人形の怪

ラッキー平山

第1話

 うちには、京人形と呼ばれる日本人形がある。薄紫の上品な和服を着て、頭の上半分に豊富な日本髪がカツラを被ったようにもっさりと結われている。その表面には、いくつもの赤や黄色の花柄のかんざしが、そこかしこからぱっと咲いたように顔を出し、華やかだがうるさくはない。

 色白で卵型の顔は、いわゆるうりざねという奴で、ぱっと見はすっきりとした美人である。穏やかに描かれた薄い眉の下にある細い吊り目は、小さな黒い瞳が内に寄っており、誰も直視しない優しい視線になっている。低い鼻の下に紅をつけたおちょぼ口は、かすかに緩む控えめな微笑をたたえる。

 その全体の柔らかさ、奥ゆかしさの中にも、どこか凛とした直線的なたたずまいがあり、その風貌は古来から言う大和なでしこそのものである。


 この三十センチほどの丈をした人形は、ガラスケースに入れられて、部屋のタンスの上にずっと置かれっぱなしでいる。もう二十年はこのままだろう。たまにケースを拭くぐらいで、あとは全く放置して気にもしていない。

 いつ買ったのか覚えていない。たぶん母親だろう。見た感じ結構しそうだが、奴のことだから駅前辺りの質屋で見つけて、それをさらに値切って強引に買ってきたに違いない。

 そのくらいはする奴だった。

 そして今となっては、俺には関係ないことだ。





 俺は十代の頃から神経症になり、手を洗いだしたら止まらないとか、歩きだすとどこまでも歩いて止まれない、などの、その病気には月並みらしい、さまざまな症状に苦しめられた。

 あとで知ったことだが、これらの、したくもない行為を体が強迫的に繰り返す症状の原因は、完全に母親にあった。奴はとにかく人の話を聞かず全てを自分で決めないと気が済まないというサイコなところがあったが、幼児期から俺の人格も人生も、全て奴に勝手に決められた。一人っ子だったので、なおさら矛先が集中した。

 二十歳をすぎるまで、俺はいないも同然だった。自分で何かをしたい、しようと思ったとたんに、刺すような頭痛と吐き気が襲い、みんなが当たり前に受け取って生きる糧としている希望、喜びなどの良い刺激を周りから受けるたびに、それらを必ずさえぎられ、絶望の沼に沈んだ。「意志を持つな、全てにおいて母親を優先しないと命はないぞ」という恐ろしい洗脳のせいだった。


 その反動として、体のほうが前述の無意味な強迫的行為を繰り返すようになり、神経科に通院するようになった。奴は俺が有名大学を出て出世することだけを望んでいたから、このことには烈火のごとく怒り、いつものように布団叩きでぶっ叩いてきたが、奴の座布団でカーペットで畳で靴だった父が頼み込み、なんとか医者に通うだけはさせてもらえた。そのことは今でも感謝しているし、その勇気を本当に心から尊敬する。

 世の子供には反抗期なるものがあるらしいが、俺は幼児期から母の望みを無視したら捨てられて死ぬと思っていたので、逆らうなど不可能だった。



 医者から薬をもらい症状が和らぐと、今度は死にたくなった。だがこの世に未練がありすぎたのだろう。ビルの屋上などを死のうとうろうろ周るだけで、実行は出来なかった。

 しかし一度、端から足を踏み外して落ちた。低い建物だったので助かったが、病室の無様な俺を見て、奴は涙を流した。たぶん理想のオモチャがいよいよ壊れたと知って絶望したんだろう。母親の思惑どおりにならなかったことで、俺は気分がよくなった。

 だが退院の日が近づくと、再び憂鬱になった。

(また奴のオモチャになる人生が始まり、自殺を繰り返してすごすのか)


 ところが家に帰った俺には、絶望どころか天にも昇るような喜びが待っていた。

 両親が死んでいたのだ。




 俺が退院するその日の昼前に、買い物に行くため父が運転していた車に、暴走してきた大型トラックが横から突っ込んだ。相手の酒気帯び運転で、車は大破して二人は潰れた。報せを聞いている俺の受話器を握る指は震えた。が、口元はニタリと笑っていた。

 これでもう自由なのだ。もう誰も俺を好き勝手にできない。


 もちろん収入面での不安はあったが、暮らしなどどうにでもなる。一番大事なのは、この俺の心、かけがえのない、大切なこの精神なのだ。



 体はもう大丈夫だし、神経症もほとんど出ないので、型どおりの葬式が済むと、俺は仕事を探した。自分にあった仕事、向いているものを探すだけでも楽しかった。楽しいなど、子供の頃に唯一観ることを許されていたアニメにのめりこんだとき以来である。

