外伝2 坎と兌

 僕が今一番悩んでいる事は、背が伸びないことだ。唯でさえ童顔なのに、身長さえも言うことを聞かない。将来の夢とかこれからの進路だとか、を書くにおいてもっと悩むことがあって良い筈なのだけれど、今は身長の事しか頭に浮かんでこない。


 季節は夏に向かっていっている筈なのに一段と厚着になっていく一つ窓の向こうを歩く女の人を眺めながら、僕はペンをも悩ませた。『笹川 湊ささがわみなと』とポツンと書かれた原稿用紙は、気の所為か、更に広く感じる。


「卒業文集って何を書くのが正解?」


とうとう僕はペンを投げ出し、居間へあがった。


「美晴?今から映画に行こうと思うんだけど、一緒に行く?」


「映画?あー、行く。」


「じゃあお母さんに聞いてくるね。」


「うん。」


せこい考え方ではあるが、美晴と一緒に行くと言ったら許可が降りる可能性が上がる。勿論美晴と出掛けるのは好きだし、もし許可性でなくても誘うと思う。友達と行ったら?とお母さんは言うけど、電車で通う小学校こ友達は皆家が遠くて中々気軽に誘えない。


「お母さん、美晴と映画に行って来ます。」


「はいはい、映画ね。行ってらっしゃい。」


「美晴と行くんなら気を付けて行けよ。」


と横からお父さんが顔を出す。


「お父さん!今日は休みなんですか?」


「あぁ。あ、でも昼からまた別の予定があるから、気にせず行ってこい。映画館ってあの何時もの所か?」


「はい。商店街の突き当たりの。」


「そうか。もしあれだったら俺の自転車使って良いぞ。」


「え、良いんですか!?」


「良い。何時も頑張ってくれてるそうだからな。」


「ありがとうございます!」


自転車を借してくれるのは何年振りだろう。何がこんなに嬉しいかって、美晴と二人乗りをして商店街の少し外れにある川沿いを走ることが気持ちの良い事。自転車は、電車と違って風を直で感じられる。美晴も普通に歩いていくよりずっと楽しそうだし、僕もずっと楽しい。


「美晴、行って良いって。」


「オッケー!」


「しかもお父さんの自転車で。」


「ヤッター!」


 そして僕らは準備を済ませ、自転車の鍵を借りて家を出た。僕が鍵を外し自転車にまたがると、美晴が何時もの様に後ろに乗ってくる。


「行ってらっしゃい、人には注意するのよ。」


「行ってらっしゃい、轢くぐらいなら壊してこい。」


僕は、分かったと大きな声で返事をすると、自転車のペダルに力を込める。


「レッツゴー!」


妹の掛け声に勢い付いて、僕はついつい足を速めてしまう。


「お兄ちゃん何の映画見るー?」


「今何が出てるかなー、」


「怖いやつは嫌だよー?」


「アハハ、了解ー。」


なんて気の抜いた会話をして入ると、急に前に人が立ち塞がる。


「…っ!?」


きっと事故で前に来ちゃったんだろうけど、それに僕が反応しきれず、急にハンドルを回してしまう。そのおかげで、僕の自転車は川へ大きく傾いた。


「お兄ちゃん、!」


僕は咄嗟に美晴を道路側に投げ寄せると、自身の身体の行方を探す。


「お兄ちゃん!!」


そう呼ばれる頃には、もう川の底にある瓦礫が目の前に迫っていた。










 今時の子は、何をして遊ぶのが普通なのだろうか。中学へ昇進した私は、父の仕事柄相変わらず一人ぼっちである。


「あれれ、このんちゃんは来ないの?」


「もう良いよ、どうせあいつは来ないから。」


「だって毎日銃で遊んでるんでしょ?」


「え、そうなの!?やだ怖い!」


私の目の前で毎日に様に繰り返す会話。彼女達は飽きるという感情を知らないのかな。それとも本気で楽しんでるなら、それはそれでどうかしてる。


「私、行かない。」


「え、?」


「今こいつ行かないって言った?」


「大丈夫大丈夫、行くって言っても行かせないから。」


その後も揶揄いが続き、つい、私は気に掛けてしまった。


「貴女達みたいなしょうもない人間は、銃を向けたら子鹿よりもあっさりと死んでしまうでしょうね。子鹿は単独で身を守るけど、貴女達はどうせ“皆で”身を守るんでしょ?狙いやすいくて有難いわ。」


言い終わった後に、しまった、との後悔と反省文を脳内に並べる。


「…何よこいつ。」


「ほっとけば?」


「貴女だってこんな小さなナイフでさえ、向けられたら慌てるでしょうにね。」


と一人のリーダー的立ち位置の子が、私に向かってナイフを向けてくる。


 これは親を巻き込む事案になりそう。あぁ、何で口を開いてしまったんだろうな。何時もそうだ。私が口を開けば皆が不愉快になる。言動には気を付けているつもりだけど、そもそも、口を開かざるおえない場面というのは私自身に既に不満が積もっている状態である事が多い。逆に言うと不満が無ければ私は口を開く事は無いし、私が口を開かなければ良い事なのだ。それはお父さんから散々に言われた。「お前は極力口を開くな。」と。でも決して嫌なお父さんという訳ではない。どちらかと言うと私の方が最悪な娘だ。お父さんが言うには、「人の注意をするのは構わないけれど、その分褒める事もしなさい。褒めと貶しは平等でなければならないのだ。それが守れ無いのなら、お前は極力口を開くな。」という何とも立派な教え。しかし私は人を褒める事が出来なかった。人の良い所は沢山見つかっても、それを本人に伝えようとすると急に呂律が回らなくなる。これはいつかは克服しないと、とは思ってはいるけど、ほぼ生理現象なので仕方がない。だからそれ迄は口を開かないという選択をしていた筈なのに。つい、今回ばかりは魔が刺してしまった。


「ほら、結局ビビるんじゃんか。」


それを言われた途端、身体の中がじわりと熱を帯びる。怒りによる興奮というのは、人生で初めての経験だった。どうせこうもなったら父に失望されるんだ、この癖も、結局は治らない。だったら、もうなるがままにやれば良い。そう自分の中でスイッチが押されると、私はもう止まらなかった。


「…ぇ、何だこいつ、⁉︎」


私はナイフを持つ相手の手首を掴むと、勢い良くがむしゃらに自分へ向けて引っ張った。


「何してるの⁉︎」


まるで私のしている事が理解出来ない様に周りの観客達は慌てふためき、引いたナイフが何処に刺さったのかも分からないまま私は倒れる。兎に角身体は熱を帯びていた。今となってはそれが怒りなのかは分からない。唯、最後に私は、父を褒めた。格好良かったよと、有難うと、私は言い残した。

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