皇帝陛下と最後に会ってからもう半月が過ぎていた。


 もう半月、されどたったの半月。

 この日の私はこんなにも早く大きなトラブルもなく脅威から逃避できる幸運に感謝し、もうこれで出産までは安心だと信じて疑わなかった。


 旅路の予定日数はとりあえず三日。


 途中で宿を取りながら進む。

 走行中の馬車のガタガタとした激しい振れの連続は妊婦の体には負担だろうし、通常よりも馬車速度をかなりゆっくり目にしてもらうよう事前に御者には言ってある。座席のクッションも二重にしたわ。だからもしかすると道のコンディションによっては三日以上かかるかもしれない。

 護衛の任に就いてくれるエドたちの拘束期間が予想よりも長くなるわけだけど、そこは上手くシフト調整をするから五日でも十日でも大丈夫だって頼もしい返答があってホッとした。


 目的地までは幾つかの街や集落を経由する。護衛はエドを含めた精鋭魔法騎士三人。


 因みに、エド以外の二人は帝都の道端でも会ったイケメン騎士二人でロベール・ルソーとフィリップ・シュバリエ。


 二人共呼ぶ時は是非ファーストネームでって言われたわ。エドの事もエド呼びだし、日本でも友人の下の名前呼びは普通にしてたから抵抗なかったけど、こっちではフレンドリー過ぎるみたいね。そんなわけでジャンヌからは少なくとも社交場なんかの大勢の前ではそっちで呼ばないよう言われたっけ。

 エドはギュイ隊長かギュイ卿で、ロベールはルソー卿、フィリップはシュバリエ卿ね。

 エドたち三人は既に馬に乗ってロジェ家前のロータリーに姿を見せている。

 エドはまあ、言うまでもなく銀色だった。


「おはようギュイ卿、ルソー卿にシュバリエ卿も。道中宜しくね」


 馬車窓から声を掛ければロベールとフィリップはにこやかに白い歯を見せて笑ってくれた。うん、その爽やかさプライスレス。

 するとエドが騎乗している馬を窓近くに寄せてきた。


「帝国の騎士として命を懸けて全力でお護りしますので、どうか心安らかに道中をお楽しみ下さい」

「ふふっ、大袈裟。でもありがと」


 今日の彼は機嫌が良いみたい。


 だって、喋る。


 実は今日まで、礼拝の帰りだったりにエドとは何回か街中でばったり会っていた。

 銀の甲冑を着ていたりいなかったりとまちまちだったし、着ている時は普通に会話をしてくれる時と魔法文字の時があって、咽の調子でも悪いのかなって内心で首を傾げたものだった。

 だけど訊いたら咽の調子は悪くないって返答があったから、きっと機嫌の良し悪しに左右されていて、光る魔法の文字での会話時は機嫌が悪いんだろうって勝手に思う事にした。人間不機嫌だと誰とも喋りたくない時ってあるじゃない。それよ。


「それじゃあ皆、行って来ます」


 ヴィクトルからの避難って事情を知っている伯爵たちとは、馬車に乗り込む前に十分過ぎるくらい抱き合って親愛のキスをして暫しの別れを惜しんだけど、窓から改めて別れの挨拶を告げると二人は涙ぐんだ。

 涙ぐむ伯爵夫妻が「アデル~」ってハンカチを振るのにこっちまで貰い泣きしそうになって鼻をぐずつかせながら、後ろの小窓からしばらく眺めたものだった。

 私とジャンヌと荷物を乗せた馬車は、エドを先頭にして二等辺三角形を描くように馬車後方にロベールとフィリップって陣形で護ってもらっている。

 石畳を規則的な蹄の音が進んでいく。車窓をゆっくりと街の景色が流れていく。


 彼ら騎士三人は私が一年近く向こうに滞在するとは知らない。


 教えるつもりもない。


 ヴィクトルの臣下だし、むしろ知られちゃいけない相手よね。

 疑念を持たれないよう荷物は出来るだけコンパクトに纏めた。必要なら向こうで買い足せばいい。それでもちょっと多いのを不審がられたら女子修道院への寄付とでも言い訳するつもり。


