第3話ホラーキャッスルからの生還

 え、何よその顔。全然極悪非道皇帝っぽくないんだけど。

 とか思って気を緩めたのが間違いだった。

 急に空気が変わった。


「……死んじゃう、だと?」


 ヴィクトルはこの魔法世界で最強の魔法使いの一人なんても言われているから、その強力な魔力の一部が闘気みたいな感じでぶわっと放出された。


「私がお前を殺す、と?」

「あっ、えっとそのっ」


 そう思ったわけじゃないけどそう思われた言動なのはまあ、相手の反応を見れば一目瞭然だ。

 向こうは険呑に目を細め、アデライドの記憶にもないようないつになく低い声を放っている。その声はまるで魔法の鎖が足に絡み付きながら這い上がって、全身を雁字搦めに拘束してくるのと似たような効果を私に齎した。

 だだだって何か足が竦んで動けないーっ。


 この上ない恐怖がぐるぐる体中を回るけど、妊娠がバレても困るってんで私は生きてきた中で一番目まぐるしく思考を回転させた。


 彼を振り払った不敬罪はホント土下座でもして謝罪するしかないとして、今の台詞をどう誤魔化すべきかも考えないといけない。

 ……まあ、殺されなければって前提は付くけどね。

 でも肉体的にはドクドクと嫌な動悸だけが耳の奥にこだましている。呼吸も心なし浅く短くなっている気がする。

 これもこの世界特有の魔力圧のせい?


 魔力の高い人間がしばしば感情的になった際、周囲にまで影響するのが魔力圧だ。


 ヴィクトルが現在進行形で魔力を放出してるせいで起きている。ううっ頭まで痛くなりそう。


 ああもーっ、さっきから妊婦の体に負荷ばっかり掛けてさ、こんなの絶対胎教に良くないよねっ。


 そう思ったら母性パワーなのか力が湧いてきて、私は近付いてくる怖い顔のヴィクトルから逃れるように身を翻した。

 再度窓辺に寄って、くるりと反転して室内へと体正面を向ける。

 窓はまだ閉められてなかったから背後から風が吹き込んだけど、風邪を引きそうなくらい冷たくはなかった。


「かかか換気もしない蝋燭ばかりの部屋にいたら、酸欠で死んでしまいます!」

「何?」

「火を使う時はこまめに換気をしましょう! 陛下がどうこうではありませんから!」


 私は冗談に思われないよう本気と書いてマジと読む目をした。

 どうか、どうかどうかどうかこれで納得してーっ!

 だけどタイミング悪くも、殺意さえ感じた睨み付けで胃の腑が捩れたせいかまたも吐き気を催してきた。


「で、でないと具合が悪くなります……うっぷ、い、今みたいに……っ」

「アデライド……?」


 険しい表情を消していたヴィクトルが怪訝そうにして手を伸ばしたけど、口元を押さえた私はもう片方の手を前に翳して彼を制してよろよろと入口へと向かった。


「た、大変に申し訳ありませんが、今日はこれで失礼させて頂きます。心尽くしのお招き大変にありがとうございました!」

「まさか本当に換気をしなかったから具合が悪くなったのか?」


 それには是も否も答えず「それではご機嫌よう」と儚げな笑みを浮かべる。

 私が退室するまで、彼はすっかり毒気を抜かれた面持ちで見送っていたから大丈夫だろう。

 よっしゃこのまま帰るわよ~!

 内心ガッツポーズで今日も廊下でハラハラしながら待っていてくれた侍女のジャンヌに声を掛ける。


「ジャンヌ、さっ今日はこれで帰ろ――」

「待てアデライド!」


 閉まる直前の重厚な扉の隙間からヴィクトルの鋭い声が追い掛けてきて、ひいいーっと慄き飛び上がった私は反射的にジャンヌの手を掴むと脱兎の如く駆け出していた。

 無我夢中で灰色の石の廊下の角を曲がった所で、逃げてきた角向こうから勢いよく扉を開ける音が聞こえた。


「具合が悪いのなら医師に診察をさせ……いない?」


 はーっ、ギリッギリセーフ!

