第2章 悪人は人を傷つけることを愉しんでいる

    1


 面倒くさいこと極まりない話が耳に入った。

 昨日21時頃、市内のKホテル客室にて、22歳女性の惨殺遺体が発見された。

 死後、一日程度。

 なぜホテルの客室で発見されたのにもかかわらず発見にタイムラグがあるのか。

 該当ホテルには、心霊現象が起こるとして使われていなかった部屋があった。

 その部屋を、オートロックを紳士的に開けて入って犯行に及んでいたらしい。

 室内から出た指紋が被害者女性の他に一種類であることから単独犯と推定。

 惨殺の詳細は聞き流したが、怨恨にしては憤怒と恐怖の類が感じられなかったらしい。

 厄介な奴が暴れている。

 こうゆう手合いは、連続する。とにかく早期逮捕を、て。

 柄にもない。俺の担当でもない。

「もう粗方調べついてんでしょー? 片山さ~ん」岡田の阿呆から暢気な電話が入った。「ご遺体にたっぷり体液も残ってたはずだし、こそこそ隠蔽しようって気が更々感じられない。こんだけ証拠をありったけ残して自分は身一つでとんずら。ホテルロビィの監視カメラ、俺にも見せてくんないすかー?」

「お前、まさかとは思うが」

「第一発見者のこと、聞いてんじゃないっすかぁ? 聞いてビックリ、納家のお嬢さんだったり?」

 ケータイを落としそうになった。

 汗で手が滑ったわけではない。もう片方の手で持ち直す。

「大丈夫っすかぁ?」岡田が電話の向こうでケラケラ笑っている。「あ、ちゃんとケアしとくんで、こっちは心配ナッシングで」

「違う。いたんだな?」

「えー、どうしよっかなー、さすがにそれは片山さんでもー」

 溜息も出やしない。

 帰国早々トラブルの渦中でタップダンスしてやがる。

 そうだった。

 こうゆう男だ。こいつは。

「俺がいたかどうか教えるんで、片山さんも持ってる情報を、ほら、ギブアンドテイクっつーことで」

「お前が寄越す情報のぺラさが詐欺師のそれだな」

「まったまた~」岡田の舌が絶好調に回っている。「生き残りのお嬢さんの動向、知りたくないすかぁ?」

「当時まだ生まれてもいなかった嬢ちゃんに何をゲロらせんだ、馬鹿が」

「お嬢さんが何も知らなくても、なんもかんも知ってる当時の最重要関係者を紹介してもらうことはできなくないっすか? むしろ本命はそっちにあるんすけどね、俺」

「お前いまどんな顔してんだ? 凶悪なツラしてっと」署からまた一台、パトカーが出て行ったのが見えた。「おら、聞こえねえか? お前を迎えに行ったぞ?」

「ご忠告どうもっす! んじゃ! 引き続きお勤め御苦労さまで!」電話はいつも岡田の都合で切れる。

 暑い。

 このクソ暑いのに、屋上に出させんじゃねえよ。

 一服してから事務所に戻る。

 部下の桐崎が阿修羅みたいな形相で俺のデスクに積み上がった書類を一枚一枚解説し始めた。

 新人の木暮はまた生活安全課の窓口をうろうろして煙たがられているのだろう。頃合いを見て連れ戻さないといけない。新人の為じゃない。芽を潰さないようにとかでもない。

 俺の仕事が増える前に。

 仕事を増やそうとしてる奴を止めないといけない。










     2


 ラジオで昼のニュースを聞いていると、マミがオムライスを片手にやってきた。

「昨日ちゃんと眠れた? 朝ご飯間に合わなくってごめんねー。ちょいっと野暮用でね。はい、みふぎちゃんお気に入りの」そこまで言って、マミは、わたしが聞いているラジオの内容に気づいて顔をしかめた。「朝刊は間に合わなかったみたいだけど、テレビもラジオも鬼の首取ったみたいにやってるよねー。気分悪くなんない?」