 最初エドは復路も護衛するって言ってくれたけど、帰りは女子修道院の方に頼んで諸々を手配してもらうって説明してご遠慮願った。


 嘘は言ってない。

 ジャンヌは彼女のすべき事をしたら帰るし、私に至ってはその時期が約一年後なだけだ。

 よって彼らが私を護衛するのは実質往路だけ。

 騙すようにしてごめんって気持ちがないわけじゃなかったけど、生きるためには強かさも必要なのよ。赦してエド。

 まあこうして逃避と無事の出産のための旅路は、晴れやかな朝から始まった。





「ちょっと大袈裟だよなあ。しばらく会えないわけでもないだろうに」


 ロジェ伯爵たちが涙ぐんで見送っているのをちらりと見やって、エドゥアールは兜の中で独り言ちた。

 彼はアデライドが精々一泊して熱心に祈るくらいだと思っていた。

 故に、トータルしてもおそらく十日に満たないだろう令嬢の不在は確かにちょっとは寂しいかもしれないが、そこまでだろうかと疑問に感じたのだ。

 しかし依頼主サイドの細かな事情にまで踏み込むつもりはなかった。


 それがアデライド・ロジェ伯爵令嬢なら尚更に。


 何故なら、彼女の私的な事情に必要以上に詳しくなって皇帝ヴィクトルの機嫌を損ねるのは避けたい。


 何しろ、この装備を主君に度々泣く泣く貸し出している彼は、腹いせに傷一つでも付けられては敵わないと思っていた。


 ヴィクトルが果たしてそのような子供染みた意趣返しをするのか、いやその程度で済むのかはとりあえず考えない。

 ただ一つ、エドゥアールが任務中でも入浴中でも何でも、突然テレポート魔法で目の前に現れては装備を貸せと命令してくるのだけは心臓に悪いので止めてほしかった。せめて事前の通告をくれと彼は心底思っている。の鬼皇帝は臣下に早死にしてほしいのだろうかと時々大真面目に悩むエドゥアールだ。


「いつまで続くんだろこれ……禿げそ……」


 彼は兜の中で一人盛大な溜息をついた。


 そんな彼を心理的に追い詰めている問題は実はもう一つある。


 近頃エドゥアール・ギュイのドッペルゲンガーが出る、そんな話はとっくに本人の耳にも入っている。


 聞かされた当初、自分のドッペルゲンガーが出るなんて馬鹿馬鹿しいと彼は一笑に付した……りはしなかった。


 何しろ、皇帝陛下の執務室で、殺気立った真紅の目を向けられて「仲良き事は善き事だな」と脈絡のない台詞をさりげなく投げ掛けられた日があったのだ。

 そのさりげなさが異常だったし、発言の真意や経緯が本気でわからなかったので余計に戦慄したのを彼は覚えている。あの日も確か大事な装備一式を一時貸し出した日だった。

 殺されずに執務室を出られたのは冗談抜きに良かったと大きく胸を撫で下ろした、そんな恐怖の経験をして間もなく耳に届いた件の噂だ。


『え、自分ホント死ぬの……?』


 聞くなり騎士団の詰め所の床にバターンとショックで倒れ込み、慌てた仲間たちから自分で自分の分身を見ない限りは大丈夫だと慰められて何とか立ち直った。

 とは言え、道の角を曲がる時、部屋の扉を開ける時、実はちょっと肩に余計な力が入ってしまうエドゥアールだったりする。





 一日目の道中は頻繁に休憩を入れてもらう手筈になっている。今日のペースで私の体調が平気そうなら明日はもう少し速度を上げて休憩を減らしてもいいよねえなんて考えつつ、ここまでの休憩中は少しばかり観光もした。

