Episode 44 獅子の咆哮

 タカトは右唇の端に垂れた血を親指で弾きながら、不遜な笑みを口元に浮かべた。


「俺は、お前の〝声〟が聞きたい」

「?」

「お前の妹が言ってたぜ『大事なことほど言ってくれない、本当は言って欲しい』って」

「……」

「内容にもよるが、あんな可愛い妹を不安がらせるなよな……て、おっと! そこでだんまりはナシだぜ。コイツはただの例え話だからな」

「……」

「何だかんだ言って、お前、信用してそうな顔をしているが、本当は誰も信用してねぇだろ? だから何も言わないし、答えようもしない訳ってか?」

「……」

「返事がねぇということは、図星ととって良いんだな?」


 それまで無言を貫いていたディーンの瞼に、静かに深い哀愁がこもった。ひどく息苦しく、視野が急激に狭くなったような感覚があった。


「……それでは言うが、君に一体何が分かるんだ?」

「?」

「自分の生命を捨ててでも守りたかった者を、守れなかった人間の虚しさなんて……」

「ディーン……」

「大切な者がいなくなっても、自分は存在してしまう恐ろしさが、君には分かるのか?」

「……」

「どれだけ恐ろしいことか、君は一度も考えたことなどないだろう?」

「……」

「失うものがないなんて……羨ましいものだな……」


 ディーンは伏し目がちになり、まるで捨て台詞のように言い捨てた。その瞳は、どこか寂しげだった。やるせない思いが渦巻いていて、やり場のない気持ちを弄んでいる、そんな感じだ。それに対して、タカトは一体どう反応して良いのか分からず、出口の失った気分のやり場に困り、腹が立って仕方がなかった。


「自分が弱いというより、臆病になっていること位、自覚している」

「……」

「守らねばならない者がいるということは、それだけ束縛を受けるのみならず、その分臆病になるものだ。それは避けられないからな」

「……」

「そうでなければ、もし僕に何かあったら、遺される僕の妹はどうなる? 彼女は就学中の身だ。僕以外に頼れる身内もいないと言うのに」

「……」

「君は、そういう先のことまで考えてみたことがあるのか?」


 つかみどころのない悲しみがディーンの胸をくすぶり、澱のような空しさが心にかかっている。彼の身体の中を風が吹き抜けるように、空虚さだけが息を潜めて通ってゆく。どうしても取り残されてしまう想いに、唸り声を上げたくなる。


「……分からねぇよ。考えたこともねぇ」

「……」

「ずっと天涯孤独の身だった俺に、守るべき肉親もいなければ、守ってくれる肉親もいなかったからな……!」


 何も出来ないもどかしさがタカトの胸に迫り、苛立ちだけが募る一方だ。この気持ちをどう表現したら良いのか、言葉さえ見つからず、苦しくてたまらない。彼の手がディーンの胸ぐらを掴み返した。指を痙攣するように震わせ、食いしばっている歯をぎしぎし鳴らしながら。そして獲物を逃さないかのように、その銀色の瞳を真っ直ぐに見据える。

 鼻先同士が一センチメートル位しか離れていない。

 金色を内包した翡翠色の瞳と、鈍く光る銀色の瞳。視線を絡み合わせるかのように、超至近距離で二人は睨み合った。

  

「お前の痛み……お前の苦しみ……俺には分かるわけねぇだろ。俺はお前じゃねぇんだからな……!」

「……」

「だがな、だからといって、過去の亡霊に囚われていても、前には進めねぇんだよ!」


 タカトの胸の奥に湧いた、わけのわからない憤りが止まらなかった。胸ぐらを掴む手が震え続けている。それに対し、銀色の瞳は心の中を掻きむしられるような、激しい焦燥感に支配されたような色を映していた。


「……」

「今までの相方が、どういった事情で殉職し続けたのか知らねぇが、俺はそうはいかねぇ」

「……」

「俺は死なねぇ。途中でくたばってたまるかよ!!」

「……」


 タカトはそこまで一気にまくし立てた後、肩で息をしながら話を続けた。獲物を逃さない獅子のように、視線を全く動かさないまま。


「あとな、これだけは言っておく。俺の目の前で、俺の代わりに被弾したお前が倒れた時……正直言って……怖かった……」

「……」


 その時一瞬息を呑み、瞬きすら忘れた銀色の瞳が、相手の顔を眺めていた。まるで、胸に釘を打たれたような表情を映している。


「あんなに怖いと感じたのは、あれが初めてだった。前職でも色々あったけどよ、それの比じゃねぇ」

「……」

「いつもいる筈のお前が、自分の前から急にいなくなるかもしれねぇ。そう思ったら、足元から何かが崩れ落ちていきそうな、心許ないというか、そんな気がしてならなかった……その気持ちだけは嘘じゃねぇよ」

「……」

「だから、ほんの少しだけなら、分かる。お前の気持ち。これは同情なんかじゃねぇよ」

「……」

「そりゃあ、自分のパートナーが立て続けで死に続けるようなことが起きたら、自分を追い詰めたくなってもおかしくないかもしれねぇ。つらい思いを少しでもしねぇように、自分を守りたくなる気持ちも分からなくはねぇ。だがな、弱点扱いされる俺の身にもなってみろよ!」


 タカトの右手の拳が唸り、それがディーンの左頬にヒットする。彼は反動でややよろけかけたが、そのまま踏みとどまった。

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