ガラクタ探し。
めてげ。
母の希望でリフォームされた家は私がかつて住んでいた頃よりも、雰囲気がだいぶ冷たく感じた。
私の部屋は私が一人暮らしに切り替えてから手付かずのままらしく、帰省する前からよく整理と掃除はしてくれと現状報告で連絡するたび言われていた。
遠くで犬が吠える声が聞こえた。まだいたのか、と思う。その犬は私が小学校低学年の頃からいた。
母は近所のスーパーで買い物に行っており、鍵は合鍵を持っているため母を待たずに玄関の扉を開ける。
家に入れば案外、物の配置は変わらず、玄関のパステル色の絨毯や靴箱の上にある犬の人形も寸分も動いていないように見えた。変わったといえば物が減っているというところだろうか。
自分の部屋は二階にある。
自分の部屋に入れば慣れない匂いに眉間に皺をつくる。何も触れていないのだから、埃と汚れと垢の匂いに決まっているが、ここが私が寝たり旧友たちと談笑していたと考えると寂しく感じた。
部屋の中身は勉強机と背もたれのある回転椅子、学生時代に描いたいくつかの絵に、課題のプリントとまたその他ガラクタたち。たくさんの物が詰まっているのに物音ひとつしない。
それらはいずれも宝物のように扱ってきたもので、上京して立派な社会人の今でも、捨てると思うと気持ちが沼に浸かっているようで、今までも重い腰を上げることはできなかった。
だけど、今日は。
私は一周、大様に視線を巡らせた。
この部屋はあの時から凍え固まったように思えた。窓から日差しが入っているはずなのに、無機質さ特有の冷たさを感じた。
過去との決別は必ずやってくるのだから、ここは心を鬼にして。でもどこを掃除しようか、などと悶々と考えながら薄手の手袋を装着して窓を開けることにした。
埃たちを一掃し、学校からの手紙やプリントを紐で縛りダンボールに詰めていく。なぜこれらを捨てていなかったのか、忙しなく手を動かしながら不思議に思った。大人になってからじゃわからない捨てずらい思いがあったのか、時間に迫られ、未来の自分に託そうと考えたためかはもう思い出せない。
段ボールを部屋の隅に追いやり、次はとなんとなしに近くのクローゼットを開ける。よく考えれば、衣服は全て移動させたのだから掃除するものなんてないはずで、調べるまでもないのだが、未だに物を容赦なく捨てられるほど未練を断ち切れたわけではなく正直、その場しのぎの行動だった。
クローゼットの中を見ると、体が硬直した。どきりと心臓が高鳴る。
中は、木製のハンガーにかかった女子制服が一着、あとは隅に溜まった毛と埃だった。
数秒間、その制服を下から上へ舐めるように見るとその制服に触れる。
次に、懐古と
その制服をクローゼットから取り出す。それは、ある空間から解放するような行為のように一瞬だけ思えた。
制服は相変わらずで、あまり劣化による損傷は見られず、今着ても問題がないようだが私が着るわけにもいかない。
ある一箇所、スカートの裾に、自然と目が留まる。
赤い色のシミだ。
名札を見てみると『西岡 菜緒子』とゴシック体で彫られている。
ある記憶が、完成されたパズルを剥がし、それに他のピースが連なっていくかのように思い起こされる。
確かあれは…。
私には好きな人がいた。いわゆる文武両道で才色兼備の文句の付け所のない人だった。
好きな人は、そんな完璧に近い人間ながらも敬遠されることなく、周りはいつも賑やかだった。
そんな人がどうして私にかまってくれたのか。高校に入学して最初が隣の席が私だったからか、一人で本を読んでいて同情で話しかけてくれたからか。
どうせ数え切れないほど告白されてきたのだから、その有象無象どもに紛れて覚えられることもないだろう、という気持ちで私から告白をした。驚いたことに成功した。
今でも当時の高鳴りと手汗がまざまざと感じられるようだった。
念願の恋仲になった私達は、親からお金をもらっているため贅沢はできなかったが、それでも喧嘩は片手で数えられる程度で、私の独りよがりでなければ上手くやっていけていた。