 この世界の家屋は石や煉瓦が主流でまさにテレビで観た中世ヨーロッパの街並みそのものだから、私的には贅沢旅行だーってテンション駄々上がり。


「そろそろ出発しよっか」


 私は優雅に休憩していた帝都郊外の小さな喫茶店でジャンヌにそう声を掛けた。彼女は騎士たちに声を掛けに行ってくれて、私はさて馬車に戻ろうかって席から腰を上げた。

 外の風に当たりたかったから喫茶店のオープンテラス席にいたし、そのまま歩けば馬車まではすぐだ。


 そんな私の目の前にぬっと黒い革手袋を付けた手が差し出された。


 少しだけ驚いたけど他は銀色に覆われているから、正体なんて見なくてもわかる。


「えっと、手を握れって意味?」


 エドは無言でこくりと頷いた。

 ああ、これはまた機嫌が悪くなったのね。

 すぐ近くなんだし馬車まで手を引いてもらう必要はないのにって本音じゃ思ったけど、機嫌を更に損ねられても困るから大人しく手を重ねる。

 でも、エドって機嫌が悪い時の方がこうやって紳士的なのは何でかな。

 馬車の傍まで行ったところで、ジャンヌに出発を告げられたロベールとフィリップが彼女と共に戻って来て、エドが既にいるのを見てちょっと意外そうにした。


「何だもう来てたんですか。てっきりまだかわやかと」

「隊長の馬も連れて来て正解でしたね」


 にこやかに言った二人はそれぞれ騎乗して、気を利かせてロベールから手綱を受け取っていたジャンヌが私たちの所までエドの愛馬を引いてくる。

 エドの愛馬はちょっと怖がったように嘶いて足踏みしたけど、エドが一瞥すると全てを諦めたかのように大人しくなった。


「ありがとエド」


 重ねていた手を離し、ジャンヌがエドに手綱を渡そうとした矢先、何か知らないけど私は彼にこの前の街路での時みたいに抱き上げられた。


「……へ?」


 目を見開く私にはお構いなしに、エドは私を横抱きにしたまんま次には魔法でふわーって浮かんでほとんど衝撃なく馬に腰を落ち着けた。ふわーって!

 遊園地のアトラクションでもこうはいかない。ちょっと貴重な体験だったけど彼の意図がわからないから目を白黒させるほかない。

 ロベールとフィリップも驚いてちょっと目を瞠ってた。ジャンヌはジャンヌで慣れない馬の上なんて落ちでもしたら危険だわって思ってそうな顔色だったけど、護衛騎士の行動に口を挟めずにいたみたいだった。


「エド……?」


 ――この方がいつでも護れて安心できる。


 例によって光る魔法文字で目の前にそんな文言が綴られた。


 ――景色を楽しむならこの方が良く見えるだろう。


「それは確かにそうだけど、馬の操作し辛いでしょ?」


 エドがじっとこっちを見つめた。……兜で顔は見えないからたぶんだけど。


 ――そんな心配は無用だ。


「あ、そう……? うーんまあそっちがいいならいいけど……」


 ――今日は陽気が良くて風も冷たくはないから、存分に空気や景色を堪能するといい。


「あ、うん」


 だけど馬上で下手に動いてエドの手が滑ったらどうしようって不安をこっちの動きの固さから察したのか、エドは兜の正面で私を捉えたまま魔法文字を浮かべる。


 ――心配するな。死んでも絶対に落とさない。


 死んでもって……。うわーこれってある種の殺し文句じゃない?

 でもさ、でも………無の境地なのって感じなぎんぎら兜で言われても全ッ然面白くて仕方ないけどっ! 向こうは大真面目なのに、ごめんねエド!

 って言うかちゃんと前見てね前っ。


「……な、ならいいけど」


 笑いを堪えるのとヒヤヒヤするのとに忙しい私は、ついつい口の端っこが持ち上がるのは感謝の微笑みですわって誤魔化した感じで取り繕った。


 どこかエドらしくないなあとも思いつつ、じゃあエドじゃなければこんな奇天烈な格好している騎士なんて他にいるかしらって結論に至ってその思考は棚上げにした。


 次に小休止した後は、エドも疲れたのか抱き上げてはこなかったから普通に馬車に乗った。

 機嫌も元に戻って喋ってくれるようにもなった。

 案外ずっと被っていると蒸れるのか、時々兜を外していて、中から現れたのは誰がどう見ても赤毛のエドゥアール・ギュイ騎士隊長だったから、やっぱり度々感じる私の違和感は勘違いなんだろう。