「内容はともかく、一日3回、ニュースをチェックするのはただの日課だ」ラジオをスイッチオフした。「食べるぞ。ちょうど食べたいと思っていた」

 ダイニングテーブルに向かい合って座る。

 この構図にももう慣れた。

 誰かと一緒にご飯を食べるなんて、久しぶり。

 大好きなオムライスはいつもより量が多く感じた。

 再度無理矢理かきこんだので、戻しそうになった。飲み物で誤魔化した。

 13時。

「今日もお仕事なの?」マミが居間のソファでケータイをいじりながら聞いた。

「むしろ仕事のない日はないな。一昨日が特例だ」

「ふうん」マミはそれ以上深く聞かなかった。

 というより、何か他に優先すべきことがあるため、わたしとの雑談がおざなりになっていた。

 うるさいとうるさいで厄介だが、大人しかったり静かだったりするのも落ち着かない。

 夕方まで眠るか。

「あ!」マミが急に立ち上がった。

 眠気の手がわたしを包もうとしていたまさにそのときだったので、けっこう吃驚した。

「みふぎちゃん、布団! 布団干そう!!」マミがレースのカーテンを開け放って窓の外を見せつける。「こんなに天気いいのに。ついでに洗濯もしたげるよ!」

「いい。これから寝るんだ」

「寝てばっかだとキノコ生えちゃうよー?」

「生えない。放っておいてくれ」タオルケットにしがみつくが、抵抗虚しく。

 タオルケット、枕、敷布団の順で剥ぎ取られた。

 脱衣場に脱ぎ散らかしてある洗濯物も、あっという間に洗濯機の中で回り出した。

「まったく余計なことしかしないな、お前は」

「よく言われるー」マミは得意げだった。

 マットレスまで干されてしまったので、仕方なく、3人掛けソファに寝転がった。

「あー、ダメだって。ゴロゴロしてー」

「することがない」

「失礼ですが、ご趣味は?」マミが恭しく聞いた。

「ない」

「好きなこととか? ないの?」

 肯くのも億劫だったので無視していた。

「あれ? いま、いくつなんだっけ?」

「女に年を聞くな」

「え?ウソぉ」マミが悲痛そうな顔をして指を折る。確実にわたしの実年齢を知っている。「ちょっと待って。そのお仕事いつからやってんだっけ? いやいや、いいや。いい。やっぱ言わないでいい。みふぎちゃんとこの会社が捕まっちゃうよ、これ」

「お前、わたしを監視してるだろ」

「ん?」マミは表情を変えずにこちらを見た。

「24年前の事件のことなら当時の関係者に聞くしかない。わたしをターゲットにしたのは、わたしにちょっかいをかけると、心配して顔を出してくるお節介がいるからだ。お前の狙いは」

 わたしの雇い主。

 24年前、

 まだ社長ではなかった。

「直接聞きに行けばいいだろう? 運が良ければ会えるだろうし、運が悪ければ不法侵入で逮捕だ」

 現会長。

 社長業は次女に引き継いで、いまは引退後に買った山で隠居している。

「ひどくない?その二択」マミが床で胡坐をかいた。「こーんな怪しい常夏野郎が行ってべらべら話してくれそうな寛大な人? 違うんでない? 貝の口で、墓まで持ってく堅牢なタイプじゃない?」

「どっかの常夏男とは正反対だな」

「当時のケーサツがそれこそ何十回、何百回と聞いて何も出て来なかった、いんや、出さなかった難攻不落の天守閣でしょ? 俺なんかが太刀打ちできると思う?」

「末端で平社員のわたしから取り込んで、なんとか取り次いでもらう作戦は、悪いが成功が見込めんぞ」

「げー、俺プラン、ミスってんの? 参っちゃったな。このために帰国したってのに」

「ふうん、そうゆう狙いなわけね」突然時寧がソファの背もたれ越しに話しかけてきた。「父さんに近づけさせるわけにいかないなー。みふぎ、触媒に使ってさっさと追い返してよ」