 壁に背を押し付ける私はドキバクの胸に手を当てて、上がった息を静かに何とか整える。

 姿が見えなきゃこれで諦めてくれるよね。


「まだ城内にいるはずだ。――警備隊長に伝えろ。アデライドを見つけ次第すぐここに連れ戻せとな」

「はっ!」


 ひいいいいいっ!

 お茶の間もずっと扉前に立っていた二人の見張りの兵士にでも命じたんだろう。兵士達の足音が近付いてきてジャンヌと竦み上がった。ここで捕まったら良い事なんて一つもない。


「絶対に逃げるわよジャンヌ……!」

「は、はいお嬢様!」


 声を潜めて固い決意を交わし合う。城門までの地獄の持久走が確定よ!

 だけどまあ実際は、妊婦だしあまり激しい運動はちょっと無理って思って物陰とか近くの部屋に隠れ隠れ走った。でも、そんな時間ロスしてたら追手の兵士達に先回りされるのは当たり前田のクラッカー。古いっ。

 程なく、私とジャンヌは廊下の一角で挟み打ちにされた。

 その場にいた兵士達が口々に「アデライド様が居たぞ!」「アデライド・ロジェ様発見!」「ロジェ伯爵令嬢はここだー!」って大声で叫ぶからあっという間にわらわらと他のとこに散っていた城内警備の兵も集まってくる。恐ろしく統率の取れた集団だ。まあ彼らだってヘマをしてヴィクトルに殺されたくはないだろうから必死こいて私を捜すよね。


「アデライド様、これ以上お逃げになりませんよう。そもそも何故にお逃げに?」

「そっちが武器持ってものものしく追い掛けてくるからよ!」


 追跡の兵士達は「あ……」と自分が手に持つ剣や槍を見て納得した。


「いつもこのスタイルでしたので、気が回らず怖い思いをさせてしまい申し訳ございません。そして怖がらせた事はどうか陛下にはご内密に……!」

「ああ、物理的に首が飛ぶかもしれないものね」

「海の如き深いご理解誠にありがとうございます!」


 頷いてあげると心底安堵した様子で兵士達は武器を鞘なり何なりに仕舞った。


「では陛下よりお連れするよう仰せつかっておりますので、こちらへどうぞ」


 そう言って腕章を付けた隊長格っぽい中年兵士が一度慇懃に頭を下げ、伸ばした腕で進路を促してくる。

 後ろにも前にも人の壁で逃げ場はない。右は石壁だし左は窓だけど一階じゃないから逃走経路にはなり得ない。


「くっ、我が命運もここまでか……!」

「お、お嬢様?」


 無念の戦国武将気分の私にジャンヌが不思議そうに首を傾げたその時、前方の兵士の列が綺麗に二つに割れ、次には前も後ろもその場の兵士皆が跪いた。隊長(仮)もハッとして急いで跪拝し臣下の礼を取る。