 エドって一見気難しい性格には見えないけど、人は見かけによらないっていい例よね。

 その後も馬車を走らせて、この日は計画通り目標にしていたホテルに到着した。ただとうに陽は落ちていて早速と部屋を取ったよね。

 私はジャンヌと同室で護衛騎士たちと年配の御者のおじさんは二人ずつに分かれた。


「ジャンヌ、今日はありがとう。お休み」

「はいお休みなさいませ、お嬢様。良い夢を」

「ジャンヌもね」

「はい、お嬢様」


 ベッドが二つ並んだ標準タイプのホテルの一室。

 ホテルの人がベッドメイクはしてくれたけど、職業柄なのか職務熱心なのかジャンヌが更に入念に整えてくれたベッドで私は安心してゆっくり目を閉じた。

 何かたったの一日知らない場所を旅しただけで気分がリフレッシュした。教会で思い切り愚痴ってスッキリしたなあって思ってたものの、実はまだまだ足りなかったみたい。今まで自覚なくも如何に帝都に居る間気を張ってたのかよくわかった。

 こうして一日目の行程は無事に消化できた。

 まあ敢えて言えば、ただちょっとエドが変だった時があったくらいかな。





 二日目。

 私たちはホテルで朝食を済ませてから出発した。

 今日も一日目と然して変わらない道行きになりそう。途中途中で休憩を挟みはするけど、一日目よりは馬車の速度を上げても問題はないなって感じた私の要請で、車窓に流れる景色の移り変わりは若干急ぎ足だ。


 無言のエドから前日みたいに抱っこされての馬上運送をされそうになったけど、咄嗟に馬車に齧り付いて断固拒否した。


 追い剥ぎに襲われるような万一の有事の際にも円滑に対処できるよう是非とも空手の状態でいてほしい、景色を楽しむよりも修道院まで確実に護ってもらえる安心の方が重要だって切に訴えて何とか説き伏せた。

 まあ説き伏せたって言っても、エドは魔法文字で「何があっても瞬殺するから大丈夫だ」って物騒な文面をしばらく主張してたけど、こっちの切実な様子に最終的には譲歩した。

 エドの職務熱心さと少しでも私の旅を有意義なものにってサービス精神は有難かったけど、ぶっちゃけ言えば馬上は不安定で景色を楽しむどころじゃなかった。馬に乗るなら出産後に自分で乗馬を習ってからにしようと思う。


 その代わり昼食休憩中はずっと傍にいるって意思表示もしてきたっけ。でもー、何で交換条件なの?


 まあそんなわけで昼食休憩中、エドは目立って仕方ない銀の甲冑を惜しげもなく周囲に披露しながら、前言通り護衛対象の私のすぐ傍をキープしている。


 因みに現在、私たちが居るのはレストランの店内席。


 食事を手早く済ませるためにも御者を含めた六人全員で一斉に食べようって私の意向で各々椅子に座っているわけだけど、どういうわけか私だけ超特等席だった。


 エドが椅子だった。


 くうう、人間椅子……ッ。

 エドはちゃんと椅子に座って私がそのエドの上に座らされているから厳密には人間椅子とは違うけど、そう言って障りないと思う。人間椅子on椅子=私on甲冑on椅子。ハイこれ試験に出まーす。要暗記でーす。


「あ……あのねエド、ここまでしてくれなくていいんだけど」


 無口バージョンのエドからはどうしてか何も、魔法文字すらも返って来ない。

 そして相対的に座高が上がりまくった分、店のテーブルの高さが合わない。めっちゃ合わない。私はどうやって料理を食べればよろしいの?

 そしてエドもこの状態で食せるの? ねえ?

 そして誰か彼を窘めてっ。

 特にそこっ! フィリップとピエール……じゃなかったロベール! お宅ら己らの隊長をどうにかしてちょ!

 二人はこの旅が始まって以来エドに時々困惑しきりな目を向けていた。恐れ多くて指摘が出来ないのか上官の個性だと諦めているのかは知らないけど、今なんて素知らぬ顔で食事の手を動かしている。いい大人がってか帝国騎士が見て見ぬふりはどうかと思うわよ、ねえ!?

 このイライラは胎教に良くない。ああもうっ、もしも何かあったら助けを求めた私と合った目を逸らしたジャンヌと御者も同罪だかんね!

