第6章 悪とは社会に混乱をもたらすことである

     1


 6、7件目。

 1~5件目とまったく同じ手口だった。

 強姦しながら四肢や指、顔のパーツを切り落とす。穴という穴に精液を流し込む。刃物で肉を掘ったり、眼玉をくり抜いたりと、新しく穴をこさえることも多々あった。息絶えたところで、首と胴体を切り離し、解体が完了する。

 違いは何か。

 6~7件目では火消ヒケシの指紋は出なかったが、精液は1~5人目と同一。つまり、まったくの別人が火消の精液を用いて犯行に及んだものと推測された。

 1~5件が単独犯とされたのは、検出された指紋が火消のものだけだったため。

 7件目の現場で、は遺体の前で大人しく座っていた。

 本名:宝華ホウカルズラ。

 年齢:19歳。

 性別:女性。

 職業:無職。

 交友関係:友人と呼べる人間はおらず、学生時代も地味でこれといって特徴がなかったと当時の同級生談。

 男性関係:火消のパートナというよりは、従者や助手といった立場が近い。

 自宅:住所不定で、常に火消と行動を共にしていた。

「火消の許可がないと喋れんとの一点張りだ」古衛は眼の下のシワだかクマだかを触りながら言う。「せっかく生きて確保ができたと思ったのに」

 火消ヒケシ莫乃餡モノアは死んだ。

 呪いになって、みふぎの嬢ちゃんが祓った。

 この世にもういない。

「んなもん、拷問でもして自白ゲロらせりゃいいじゃねえか」

 12時。

 お馴染みのクソ暑い屋上。昼食も摂らず、二人揃ってヤニを吸っている。

「会うか?」古衛が言う。

「あ? 管轄外で窓際の俺に何させんだって?」

「戻ってくりゃいいんだ。定年までゆっくりすりゃいい」古衛が言う。

「戻るもなんも、一課そっちにいたことはなかったんじゃねえかなぁ。それに一課そっち行ったらヤニ休憩もできやしねえ。ゆっくりなんざほど遠い」

 紫煙が蒼い空に吸い込まれる。

 古衛が携帯灰皿で火を消した。「戻るわ」

「嬢ちゃんに、いや、それは嬢ちゃんが決めるこったな」

 古衛も同じことを考えているらしかった。

 火消と接したのは、嬢ちゃんしかいない。とするなら。

 古衛の電話が鳴った。

 その視線から、待ち人からの連絡だとわかった。

 俺なんかに聞かせず本部で応対しろという意味で、顎をしゃくった。

















     2


 じっとりと絡みつくのは汗だけじゃない。

「みっふー!」レーが悲痛な顔で私を抱えていた。「急にいなくならないでって、ゆったじゃん」

「悪い」

 ルズラもとい、火消莫乃餡を祓えた。

 しかし、この身体の重さは。

「みっふー、無茶したでしょ? わかるよ。いますぐ僕を使って。間に合う?」

「祓うときじゃないと意味がない」

 この黒のおりは、

 わたしで滞留する。

「風呂に行ってくる」

 足元がふらつく。ふらついているのは足だけか。

「みっふー、お願い。もうひとりだけで抱え込まないで。僕にも背負わせてよ」

「まだ死なんよ。まだ、致死量には」

「そんなこと言ってるんじゃない」レーがわたしの全体重を抱きとめる。「もうやめて。みっふーを放っておけない。巫女の仕事やめられないのもわかってる。やめたら呪いに呑まれるってゆってたから。だから、呑まれないように、呑まれるのが少しでも遅くなるように、僕を」

「駄目だ」

「駄目じゃない」

「見てらんないよ」マミが部屋に入ってきた。「みふぎちゃんがだいじな旦那巻き込みたくないの、すっごくわかるけど、もう旦那こっち側じゃん。遅いよ。こうなりたくなかったなら、そもそも旦那にしなけりゃよかったでしょ? 違う? 俺、間違ったこと言ってる?」

 正論だ。

 何も言い返せないくらいの至極まっとうな正論。

「みふぎちゃん」マミが言う。

「みっふー」レーが言う。「お願い。僕を使って。僕にも背負わせて」

 なんで。

「わたしの手でお前の寿命を削らないといけない。酷だと思わんのか。好きになった男の命を使って、自分の命を永らえるなんて」

「いいよ。むしろ最高じゃん」レーがわたしを抱き締める。「僕がそうしたい。みっふーと一緒に、生きていたいから。どっちかが先とか後とか、僕には耐えられない。だから、どうせなら同時に逝けるように調整してくれる?」

「わがままな奴だな。聞いてあきれる」

 レーの覚悟はホンモノだ。

 あとは、

 わたしさえ納得させられれば。

 納得?

