第5章 悪人は一貫して悪人である

     1


 5人目。

 古衛はもう手段を選ばないことにしたようだ。

 ルズラと名乗る呪い。

 本名:火消ヒケシ莫乃餡ものあ

 年齢:29歳。

 性別:男。

 職業:ガス会社営業。

 仕事状況:もともと無遅刻無欠勤で勤務態度も真面目だったが、ここ一週間は無断欠勤が続いていた。

 交友関係:友人と呼べる人間も多く、信頼関係も厚い。

 女性関係:広く浅く関係を築いており、特定のパートナはいなかった。

 自宅:市内にいくつも家を借りており、その時々で行く場所を変えていた。

 判明した端から捜索したところ、そのいずれからも女性と思われる遺体の一部が発見された。

 一部というのが重要で、奴には遺体を損壊させるがある。いや、生きたままやったのかもしれない。

 神奈川県警は捜査員の数を増やした。後手に回っていたとしても、他に出来ることがない。

 しかしどんなに捜しても、奴は見つからなかった。

 八方塞がりで現場の士気が底値まで低下していたところに、

 みふぎの嬢ちゃんからが入った。

 自分が囮になると。

 奴はみふぎの嬢ちゃんに狙いを定めたらしかった。

 どいつもこいつも若いもんが。

「無茶しねえように見張ってるつもりだったんだが」

 居ても立ってもいられない木暮は少しでも手掛かりをと地域住民に聞き込みを続け。

 若い女性のみがターゲットになっていることに気づいた桐崎は単独移動を控えるよう啓発を続け。

 応援なんざ、一課にも県警にも求められてはいない。

 あいつらが自分の頭で考えて自分で決めてやったこと。

 だったら俺が自分の頭で考えて自分で決めてやるべきことは。

 まだ、

 固まらない土を踏み続けている。

「行ってくるわ」古衛が顔を見せに来た。

 18時。

「あんま嬢ちゃんに無理させんじゃねえぞ? テメェらの意地ってのを見せつけろよ」

「言われんでも。なんて、もはや言える状況にないな」古衛が頭を掻く。「行ってくる」

 願うならこれを最後に。










     2


 決戦の地は、廃業した歯科医院。

 ルズラが指定してきた。

 19時。

 警察が表と裏に張っている。

 逃がさない。

 今後こそ、

 絶対に。

 白襦袢の仕事着で単独で中に入ろうとしたところで。

「やっほ~」死角からマミが出てきた。「俺も連れてってよ」

「どうした? 昔のお仲間と仲直りできたか」

 わたしが拒んだのもあるが、これまでマミが現場に来たことはない。

「あれさ、前に言ったの。憶えてる?」マミがわたしの周りをぐるぐると回る。「黒が見える眼ての、あれ、やってくんない?」

「嫌だと言ったら?」

 割れたガラスの散らばる玄関。

 埃が闇に舞う。

 待合室は異様に狭く天井が低い。穴のあいたズタボロのソファ。掲示板のポスターは褪せて破れている。

 暗い。

「見えてたほうが、いざってときにみふぎちゃんを守れると思うんだよね~。どう? いちお、まだ死ぬつもりないんでしょ?」

「予定はないな。それにわたしの死因は呪いに呑まれる、それに限られる。他の死因はあり得んよ」

「平気って言いたいの? どっかな。物騒な凶器を隠し持ってる可能性が捨てきれない」マミが足を止めてわたしの顔を至近距離で射る。「ね、お願い。俺が、みふぎちゃんを守りたい。守らせて?」