 マミに時寧は見えないし聞こえない。

 しかし、わたしがこの世の物でないとやり取りをしているであろうことは、たぶん気づいている。

 敢えて明かす必要はないし、説明の義務もない。時寧の機嫌を損ねれば、マミだって無事では済まない。

 メールを送った。

 会長に会わせるつもりはない、とだけ。

「わかってるならいいよ。あと、今日の仕事も送っといたから。遅刻しないで行ってね」と言うと、時寧は周囲を覆っていた黒と共に消えた。

「みふぎちゃんさ」マミが核心に迫ろうとしたので。

「悪いが、わたしの目線があらぬ方向にいって、ケータイを触り出したときは、知らん顔をしてくれ。わたしからの親切な忠告だと思って」

「いいけど、それでいいの?」

「どういう意味だ?」

「仕事のこともそうだけど、みふぎちゃん、無理してない?」

 無理も何も。

「わたしにはこれしかない。まともに学校にも行っていないから学もない、知識も、技能も、愛嬌すらないわたしが生きていくためには」

「ねえ、それ、好きでやってるの?」

 スキデナカッタラ。

「やらなくていいのか?」

 ダレカガカワッテクレルノカ。

「誰かがやらないといけない仕事を、たまたまわたししかできない。それだけのことなんだ」

 マミが、

 真っ直ぐにわたしを見た。

「みふぎちゃんが自分で決めたんなら、俺はなんも言わないし、なんも言う権利もない。でもさ、誰かに言われて強制的にやらされてるんなら」

「何が違う? 結果は同じだ。どちらにせよ、わたしは黒祓いの仕事を」

「みふぎちゃん。聞いて。俺のほうがちょっとだけ長生きしてるから、それを利用して言うけど、誰かに無理矢理強制させてやるような仕事に価値なんかないよ。少なくとも、俺はそう思ってる」

「じゃあ、やめて、わたしはどうするんだ? 毎晩不眠で、眼を瞑れば悪夢ばっかり、やめたら、そう、やめたらいまのいままで祓ってきた黒がわたしを呑み込むんだ。代々そうゆう運命なんだ。同情なんかしないでくれ。これはわたしだけの問題なんだから」

 マミが、わたしの正面に座って。

 いままで見たこともないくらい優しい顔をしていた。

「みふぎちゃん」

「だから、わたしに関わると不幸になる。黒に、呪いに呑み込まれて消える。いまなら、まだ消えなくて済むかもしれない。だから、マミ」

「放っておけない。俺は、俺の都合でここにいるよ」

「マミの都合なんか知るか。わたしはもう、誰も、誰にも消えてほしくないんだ」

 母も、父も。

 時寧も。

 ミシロも。

 ぜんぶ、ぜんぶぜんぶわたしのせいで。

「みふぎちゃん。みふぎちゃん、落ち着いて。大丈夫。大丈夫だから」

「何を根拠に」

 ああ、わたしは。

 泣いているらしかった。

「俺の同僚もね、わけわかんない化け物に、一瞬にしてバラバラのグチャグチャにされたんだ。俺はそれを見てるしかできなかった。助けられなかったんだ。生き残ったのは、俺ともう一人だけ。もう一人のほうは頭いいしデキる奴だからそのまんま残ったけど、俺はさ、ダメだった。あのまんまあそこにいたって、正義も何もありゃしない。こんなとこいられるかーって、辞めてやった。んで、自分で調べることにした。いまんとこなんも手掛かりないけどね。でもさ、絶対に探してみせるよ。俺は、俺が決めたことをやるだけ」

