Chapter2 Fly me to the sky
Episode 12 メタラ・ウイルス
特別派遣組織「セーラス」の建物内で、執行部部長室はエージェント達が出入りする部屋から少し離れた所にある。
ダークブラウンの木製のドアに〝派遣執行部部長〟の文字が浮き出している。 それは、ベージュ色で塗られた精巧な文字だった。
ブラッド・ホーク――海のエネルギーをそのまま吸い込んだかのような、輝かしく逞しく豊かな肉体を持つ男だ――は部長室に足を踏み入れた。久し振りに直に会う旧友の姿を目にしたイーサンは、満面の笑みを顔に浮かべた。
「イーサン。調子はどうだ?」
「おお、ブラッド。そろそろ来る頃合いだろうと思っていたよ。君も最近忙しそうだが、元気にしているか?」
「ああ、変わりない。君も元気そうで何よりだ」
二人は固い握手を交わし、互いに肩を叩きあった。
彼はイーサンの親友であり、現在は「セーラス」調査部の統括部長である。調査部は情報部と研究部と大きく二つの部門に分かれており、組織内のシステムの管理や、調べ物の依頼が常に絶えない。あとは、執行部で使用される道具や武器類のメンテナンスや修理、開発も担っている。部屋の主は、二人分の白のマグカップを運んできて机の上に置き、来客用の濃いブラウンのソファーに腰掛けるよう友人にすすめた。コーヒーの表面から白い湯気が、高い天井に向かってゆらりと登ってゆく。
「君のところは、中々活きの良い新人を配下に迎えたようじゃないか。初日から色々賑やかにしているようだが」
「ははは……彼は勢いがあって良いのだが、引き際というものを知らない。こんな昨今だし、何事も経験を積ませねばと思っているから多少は目をつぶっている。財政を圧迫するようであれば流石に注意するがね」
「この組織を正式に立ち上げる前の我々も、似たようなものだったからな」
二人は今や率いる者として、前線から一歩引いている立場であるが、二・三年位前までは現役として現場で動いていた。まだ組織として認められていなかった頃からの付き合いなだけに、色々感慨深いのだろう。その当時に比べ、最近セーラスへと舞い込んでくる事件は対処が困るケースが増えて来ており、頭を悩まされているのも事実だ。
(最近はこういう異形と化すタイプが増えたな。何か意味があるのだろうか? )
「ところで、先ほど送った書類に目を通してくれたか?」
「ああ。君の部署に依頼していた例の件だね」
「君の予想通りだったよ。君の部下達が集めてきたアンストロンのカルマやらコアやらに感染しているものだが……」
イーサンが目の前にあるキーボードに指を滑らせると、あっという間に画面が緑色の文字の羅列で埋め尽くされた。添付されている画像は、恐らく電子顕微鏡画像の動画ファイルだろう。何か黒いヌードル状の生き物がうねうねと動いている。ミミズのように滑らかではなく、どこか硬くぎこちない動きをしているが、正直、見ていてあまり気持ちの良いものではない。ちらりと目をあげて明敏で澄んだ旧友の瞳を見てから、また視線を下へ落とした。
「調査班の報告によると、どうやら隣星である、マブロス星だけに存在しているメタラ・ウイルスのようだ。君に送った画像はウイルスの極一部形態で、その全貌は定かではない。正に異形だ。ヤツラは何故かアンストロンのみに寄生し、全ての電気回路を乗っ取っているらしい。それのせいで〝ラティオ〟さえ失っているから、正に〝暴れ馬状態〟となるわけだ」
(メタラ・ウイルス……初めて聞く名だ)
イーサンは眉をひそめ、首をかしげた。
ブラッドが言うことによれば、メタラ・ウイルスはルラキス星内では情報に乏しいらしい。アンストロンが単に凶暴化するのは今まで幾度となく起こっていたため、さほど珍しくはない。しかし、突然異形化したアンストロンが暴走を始め、ルラキス星の住民が被害に遭うケースが増え始めたのが去年辺りである。とすると、隣星にて何らかの形でウイルスが増殖しているのか、それとも、何者かが意図的にウイルスを増殖させているか……としか考えられない。明らかに後者の方の可能性が大きい。
(しかし、何故マブロス星のウイルスを、我が星のアンストロンに寄生させる必要がある?)