「――アデライド!」


 …………。

 ハーイ満を持しての皇帝陛下サマのご登場ですね~。拍手~。

 私は心から泣きたい気分で声の方へと顔を向ける。


「陛下、すぐにでもお連れ致しましたのに」

「この方が手っ取り早い。皆ご苦労だった。下がっていい」

「はっ!」


 隊長(仮)をはじめとした兵士達はまるで波が引くように廊下から見る間に居なくなった。

 ぽつねんと残された私とジャンヌは唖然とするしかない。


「ご、ごきげんようヴィクトル陛下」


 とは言え命が惜しいから取り繕うようにしてにこりとし、思い切り猫を被って令嬢とやらを演じてみる。

 私のすぐ傍まで近付いた彼は、やや身を屈めて私の細い顎を易々と指で掴むと食い入るように覗き込んできた。


「具合はどうだ? もう平気なのか?」


 いやあのねその態度、人を心配しているそれじゃないでしょ。ぶっちゃけ凄まれるのかと思ったよ。


「え、ええまあ。新鮮な空気が吸えましたから」


 廊下は強い食べ物の臭いがしないしね。


「ええと、ところで何故私……コホン、わたくしを追い掛けて来られて……?」

「ああ、医師に診察をと思ってな」

「必要ございません。ロジェ家にも腕利きのお抱え医師がおりますので」


 顎を掴まれてるから仕方なく目を見てハッキリと意見を述べた。

 私の、アデライドの榛色の瞳を向こうも応えるように見つめる。


「何故そうも強く拒む? 何か不都合でもあるのか?」

「そういうわけではありません。ですがわたくしは幼少よりロジェ家に仕え我が家の健康面を任せているムンム医師を全面的に信頼しておりますので。彼以上の名医はいないと思ってさえおります」

「なるほど。余計なお世話だったというわけか」

「あ、いえ、陛下のお気持ちは有難ーく頂戴致します。ご用件と言うのはその事だったのですか?」

「ああ、概ねは」

「そうですか。他にもう特に御用がないのでしたら、先程も言いましたがわたくし今日はこのまま帰らせて頂きますね」

「……どうしてそう急いで去ろうとする?」

「そ、そんなつもりは……」


 ハハッめっちゃあるー!

 彼はやや荒く嘆息した。


「やはりあの日の件で私に腹を立てているのだろう? 薬のせいとは言え本意ではなかったお前に契らせてしまった私を。それならそうと遠慮なく私を責めればいい」


 いや無理。

 暴君皇帝に面と向かって文句言うなんて恐れ多くてできな……ってついさっきしたじゃん~~っ。

 同衾はヴィクトルとアデライド、彼女を陥れた連中、他はムンムが知ったくらいでジャンヌは知らなかったから、彼女は「お嬢様!?」と大いに驚いていた。まあ令嬢の中にはそう言ったいけない経験のあるのも珍しくはないみたいだから、わけを話せば彼女もアデライドの名誉のために口を噤んでくれると思う。


 でもヴィクトルは気に病んでいたのね。


 ちょ~お意外。バッサバッサとどうでもいい人間は平然として斬って捨てるけど、案外心を許した相手には純情なのかもね。

 しかも彼は赦しを乞うてきた。

 けど私は丁寧に話を聞いてあげる余裕がなかった。それどころか思い切り拒否っちゃった感じだし。換気がどうとかってそれらしく誤魔化したけど、彼はやっぱりどこかで拒絶を感じたと思う。

 それがこの状況を生んだのかもしれないけど、こればっかりは巡り合わせの不運としか言えない。もっと別の体調の良い時だったら私だって親身になって話を聞いたのに。

 だからと言って素直に彼を詰るわけにもいかない。私は本当のアデライドでもないしね。


「ええと、そうではありません。わたくしとの単なるお茶で、お忙しい陛下のお時間を取らせるのは心苦しいので」

「…………」


 ヴィクトルは目を瞠って黙り込んだ。

 その眼差しにじわりじわりと怒りの色が浮かんだ。


「……良くも悪くも率直なお前が私に嘘をつくとは思わなかった」


 顎を掴む指の力が増して皮膚にやや食い込む。


「いたっ……!」

「会わない間、誰かに何かを吹き込まれでもしたか? 私に毒を盛れとでも? だからそのようにどこかビクビクしているのか?」

「ち、違っ……!」

「お前も結局は他の大多数の者と変わらないのか?」


 指の力はそのままだったけど、勢いを付けて高まった魔力圧にぞわぞわして体の芯が冷えるのを感じた。


「いやっ……やめ、て……ッ!」


 子供に障るじゃない!


 母体にも!