 きっと本当のことを言っている。

 これでもし、わたしを安心させるために、信用させるために嘘をついているとしたら大した役者だが、マミはそうゆう奴じゃない。わたしが勝手にそう思いたかっただけだろう。

「生き残ったってことは、そんだけ悪運強いってことでしょ? だから、大丈夫。以上、QED!」

「何も証明できてないってことはよくわかった」

 マミがボックスティッシュを持ってきてくれた。

「そこはハンカチじゃないのか」

煙草ヤニ臭い布で顔拭ける?」

「たしかに」

 マミのお陰で力が抜けた。

 ソファで少しだけ眠れた。悪夢もいつもよりほんの少しだけ控え目だった。気がする。

 17時。

 眼が覚めたらマミがベッドメイクをしていた。

「おはよー、みふぎちゃん。見て! てゆうか触って! ふっかふか。西日直撃でふっかふかよ」

「今夜寝るのが楽しみだ。行くぞ」

 今日の仕事は、築20年のアパートの怪奇現象の解決。数年前に部屋で自殺した女がいて、そこからその部屋だけでなく、アパート全体で不可解で不気味な現象が起こり始めた。

 これだけ原因がはっきりしていて、いまだに未解決となると、わたしの出番ということで間違いない。霊の専門家ではどうしようもなかったのだから、消去法でわたしの専門となる。

 アパートの階段前で大家が待っていた。鍵を受け取って、大家には下がるように助言した。可能なら建物から離れるように言った。終わったら連絡する旨も添えて。

 アパート全体に被害があるとなればさすがに居住者はいないようだった。昨日の倫理欠如ホテルと違って、まともな大家なので、わたしが解決した暁には、すぐに入居者おきゃくさんは戻って来るだろう。

「俺また留守番~?」マミがいつもより心配そうに食い下がった。

「付いてこられても集中が削がれるんでな。じゃあ」

 5階建ての、506号室。

 徒歩で階段を上がった場合、地上から最も遠い部屋だ。

 ドアに近づくにつれ、強烈な悪臭が鼻をついた。

 まさか、

 またか。

 相変わらず黒で廊下が視界ゼロなのでとりあえず祓って。

 祓うのは問題ない。

 黒に覆われたそれは、

 どうして。

「マミ、警察を呼ぶから不都合があるなら先に帰ってくれ」

「え、ちょっ」

 返事を聞かずにわたしから切った。

 どこのどいつだ。

 わたしへの戦線布告か嫌がらせかそれとも。

「私は無関係だよ?」時寧のねっとりした弁明が脳天から降ってきた。

 パトカーが近づいてくるけたたましい音がして、

 わたしはかぶりを振った。









     3


 またか。

 またお前か。

「もうやんなっちゃいますよね~」岡田は他人事のように言った。「何が悲しくって二日連続でご遺体と直面しなきゃいけないのかね~。あ、先に言っときますけど俺じゃないすよ?」

 9時過ぎ。

「当たり前だ。お前だったらぶっ殺してんぞ」

「そっすよね~」

 自分の語気が荒くなっていたことに気づいた。

 とにかく俺の仕事を増やすな。いや、俺の担当じゃなかったな。

「そっちの一課の、ええっと、あの人。片山さんの同期の」岡田はわざとそこで区切った。

古衛フルエか」

「そう、古衛刑事! あの人、なんか言ってなかったすかねぇ? すでにホンボシの当たり付けてんでしょ~?」

「まだ、だったんじゃねえかな」

 昨日のホテルの監視カメラの映像が決め手となり、証拠も上がった。

 顔も名前も住所もわかった。指名手配だ。

 しかし、なぜか居所がつかめない。

「ウソでしょ? あの叩き上げの古衛刑事ともあろう人が」

「お前が古衛の何を知ってんだ」半分あきれの半分どうでもいい。「そろそろいいか。さすがになぁ、おい」

 朝イチの一服は疑わしいことこの上ない。

 それよりなにより、クソ暑い。今日の最高気温を思い出してげんなりする。

「はいはい、すんませんしたー! んじゃあ~今日もグッドデイ!!」岡田が電話を切った。

 確かにおかしい。

 逃げるにしても。いや、逃げるか?