 どう説得されようが、レーを失うのは納得できない。

 しかも他ならぬわたしの落ち度でだ。

 嫌だ。

 いやだいやだいやだ。

 ほんとうにイヤだ。

「みっふー」レーの声は優しい。

 この優しさに甘えてここまで決断を遅らせたのも、わたしの落ち度。

 どの道このままでは火消の助手をどうにかする前に呑まれて消える。

 他に方法はない。

 そう自分を納得させるしかない。

 しっかりしろ。

 巫女はお前しかいない、ノウ水封儀みふぎ

「わかった」

 そう言った瞬間、わたし自身から溢れ出て来るものを感じた。

 ああ、これが。

「みっふー!!」レーがわたしを強く抱き締める。

「わかったから、放せ。風呂に行く。外出着を用意して待っていてくれ」

 熱いシャワーを浴びる。

 身体の芯が温かい。シャワーのお湯のほうが冷たいように感じた。

 指先が温かい。

 ここが、

 温かい。

 どうしよう。

 どうしてこんなに。

 浴室を出た。洗濯機は回っていなかったが、自室のベッドの上に、そこそこ落ち着いたデザインの衣服が用意してあった。

「聞いたよ。最終決戦でしょ?」マミがドアの向こうでべらべらと喋っている。「イメージは深窓の令嬢ってね。この短い間、いろいろみふぎちゃんの着せ替えをさせてもらっていろんなみふぎちゃんを見てきたけど、遂にここに行き着いちゃったんだよね~。これこそ、みふぎちゃんの魅力を頭から足先まで引き出せる最高の装備だって」

 オフホワイトのブラウス。丈の長い無地で水色のスカート。

 はっきり言って、これまでのと何が違うのかはわからなかったが、マミがマミなりに気を遣って服を選んでくれたことはよくわかった。

 少なくとも、背中にファスナーのあるワンピースよりも脱ぎ着がしやすそうだった。

「僕も選んだんだよ~。みっふー早く着て見せて~」レーの声もする。

「これでいいか」

 廊下に出ると、満面の笑みのレーと、満足げに頷くマミが待っていた。

 12時。

 さあ、黒を祓おう。









     3


 県警署内ではなく、別の会場を用意してもらった。

 市内の多目的ホール。

 大ホールは大きすぎたので小ホールで。

 出入り口のすべてに捜査員を配置した。

 専用の布で四肢をベッドに拘束した宝華ホウカルズラをステージ上に立たせる。

 客席の最前列にマミが座り、

 わたしはステージ上に。その後ろにレーが座った。

 古衛さんが袖にいる。

 複数の定点カメラは宝華ルズラを死角なく捉えている。捜査員を客席にれない、わたしやレーやマミをカメラに収めない、その二つを条件にこの舞台の準主演を承諾した。

「君のタイミングでいい」古衛さんからの指示はインカムに入る。

 わたしの合図で、ステージだけをライトアップする。

 眩しい。

 しかし、わたしが気持ちの上で黒に呑まれないための措置でもある。

「ルズラさん」

 宝華ルズラの体表で外気に触れているのは、ガーゼに覆われていない片眼と血色の悪い唇のみ。

 宝華ルズラには左眼がない。処置も適当に放置されていた傷口をようやく塞いだ。

 真っ黒なたった一つの瞳が、

 わたしに向けられる。

「あなたの名前は、火消ヒケシが名乗っていたな」

 無言。

「あなたが名をあげた。だから火消が名乗っていた」

 無言。

「わたしのことを憶えているか?」

 無言。

「わたしは、火消ヒケシ莫乃餡モノアを祓った、いわばあなたの仇だ」

 無言。

「わたしは、火消莫乃餡から、あなたを祓うよう託されている」

 無言。

「何か喋ってくれないか? 火消莫乃餡はもういない。命令に従う必要もないんだ」

 瞬き。

「火消莫乃餡は」

「ルズラです」地を這うような湿気の高い声が足元を覆った。「私は助手で、あの人がルズラです」

 だいじな名前を取り違えられるという苦痛に耐えかねて声を発したというよりは、単にタイミングを見計らっていただけだろう。

 わたしとは、そもそも話す意思があった。

 そういう眼だった。

「録音」古衛さんがインカム越しに確認しているのが聞こえる。

「わかった、助手さん。そう呼ぶことにする。わたしの仕事はあなたを祓うだけだ。祓った後生きていられるのか、肉体がそこにあるのかは祓ってみないとわからない。なので、わたしは先に警察の協力をしようと思っている。勘違いされると困るので先に言うが、わたし自身はあなたの動機や人生について、毛ほどの興味もない」