恋人になったということは瞬く間に学校中に知れ渡った。それでも告白してくる人はいたらしい。
確かに、なぜ私のことを好きになったのかを、今まで全く関わることもなかった他の学年の、異なる組の生徒にまで話しかけられたときは、少しびっくりしたのを覚えている。
私のことを何故好きになったのかは本人にも聞いてみたのだが、うまく
「ねえ、ツバサくん」
私は、鈴を転がすような、か細い声で私の名前を呼ぶ菜緒子が好きだった。
いずれにせよ、彼女は私のものだ。
〇〇県△△市にて女子生徒が死体で発見されました。女子生徒は一部の骨を抜き取られた状態で…
私はその制服から手を離していた。ハンガーが床に叩きつけられる。
私は振り返り、たくさんのガラクタたちが身を寄せ合っている場所に突進した。
覚醒したかのように、それらを乱雑に押しのけていく。何か角ばったものが自身の横っ腹をどつくがそれを気にもしないほど、私はあるものを探すのに夢中だった。
落ち着きなく床に視線を左右に素早く泳がせる。すると、カーテンの下で白い棒状の物が目に飛び込んできた。
早鐘が胸を打つ。その白く、しかし薄く赤黒く、黄ばんだ硬質的な見た目のそれを掴む。
私はなぜ、彼女がここにいるのかわからなかった。
私は思いっきり引っ張ってみる。
「うわ」
私はその手応えのある感覚に変な生々しさを覚え、驚き、尻餅をついた。
物陰から菜緒子の姿がゆらりと顔を出した。
菜緒子はそんな私をニヤニヤしながら大袈裟だなあと言い、手を差し出す。
私は戸惑い、彼女の手に助けてもらいながらなぜここにいるのかと訊くと、私が帰省すると聞いて私の両親に協力してもらった、とのことだった。
未だに私が手に持っている骨の模型を見てまた菜緒子は笑い、それを取り上げた。
「そのおもちゃ、本物みたいだ」
「本当にね」
菜緒子はコロコロ笑っている。
「君にプレゼントをあげようとしたんだ」
「したんだ?」菜緒子は首を傾げる。
「忙しさで忘れていたみたいだけど」
「まあ、初めての一人暮らしだから、バタバタするのはしょうがないでしょうね」
「今思い出した」
私は踵を返し、物探しを再開した。それは程なくして見つかった。
「これだ」
「絵?」
「あの頃描いてた作品、君のために描いてた絵」
それは夕日を背景に、女子制服を身に纏った少女がその夕日を眺めている、という構図のアクリル画だった。
菜緒子は何か言いたそうに口をもごもご動かした。
「どうしたの」
そう聞くと菜緒子は吹っ切れたように
「…これ、もしかして私?」
と、はにかんだ。私は頷いた。
彼女にプレゼントするため、下書きや完成のイメージはできていたが、色の着け方に深く悩んだ。高校を卒業するまで様々な技法を試行錯誤し、無事に完成させることができたが、肝心のプレゼントするタイミングを逃してしまい、更には彼女と別れる際にも絵の存在自体、すっかり忘れてしまったのだった。
そして今日、あの制服とあの赤いシミを見てあの絵の存在を思い出したのだった。
菜緒子は愛おしそうに絵を眺めていた。
ふと、私は制服の赤いシミと今彼女が片手に持っている骨と同時にあの事件のことが頭に浮かんだ。一瞬、嫌な妄想をした。
強張った表情に気づいた彼女が上目遣いで心配の声をかけてくれる。
その不安をなんの躊躇もなく、それどころか面白がりながら菜緒子に伝えると、彼女は笑っていた。どこか惻隠と狂気の念が込められているように見えたのは気のせいだろうか。
「あの時、すごくモテたよね」
「どっちが?」
今度は私が首を傾げる番だった。
「君が、菜緒子が、だけど」
菜緒子の顔がほんのわずかの間、変化したように見えた、が普段の底の知れぬ笑みを見せ呟くようにこう言った。
「そうね」
菜緒子はさっき開けた窓に近づき骨を外へ放り投げた。その行動の真意がわからなかった。
遠くで犬が走り回り、吠えている声が聞こえた。
ガラクタ探し。 めてげ。 @metege_613
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