 こんな土壇場になって。

 穴のあいたドア。この向こうにいるってのに。

 もたもたしていられない。

「わかった。でも、いまだけだ。これが終わったら」

「わーってるよん。さ、やっちゃってやっちゃって」マミが自分の眼の近くで指をくるくると回す。

「瞑ってろ」

 黒の、

 汚染。

 一時的な。

 やりたくないが、時短のためだ。

 手をかざす。

 黒が、

 眼球を包むイメージ。

「開けていい」

「うわ、え、いいの? あ、あれ? え、なに」

「霧みたいなのが見えるだろ? それが黒だ。直視するな。呑まれるぞ」

「薄眼で見ろってこと?」マミが親指と人差し指でメガネを作った。「おーけー、りょーかい、イエッサー!!」

 さて。

「終わったかい?」穴のあいたドアの奥から声がする。

 ルズラ。

 夢で聞いた声と同じ。

 唾液が滴り落ちるような不快な発声だった。

「お望み通り、祓いに来てやった」

「こっちに来てくれるかな」

 穴のあいたドアをマミが蹴破った。

「俺が先行くよ」

「男は呼んでないな」すかさずルズラが言った。「みふぎさん、一人で来れる?」

「行ってくる」

「ええ~」マミが間抜けな声を上げる。

「そこからでも見えるはずだ。しっかり眼を開けてくれ」

「へいよ!」マミの表情が引き締まった。

 中に、

 踏み込む。

 暗い。

 足元が。

 照らされる。

「転ばないでね」ルズラが懐中電灯を向けた。

 治療用のリクライニング椅子が不気味すぎる。散らばる器具も何もかも。

「本当に来てくれると思ってなかったなあ」ルズラが上ずった声で言う。

 転がっている破片を極力踏まないように。

 呼吸を極力しないように。

 奴と同じ空気をというより、単に埃が云々かんぬん。

 マスクをしてくるんだった。

「年貢の納め時ってやつだ。観念しろ」

 治療用の椅子は衝立(破れて穴が開いている)ごとに4つ。

 一番奥の椅子に、

 ルズラが寝そべっていた。

「どうも、初めまして?じゃないね」

 窓ガラスが割れている。

 生ぬるい空気が入り込む。

「ルズラです」

「わたしはお前の本名を知ってる」

「そう。でもそれ気に入ってないからさ。消防士みたいでアレだろ?」

 光源はルズラの持っている懐中電灯のみ。

 どうしてここまでの凶悪な。

 黒の、

 濃さ。

 ニンゲンが呪いになったのか。

 呪いがニンゲンになったのか。

「んじゃあ早速、私を祓ってくれるかな」

「無理だ」

「ん? え、なんて?」

「祓えないと言った。お前を祓うのに足りないものがあってな、それを忘れてきた」

 嘘は言っていない。

 時間稼ぎをしたいだけで。

「ちょっと待って。なんのために来たの?」ルズラの唾液含有量が僅かばかり減った気がした。「私を祓ってくれるんじゃ」

「そのつもりなのは変わりない。だがな、忘れた。触媒ってのが要る。お前を祓うのに」

「ふざけてるのかな、巫女さん。表に警察いっぱいいるんだろ? また逃がすだけだよ」

「だから、祓えないと言っている。ショートカットの女から聞いてないか? 触媒、つまり、童貞の男が要る。それがないとお前は祓えない」

「冗談だろ?」ルズラの声音がさらに乾いたのがわかった。「手ぶらで来たってことか? 用意がないにもほどがある」

「その通り。だから大人しく」

 風が、

 通過した。

 飛び散る。

 赤と、

 黒。

「一丁上がり」マミが銃でルズラの脳天を撃ち抜いた。

 わたしが見ていることに気づいたのか、急いで近寄ってきて口に指を立てた。

「あ~、ええっと、これ、内緒ね。あんまりにうるさいから、ついね。指が勝手に、てやつで」

 ルズラが、赤黒い血を噴き出して床に転げ落ちた。

 ニンゲンにしては血の量が強烈だ。

 すでにニンゲン以外の枠組みに移行していたのだろう。

 それは、

 ただの呪い。

 ちゃんと死んだことをマミが確認してくれた。

 黒を、

 祓った。

 遺体は残らなかった。

 それくらい汚染がひどかったのだろう。

 警察に合図をした。

 これで、

 終わり?

