婚約破棄の舞台裏

「以上の五十八名を、第四十五期北方遠征隊に叙任する!」

『有難き幸せ!』

五十八名の声が王室礼拝堂に響くと中二階に控えていた楽隊が華々しいファンファーレを奏でた。貴族たちからの拍手と出席していた軍人らの歓声がそれに重なった。

さあ、ここからだ。と俺は珍しく緊張している自分を自覚した。事情を知るやつらには根回しは済んでいるから、余計な茶々が入ることは無いはずだ。あとは俺がやり通せば、終わる。

「では、以上を以て…」

「宰相殿!僭越ながら国王陛下に一つ上奏申し上げたい事がございます」

緊張で震える心を振り払うように声を張り上げる。

「よい。申せ」

「寛大な御心に感謝申し上げます」

俺は集まった有象無象の中から、今日はいつもよりも着飾っている可愛い婚約者の姿をすぐに見つけた。

「…レティ、こちらへ」

立ち上がると彼女を呼ぶ。頑張れよ、レティシア。という思いをこれでもかというほど込めた。

「は、はい…」

レティシアがゆっくりとこちらに歩み出てくる。顔色が悪い。緊張で少し貧血を起こしているのかもしれない。走り寄って支えたい気持ちをぐっとこらえた。この場に限っては、俺もジルも助けてはあげられない。

レティシアは玉座の前までたどり着くと、俺を本当にいいのか、と問うような視線で見上げた。俺は彼女以外には気づかれないようにごく小さく顎を引いた。それを見て、覚悟を決めたようにレティシアが低頭する。俺は、愛しい友人たちが添い遂げられるように祈りを込めて言う。

「この娘レティシア・コートウェル伯爵令嬢と、私ガルディウス・ド・マーレ侯爵令息の婚約破棄を認めて頂きたい」

「………。…はぁっ…?!」

宰相が素っ頓狂な声を上げるので思わず笑いそうになってしまった。貴族たちは案の定、何やらを囁き合っている。

「…理由を聞こう。貴公もレティシア嬢も我らが国を背負うべき相応の立場のある身分であり、国王である儂と国の祖である聖霊に繁栄を誓って婚姻を結んでいる。一時の感情で盟約を違えることは相成らぬ」

おっちゃんの言葉に一つ息をついた。やむを得ないといえど、今日、これだけは心の底からの嘘だった。

「彼女では私の妻は務まらないからです。例えそれが形だけの妻であろうとも」

痛む心を歯噛みして押さえながら言った。言わなければいけないとわかっていながらも声が震えそうになるのを、一人衆目に耐えているレティシアの姿を見て抑え込む。

「私は幼いころよりこのマスタンドレア王国に永遠の安寧と平穏をもたらすべく日々研鑽してまいりました。北方平定はそのための第一歩であり、ゆくゆくは我が子孫により北方領を第二の王都に育て上げ、このマスタンドレア王国がより豊かで堅牢で盤石な国となるよう献身することが務めと心得ております」

これは本心だった。彼女と彼女の子孫と、友人たちが生きるこの国が、永遠に美しいものであるように祈っていた。

「しかし、レティシア嬢は生来の病により北方の地を踏むことは叶わない身。そんな彼女が妻では、子々孫々により北方領を第二の王都に育て上げるというマーレ家の悲願は達成できません。それに…氷に閉ざされた台地、いつ侵略されるとも知らない土地。そんな中では、騎士の鑑でありたいと思う私だって人の温もりが恋しくなることもありましょう」

「(うそこけ、レティちゃん一筋のくせに)」

耳に届いた小さな声に信じられない思いがした。

…ジャン、てめえ、茶々入れんじゃねえよ…!

五十八名の一人としてすぐそこに跪いているジャンの方に顔を向ける。目だけで彼をにらむと彼は小さく舌を出している。口は何とか笑みの形に持ち上げて言った。

「…嫡子がなく妾子だけが増えるのならば、いっそそんな婚約破棄したほうが理にかなっている」

さっきの茶々に気づいたやつはいないだろうな。俺は焦って会場を見回した。

「…ふむ。レティシア嬢、何か言いたいことはあるかね」

今度はおっちゃんが台本にないことを言い出した。マジで勘弁してくれ、と思い思わずおっちゃんを振り向く。俺にだけしかわからないように、目の端が楽し気に下がっていた。

レティの顔は絶対に見れないと思った。見たら、彼女への思いを止められる気がしなかった。


◇◇◇


私は国王より思わぬ問いをされたので困ってしまった。もう役割はほとんどないと思って、気を抜いてぽろぽろと涙をこぼしてしまっていたのだ。私を呼んだ時も、婚約破棄を乞うた時も、彼の声音は隠しきれない温もりに溢れていたから。彼への気持ちを涙に託していた。

それでも仕方なく、ゆっくりと顔を上げる。ルディはこちらから目を背けていた。それでよかったと思った。私が泣いている顔なんて見られたら、きっと彼は折れてしまうと思ったから。

「この度の婚約では、私の不徳の致すところによりガルディウス様の悲願への足枷となりましたことを心よりお詫び申し上げます」

まず、形式的にそういった。

そして、彼の肩が少しだけ震えているのを見て、付け加えた。ガルディウスには酷かと思ったけれど、今言わなければ、私の思いをみんなに伝える機会はもう一生ないと思ったから、言った。

「ガルディウス様は私を幼いころより護り導いてくれた、ただ一人の敬愛する、国を負って立つべき見事な騎士です。貴方様の行く先に、そして行く先で出会う人々に、果てしない恩寵と輝く未来が訪れることを心より、毎日…毎日、尽きることなく祈念しております」

あなたと、あなたが守りたい人たちが、いつまでもしあわせでいられますように。私は、ひと時もあなたを忘れることは無いでしょう。

言い終えると再び低頭する。

「…良い。婚約解消を許可する」

「恐悦至極に存じます」

ガルディウスが近づいてくる気配がする。

「俺も、お前の幸せをいつも願っている」

すれ違う瞬間に、小さく早口で、そして少しの涙声で彼はそう告げてくれた。

その姿を見ることはかなわないけれど、私には、私とフィルのために一身に軽蔑の目を受けて、それでもそれを跳ね返すようにして立っている彼の姿が容易に想像できた。

強くて優しい、私の唯一の騎士様。こんなに素敵なしあわせの幕開けを、どうもありがとう。


◇◇◇


茶番を終えた彼は周囲の非難の目をものともせずに会場の外に向けて歩を進める。

レティの言葉は予定になかったはずだ。レティらしい真っすぐで温かな言葉だったが、彼にとっては少しつらかったんじゃないかと心配した。

人々の頭越しに彼の姿を見つめる。少しうるんだ瞳ではあったが、まるで周囲に自分の姿を誇示するように堂々と歩く姿はまさに騎士のそれだった。

僕の前を通り過ぎようという瞬間、彼は僕の目を見つめて短く笑いかけた。

その微笑みが、僕の中に温かな波紋として広がっていく。

ありがとう、ガルディウス。小さな弟のようだった君。君は僕にとっても、敬愛すべき立派な騎士になったよ。


◇◇◇


事情を知る人には茶番で、知らない人にはいかにもわかりやすい悲劇が終わったその夜。貴族街の一角にある邸宅で、とある三人が思い思いに笑いながら、泣きながら、作戦が無事完了したことへの祝杯を挙げていた。それを知る人は、彼ら以外にいない。

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