 だけどアデライドは魔力なんて持たないし腕力差だって言わずもがなで抵抗しようにもどうにもできない。


 ただ、一刻も早く彼から離れたい一心で顎を掴むヴィクトルの腕に無意識に爪を立てていた。レースの手袋越しでも爪の痕が付いただろう強さで。

 主人と同じく魔力を持たないジャンヌは「おやめ下さい!」と、顔面蒼白になってヴィクトルの別の腕に取り縋る。


「邪魔だ」

「ああっ……!」

「ジャンヌ!」


 その時だった。


「――ッ、アデライド!?」


 侍女がヴィクトルから無情にも魔法で壁に飛ばされたのとほぼ同時、バチィッと静電気の特大版みたいな音がして、彼の手が見えない何かに弾かれるようにしてやっと私から離れた。





 私とヴィクトルは呆然としてしばし互いを見つめていた。

 な、何今の?

 静電気に似ていたけどそれではなかったように思う。

 もしかして魔法?

 ジャンヌは憐れ壁際で気を失っている。変な所を打ってないといい。

 心配だし本当はすぐにでも駆け寄りたかったけど、たった今の現象に私自身すっかり度肝を抜かれていて動けなかった。

 結構凄い音がしたし恐々と自分の顎に手をやったけど、痛くも痒くもない。

 怪我一つないようで良かった……。


 一方、ヴィクトルの指先は赤く染まっていた。


 結構深いのか、だらだらと垂れ滴った血が石の床に一つまた一つと赤い斑点を増やしていく。


「あ、あなた怪我を!? ちょっと大丈夫!?」


 もう完全に素の口調になっちゃって青くなったけど、彼の方もこっちの言葉遣いにまで気を回している余裕がなかったのか一度自らの赤い指先を見下ろして脇に下ろした。

 そして正面の私を見る。

 ううん睨んだ。


「アデライド……」

「ひいっ」


 そりゃ怪我のないこっちが明らかに下手人って思うでしょーよ。

 傍から見ていたら私だってそう思う。

 だけどハッキリ断言するわ、私は無実って!

 何もしてないっ。何が起きたかもわかってないんだしっ。

 だけどその主張が通じる相手かって訊かれると否としか言えない。


 ヴィクトルがゆっくりと血染めの指先を上げた。


「お前、腹に何を隠している?」

「へ?」


 突然に指差しまでされてびっくりした。


 無論「あなたの子を」なんて言えないけど、ピンポイントで訊ねてくる辺りとうとう鋭くも気付いたの?


 これが感動の父と子の絆なの!?


 ……っていやいやそんなわけはないでしょ。絆どころか仮にそんなものがあってもそれを粉微塵にしちゃうような男だろうし。でももし気付かれたんだったら私の命はない。


「な、何の話?」

「誤魔化しても無駄だ」


 いやあああっ、マジで子供の存在を感知してるの!?


 彼は離れた分を詰めようと、一歩また一歩と近付いてくる。


 やろうと思えば魔法で拘束なりさくっと首飛ばすなりもできそうなのに、私のお腹へと手を伸ばしてくる。やっぱ獲物をなぶり殺すのは素手が一番とか思っているのかもしれない。

 腰が抜けそうな私は最早足が動かない。

 死神の手が伸びてくる。

 死にたくない死にたくない死にたくないーッ!


 刹那、バチィッ、とまた静電気もどきが生じて今度も彼の手が弾かれた。


 その際ドレスに散った血が付いたけど、気にする者はここにはいない。まあジャンヌが起きてたら気にしたかもしれないけども。


「ま、またさっきのが? でもどうして……」


 当事者たる私にも全くわからない。


 でも今のもさっきのも、まるで全身に護りのバリアでも張られたみたいだって思った。


 呆気に取られる私を余所に、ヴィクトルは余計に怪我の度合いが酷くなった手を痛がるどころかぎゅうと握り締め、胡乱な赤眼を向けてきた。


「さっさと言えアデライド、その腹に何を仕舞いこんでいる?」


 ちょっと表現が婉曲だけど、ああこりゃ妊娠悟られたって決定だよね。

 でも城の医師の診察を受けさせられる前に言質を取られたらそれこそここでデッドエンドだわ。

 私は時間稼ぎの意図もあって往生際悪くも空惚ける事にした。どうせこの城で死ぬ運命なら最後までしつこく足掻いてやるんだから!