 「ご協力本当にありがとう」古衛さんが深々と頭を下げた。「戸入にも報告できる」

「いざとなるとあっけなかったね」マミが車に乗り込みながら言う。「あ、眼、あんがと。戻していいよ~」

 ずきん。

 頭が痛い。

 疲れが出ただけか。

「瞑ってくれ。さっきみたいに」

 マミの汚染は浄化した。

 ものの数十分程度の汚染時間。

 しばらく要注意だが、わたしが近くにいれば問題ないだろう。

「寝る」

「はい、お疲れさん。着いたら起こすね」

 夢だ。

 これは夢だとすぐにわかった。なぜなら。

「極めて悪手だね」ルズラがいた。「黒は銃じゃ死なないよ。それを安易に飛び散らせるなんて、巫女さん、そんなに私のことが嫌いだった?」

 口の端から透明な粘液が滴り落ちている。

 手の甲で拭いながら、ルズラがべらべらと話し続ける。

「はあ、吸いたい。むしゃぶりつきたい。巫女さんとひとつになって、それで私の黒を流し込んで、指の端から心の蔵の内側まで、味わい尽くして」顔を覆っていた手を開く。「いないいないばあ」

「まだ、終わってないのか」

「そ。また会えるね、かわいい巫女さん」

 6人目が。

 発見されるのも時間の問題だった。









     3


 被害者は増え続け、加害者は見つからない。

 触媒がないことは事実だったが、それを話題に出すことで隙を作ろうと思ったのだが。

 結果的に隙ができて見事マミがヘッドショットを食らわせられたのだが。

 あてが、

 外れた。

 ニンゲンに近い部分がもうさほど残っていなかったらしい。

 肉体は死を迎え消滅したが、呪いの部分のみが遊離し、余計に警察の手には負えなくなってしまった。

 これで本当に、わたし以外がルズラをどうにかすることはできなくなった。

 とすると、やはり問題になって来るのは。

「触媒でしょ~」マミがテーブルに突っ伏している。「もうこれに関しては俺がどうこう言えるもんじゃないからね~。無責任でごめんだけど、みふぎちゃんに全任せになっちゃうかなぁ」

 翌日朝9時。

 古衛さんから連絡が来た。昨日のうちに話しておきたいことがあったはずだが、わたしが疲れ切っていたのでなんとかお願いして待ってもらっていた。

「昨日は申し訳なかったね」古衛さんの声は掠れていた。「悪いが一刻を争えない。何か手立てがあるなら」

 今日中に何とかすると返答して電話を切った。

 できる宛てはもちろんなかったが、そうするしか、そう言い切るしか電話を切れそうになかった。

「俺で助けられるんなら、なんでもしてあげたいけどさ」マミが伏せたまま言う。

「触媒ってのは、別に童貞じゃなくてもいいんだ。わたしと初回というのがだいじであって」

「へえ~そうなんだ~」マミがテーブルから顔を上げる。「え?」

「さすがに駄目だな。悪い、忘れてくれ」

「なにそれ! 俺が役に立たないって言ってるわけ?」マミが向きになって立ち上がった。

「そうは言ってない。気持ちの問題だ。よく考えろ。駄目だろう、それは」

「でもそれであの気色悪い殺人鬼が抹消されるなら!!」マミが言う。「やろう! いますぐやろう」

「やらん。座れ。落ち着いてくれ」

 マミは昨日わたしの疲労を心配して事務所に泊まった。まともに眠れていないのだろう。テンションがおかしいのはいまに始まったことではないが、輪をかけておかしい。

 余計な入れ知恵をしてしまったか。なんとか話題を逸らして。

「マジでさ、俺でよければ協力するけど?」マミが至近距離でわたしに語りかける。

「口説いてるつもりか。やらんよ。悪かったな、変なことを言って」

 しかし、本当にどうするか考えないといけない。

 触媒。

 ピンポン。呼び鈴が鳴った。

「みっふー、ただいまー、でいいんだよね?」レーが仕事着(女装)のままやってきた。帰ってきたと言い直してもいいのか。「どうしたの? 元気ないね」

 レーを巻き込みたくなかったが、事情を説明するしかなかった。

 連続殺人鬼ルズラ。

 確保直前でわたしが判断ミスしたせいで、

 すでに6人目。

「みっふー、自分を責めてるね」レーはすぐに見抜いた。「ごめん、岡田さん、ちょっと二人だけにしてもらえますか?」

「おっけー、オムライスとドーナツ買ってくるよ! ごゆっくり~」マミが席を外した。

 静かになった。

 ベッドサイドにレーが座る。

「悩んでるの聞いていい? さっき敢えて僕に言わなかったことあるよね?」

 なんで、

 わかる?