 あと何人犠牲にするつもりだ。

 あらかじめ決めた数をこなすまで終わらない。とするなら、ご遺体の共通点を。

 て、違う違う。俺の担当じゃないんだった。

「おう、いたいた」屋上のドアを閉めたところで階下から声がした。

 ちょうど話題に出た古衛ともう一人。

 俺は踊り場で足を止めた。

「お前さん、サボるときゃいつもここにいっからな」古衛の表情から捜査が進展していないことが見て取れた。

 疲労なのか多忙なのか、一段と老いが進んだように感じられた。

 そいつはお互い様か。

「古衛さん、なんでこんな窓際の」古衛の横の若いのが俺を見下すような視線を寄越した。

「お前、俺がいつもなんつってるか、思い出せるか?」古衛が窘めるように言う。

「え、ああ、はい。いや、でも」

「悪いな。やる気だけはあんだが、どうにもやる気が空回りしていけねえや」古衛が若いのの頭を無理矢理下げさせた。「まずは自己紹介だろうが。はじめて会ったんだから。信用はそこから築いていかねえと」

戸入トイリっす。よろしくお願いします」戸入と名乗った背の細長い若者は、不服そうに名乗った。

「知ってると思うが、片山だ。見ての通りの壊れかけの老いぼれだな」

「片山、お前の意見を聞きに来た」古衛が本題とばかりに切り出す。「まだ続くか?」

「仏さんは?」調べたのか、共通点はあったのか、という意味。古衛になら全てを言わずとも通じただろう。

「乗ってくれんなら話は早ぇや」古衛がしてやったりと言わんばかりににやりと笑って手を合わせた。

 しまった。

 適当にはぐらかして逃げればよかった。自分テメェで仕事増やしてどうする。

「見るか?」古衛が悪戯っぽく尋ねる。

「いんや、さすがに部外者だろ。お前の見立てを聞く」

「写真がある」古衛が手帳を開こうとする。

「朝飯ここにぶちまけていんなら」

「そりゃ困るな」古衛が大げさに肩を竦めて手帳を仕舞う。「一人目が22歳。住所、宮城県○○市。この春から○○市内の服飾店で働き出した。夏休みを利用して一人旅に来てたってとこか。二人目が23歳。現場のすぐ隣の同じ大家のアパート302号室に住んでいた。職業は駅前のエステで受付バイトの傍ら、なんつったかな」

「声優です」戸入が情報を補った。

「そう、それ。声優?っつうの? 学校に行ってたんだとか」

「見た目の共通点は」とそこまで聞いて無意味な質問だったと気づいた。

 1件目も2件目もとてもご遺族に見せられないようなひどい状態で。

「この手の奴が二人ばかりで満足がいくかってことだな」

「なるほど」古衛がぽんと手を叩いた。「戸入、余罪だ。ここまでの状態のもんじゃなくても」

「了解です!」戸入の眼に生気が戻った。

「いやぁ、お前と話すと考えがまとまっていいや」古衛が硬くなった手の平を俺の肩に下ろす。

「とっくに気づいてたクセによ。いつまでも窓際の俺を巻き込むんじゃねえぞ?」

「どこに隠れてやがるのか、は他の班に任せて俺ぁ、これ以上仏さんを増やしたくねぇんだ」古衛が神妙な顔で言う。「俺らの仕事じゃねえのはわかってんだが、どうもな。俺にしかやれねえこともあんじゃねえかって、年甲斐もなく思っちまってんだ」

