レンゲと狙撃手
タヌキング
レンゲは使わない
名乗るほど者ではないので名乗らないが、俺は40代の中年男である。
別に特別なことなんて何一つない平凡な男だと自負しているが、こだわりというか、やらなくなったことがある。
それはラーメンを食べることにおいて、レンゲを使うことである。
別にレンゲを凶器にして親を殺されたとか、レンゲを見ると理由も無く腹立たしいとか、そんなバックボーンとかは無いのだが、ただ単に使う必要が無いなって思うから使わないのである。
小さい頃はレンゲも使ってた気もするが、大人になるにつれて使わなくなっていった。
ラーメンにおいて、麺をすすり、具を食べ、器を持ち上げてスープを飲む、これが俺のラーメンおいてのルーティン。これ以外は必要ないと思っている。
レンゲでスープをすくい、それを口元に近寄らせてすするなんて、俺の趣味では無い。別に他の人がする分には構わない。人の行動に俺が介入出来る程、俺は偉くないのだから。
まぁ、それでも、他人がしてるとムカつく行為があるのだが……それは今語るのはやめておこう。
とある朝、自宅で使い古されたマグカップでコーヒーを飲んでいると、突然スマホに非通知の着信が来た。
普段なら非通知なんか出ないんだが、何だかこの時は衝動的に出てしまった。
「もしもし。」
「よぉ、コーヒーの味はどうだ?」
おやおやどうしたことだ?何で電話の主は俺が今コーヒーを飲んでいることを知っているんだ?野太い声だ、俺の体に緊張が走る。
「単刀直入に言わせてもらうが、今お前のことをスコープ越しに監視させてもらっている。私はスナイパーだ。その気になれば銃でお前の頭をぶち抜くことが出来る。動かない方が賢明だぞ。」
どうやらヤバいことに巻き込まれたらしい。しかし、俺は今まで清廉潔白に生きてきたと自負している。スナイパーに狙われることなんて無いと思うのだが。
「なんでお前は俺を狙う。理由を教えてくれ。」
「良いだろう、教えてやる。それはだな……お前がラーメンを食べる時にレンゲを使わないからだ。」
「はっ?」
この電話の主は何を言っているんだろうか?ラーメンを食べる時にレンゲ?
スナイパーから詳細が語られる。
「先日、ラーメン屋でラーメンを食べている、お前を偶然見かけた。そしてレンゲを使わないお前を見て私は戦慄したぞ。私はラーメンが大好きなんだ。私の中でラーメンは麺やスープや具だけを指すものでは無い。ラーメンの器、レンゲに至るまで、その全てがラーメンなのだ。だからレンゲを使わないお前を俺は許すことは出来ない。」
厄介なラーメンオタクのスナイパーから狙われたものだ。レンゲを使わないだけでターゲットにするなんて暇なのかコイツは?
「い、一応聞いておくが、俺がレンゲを使わないとどうなるんだ?」
後になって、俺はこんな質問なんてするんじゃなかったと後悔した。
"パァン!!バリィン!!“
突然の発砲音がしたかと思えば、十年愛用したマグカップが粉々になって、辺りにコーヒーが飛び散った。おそらく後ろの窓ガラスを突き破り、弾丸がマグカップに命中したのだろう。
「お前がレンゲを使うと次はお前の頭がこうなるぞ。」
なんでだよ。レンゲ使わないだけで、頭を撃ち抜かれないといけないんだよ。
あまりに不条理過ぎて俺は唖然としてしまう。
「それで返事は、レンゲを使うのか?レンゲをつかわないのか?」
そう言われてしまうと答える返事は一つである。
「使う使う、使えば良いんだろ。全く朝から憂鬱な気分だよ。」
「懸命な判断だ。あぁ、隠れてラーメンを食べようとしても無駄だぞ。私はいつもお前を見ているからな。」
そこまで言うと電話は切られて、ツーツーという音だけが聞こえる。
もしかして夢だったんじゃ無いか?と希望的な観測をしてみるが、撃ち抜かれた窓ガラスと粉々になったマグカップ、そしてテーブルの弾痕が現実であることの証拠として俺にのしかかってきた。
後日、窓の修理とマグカップ代と書かれた、お金入りの封筒が家のポストに入っていたのは少し笑ってしまった。
〜三ヶ月後〜
あれから俺は一切ラーメンを食べることは無くなった。たまに食べたくはなるのだが、レンゲを使わないといけないと思うと億劫になり、何だか萎えて食べる気が失せてしまう。