「みっふーは僕限定で顔に気持ちが浮き出る。気づいてないだろうけどね」

「知らなかった」

「あ、信じた?」

「嘘か。騙すな」

「ごめんごめん。一緒にいられないのが結構堪えてね」レーがわたしの手を取る。

 冷たいだろう。

 でもレーは手を離さないどころか、強く握ってくれる。

 あたかかい。

 落ち着く。

「ちょっと眠ったほうがいいんじゃない?」マミが空いている手の指の関節を鳴らす。「やろうか?」

「せっかく来たのに。寝かすのか」

「僕はみっふーの寝かしつけ担当だからね。眠るなら協力するだけ。話したいなら話すだけだよ」

 すぐそうやって。

 わたしに決めさせる。

「今度はご機嫌斜めだ。僕が急に来て、仕事に割り込んできたのが嫌なんでしょ?」

 レーを巻き込みたくない。

 黒に関わってもらいたくないから東京に修行に行かせているのもある。

 時寧の汚泥から遠ざけたい。

 黒と関係ないところにいてほしい。

「話してくれる?」レーが優しい声で言う。

「触媒が要る。祓うには。あれは、黒だから。でも」

 母と同じだ。

 仕事をしたくないわけじゃない。

 触媒を使いたくない。

 だって、わたしには。

「触媒は、僕じゃ駄目なの?」

 童貞用件よりだいじな条件。

 わたしとは初回であること。

 初回なら呪いの蓄積が致死量に至らない。

 しかし、2回目になると。

「蜂に何度か刺されると、てのと似てるのかもな。実際にわたしがやったわけじゃないが、わたしの父はそれで死んだ。呪いが身体に溜まって」

「溜まってってことは、2回目以降、やってるじゃん。少なくとも2回以上はやってて生きてたんでしょ? なら僕でも」

「嫌だ」

 誰が何と言おうと。

「お前を巻き込みたくない」

「もう巻き込まれちゃってるんだよな、これが。だから」

「嫌だ。いやだ、それだけは」

 母と父の二の舞だけは。

「じゃあ他の触媒ってことになるけど、宛てはあるの?」

 それは。

「あったとしても、そっちは僕が嫌だ。だって他のよくわからない男がやるくらいなら」

「嫌なんだ。わたしは、レーが」

 いなくなるのは。

「二回目なら大丈夫でしょ?」

「わからない。わからないから」

 レーがわたしを座らせて、正面から抱き締める。

「僕はそう簡単にいなくならないよ? だって、こんなにかわいいみっふーを置いてどこかに行くとか、それこそ男の風上にも置けない。大丈夫だよ。みっふーは触媒が必要、僕はみっふーの力になりたい。ちゃんとお互いの利益になってるよ」

「なってない。不利益のほうが大きい。わたしは、お前にいなくなられたら」

「そんなに僕のこと思ってくれてたんだ? うれしいな。うれしいよ」レーが抱き締める力が強くなる。「だからお願い。僕をみっふーのために使って?」

「わたしのために使えというなら、わたしは、お前が消えるくらいなら黒を放っておいても構わない。女なんか何人死んだって、黒に汚染されようが構わない。祓い巫女失格だろ? そんなことを思ってるんだ。わたしは」

「みっふーが心の底からそう決めたなら、僕は何も言わない。賛成するし、応援もするよ。でもね、そうじゃないでしょ? みっふー、いま、どうやって触媒を手配するか、そればっかり考えてるね」

 逃げようとする身体を抱き締められる。

「大丈夫だよ。僕がいる。むしろ僕しかいない。みっふーの触媒は、僕しかいない」

 汚染は。

 巫女になら祓える。

 眼の汚染は一時的で一部だからなんとかなるけど。

 全身の汚染は。

 きっと時寧のようになってしまう。

 レーを時寧のようにするくらいなら。

「ねえ、お願いみっふー。ふたりで、ふたりで黒を祓おう?」

 しばらくそのままでいた。

 動けなかった。

 はいともいいえとも言えず。

 決められない。

 なんでわたしが。

 わたしだけがこんな。

 巫女なんか、

 やりたくてやっているわけじゃないのに。

 巫女なんか、

 やめられるんならいますぐやめて何もかも放り出して。

 レーとみーと一緒に暮らせたら。

 それだけで。

 それだけのことしか望まないのに。

「みっふー」レーが言う。

「なんだ」

「もうちょっとでね、なんとかなりそうなんだ。仕事ね、師匠の立ち会いが要るけど、それなりにさまになってきたて。お客さんも、まだ少ないけど、ちょっとずつね、僕のこと指名してくれる人が出てきてさ。師匠は俺の客取るなとか冗談言うけど、やっぱ認められるって嬉しいね」