「逃げてるっつうより、捜してんじゃねえかな」

 生贄を。

「あとは」

 協力を依頼するとか。

 二人も見つけてくれてる第一発見者の嬢ちゃんに。













     4


 マミじゃなくて警察が尋ねてきた。

 10時半。

 古衛と名乗ったベテランの刑事と、戸入と名乗った若い刑事。

 「現場でも二度ほど、お会いしてましたかね」戸入がぐいぐいと室内に押し入ろうとするのを。

「今夜はどちらにお出かけですか?」古衛が力づくで押し留めた。「それだけ伺ったらさっさと引き取ります」

 警察の見解としては、わたしは重要参考人扱いといったところで。

「まだ連絡が来ないので」わたしはケータイを顔の前に掲げた。「会社から連絡が来るんです。昼までには来ると思うんですけど」

 嘘を言ってもあとが面倒なので本当のことを言った。

 本当にまだ時寧からのメールが来ていない。

「では連絡がありましたらこちらに」古衛が手帳の端に番号を書いて千切った。「早めのご連絡をお待ちしていますよ」

 それだけ言うと、刑事二人は本当に帰った。

 わたしの家の外で張り込みをしていない限りは。

「ダイジョブよ。ちゃんと帰ったから」マミが遅れてやってきた。

「見てたのか?」

「見てるに決まってんじゃん! みふぎちゃんを任意同行しようもんなら、遠くから見守ってたてのに」

「相変わらず役に立たんな」

 ちょっとホッとした。

 何もしていないとはいえ、朝っぱらから刑事に家に来られるのはあまり気持ちのいいものではない。

「あの人片山さんの同期の人じゃん。あ、体積の大きい方ね。叩き上げのけっこうやり手の刑事だって聞くよ」

「そのやり手の刑事の見立てによると、わたしの出掛ける先で死体が転がってるてことか?」

 つまり先回りしてわたしの派遣先で張っていれば犯人とばったり出会えるとそう踏んだわけで。

「間違ってないんでない? 時間微妙だからブランチにしよっかぁ」

 マミがどこぞの有名店で仕入れてきたとかいう紅茶(高級)を淹れてくれた。

 買ってきたパンをダイニングテーブルに並べながら。

 10個以上はある。

「どれでも好きなのどうぞ~。美味しそうで選べなくってさぁ。あ、ダメ!!そのカレーパンは俺の!」

「要らん」

 正午のニュースで昨日のアパートの事件の報道があった。

 二人目か。

「みふぎちゃんは自分のお仕事に集中すればいんでない?」マミが言う。

 パンはほとんどマミの胃袋に収まった。

 マミは見た目に寄らず割と大食らいなのでは?

「昨日はごめんね。言い過ぎたね」マミが申し訳なさそうに言う。「プライド持ってやってる仕事に部外者がケチつけるなんて最低のクズだよね。ごめん」

「別に気にしてない」

 これ以上その話を蒸し返されたくなかったので、ラジオのボリュームを上げた。

 今日の午後の天気と、すぐそこの海水浴場の混雑状況を併せて報せてくれていた。

「あ」マミが間抜けな声を上げる。

「余計なこと思いついただろ?」

「俺まだ何にも言ってないじゃん!」

「行かない」

「だから、俺まだ何にも」

「海には行かない、と言ってる」

「はいはい、だけどもこれがここにあったりするんだな~」マミはリビングに置いていた紙袋の中から勿体つけて水着を取り出した。「どう? この可愛い水着を! みふぎちゃんのサイズぴったり!」

「なぜわたしのサイズぴったりの水着を買えたのかは敢えて聞かんぞ」

「ええ~、そこは聞いてよ」

「気持ちが悪い」

 絶対に行きたくなかったので眼を瞑って寝たふりをした。

 マミもそれ以上無理に誘うことはなかった。また何かしら調べ物をしていたようだった。

 結局、夕方までうとうととしていた。うたた寝のいいところは悪夢の解像度が低いところだ。

 ベッドに寝転がりながら時寧からのメールをチェックしていたら、マミが声をかけてきた。

「行くの?」

「警察に協力要請をされてる。どうすればいいと思う?」

「俺に気ィ遣ってくれてんの? あ、そっか。警察を呼んだら俺と鉢合わせになっちゃうから? うわー、嬉しい。みふぎちゃんが俺の心配をしてくれてるなんて! えーんえーん、嬉しいよー」