「興味がないのに聞くんですね」助手が無感情に言う。

「だから警察の協力だと言っている。古衛さん」

「まずは動機だな」古衛さんがインカム越しに指示をくれる。「適宜こちらで質問を送るから、話の流れで君の好きなようにしてもらって構わんよ」

「それでは困るとさっきも。わたしは彼女に毛ほども興味がないんです」

「すまない。君に頼りっぱなしだ」袖で古衛さんが頭を掻いているのが見える。「わかった。指示を送る」

 インカムの声は、レーにもマミにも聞こえている。

「まずは動機だそうだ」そのまま質問を横流しした。

「あの人に付いて行っただけです。あの人の幸せを私も手助けしたい」助手が平板な声で言う。「正直に言ってますよ。嘘を言っても時間稼ぎにしかならないんですから」

 方法は。

「そんなのは調べればわかるはずです。調べたでしょう? あの人が愛したい女に声をかけて、あの人が女を愛しただけです。その結果として女が死んだ」

 嫉妬は。

「意味がわかりません。誰が誰に嫉妬しますか?」

 被害者が多すぎる。

「あの人の愛に耐えられないほうが悪いんです。私ならあの人の愛を何度でも受け止められる。この眼だって、あの人がほしいというから捧げた」

 6、7件目について詳しく。

「あの人がいないなら、あの人の代わりに女を愛してあげないとと思って。あの人の精液を使うのは勿体なかったけど、あの人ならそうやって愛するから」

 やってみてどうだったか。

「感想ですか? いままでで一番下品な質問ですね。同じ人が聞いてますか?」助手が初めて感情のようなものを露わにする。「そうですね。わたしではあの人のように愛せなかった。わたしはあの人にはなれない。でもあの人は」