「何が言いたい?」

「みっふーの仕事もさ、同じなんじゃないかって思ってね。裏の仕事だから誰にも気づかれないし、誰にも知られてないけど、僕は知ってる。岡田さんも、KREの会長さんだって、警察だって知ってる。みんなみっふーのこと認めてるし感謝もしてる。みっふーもそこそこ嬉しいでしょ? 自分がやったこと、褒められたら」

「褒められたことは一度もないな」

「まあ、それはそれとして」レーが息を漏らす。

 首の後ろにレーの温かい息がかかった。

「何が言いたいのかって言うとね。僕は、巫女やってないみっふーも好きだけど、やっぱり巫女のみっふーが好きだなってこと。初めて会ったときのことなんか憶えてないだろうけど、僕はね、はっきりと憶えてる。本当に死にかけてたんだ。あの頃なんも考えずに家を飛び出したばっかでおカネなんてなかったから。もちろんわかっててあの物件に住んだ。住んだはいいけど、やっぱりわけで。弱りに弱ってたところに颯爽と現れて、お祓いしてくれたのは、ここにいるみっふー。みっふーはね、僕の命の恩人なんだ。みっふーが僕を助けてくれた。あのときみっふーが助けてくれなかったら僕はいまここにいない。僕はみっふーのおかげでみっふーに会えた。て、それはちょっと変かな」

 レーの体温と声は落ち着く。

 でも、言ってることはちょっと遠くで聞こえる。

「長くなったけど、僕はみっふーに助けられた側だから、よくわかる。みっふーは人を助けられる。力がある。だから」

「助けろってことか?お前を犠牲にして」

「僕を助けたみたいに、助けてあげて? お願い。困ってるのが僕だったら真っ先に助けてくれるでしょ? おんなじように」

「お前とその他大勢を同じになんてできない。どうしてお前が犠牲にならなきゃいけない?」

「それ、そっくりみっふーに返すよ? どうしてみっふーが犠牲にならなきゃいけないの? 僕にだって背負わせてよ。みっふーの荷物も、つらさも、呪いだって」

 電話が鳴った。

 ヒートアップしかけていたから助かった。マミだろうか。

 違った。

「他ならぬ君のげんだから大人しく待っていようかとは思ったが、報せておきたい事実がわかった」古衛さんが単刀直入に言う。「6人目のみ、自称ルズラの指紋が出ていない。別人の指紋だった。奴が借りていたアパートの全てにその別人と同じ指紋があった。共犯者がいた可能性が出てきた」

「共犯でなく模倣犯だと思います」

「どうして?」古衛さんは驚いていなかった。

 死体の状態まで詳細な報道はなされていない。報道協定というよりは敢えて市民に知らせる必要がないことだからだろう。社会に混乱を招きかねない。伏せられている事実に怒るよりは、このあと二度とそうならないように一刻も早く犯人を逮捕してもらったほうがいい。

「片山と同じことを言うんだな」古衛さんが感心したように言う。

「じゃあ、あえて素人がくどくど言う必要はないですね。すみません。夕刻までにはお返事します」

「すまない。君に頼るほかない」古衛さんはすんなり電話を切ってくれた。

「模倣犯て?」レーが片腕分の距離を返した。「ごめん、僕が聞いてもいいのかわかんないけど」

「お前は知らなくていい、と言いたいところだが」

「せっかく立候補してくれてるんだし、使えばいいのに」時寧が会話に割り込んできた。

 天井近くに浮かんでいる。

 レーを庇って上を向いた。

「協力する約束じゃなかったのか」

「ニンゲンじゃなくなっちゃったからね」時寧が言う。とぼけたように小首を傾げて。「黒を祓うのはみふぎの仕事じゃん。どうしたの? 前は迷いなんてなかったのに。困ったな。一年のブランクはやっぱ悪影響だったみたいね」

