書庫係からの贈り物

だーれーだ、という声とともに視界が暗くなり、私はキャッと小さく悲鳴を上げた。咄嗟に振り向くとガルディウスが立っている。彼は私の驚きようを見てくくっと笑う。


「扉開けたのにも気づかないなんてどんだけ集中してんだよ。…まだ仕事?もう少し待ってたほうがいいか?」

ガルディウスは大テーブルの私の手元にある本とノートを覗き込むようにしていた。

「ううん。続きは明日でいいから、行きましょう」


ガルディウスは軍事局での訓練後にはいつも書庫まで迎えに来てくれる。以前、外で待ち合わせた際に貧血を起こして倒れてしまってから、外での待ち合わせは絶対にしない、と誓わされたのだ。

本とノートをそのままぱたんと閉じる。どうせ明日も朝から続きをするのでそのまま置いておくことにし書庫を後にした。時間を忘れてしまうかもしれないと思って、事前に私服に着替えておいてよかった。


「さっきのノート、木?みたいなのの絵が描いてあったけど」

「うん。昨日、王都の外れの空き地に見たことが無い植物が生えてるって相談があって。それが、何もなかったところから二、三か月で一気に生え始めてもう三メートルにもなったそうなの。今朝それを見に行って来た時のスケッチよ。もう、山を埋め尽くすくらいに生えてたの」

「へえ、不思議な木もあるんだな。で、正体はわかったのか?」

「たぶん東洋に多いバンブーっていう木の一種だと思う。人体に害があるものではなくてむしろ色々使い道があるんだけど、生命力がすごく強いらしくてこのままだとドンドン繁殖するから、切った方がいいって進言するつもり。たぶん、貴族の誰かが贈答品でもらったのを捨てたのね」

「へえ。詳しいな」

「植物はハンスが詳しくて、すぐに参考書籍を探してくれたから」

「そか」

「あと、農政課からは小麦の病害の相談があったんだけど、それは似た前例があったから直ぐに解決できて、褒められちゃった。これまでに相談してもらった内容を一応控えておいていて本当によかったわ」

「それはよかった。もうすっかり総統院のなんでも屋だな」

「あ、ごめん、私ばっかり喋っちゃって」

「いや全然?俺のかわいい婚約者が楽しそうに仕事してて、やりがいになってるなら何より。欲をいえばもう少し俺に興味を示してほしいけど」

ガルディウスが私の頬をするりと撫でた。

「ジルに診てもらって来たか?あいつなんだって?」

「ルディが一緒なら安心だから行っておいでって。あと、ルディによろしくって言ってた」

「げろげろ。三十がらみのおっさんとよろしくなんてしたくねぇよ」

「ひっどい言い方。今度ジル先生に言いつけておくわ」


総統院を出ると初春の冷たい空気が漂っており、私はトレンチコートのボタンを閉め直した。自分のマフラーを私に巻いてくれたガルディウスにお礼を言い、彼の腕に手を添えて歩き出す。ここから彼が予約してくれたレストランまではゆっくり歩いて二十分ほど。すっかり日が落ちた貴族街を商業区に向かって下っていく。

「お前、体調は大丈夫なのか。今日は冷えるし、歩くのしんどかったら馬車呼ぶか?」

「いつもありがとう。このくらい大丈夫よ。でもお昼ごはん食べ損ねちゃったから、お腹はペコペコ」

「それは体調じゃねえし、飯はちゃんと食えよ…。ジルにもまーた詰められただろ」

「詰められた~。『なんでお昼ごはんを食べるっていうただそれだけのことができないのかなぁ』ってすんっごい嫌味っぽく言われちゃった」

「それはお前が悪い」

「だって忘れちゃうんだもの」


言ったところで家々の間の路地から獣のようなうなり声が聞こえた。街頭の光の届かないそこは引きずり込まれるような闇を湛えている。地の底から響くような恐ろしい声に彼の腕を思わずギュっと掴んだが、足は止めることなく歩き続ける。普段からそうするよう言われていた。

「ルディ…」

「ん?…野犬かなんかの声だろ」

「…」

「気にしなくていい。警ら隊の仕事だから」

そう言うガルディウスの声は氷のように冷え切っていたので、私は二の句を継ぐことができず黙って前に向き直った。


さっきガルディウスには言わなかったが、今日書庫に持ち込まれた相談事はもう一つあった。


ルード文官長直々に、最近の王都の治安悪化について。


このところ、たちの悪い薬物が王都内で広まっているらしい。幻覚を見せる作用が強いらしく、薬物使用者による殺傷事件が増えてきているようだ。また、幻覚によって夜間に徘徊する中毒者が増えつつあり、それを狙った物取りも増えているとのこと。

でもきっとガルディウスが嫌がると思ったので、申し訳ないとは思いながらも、手に負えないという理由でお断りした。婚約してから分かったことだが、彼は本当に優しい。私が決して怖い思いをしないように、つらい思いをしないように、いつも先回りしてくれている。

形式的な貴族の結婚が多い中で、こんなに私を大切にしてくれる人と婚約できたことは本当に幸運だと思う。


「あ、犬って言えば、このまえ南方に住む友達のペットが亡くなったらしくて」

「まあ…お悔やみを言うわ。老衰かなにか?」

「それが、急に体調崩して死んじゃったんだって。それも結構キツい死に方だったみたいでさ…。なんか慰める方法知りません?最近引っ張りだこの書庫係殿」

「うーん…それは総統院の知力を結集しても難しい問題だわ」

空気を変えようとしておどけたガルディウスに応じ、私も大げさに眉をしかめてみせる。


「ちなみにもう一つ個人的な悩みがありまして。不肖ワタクシめには目にも麗しい婚約者様がいるのですが、これが仕事中毒ときてる。こう見えてちょっと傷ついてるんですが、どうしたら気持ちは晴れますでしょうか?ミスコートウェル」

道化に応じた私に気をよくしたようにガルディウスは街灯の下、歌うように言うと私をふわりと抱きかかえた。彼の真っすぐな瞳が期待するようにこちらを見つめる。

「じゃあ、書庫係からお望みの物をひとつ差し上げましょう」

「なんでも?」

「…ちょっとなら?」

ガルディウスが嬉しそうに目を細めると私の頬に口づけた。そのまま私を抱きしめると可愛らしい頬っぺたを頂戴しましたと囁いた。

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