どんぐりととまと亭

商業区にある『どんぐりととまと亭』は本日も大盛況ですべてのテーブルが埋まっており、空のジョッキや料理の皿をもった店員たちがテーブルの隙間を縫うようにせわしなく行き交っていた。

レティシアとのデートから数日後、今日は同じ小隊の奴らと飲みの約束だった。


俺はやや酔いのまわったふわふわとした気分で周りのテーブルを見渡す。「ウチの倅にとうとう女ができた」「もうすぐ子供が産まれる」「今年の酒は過去最高にいい出来だ」といった声が耳に入ってくる。

「…街は今日も平和だな…」

「うーーーーわお前、おもんな!何一人でたそがれてんだよぅ、もっと飲もうぜぇほらほらぁ」

「ばっ、お前こぼすんじゃねぇよ汚えなぁ…たまには俺にもかっこつけさせろっつーの」

ジョッキになみなみと注がれたエールをこぼさないように啜ると、クリフはかっこいいイケメンは死刑!と意味不明なことを言っている。


「なんだよ。なんかあったのかあ?」ジャンが言う。

「…それを聞くか?」

俺はにやけたくなる顔を必死に抑えながら小さなグラスに注がれたスピリタスを一気に流し込んだ。喉がカッと焼けるように熱くなり食道を焦がしながら胃の中に納まると、一気に浮遊感が体中を包んだ。

「ウチの嫁がかわいい!!」

「…」

全員があきれるようにこちらを見ると、わざとらしく料理を食べ始めたり飲み物を注文したりし始める。

「おい、お前が聞いたんだからちゃんと最後まで聞け!」と睨みつけると、ジャンはますます呆れ顔を深めた。

「あのな、ルディ。俺、二十歳、子供二人」「俺十八~、来年の春には一人目が産まれる~!」「俺は二十五だけど子供が生まれたのは…二十一?の頃か?」ジャンにクリフ、ロランが続く。俺はジョッキの上に突っ伏してぐぬぬ、とうなる。

「分かる?お前も二十歳だろ?もう恋愛してる歳じゃねーンだよ。そういうのは学院で済ませとくもんなの。嫁はかわいいとかじゃなくて生活なの」

「っていうか、そもそもルディまだ結婚してないじゃん」

「そう、それも大問題。お前、婚約してから一体何年経った?」

「…六年…?」

「…婚約もだいぶ遅かったんだな」

「ん-でぇ?学校で出会ってから何年になんの?」

「十年…」


「っはーー!信じらんね!出会って十年、婚約して六年!!その間、お前は一体何してたの?つーか普通貴族サマってのは婚約したら一年くらいで結婚するもんなんじゃねーの?」

ジャンが行儀悪くフォークをピコピコと上下に振りながらロランに聞くと、ロランは赤ら顔を傾げる。

「早ければ半年、まあ遅くても二年くらいで結婚するんじゃないか?貴族の結婚は子供が産まれてやっとスタートライン、その子供をどれだけ教育できるかが本番みたいなもんだからなぁ。婚約だけで六年引っ張るってのはなかなか聞かん。結婚する気が無いと思われかねないんじゃないか?」

「ほぉら。お前マジで何してんだよ。さっさと結婚してやることやっちまえ」

ちょうどそのタイミングで料理を持ってきた店員とクリフが、やることってなによぅ、軍人さんってホントいやらしー、え~お姉さんだってきっと好きなことだよーとじゃれ合いを始める。


「まあルディは半分恋愛結婚みたいなものだから時間をかけたいのかもしれないが、コートウェルさんだって貴族なんだから、あちらの都合も考えてあげた方がいいかもしれない」ロランが至極まっとうなことをいう。

「へぇ、貴族サマでも恋愛結婚することがあるの?」クリフの手から逃げて来た店員が俺の前にエールのジョッキを置きながら聞く。

「コイツの場合はちょーーーーーーレアケース。婚約する前に学校で知り合ってたヤツが、たまたま婚約者の候補一覧にいたんだって」

「すごーい、運命的!」

「でもでもコイツは婚約してからの六年間、ろくにデートもせずに来る日も来る日も訓練訓練なワケ」

「えぇーー!ストイック!」

「そんなんだからまだキスもしてないらしい」

「えっ…」

これまでジャンの口調に合わせて大げさに盛り上げていた店員の顔が固まった。ジャンはそれみたことか、という顔で口に加えたフォークを上下させ、ロランは困ったような顔で頭をかいている。俺はエールを一気に煽り「おかわり」と告げた。



『どんぐりととまと亭』を出た俺たちは三々五々帰路に着いた。明日は休みなので三人は自宅に戻るらしいが、実家に寄り付かない俺はいつも寝泊まりしている総統院の寄宿舎に向かい緩やかな上り坂を歩く。

「あいつら、なぁ…ほんと好き勝手…やることやれって…」

俺だって、そりゃ抱きたい。あの細い体をこの腕の中に閉じ込めて、戸惑うだろう彼女にキスの雨を降らせながらその全身に俺の感触を刻みつけたい。骨が軋むくらいに抱きしめて彼女と深いところでつながりたい。でも、そんなことになったら彼女のことを考える余裕がなくなってしまうという確信があった。泣いて懇願されても離さない、離せない。

そのぐらいぐずぐずに彼女のことを愛していることを知ってほしい。

そこで足を止めると、大きく深呼吸を繰り返した。アホか俺は。俺が彼女を傷つけてどうする。

ただ抱くだけなら簡単だ。手に入れるだけなら簡単だ。でも俺がしたいのはそうじゃない。この世のすべてから彼女を守りたい。守り続けて、美しく安寧とした世界の中で生きさせてやりたい。そのためには安寧を守るための強さが必要だ。それが騎士の務めだ。


それに、北行きの件をいよいよ真剣に考えないといけない。これまで何度も頭には上ったのだが、どう考えても何度考えても、彼女を北方につけていけるはずはないという結論に行きついてしまった。それを目の前に突き付けられるのが怖くて、これまで主治医のジルにも相談できずにいた。彼が結論を出してしまえば、もう現実から逃げられなくなる。


それはつまり、俺とレティシアの別離を意味している。あんなか細い彼女を一人で王都に置いていくなんてこと、やはり絶対に考えられなかった。

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