「ニンゲンじゃなくなったからこそ、手伝うべきじゃないのか。触媒を用意するとか」

「いいの? てゆうか、みふぎ、気づいてないぽいから言うけど、見ず知らずの触媒、もう使えないでしょ? 自分が一番わかってるんじゃない? だから躊躇ってる。失敗するから。失敗してもっとひどくなるんじゃないかって思ってるから。ううん、違う。みふぎはね、うまくいかなかったときの責任を押しつけられるのが怖い。違う?」

「そうだ。だから毎日悪夢を見る。でもだからってやらない理由にはならない」

「できるのかって聞いてるの」時寧が意地悪そうに嗤う。「できないでしょ? もうみふぎは小張オワリのガキ以外の男を、仕事とはいえヤリ捨てるなんてできない。頭と身体が拒否してる。心は苦痛を訴えてる。もうみふぎはね、ムスブさんとスズシさんと同じ末路を辿るしかないの。あと何回? あと何回で消えてなくなるのか。怯えながら毎日仕事に打ち込むしかないの」

 レーに時寧の声は聞こえていないとはいえ、わたしの発言は聞こえているわけだから。

 止められるのを覚悟で、言ってみるしかないわけで。

「時寧。頼みがある」

「なあに?」

「ルズラと話させてくれ」

 レーが悲痛な形相をしてわたしを抱き締める前に。

 意識を飛ばした。












    3イデアリズム


 暗い昏い闇の底。

 酸いような甘いようなにおいが鼻に心地よい。

 まるで血と肉の穴のなかに顔を埋めているときのよう。

 底なしの井戸を覆った赤黒い包帯がぬるい風にたなびく。

 誰かが、

 来る。

 白い長襦袢を羽織った半裸の巫女さんが、私の前に姿を現した。

「いらっしゃい」私は湧出する唾液を口の中に留めるのに必死だった。「そんな無防備な格好で、巫女さんのほうからやってきてくれるなんて。これはもう、同意があるとみなしていいのかい?」

「男はすぐに同意がどうとか持ち出す」巫女さんは白い肌を隠しもしない。「同意などない。すべての性行為は男の側の強制暴行でしかない」

「暴論だね。でも小気味いいよ」

 巫女さんを立たせたままなのも申し訳がないので、流動する闇でバーカウンタにあるような椅子をこしらえた。椅子の脚を長くしたのは、巫女さんの襦袢の裾を闇に浸したくなかったため。座り心地は汚泥だが実際に衣服や肌を穢すことはないので安心してほしい。