「泣き真似はいい。とりあえず近くまで乗せてくれ。帰りも適当に迎えに来てくれればいい」

 今度はまた別の団地。基本は事故物件の後処理(清掃以外)なので、ホテル(廃業後ならまだしも営業中)に行くことのほうが珍しかったりする。

 縦にも横にも長い建物の817号室。エレベータが故障中だったので息を切らしながら階段を上がった。該当フロアに近づくにつれて黒が濃くなってきた。

 黒は、刑事二人には見えていない。

 今日は現場横付けは避けて、団地の入り口で刑事二人と待ち合わせた。

 わたしが嘘を言っていないことを証明して、かつ、第一発見者になってもらうことの一石二鳥。

 本当の本当に、マミは昔ケーサツと何があったんだ?

「ここからは私たちで行こう。悪いが」古衛が一歩出ようとしたのを。

「悪いのはこちらとて同じです」呼び止めた。「わたしはここに溜まった呪いを祓わないといけません。刑事さんたちにご迷惑はおかけしません。だから部屋まで行かせてください」

「そうは言ってもなあ」古衛が難色を示す。「ここでやるわけにいかんのかね?」

「やれないことはないですが、充分にできる自信がないです」

「その呪いとやらを祓わんとどうなるんだ?」古衛が膝を折ってわたしを見る。

「このあと調べに来る警察の方が危険に晒されますね」

「具体的に?」古衛が興味本位で尋ねる。「私らも呪われるのか?」

「お時間は取らせません。ほんの3分だけ。わたしを刑事さんたちより先に入れてください」

「古衛さん」戸入が止める理由は自分の責任にしたくないだけだ。

「現場の保存は捜査の基本だ。だが、私らに協力してくれた恩もある」古衛が言う。「わかった。その3分はお嬢ちゃんにやろう。だが、終わったらすぐに出てきてくれ。何にも触らず、何も取らず。それだけ約束してくれ」

「わかりました」

 817号室。

 預かった鍵を。

 空いてる?