 私になれる。

 火消莫乃餡の声がした。

 ステージを照らしていたライトが一斉に破裂する。

 真っ暗闇の中、レーがわたしを後ろから抱き締める。

 最前列にいたマミがステージによじ登って来る。

 袖から古衛さんが部下と一緒に駆けつけてくる。

 助手――宝華ルズラの空いた眼窩から、

 大量の黒が噴出した。

 わたしと、レーと、マミにだけ見えている。事前に二人の眼を一時的に汚染させた。

「納さん! 無事かね」古衛さんが声を上げる。「そこを動かんように」

 古衛さんはライトの破片のことを言っている。

 失敗したのか。

 成功したのか。

「こっちも動かないでね」マミが宝華ルズラの頭部に銃口を向ける。「てか、動けるわけないか」

 そもそも宝華ルズラの身体はベッドに拘束されている。

 が、

「マミ、離れろ!」

 噴き出た黒が宝華ルズラの身体をすっぽりと包みこむ。

 床に透明な粘液が滴り落ちている。

「うげ、なにこれ~」マミがバックステップで回避する。

 あっという間にステージ上に水たまりを作った。

 奴の唾液だ。

 時間差で赤黒い粘液が、肉塊と共にぼとぼとと落ちて。

 黒で覆ってくれていて助かった。

 奴は、火消莫乃餡は、

 ここで、ステージ上で、

 宝華ルズラを生きたまま喰らった。

 その食い残りが床に散らばる。

「ありがとう。美味しかったよ」火消莫乃餡の声がして。

 ステージに薄暗い照明が戻る。非常灯だろう。

「何が起こってる? 大丈夫なのか」古衛さんがインカム越しに叫んでいる。

 たぶん、

 わたしはこれを想定していた。

 生きていたから警察が捕まえた。

 黒になりそうだったからわたしが祓おうとした。

 死んでいたのなら、

 死んだなら、火消莫乃餡が連れていった。それだけだ。

「続きは私が引き継ぐよ、巫女さん。また会えたこと、喜ばしく思うよ」

 火消莫乃餡。

 おそらく時寧と同じ状態でした。












     4


 火消莫乃餡はベッドを容易く横に倒して、その上に脚を組んで座った。

 全裸で。

「服をもらおうかと思ったけど、どうせ脱ぐからね。お目汚しのほど失礼するよ」

「今すぐ祓ってやる」白襦袢はレーが持っている。「レー!」

「まあまあ。急がなくても、どうせ私は巫女さんに勝てない。それならもう少しお話ししましょう」

「うるさい。レー、いますぐやるぞ」

「これが?」レーが明らかに引いている。

 初めて見た黒がこれでは、同情の余地しかない。

 警察が袖から出てこようと待機しているが構っていられない。

 白襦袢に着替えた。

「せっかちだね。そんなことしなくたって逃げないのに。むしろ特等席で見れるの、楽しみにしてたんだ」火消莫乃餡がベッドから降りて、こちらに近づいてこようとしたので。

「動くな」と制止した。「これ以上近寄ったら」

「祓わない? そんな選択肢はないよねえ」火消莫乃餡が喉を鳴らして嗤う。「ああ、夢にまで見た、巫女さんのお仕事だ。とくと見させてもらうよ」

 レーには、火消莫乃餡に背を向けて座ってもらった。見てほしくなかったわけじゃない。

 わたしが、

 祓うべき黒を見つめる必要がある。

「俺、外そうか?」マミがステージから降りながら言う。「何かあればぶち抜ける距離にはいるよ」

「頼む」

「さあ、さあ、まだ?」火消莫乃餡が涎をだらだら垂らしながら前のめりでベッドに腰掛けている。

「うるさい。集中できないから黙れ」

 持ってきたペットボトルの水を頭からかける。


  来る(う)な止まれ

  否定でなく中枢でなく

  水のやうに封じ


 これを何度も繰り返す。

 繰り返し過ぎて頭の中が混乱するほどに。

 自分で自分が何を言っているのかわからなくなったとき、

 最後の一説を唱える。


  儀式はここに


 火消莫乃餡だったものが、

 黒に戻り、

 宝華ルズラになり、

 消えた。

 息を整えるのはまだ早い。

 放心しているレーの額を爪ではじき、腰を引かせる。

 ベッドは、

 無人。

 汗だらけのヘッドセットを外して、マイクを口元に近づけて古衛さんに報告した。

「終わりました」

 溜まっていた疲れと緊張の糸が切れたためか、わたしの意識が黒塗りになった。

 いつぞやに見た、黒い昏い闇の底。

 鼻を突く、甘いような酸えた悪臭。

 べちゃべちゃねちょねちょと、気色の悪い足音が近づいてくる。

「見事、お祓い完了かい?」火消莫乃餡が言う。

 全裸でなくてホッとした。

 当たり障りのない上下黒のカジュアルスーツ。

 宝華ルズラもあの汚い包帯のまま後ろに控えている。

 闇色の背景に埋没する、光沢のない灰色のワンピース。

「消えてなくなるわけじゃないんだろう?」火消莫乃餡が滴る涎を拭いもせずに言う。「私たちは、ずっと巫女さんの中で存在し続ける。そいつを言いに来たんだ」

「そんなこと知ってる。他の用を聞く」

「さすが鋭いね」火消莫乃餡がにやりと微笑む。依然、涎をだらだら垂らしながら。「私はあの方法でしか女を愛せない。気の毒だろう?可哀相だろう? 私が満足することは未来永劫ない。だから、がね、生まれたんだろうね。助手が私に名をくれた。これであなたの好きなようにすればいいと。私は付いていくだけだと。私は本当はルズラを愛したかったんだよ。眼だってもらったし、それ以上のことだってしたかった。してもいいと言ってくれた。でもね、壊れてしまうから。これ以上やったら、ニンゲンの形は保てない。いっそニンゲンでなかったら、私たちがニンゲンの枠を超えた何かなら、こんな思いはせずに済んだのかな」

「知らん。そんなどうでもいい話をしに来たのか」

 なんで、

 わたしは怒っている?

 怒る?

 何に?