 私も正面に座らせてもらった。同じ形状の椅子に。

 美しい。

 白く輝く光のよう。

 眼球と脳髄が灼かれそうだ。

「いまから巫女さんをどうやって愛そうか、頭がいっぱいなのを許してくれるかな」

「口に出さないなら自由だ。好きにするといい」巫女さんは汚い肉片でも見るような眼つきで私を射る。「お前を祓いに来た。逃がしはしない」

「魅力的な誘い文句だよ。余計に愉しみになった」猛る自身を隠したくて前屈みになる。「しかし、せっかく来たんだ。お茶でもどうだい? いい茶葉を仕入れたんだ」

「どうせ原材料ニンゲンだろ? 女を生きたまま食って、食って開いた穴に黒を流し込んでるお前のやりそうなことだ」

「ひどいな。まだ何も言っていないのに」指を鳴らして助手を呼ぶ。

 赤黒い包帯がほどけかけていたので直してやった。

 助手は頭を下げるだけで何も言わない。喋るなと言いつけてある。

「紅茶と、それに合う菓子を。もちろん君の分もね」

 助手は仰々しく礼をして闇の中に消える。

「いまのが模倣犯だろ?」巫女さんが言う。「お前のやったことを身近で見せつけて、お前のコピー、違う、二つ目の器にしようとしてる」

「何でもお見通しなのが逆にぞくぞくするね」本当に身震いがした。「あ、駄目だ。一回、デそう」

「最悪だ。気持ちが悪すぎる」巫女さんが椅子から降りて後ろを向いた。

 まずい。

 巫女さんを愛す前に愛想を尽かされでもしたら。

 耐えないと。

 耐えろ、私。

 よし。

「もう大丈夫。大丈夫。申し訳ない。興奮しすぎた」

「次にやったら問答無用で祓ってやる」巫女さんが椅子に戻る。相変わらず座り心地に違和感を感じているようだった。

 助手が紅茶セットを運んできたので、闇でテーブルを捻出した。中央に脚がある、オープンカフェで見るようなタイプの。

 助手がポットから紅茶を淹れ、巫女さんと私の前に置く。もう一つの皿は、マドレーヌとスコーンを足して3で割ったような不格好な焼き菓子だった。

「もしかして君の手作り?」

 助手がこくりと小さく頷いた。

「うれしい。ありがとう。あとで材料の答え合わせをするよ」

「最悪だ。わたしは手を付けんぞ」巫女さんがカップと皿を遠ざける。

「まあまあそう邪険にせずに」紅茶を一口。この深紅は鮮血とよく似ている。「美味しいよ。また腕上げたね」

 助手が恥ずかしそうに俯く。

 盆に自分の分を乗せたまま、一礼して闇の中に吸い込まれた。

「さて、ノイズもいなくなったところで」

 巫女さんが顔をしかめたのが水晶玉のように眩しかった。

「知りたいのは動機かい? それとも歪んだ成育歴? 已むに已まれない悲しい過去?」

「どれもどうでもいい」巫女さんがきっぱりと言う。「私に祓われる前の遺言くらい聞いてやろうと思ったんだ」

 ああなんて、

 優しい。

 その優しさが、

 命取り。

「できないと思うぞ?」巫女さんが下からねめつけるように言う。「お前はただの黒になった。黒は巫女に祓われるだけのただの弱々しい霧のような存在だ。だからわたしを眼の前にして、お前は何の抵抗もままならん」

「試してもいいかな?」

「好きにしろ」

 自分の椅子を蹴り倒して、テーブルだけ離れたところに移動。助手の手作り菓子を手つかずで床にぶちまけるほど私も無慈悲ではない。

 同時に巫女さんの椅子も闇に紛らせて消滅させたが、

 巫女さんは、

 瞬きもせずにそこにいた。

 仰向けに、

 私が馬乗りになっているのに。

「このまま愛したい」

 巫女さんの身体は、氷のように冷たかった。

 私が温めてあげたい。

 腕を伸ばして蒼白い首に手をかける。

「愛してもいいかな?」

「できないと思うがな」

 力を込める。

 跡が、

 つかない。

 首を絞めている感覚がしない。

 なんだこれは。

「言ったろ。わたしに手を出せないと」

「これじゃあ生殺しだ」

 巫女さんの蒼白い肢体がここにあるのに。

 何もできないだなんて。

「お前は死んだんだ。死者が生者に手出しはできん。わたしがさせない」巫女さんが虚ろな視線で私を見上げる。「もう一度聞く。言い残すことがあれば聞いてやる」

 そういう意味だったのか。

 私はもう、

 生きてはいない。

 知っている。

 知っていた。

 遠くで助手が何かに覆いかぶさっているのが見えた。

 鮮烈な色の粘液を啜り、自らが捏ねた不格好な塊に食らいつく。

 私だ。

 あれは、

 私を模した私だ。

「私を祓うとして」視界が黒塗りになりそうになったのを振り払う。「助手はどうなるんだ?」

「生きていれば警察が捕まえる。黒であればわたしが祓う。死んでいれば、お前が連れていけ」

 助手は喰らいつくのをやめない。むしゃぶりつくのをやめない。

 同じだ。

 私と同じことをしている。

 それはそうだ。

 ずっと、

 ずっと私のしていることを傍らで見てきたのだから。

 私がいなくなろうとも、私と同じことをするしかない。

「7人目は」

 場所を言った。

「助手にはそこを動かないように、伝えておくよ」

「じゃあお前の番だ。おとなしく祓われろ」巫女さんがそう言うと、白と透明の間の光が放射状に散って。

 ああ、

 バラバラに。

 私が愛した女たちのように粉々に分解されて。

 どろりと。

 中身がこぼれる。

 これが、

 私の正体か。

 なんという、

 気持ちの悪さ。

 まさに、

 悪人ではないか。

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