 鍵が開いていることを刑事に目配せで知らせた。

 黒祓いをさっさと終わらせた。

 きっちり3分。

 バトンタッチ。

「君は帰りなさい」古衛がわたしに声をかけたその瞬間。

「なんだお前!」勇んで817号室に入った戸入が声を張り上げた。

 廊下は照明が付いているが、室内は暗い。つまりよく見えない。

 なにかが、

 部屋から飛び出て来て。

「古衛さん! そいつです!!」戸入が脇腹を押えながら叫んだ。

 人間大の黒い、

 塊だった。

 わたしに見えたのはそれだけ。

 気づいたらパトカーがわんさか集まって来ていて。

 女性の警官がわたしの傍に付いていてくれた。

 わたしはもう大丈夫なことを伝えてその場を離れた。

 大通りに出てしばらく歩いたら、見慣れたおんぼろの軽自動車がわたしを拾ってくれた。

「また?」マミの声は真剣だった。「帰り遅くて心配したよ?」

 21時。

 本当だ。

「悪かった。ちょっと、気が抜けた」

 あの黒い塊は。

「見たのは、ご遺体じゃなくて、犯人だね?」

 なんで、

 わかるんだろう。

「みふぎちゃんの仕事は呪いを祓うこと。それ以外は警察に任せたら大丈夫。だから帰るよ~」

 風呂に入って、着替えをして、ベッドに入った。

「今日は泊まってくよ。それでいい?」

「番犬ぐらいにはなるか」

「ひっどいな~。ボディガードってゆってよ。じゃあ、おやすみ~」

 マミがいつもと変わらず接してくれるのが有難かった。

 全身の寒気が引かない。

 あんなに深く濃厚な黒は見たことがない。

 わたしはあれを、

 祓えるのだろうか。















     A復讐


 俺の仲間をぐちゃぐちゃに殺したに復讐できるなら、なんだってやってやる。そう決めて辞表を叩きつけたあの日のことを、忘れた日なんてない。

 ハワイのアレは不発だった。

 ガセというよりは、そもそも全然別件の事件だった。

 次なる行き先をつらつら探しているときに、ふと、片山さんの話を思い出した。

 ――呪いを祓う巫女がいる。

 他ならぬ片山さんの奥さんが、その一族だった。

 けど奥さんではなく、妹がその力のすべてを受け継いだ。

 妹はとっくに亡くなってるけど、その子孫がいるはず。

 片山さんに内緒で調べた。

 片山さんにはちょっと離れていてもらいたかった。

 なぜって。

 妹が死んだ日と同日、奥さんが帰らぬ人となったから。

 遺体が残らなかった。

 これが通常一般の殺人事件と一線を画する。

 そもそも奥さんは誰に殺されたのか。

 それすらよくわかっていないってのに。

 あれから24年も経つ。

「どうもご無沙汰です~。ねえねえ、憶えてる~? あの日あのとき相棒だった俺のこと~」

 ひょんなことから関わりを持った、通称・伝説の名探偵に連絡を取った。

 みふぎちゃんがすやすや眠っていることを確認して、おんぼろ軽車内に移動した。みふぎちゃんは眠りが浅いらしいので、万一起きて聞かれでもしたら。

 いや、別に聞かれてもどうってことはないかな。

「なんで俺の番号」相変わらずテンションが低い。

「なんでってそりゃあ、俺とあんたの仲だから? なんだって知ってないと~」

 電話口で舌打ちする声が聞こえた。

 伝説の名探偵は警察関係に顔が広い。

 なぜって?

 全国各地で事件を解決してるってのは表向きの理由でその実、育ての親が警察のお偉いさんらしく、その名字を聞けば平の兵隊以外は竦み上がるらしい。

 もちろん、俺はちっともこれっぽっちも知らなかったけどね。

「ところでいまどこっすか? やっぱおフランス? 今日も今日とて悪魔の誘響ゆうきょうの護衛? え、いま何時? 8時間の時差だから~」

「知ってることをいちいち聞くな」伝説の名探偵が諦めたように息を吐く。「で? なんだって? 呪いの巫女?」

「呪いの巫女だったら巫女が呪われてない? え? 逆じゃない?」

「呪いも巫女も俺の専門外だが」

「まあまあそうツレナイコト言わず。呪いに呑み込まれちまうとご遺体ごと消えるらしくてね~。こっちなら興味出ないかな~って」

「そうゆう超常現象的なのは知らん」

「まあまあ。いま俺、わけあって神奈川にいるんだけどね~」

 連続殺人犯。

 すでに二人。

 ご遺体の状態。

 性犯罪。

「な~んか手掛かりとか浮かばないかな~って」

じゃないのは確かだな」

「ま、そっすよね。他ならぬ名探偵が逮捕したんですからね」

「切る」

「待って待って。もうちょい。ヒント。なんか思いついたんでしょうって」

 伝説の探偵にあの人の話題は禁忌。

 なにせ、捕まえたことを悔やんで悔やみ過ぎて探偵をやめてしまったんだから。

とは無関係だ。じゃあ」

 無愛想なのはいつも通り。今更どうこう食い下がったり暴れることもなく。

 なんにせよもらったのは、超特大ヒントだ。

 少なくとも、伝説の探偵が逮捕したあの人とは無関係の別口。

 とするならやっぱり。

 野良のシリアルキラー。

 よくもこの日ノ本でこんな海外チックな輩が出てきたもんだよ。

 いままでどこに隠れてたんだか。

 いや、隠れてはないのか?

 余罪。

 ありそう。

 シリアルだと思われてないだけで。

 うまいことご遺体をどうにかこうにか隠したり食べちゃったりで。

 うわ、まじ。

 反吐が出る。

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