 店内からは当然ながら大注目されている。そりゃ~ある意味大道芸人と同列のご一行だからね~。主にエドが。絶対的にエドが。


 ふう。エドのオプションと化して羞恥に疲れた……。嘆息した私は死んだ魚の目でテーブルの食事を眺め下ろす。


 ちょっとここの地元じゃランクの高そうなレストランだったし、入店をお断りされなかっただけマシだったから、好奇の視線は甘んじて受けるわ。

 ……っ、だけど料理の皿が遠いっ。

 皿へと伸ばした腕がプルプル震える。

 けど結果的には料理と近くならなくて良かったのかもしれない。これまでの経験から吐きそうにならない無難なメニューを注文したものの、この店は今までで一番多彩なメニューのある店だったから皆の注文の品も三者三様だ。うっかりつわりが出たらまずいものね。

 はー、腕は疲れるだろうけど腹を括ってどうにか食べるしかない……なんて思っていたら、エドが私の手からスプーンを攫っていって私の料理をひと匙掬い取った。


「あっちょっと私のだけどそれ!」


 私の注文の品は味も香りもスパイシーだけどさっぱりした鶏肉と野菜のスープ。見るからに食材たちの旨味がよく出ていてコクも十分にありそうな一品で、人気メニューの一つらしい。実はエドも同じの食べたかった? それかこれ見て食べたくなった? 味見くらいはさせてあげるわよ。でも無言で無許可は駄目だよ君ー。

 予想外の動きにびっくりした私の目の前でエドの持つスプーンが止まった。

 スープが零れないような絶妙な力加減で。へえ、結構器用なんだ。


「エド? 食べたいんじゃないの?」


 当惑する私の口元の前で、スプーンは依然静止している。

 思わず目をぱちくりさせちゃったわよ。まさかあーんしろって?

 もう小さな子供じゃないんだし、さすがにこれは羞恥が過ぎる。そもそも恋人でもない男からこんな事されてもねえ。エドってタイプじゃないし。ジャンヌたちもどこか困惑の目でこっちを見ている。


「ええと自分で食べるから」

「…………」

「ホントいいから」

「…………」

「えーっと、とりあえずそれぞれ椅子に座らない? エドだってこのままじゃ食事できないでしょう?」

「…………」


 えー、はい、結局何を言っても無言しか返らずスプーンも微動だにせず、折れました、私が。


 途中スープを少し零して慌てたら何とエドが魔法でハンカチを瞬時に出してくれた。私がこの前ヴィクトルに巻いてあげたのと同じ蝶々の柄のハンカチだった。


「ありがとう。エドも蝶々好きなの? 可愛いよねこの柄! 私も前まで同じの持ってたんだけどあげちゃったの。あ、ちゃんと洗って返すから」


 ――いや、大事な人から貰った物だから、こちらで洗う。


「え、大事な人!? えーっごめんなさい汚れちゃったわよエド~!」


 ――ハンカチもこうして使うためにある。気にするな。それに漂白魔法で綺麗になる。


「あ、そうなんだ、良かった。魔法って便利~……。そんな大事な物を貸してくれて本当にどうもありがとうねエド」


 彼の親切に感謝を込めて膝の上で反り返って満面の笑みを浮かべたら、何でだか彼は中座した。店の外からあたかも兜をガンガン壁にぶつけたような音が聞こえてからすぐに戻ってきたけども。


 因みに我がチョイスに狂いはなく、美味だった。猛烈な羞恥の中の唯一の救いだった。


 腹休めに広場のベンチでまったりしている間も、やっぱり忠実な騎士隊長殿は私の傍に控えていた。もう甲冑椅子は御免だから私は何も言わずさっさとベンチに陣取ったけど、エドも何も言わずに私の隣に腰を下ろした。

 他の同行者たちは私たちとは別のベンチか近くの木に寄り掛かっている。

 多少朝よりは雲が出てきていたものの天気は悪くなく、そろそろ出発するかなと思った矢先、エドが魔法文字を浮かべた。


 ――ずっと気になっていたんだが、訊いてもいいか?


 もしかして大人しく横に居たのは質問があったから?