 葬儀に来ていた親戚が金のことを心配して、しばらくうちに来てもいいとまで言ってくれたが、俺は丁寧に断った。もう大丈夫なのだ。


 そうだ、これからは全てが上手くいく。ちゃんと仕事をして友達が出来て、そして女も。いずれは家庭を持ち、子供は二人ぐらい――などと、夢が泉のようにこんこんとあふれ、俺の荒れ果てた心の大地をとめどなくうるおしていった……。



 父の思い出は、着物を含めてその生活用品の全てを残したが、母親のものは全部捨てた。当然だ。

 ところが、一個だけ忘れていたものがあった。

 それが、タンスの上の京人形だった。




 まず、その存在自体を完全に忘れていた。おそらく十年以上もずっと放置してあり、ガラスケースにホコリが溜まったら周りを不定期に拭いていたにもかかわらず、中にいる奴のことをまるで気にしていなかった。


 その微笑する薄紫の和服を着た日本髪の女は、細い目がやや寄り目で、視線がこっちを向いていない。そのせいか、人形によくある威圧感というか、まるで生きていて、目を向けるたびに、こっちにいちいちしなだれついてくるようなウザい粘着性がなく、それで気にならなかったのかもしれない。また、ここ十年ほどは自分の病気のことで忙しく、このタンスの上にいる奴には、まるで目が行かなかったのだろう。



 こんなのを俺や父が欲しがるはずもなく、母が買ったのはほぼ間違いないのだが、奴の持ち物を処分するときに、こいつのことをうっかり思い出さなかった。それである日の午後、こいつがタンスの上に微笑をたたえてしっかりと立っていることに、はっと気づくことになった。

 母の持ち物なら捨てるべきなのだが、その穏やかな顔を見ると妙に捨てるに忍びなく、結局どこかへ売ることにして、とりあえずはほうっておいた。


 ところが、売ると決めてしばらく経つと、どういうわけか、俺はその人形のことが嫌になってきた。前は別段好きでもないが嫌いでもなく、たんに優しい顔つきだな、ぐらいにしか思っていなかったのに、今は急にその顔にまがまがしい影でもさしたように、そいつを見るたびに、胃がむかむかするような不快さと、こっちを上からさげすんでくるような気味悪さを感じる。


 人形、特に市松などの日本人形を怖がる人は多いが、自分は子供の頃からそういう傾向はなかった。しかし、こいつをどこか量販店にでも売り飛ばそうと店を探し出したとたん、ガラスケースの中の女は、まるでそれが自分で分かっていて恨みだしたかのように、その顔や全身から言いようのない嫌なオーラを発しはじめたのだ。



 もちろん、俺が勝手にそう思っただけなのだが、今は和らいでいるとはいえ自分が精神疾患を持っている事実が、そのことをいっそう不快にした。


(そうだ、きっと気のせいだ)

(俺の頭のせいでそう思う)

(それだけだ)


 逆にそう割り切れば、やや納得はできた。



 それでも不愉快には違いないので、とりあえずガラスケースを回して奴を後ろ向きにしておいた。これで、こいつの顔を見なくて済む。

 あとは店探しだ。別にゴミに出そうってんじゃない、いいところに嫁がせようてんだから、なにも気に病むこたぁない。

 などと、今思えばかなりアホなことを自分に言い聞かせ、タンスの上のケースを眺めた。

 後姿は着物がふっくらしているせいかわりと堂々としていて、腰のところでしっかり締めている帯のふくらみが見える。背中を見るのは初めてかもしれない、と思った。



 以前はコンビニでレジに行こうとして、急に恐怖に襲われて断念したり、シャーペンの芯をストックケースから全部ザーッとあけ、それを一本ずつポキポキ折りだして止まらなくなる、などといった意味不明で不愉快な症状が頻繁に出ていたが、ここ数年はそれが徐々に治まっている。特に親が死んでからは、強迫神経症の発作はほとんど出ていない。たまにわけもなく不安になる、くらいはあるが、生活に支障をきたすレベルではない。


 しかしその朝、布団から出て何気にタンスのほうを見た瞬間、また始まったのか、と一気に気持ちが沈んだ。

 昨日の午後、ケースごと後ろを向かせたはずの人形が――

 なんと、しれっと元通りに、こっちを向いているのだ。

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