「べっ別に何も~?」

「嘘をつくな。その服の下に仕込んであるだろう。さっきからずっとピリピリと感じている」


 ピリピリ? 名推理ばりに名察知するなら背景にピーンって横一本の閃光が走るとかじゃないの?

 そんな彼は、また静電気みたいなのに攻撃されても不本意だからかこれ以上近付いてくる様子はない。

 それに内心少しホッとしながらも、私は依然気を緩めずに対峙する。下ネタ的に種を仕込んだのはそっちでしょなんては言わない。


「あなたの気のせいよ」

「気のせいだと? こんなにもハッキリと波動を感じるのに?」

「波動……?」


 この世界の人間は我が子の波動なんて感じるの? それとも魔法の使えるヴィクトルだから?

 魔力がないせいか魔法に詳しくないアデライドの記憶にはそう言った情報はなく、私は悩んだように黙り込んだ。うーん、超音波みたいな感知魔法があるとか?

 私の様子は相手からすれば強情に押し黙ったように見えただろう。


「……ククク、ハハハハ」


 彼が不気味な程に小刻みに肩を震わせた。

 私は私でビクッと大きく肩を震わせる。まさかとうとう堪忍袋の緒が切れた?


「ここまで強情だとは思わなかった。お前が言わないなら私が言ってやろう」

「……」


 思わずゴクリと咽を鳴らした。


「アデライド、お前は――」


 万事休す……!


「――その腹に防衛の魔法符を忍ばせているのだろう?」

「……へ? ま、魔法符?」


 全く埒外の言葉を聞かされて、私はポカンとなってヴィクトル・ダルシアク皇帝陛下を見つめた。


「何だその間抜け面は。己の身を護ろうと忍ばせた護符が発動して私の手を撥ねのけたではないか。いつか私がお前を傷付けると本気で思っていたのだろう? そうでなければそんなものは身に付けない」


 いやホントに身に付けてないよって。でもそれを言い張った所で怒りで聞く耳を持たなそうな今の彼には火に油でしかない。挙句に服を脱いで証明しろなんて屈辱的な要求されたらもう世を儚んで池に飛び込むしか……っ。


 うーんでも、お腹に?


 ううん、お腹から?


 何故、と考えかけて私の背景に稲妻がズガーンと一本走った。


 ――子供か!


 アデライドに魔力はないけど、ヴィクトルとの子供なんだし魔法的才能が受け継がれても不思議じゃない。


 えっでもまだこの未発達な段階で二回も魔法使ったの?


 臨時我が子ながら末恐ろしいわね……。


 きっとさっきの魔法は母親のために使ってくれたんだと思う。まだまだ一心同体の大事な母体が命の危機だって感じたんだろう。それが孝行心か生存本能かはハッキリ言ってわからない。

 だけどお願い生きてって言われている気がした。

 産むと決めた大事な子供の頼みだもの、ここは絶対に生き延びてやるわ。

 顎を引いて気を引き締めて、毅然として背筋を伸ばす。


「仮に、魔法の護符を持ってたからって何だって言うの。人間万一を考慮して備えておいて何がいけないわけ? 大体あなたはさっきから自意識過剰、ううん被害妄想が過ぎるのよね」

「何だと?」

「だってそうじゃない、こっちの行動全部があなたに向けてのものだって考えてる時点でおかしいのよ。嫉妬して媚薬で陥れた連中みたいに私が死んでも構わないって思ってる人間が現にいるのよ。魔法を使えない私みたいな人間が自己防衛の手段としてそういった道具を所持するのはいけない事なの? 有り得ない事なの? この体にとったら決してあなただけが脅威じゃないのよ」