「うん、何?」


 ――どうして女子修道院にまでわざわざ行こうと思ったんだ?


 え、今更それ訊いてくる。

 依頼人の目的を詮索しない方針だったけど、やっぱり好奇心が勝ったとか? まあ無難な答えの用意はあるからいいけどね。


「俗世から一時的に離れて祈るためよ。あとは寄付するって目的もあるかな」


 寄付の部分は貴族令嬢として尤もらしい理由づけだったからか、エドはそこに焦点は当てなかった。


 ――そこで何を祈る?


「勿論、ヴィクトル・ダルシアク皇帝陛下の無病息災を!」


 ふっ、どうよこの優等生な回答は。

 だけどどうした事か予想に反してそこでしばらく会話が途切れた。


「エド……? えーと何か駄目だった?」


 こっちに兜正面を向けたままエドはたじろぎもしない。

 そう言えばヴィクトルってエドにとったら主君なんだっけ。皇帝陛下の事は私よりもよく知ってるのよね。


「皇帝陛下ってもしかしてそういうの嫌いなタイプなの? でも勝手に祈るだけなら別に問題ないでしょ?」


 エドは何の反応も寄越さない。そう言えば昔から皇帝と教皇は仲が悪いって言うし、まさかの問題大あり……?

 どうしよう、ここまで来て引き返しましょうなんて言われないよね?


「えーとほら、帝都の教会じゃ何となく十全に集中できなくて。誰にも邪魔されずじっくり熱心に大事な陛下の安寧を願える場所で一度そうしたいって思ったのよ!」


 否定的な意見が返る前にと、私は畳みかけるようにしてこの素敵な理由を捲し立てた。どう、私って健気でしょ。アデライドはヴィクトルと噂のある令嬢なんだし、エドもこれ以上変に勘繰る気なんて起こさずに納得してくれればいい。


 ここは笑顔で押し切ろうとエドへと笑みを向けていると、ふっと気配が近付いた。


 え、何? 急にどうしたの? 突発的に近眼になったとか?


 妙に兜が近……いっ。


「~~~~ッたあーい!」


 ズームアップする兜をキョトンとして見つめていたら、顔面にダイレクトヒットをかまされた。


 ぶつかった反動でやや仰け反ってから両手で鼻を押さえて悶絶に丸まった私は、涙目になった顔を上げ睨み付けた。


「何するの!」


 当然ながら無機質な兜面からじゃ相手の感情は見えない。

 幸い鼻血は出なかったけど、そもそも兜を近付けてきた意図がわからない。

 そんなこっちの疑問を察したようにエドがようやく魔法文字を浮かべた。


 ――すまない。うっかりしていた。


 うっかり~?

 だけど故意じゃなくぶつかるって……あーそっか、なるほどね。


「いくら被り慣れてるって言っても、兜だとやっぱ細かい部分での距離感がいまいち掴めないのよね? まあ私もそれ被ったら絶対そうなる自信があるわ。ちょっと痛かったけどまあ今回はと・く・べ・つ赦してあげる」


 からりとして言ってやれば、


 ――感謝する。


 エドにしては固めの言葉が返った。


「ただし今後は気を付けてよ? 私の大事なお鼻ちゃんがぺしゃんこになったら世界の大損失だもの」

「…………」

「何か突っ込んで!」


 軽いジョークだったんだけどこれじゃ単なる空気読めないナルシストじゃない私……。


「さ、さてと、そろそろ出発しよ! 少しだけど風も出てきたから途中で天気が崩れるかもしれないわ」


 少し待っても結局ツッコミが飛んで来る様子はなかったから、気を取り直してエドに先んじてベンチから腰を上げる。


「エド、行こう」


 友達にそうする気分で半分振り返って促した。

 エドは、口元を笑みって言って良いのか微妙なラインでへらりと緩ませたこっちの顔を数秒じっと見ていたようだけど、ゆっくりと、緩慢ってよりはまさに備え持った鷹揚さって言葉がしっくりくるような動きで立ち上がった。


 それにしても、さっきはこっちの顔面にぶつかるくらい顔を近付ける必要性が何かあったっけ?