「だからね、巫女さんは私たちの恩人なんだ」火消莫乃餡が言う。宝華ルズラを後ろから抱き締めながら。「私たちは黒になった。黒は消えない。巫女さん、黒を祓ってなんかいないね。黒になってすぐにわかったよ。私はようやく私の好きなように、未来永劫、好きなことができる」

 宝華ルズラの露出した首や肩口は、火消莫乃餡の唾液でぬらぬらと光っていた。

 そして後ろから抱き締めたまま、

 耳たぶを喰らい、

 唇の端をかじり、

 鼻先に口付ける。

「ありがとう。巫女さん」

 眼窩に指を入れてぐちゃぐちゃと掻き回しているところで、わたしの意識が回復した。

 ここは、

 病院か。

 腕から点滴のチューブが出ている。

 ベッド脇にレーの脳天が見えた。すーすーという寝息付きで。

「さっきまで起きてたんだよ?」マミが病室の入り口にいた。「みふぎちゃんが寝言言ったの聞いて安心したみたい」

「何を言ってた?」

「なんだろ~。家族でもない俺が聞いちゃいけないようなあま~いヤツだったんでない?」

「忘れろ」

「忘れろも何も。俺、聞いてないも~ん。意識を失っても尚、旦那に愛を呟いた可愛すぎるみふぎちゃんの可愛すぎた寝言なんて」

「忘れろと言っている」

「え~、どうしよっかな~」

 投げつけた枕を片手でキャッチされる。「駄目だよ落としちゃ」と優しげに手渡される始末。

 恥ずかしい。

「いま何時だ」

「9時。夜のね。日は跨いでないから大丈夫よ~。あ、なんか食べる?」

「水がほしい」

「そう言うと思ってね。岡田さんはきっちりちゃっきり用意しちゃってたのでした! 褒めて褒めて!!」

 サイドテーブルにペットボトルが3本並んでいた。

「さすが気が利くな」

「でしょー?」

 1本に口を付ける。

「あ、みっふー。おはよう」レーが起きた。眼をこすりながら。「起きて大丈夫なの?」

「お前こそ。二度目は。あ、こっちがまだだった。マミも、こっちに来い」

 眼の汚染を、

 浄化した。

 ぐらりと、眩暈がきた。

「みっふー? 無理しないで」

 黒の含有量が超過しているのが自分でもよくわかる。

 この量を抱えたまま、マミとレーの汚染浄化を見守らないといけないのか。

 触媒を使ってこれなら、もし触媒なしで火消莫乃餡を祓っていたら。

 わたしも、

 アレと同じに。

「今日は泊まってっていいって」レーが言う。「心配だから僕も泊まるね」

 部屋は個室で、家族用のベッドがあった。特別個室というやつだろう。トイレ、浴室、洗面台、クローゼット。内装はほとんとホテルのツインと変わらなかった。

「んじゃ俺は帰ろっかな~。おだいじに~」マミが手をひらひらさせながら出て行った。

 レーが疲労困憊のわたしを気遣って身体を洗いたがったが、裏の狙いがないわけではないと顔に書いてあったのでやめさせた。

 わたしが先に入って、レーが次に。レーがシャワーを浴びている間に眠気が来て寝落ちした。

 いつもの悪夢。

 時寧が含みのある不気味な笑いを浮かべていた。
















     4サディズム/サイコパス


 私がこの方法でしか女を愛せないとわかったのは、いつだったか。

 最初に女を好きになったとき?

 最初に女と付き合ったとき?

 最初に女と触れ合ったとき?

 最初に女の中に入ろうとしたとき?

 壊したくなった。

 バラバラにしたくなった。

 その白い肌の下にある赤い色の肉が見たかった。

 女は拒絶した。

 どうして?

 フツーそんなことはしない。

 おかしい。

 イカれている。

 狂っている。

 女は逃げ出した。

 追いかけるより他の女を探そうと思った。

 どこかにいるはずだ。

 私の愛を受け入れてくれる女が。

 いなかった。

 どうして?

 どこに行けば会えるのか。

 私は国内を転々とした。

 北にも西にも南にも行った。

 いなかった。

 どうして?

 海外に行く気にはならなかった。

 私自身が海外に行く必要はない。

 インターネットがある。

 海外のことならこれで調べられる。

 私と同じ趣向を持ったニンゲンが存在するはず。

 ニンゲン?

 いまのところ、まだ。

 同じ趣味のニンゲンは存在した。

 私好みになった女の写真や映像がたくさん見つかった。

 保存はしなかった。

 だって、

 それは私のモノじゃない。

 写真や映像のお陰で余計に私は悩むことになった。

 どうして?

 海外ではあんなに自由に女を愛しているのに。

 どうして?