 正論だと思ったのか、ヴィクトルはちょっと面喰ったように口を閉じ、ややあって眉間に皺を刻んだ不機嫌もろ出しの面持ちになる。


「黙っていたが、お前に薬を盛った連中は既に脅威ではない。だからそういった者を警戒して自衛の手段を講じる必要もない」

「はい? どういう意味……?」


 何か、嫌な予感……。


「皆、土の下だ。ああ、何人かは野ざらしのままだったか……?」

「…………」


 そ、それはこの数カ月の間にもれなく全員処刑しちゃったって意味?

 残酷皇帝とか血みどろ皇帝の異名は伊達じゃないらしい。


「見せしめの意味もあったからな。もうお前に手を出す度胸のある者はいないだろう」


 ハハ、ハ……やっぱこの人怖い。巷の人間よりもダントツで拍の早い死のカウントダウンが聞こえる気がする。

 そういえば今この人が脅威って趣旨の不敬極まる言葉も口走っちゃったっけ~。やっば!

 おそらくは化粧越しにでもわかるくらいに完全に血の気の引いている私の顔を見て何を思ったかは知らない。


「そうか。だから強力な護符を持っていたのか。……悪かった」

「え」

「護符が反応するくらい気が立っていたのは認める。魔力のないお前が威圧されて怖がるのは本能的に当然だな」


 ヴィクトルは怪我をしていない方の手を私の顔に伸ばした。

 驚きと恐怖で本日何度目だかわからない強張りを見せる私はその手を避けられない。


「アデライド、私は性根の腐った者どものために泣けるお前の優しさを尊いと思う」


 へ……優しさ?

 いきなり何を言ってくるの?

 固まりながらも訝しんでいると、向こうは私の目元に指先を当てた。

 目潰しっ……て来るのかと本気で危ぶんだけど、離された指先には光るものが。


「え、あ、涙?」


 慌てて自分でも目元を拭った。うわー自覚なかった。恥ッずかし~ッ、泣いてたんだ。まあでもめっちゃ怖かったもん。今もだけど。

 ただこれが死者への涙って思ったとか、この人が存外アホ……ううんピュアで助かった~。

 心底安堵しながらも、この時ふと思った事がある。


 彼とは関係なく、他にも一つアデライドには大きな命のリスクがある。


 出産時だ。


 ここは魔法世界とは言っても、現代日本みたいに高度な医療水準とは思えないし、きっと心してかからないといけない。

 果たしてその時までにアデライドの魂が戻るかはわからない。

 だけどもしも戻らなくても安心してよね、その時は私がお母さんとして頑張るから。


 何となくまだぺったんこの腹に手を当て、慈しむように微笑んだ。


 こんな張り詰めた空気で突然何笑ってるってきっと奇異に見えたんだろう、ヴィクトルは不思議そうに私を見つめた。


「……私の前でまだ笑えるのか」

「え?」

「いや」


 彼は気分を切り替えるようにか一つ息を吐き出した。


「今日の所はこれ以上は詮索しないでおいてやる。もう引き留めないから好きに帰れ」

「えっいいの?」


 何か大目に見てくれたっぽい。

 ……泣いたから、とか?

 それとも鬼の皇帝にも少しの情けはあるのかも。

 偉そうに言われてちょっとカチンと来なくもなかったものの、帰れるってわかったら現金なもので気持ちがうーんと軽くなって声も表情もパッと明るくなった。ああやばやばって、見られて不愉快になられても困るってんで慌てて顔面筋を引き締めたけど。

 安心したらジャンヌを思い出した。


「ジャンヌ!」


 ヴィクトルをもう見ずに急いで彼女の所に駆け寄ると、膝を突いて助け起こす。幸い流血部位はなく、軽く頬を叩いてやると彼女は薄らと目を開けた。

 大事はなかったようで彼女は程なく私の手を支えに立ち上がったからホッとした。

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