これからの人生、一切ラーメンを食べれないでも構わないといえば構わないが、未だになんで俺がこんな目に遭わないといけないのかは謎である。
そうしたある日、朝にいつものように自宅でコーヒーを飲んでいると、久しぶりにスマホに非通知の着信。
俺は苦虫を噛み潰した顔をして、とりあえず二代目マグカップを炊事場に持って行ってから、席に戻り電話に出た。
「おい、お前どういうつもりだ!?何故ラーメンを食べなくなった!?」
開口一番そんな声が大声聞こえてきて、フーッと俺は深い溜息をついた。電話の相手はこの間のスナイパーで間違えないだろう。どうやら本当にこの男は俺のことを監視していたらしい。全くもってご苦労なことである。
「別に良いだろ?レンゲを使えとは言われたが、ラーメンを食べろとは言われた覚えはない。お前からとやかく言われる筋合いはない。」
「ラーメンを三ヶ月も口にしないとは信じられん!!お前気でも狂ったか!!」
俺から言わせればお前の方が気が狂ってると思うんだがな。まぁ、それは怒らせるといけないから黙っておこう。
「生憎、俺はお前ほどラーメン愛は無いからな。このまま一生ラーメンを食べなくても平気といえば平気だ。」
「くっ……クレイジー野郎め!!」
だからそれはお前だよ。レンゲを使わないのが気に食わないからって、こんな冴えない四十代の男を監視するとかクレイジー以外の何者でも無いぞ。
するとスナイパーは暫く黙り込み、三分ほど経過したのちに、こんなことを言い始めた。
「分かった条件の追加だ。週に一回ラーメンを食べろ。もちろんレンゲを使ってだぞ。」
「えぇー、なんだよそれ。ずるいぞ。」
「ずるいもヘチマもない。お前の生殺与奪の権は俺が握ってるんだからな。大体レンゲを使ってラーメン食べるぐらい良いだろ。」
それが俺にとって、どれだけストレスになるかこの男は知らないのである。だが命には変えられないか。
「分か……」
「レンゲを使って小さいラーメンを作って食べるんだ!!」
……おい、ちょっと待てコイツ今なんか言ったか?
「お、おい、まさか、小さいラーメン作れとか言ったか?」
「そうだ。アレこそレンゲの有効活用の一旦だ。レンゲで小さいラーメンを作るのだ。」
プッツーン
俺の中で何かがキレる音がした。
「断る!!」
「何だと?」
「断ると言ったんだ!!調子に乗るのもいい加減にしろ!!誰が小さいラーメンなんか作るか!!」
俺が見ていてムカつく他人行為というのは、レンゲで小さいラーメンを作るのであり、作り終わった後に「でーきた♪」なんてほざいている輩が居たらドンブリを投げつけてやりたくなる。
「貴様死にたいのか?」
「死にたくないが、小さいラーメン作るぐらいなら死んだ方がマシだ。人間誰しも一つぐらい譲れないものがあるだ。殺すなら殺せ!!」
小さいラーメンなんか作ったら俺が俺じゃ無くなっちまう。そんなのは死んでいるのと同じことだ。
「その意思に変わりは無いのか?」
「無い。早く殺せ。辞世の句なんて読む趣味は無いんだ。」
四十代で妻子無しの独身ということもあり、未練というものもあまり無い。死ぬには早いと思うが悔いの無い良い人生だった。
覚悟が完了した俺は安らかな気持ちでヘッドショットされるのを待っていた。
しかし、待てども待てども頭は撃ち抜かれない。焦らされるのは趣味じゃない。
「どうした?殺すなら早く殺せ。」
俺の催促の後、暫くしてスナイパーはこんなことを言い出した。
「ふぅ、もういい。強情な男だな。ここまで頑固だと賞賛に値する。貴様を監視するのも飽きたし、好きにラーメンを食べるがいい。それではサラバだ、レンゲを使わない男よ。」
ツーツーと音の鳴るスマホ。えーっと非常に分かりにくいのだが、これは殺されなくて済んだということか?
ふぅー、気を張っていたからか、何だかどっと疲れた。
さて粘着質なラーメン好きなスナイパーの標的じゃなくなったし、今日は久しぶりにラーメンでも食べに行くか、もちろんレンゲは使わない。もうなんか意地でも使ってやるもんか。
レンゲと狙撃手 タヌキング @kibamusi
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