 私だけ女を愛せずに我慢しなければならない。

 おかしい。

 おかしいのはこの国か。

 それとも私なのか。

 悩みすぎて眠れなくなった。食も細くなり痩せていった。

 広く浅く付き合いのある友人(男)が病院に行けと言った。

 内科に行った。

 別の科を紹介された。

 精神科。

 行きたくなかった。

 私だけがおかしいと言われているみたいで。

 初老の如何にもやる気のなさそうな医師(男)は私の話を碌に聞きもせず、睡眠導入剤と抗うつ薬を処方した。

 処方薬がなくなる2週間後、次回予約を取った。医師は気が向いたら来ればいいと言った。

 薬を飲んでみた。

 寝付きが多少よくなった程度で、他は何も変わらない。

 それはそうだ。

 私が悩んでいるのは、仕事や人間関係に疲れて息切れを起こしているからではないのだから。

 結局、薬はあまり使わなかった。

 2週間後、同じ病院に行った。

 待合室に車椅子に乗った少女がいた。痩せ細って如何にも病気と言わんばかりの。

 眼が合った。

 少女は笑顔をくれようとしたみたいだった。でも限界まで痩せた彼女にその力は残っていなかった。

 少女は、車椅子から転げ落ちた。

 すぐに母親らしき女と看護師(女)が駆けつけて、少女をベッドに載せて連れていった。

 私は、

 あの少女を殺してしまったのか。

 ひどく、

 興奮した。

 少女は見ず知らずの私に挨拶代わりに笑顔を向けようとした。たったそれだけで彼女は力を使い果たし椅子から落ちて緊急搬送。

 ああ、なんて。

 美しい女だ。

 私はその病院に通った。薬は使わずに、きっちり2週間ごと。

 彼女にまた逢いたい。

 死んでしまった予感はしていない。

 あれは、摂食障害だ。きちんと入院して治療すれば治る。入院のために病院に来ていたところで、待合室にいた私と出会った。

 外来にいる看護師(女)と仲良くすべく自分の悩みをちょっとずつ打ち明けた。受付にいる愛想のない事務員(女)に積極的に他愛ない話を持ちかけた。

 看護師(女)からは、少女の名前と病状を。

 事務員(女)には、少女の退院予定日がわかったらすぐに教えてほしい、と。

 個人情報なんか、自分を売り込むためなら平気で世間話の種に出来る。

 極めつけは、私の主治医(男)は、病棟で少女の主治医でもあるらしい。これは看護師(女)からも事務員(女)からも聞いた。

 主治医(男)の口はさすがに固かったが、時折私の診察待ち時間が超過しているときなど、看護師(女)が「あの子の容態悪化で」と耳打ちしてくれた。

 ただの摂食障害ではないのか。

 少女――宝華ルズラは、無事に退院できるのだろうか。

 そうして、半年が経った。

 季節が二つ通過して、秋になっていた。

 事務員(女)が事前に退院日を教えてくれていたお陰で、私はその当日に外来予約を取ることができた。

 職場は私がうつ病患者だと思い込んでくれているので、受診日だといえば容易く休みが取れた。

 私は宝華ルズラの退院時間に、診察を終えて待合室で会計を待っている(事務員(女)が敢えて時間調整をしてくれていた)患者として振舞うことができた。

 宝華ルズラは、自分の足で立って歩いていた。

 その姿が見れただけで、私は全身が震えるのを感じた。

 肩にかかるほどのややくせ毛の髪。秋口の気候に合わせた、それでいて大人びた服装。

 可弱い少女はたった半年で、見違えるほど美しい女になっていた。

 事前打ち合わせの通り、事務員(女)は母親に保険証を返却しそびれた。私は事務員(女)が受付から離れられないことを聞き、自分でよければ、と母親を追いかけた。

 母親は早くに離婚しており、事務員(女)が知る限り、男同伴だったことは一度たりともないという。化粧気もなく早々に女を諦めた様相を呈していた。

 私は可能な限り物腰柔らかい無害で親切な男として、母親に保険証を届けた。

 母親は、一瞬にして女の顔になった。

 ここからは簡単だった。母親を女として接しながら、宝華ルズラに優しい言葉をかけた。

 母親は私との再婚を前向きに考えた。

 宝華ルズラは、早々に私の本当の狙いに気づいた。年頃の子に比べて察しが良い。

「お母さんは好きかい?」私は宝華ルズラに最後の確認をした。

「どっちでもない」と宝華ルズラは言った。「お母さん、殺すの?」

「君が止めるなら他の方法を、と思ったけどね」

「どっちでもいいよ」宝華ルズラは、本当にどちらでもよさそうに頷いた。

 私は、母親が私との関係を周囲に仄めかす前に母親を殺した。

 母親は抵抗しなかった。最期までつまらない女だった。

 何日もかけて肉を食べた。骨はできるだけ小さくして処分した。母親名義のアパートは母親の口座引き落としになっている。母親の不在に周囲が気づくが先か、口座のカネが尽きるが先か。