 私の顔に何か付いてた?

 他の皆にも声を掛け馬車へと歩きつつ、もしや食べかすでもくっ付いてるのかもと自分で自分の顔を触ってみたけど何もなさそうだった。

 紳士的なエドに手を貸されて馬車に乗り込む際、添えた手を何故か一度握り込まれた。


「エド? 放してくれないと乗れないんだけど」


 尚も手を握ったまま彼はやっぱり何も言わずに私の反応を窺っている。

 何か言いたい事があるのかもしれない。

 警護の責任者として気を張っていて疲れたからもう少し休憩したいとか? それとも昼食が足りなかった? まあ、私を膝に乗せて給仕していたって不自由以前に、兜を取らなかった彼が食事をできたとは思えない。後でこっそり携帯食でも食べるつもりなのかもしれない。


「ねえ本当に大丈夫? 実は具合が悪いとか?」


 不審を抱くよりもちょっと心配になって見えない兜の奥を見透かすように顔を近付けて覗き込めば、否定に首を振った彼からやっと手を離されて、私は少しの安堵の色を浮かべて馬車の座席に収まった。

 出発して次の休憩までの間はエドも先頭を行っていたし会話なんてしなかったけど、休憩後は機嫌の良い時のエドに戻っていてやっと完全にホッとした。体調が優れないのかと思ったけど杞憂だったみたいで良かった。

 その日、後はもうずっと喋ってくれるエドで、二日目の行程も順調かつ大事なく終了した。

 天気は私の予想が当たって夕方には雨が降り出していた。





 ヴィクトル・ダルシアクはアデライド・ロジェという少女を熟知しているわけではない。


 大体の性格を知った気になっていただけだ。

 それは彼の相対するどんな人間にも言えるので、特にがっかりする必要はない。


 しかし、ここに来て彼は重大な懸念を抱いている。


 時々エドゥアールと入れ替わって銀甲冑の中に居る彼は、ここ最近のアデライドに以前との差異を感じていた。


 彼女は果たしてこのような明るい女性だったろうか、との大きな違和感と疑問は積もり続けている。


 彼女の事はとても気に入っていて、無礼を働かれて腹が立っても、興が冷めたり顔も見たくないと退けたりしたくはならないし、少しも殺したくならないくらいには好意があると自覚はしている。

 彼女の身内に打算はあれ、彼女本人には裏がないのも好感を持てる理由の一つだ。言動は押し付けがましくなく、人を和ませる空気を彼女は生来持っている。

 一緒に過ごしてきた時間は決して多くなかったとは言え、男女交際の順序がまるで逆で多少の気まずさがあったとは言え、この先の人生を共有しても構わない無難な相手が彼女だった。


 一緒にいると仄かに優しく自らの気持ちの緩む相手、アデライド・ロジェ。


 血の繋がった実の妹よりも余程妹らしい存在だ。

 そう言う面で彼女は他の煩わしいだけの令嬢たちとは明らかに違っていたのだ。

 ヴィクトルは彼女との婚約そして結婚を視野に入れているが、その件をまだ言葉にはしていない。

 関係を持ってしまった責任を取ろうとしたものの、久しぶりに会ったアデライドの様子についぞ言葉に出来ずにいたのだ。


 彼女は目に見えてヴィクトルへの壁を作ってしまっていた。


 眼差しにも声にも、以前は確かに自分へと向けられていた彼女の親しみや恋慕が感じられなかった。

 あの件では媚薬のせいか明確な拒絶はされなかったとは言え、いくら温厚な彼女でも腹を立てずにはいられなかったのだろう。

 無防備な相手に手を出すなど最低だったとは思う。しかし後悔はない。ただ、不思議と次もそうなりたいという欲求もなかった。あるのは責任感だった。

 だから、彼女の怒りが解けるまで、もう少しあと少し様子を見ようと時間を費やし今に至る。


 それが良かったのか悪かったのかは別として彼女をよりよく観察できた。


 結果、理性が危うくなる程に。


 夜も更けた皇帝の執務室に悩ましい溜息が落とされる。


「……お前は誰だ、アデライド……」


 ヴィクトル・ダルシアクの小さな呟きが漏れた。

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