ウイルスを〝カルマ〟の内部に忍ばせ、アンストロンに感染させる……とすると、空気に触れている環境下ではそれらは生存出来ないようである。
機械知性体にのみ感染し、機械知性体のみを突然変異させるウイルス……前代未聞の事態だ。感染症に罹患した人間が処方された薬でウイルスを体内から駆除するのとはわけが違う。
「〝カルマ〟経由でそのアンストロン内に侵入したウイルスは、その体内で全機能を一度停止させた後、良いように操っているという感じだな。あと不思議なのだが、人間に感染したケースは今のところ〇パーセントだ」
「絶対とは言い切れないが、もし人間に感染すると、予測不能なだけに厄介だな」
「あまりにも急すぎてワクチンが存在しないのも、対処が遅れる原因にもつながっている」
「一先ず、このウイルスは機械知性体にのみ感染すると想定した場合で話を進めよう。感染経路がイマイチはっきりしないが、このウイルスが何らかの物体を介して機械知性体に感染するものとした場合、うちのPCやAIと言った電子システムが感染しないという保証はない。アンストロン達を益々凶暴化させる引き金を引くことになる。引き続き部下たちには取り扱いは慎重にするように伝え、ワクチンの開発に努めさせている」
この星を守るために存在しているセーラスが、メタラ・ウイルスの温床になって、アンストロン・パンデミックを引き起こしては、正直洒落にならない。ひょっとしたら、仕掛け人の目的はこれを狙っている可能性も充分に考えられる。しかし、わざわざウイルスを使ってまでしてアンストロンを凶暴化させる目的は一体何なのだろうか。
「……イーサン。ここまで来ると〝コア〟を奪えば良いという範疇を遥かに超えているのではないか?」
「確かに。応急処置程度なのは分かっている。しかし、今はそれしか手段がない。今のところ部下達からの報告によると、現状では〝コア〟を外してしまえばどんな状態だろうとその機能を停止させることは出来ているようだ。心臓や脳を外した人間が生きていけないのと理論上は同じと言える」
イーサンは視線を下に向けつつ顎に手をやり、指でなぞる仕草をした。彼なりに色々考えがあるのだろう。
「取り敢えず、凶悪化したアンストロンを〝コア〟を外すか破壊するかして抑え込みつつ、〝カルマ〟や他のものをサンプルとして集め、もっと調べてみるか。ウイルスの詳細を調べるのは君の優秀な調査班に任せ、報告を待つことにしよう。その結果を元に我々執行部は対処法を考え、行動に移すとする」
方向性が少し見え、調査部のトップの顔に若干安堵の笑みが浮かんだ。張り詰めていた空気が少し緩んだような気がする。
「そうだな……ただ、規模があまりにも大きいようであれば、うちの組織だけでは対応出来ないだろう?」
「警察は人間だけが相手だ。アンストロンに関しては、専門とする我々が対処せねばならないが、その点については上層部にも意見を伝えている。彼らも充分分かった上で、うちの部署に指令を出しているようだ。状況次第によっては、軍の手を借りることも念頭に置いているらしい」
「上層部にもそういう考えがあるのなら、良かった。これ以上君の部署の人員が減っては対処出来なくなるだろうからな」
「……確かに」
去年突然異形化したアンストロンを取り押さえるために、何人ものエージェント達が命を落としたという苦い記憶が、イーサンの脳裏に蘇った。人員が半減してしまった今、残って頑張ってくれているタフな部下達には、感謝してもしつくせない思いがある。特に、自分が呼び寄せた新人エージェントは今まで比較的自由に生きてきた男だ。しがらみのない生き方をしてきた彼は柔軟で臨機応変に動けるうえ、他のエージェントにはない
(激減した人員を急に元に戻すのは難しい。彼は、良い意味でうちの部署をこれまで以上に強力なものにしてくれるだろう、そう願っている)
窓から見える太陽は、高層ビルの端にゆっくりと沈む方向へと動き始めていた。
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