 私は宝華ルズラを連れて東へ移動した。

 海沿いの街に住んでみたかった。

 私はガス会社に勤めた。いろいろな家庭に行けそうだったから。

 宝華ルズラは、私の与えた参考書で自宅学習を始めた。年齢的に中学生なのか高校生なのかよくわからなかった。小学生ということはないとは思うが。

 仕事場や仕事の伝手で知り合った女と広く浅い付き合いを始めた。好みの女を探すまで範囲を広げた。

 私の好みはただひとつ。

 私を愛してくれるかどうか。

 欲を言えば、私が愛するときに美しい声を聞かせてくれるともっと好きになる。

 しばらくは耐えられた。

 我慢したわけではない。私は女を愛することができた。

 でも女は、ただ一人として私を愛してはくれなかった。

 なんで?

 なぜ?

 私はこんなにもあなたを愛しているのに。

 気づくと女は肉の塊になって果てている。

「私は?」宝華ルズラが塞ぎ込む私に声をかけた。「私は愛さない?」

 言っている意味がわからなかった。

 私は宝華ルズラを愛している。こんなにも愛しているから母親を殺してここまで連れてきた。一緒に暮らしているし、一緒にご飯も食べている。

 毎夜私が女を愛しに行っているので、一緒に眠ることはほとんどないが。

「私は?」宝華ルズラがもう一度聞いた。「私は愛さない?」

「愛しているよ。愛しているとも」私は自信満々に答えた。

「ずっと待ってるのに。全然愛してくれない。私のこと嫌いになった?」

 言っている意味がわからない。

「あなたが望むなら私はなんでもするのに」宝華ルズラは私をじっと見つめた。「欲しいなら身体もあげるし、心はとっくにあなたにあげた。私のこと、他の女みたいに愛してほしいのに」

 そう言って、宝華ルズラは右目を潰そうとしたので止めた。

「全然わからないよ。どうしてそんなこと」

「私のこと好きじゃないから?」

「違う。愛してる。一番大切だから」

 傷つけたくない?

 壊したらいなくなってしまうから?

 それは、

 私の中にはなかった感情だった。

 愛した故女は結果としていなくなるだけ。私の愛に耐えられなかったから仕方がない。

 では、宝華ルズラは?

 愛したい。

 愛している。

 この世でもあの世でもあなたより美しい女はいない。

 だから、

 だからこそ。

「あなたに愛されたい」宝華ルズラが私を抱き締めた。「私を愛してください」

 季節はいつだったか。

 暑い夏だったか、それとも寒い冬だったか。

 私は宝華ルズラを愛した。

 左眼を愛して眼窩に入った。

 愛おしかった。

 私の中に残った部分の残渣が、

 ここでやめろと言ってきた。

 宝華ルズラは赤黒い粘液と、透明で白濁の体液にまみれてそこに転がっていた。

 痙攣する右眼で辛うじて私を見つめているみたいだった。

 私は空いた左眼の処置を見よう見まねでやって、宝華ルズラを抱き起こした。

 あたたかい。

 まだ、

 愛せる。

 それから私はまた、愛せる女を探して夜な夜な街を徘徊した。

 そんなときだった。

 視界にふよふよと浮かぶ真っ黒い塊が見えるようになったのは。

 最初は毛玉程度の大きさ。

 だんだん大きくなって小型犬、大型動物。

 そして、人間大の黒い塊から、

 ショートカットで快活そうな女が現れた。

 その女は私に言った。

「好みかはわかんないけど、面白いことをしてる子がいるの。協力してくれたら会わせてあげる」

 女は名乗らなかった。

 どうでもよかった。

 女は私のことを愛してくれそうになかったから。

 女は、

 社会に混乱をもたらしそうな悪だった。

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