学生時代のマドンナが街で宗教勧誘をしていた。
首領・アリマジュタローネ
学生時代のマドンナが街で宗教勧誘していた。
「えっ、もしかして
高校時代のクラスメイトだった藤香薫(ふじか かおる)に声をかけられたのは、俺が仕事を辞めてから丁度3ヶ月が経過した夏の終わりのことである。
ちょうどその時、お金も底を尽き始めていて、俺は渋々親に金を借りて就活という名目で引きこもりニート生活を謳歌していた。
新卒から5年ほど同じ会社に勤めていたのにパチンコや風俗にお金を溶かしていたせいか貯金はほとんどなかった。
ただその夏は例年に比べて記録的猛暑日が続いていており、エアコンの付いていない安アパートだと窓を開けていても気温が下がることはなかった。
駐車場で数時間熱されていた車内のように息苦しく、このままだと鉄板の上に置かれた生肉みたくなってしまうので、それは避けたいということで引きこもりニート生活を諦めて、素直に外出するようになった。
お金もそれほどないクセに、喫茶店や映画館やクーラーのある大型デパートのベンチで時間を潰して、ダラダラと都会の街をうちわを仰ぎながら音楽と共に歩いていた。
こういうときPVの中にいるみたいな気持ちになる。
そんな自意識過剰アクティブニートに声をかけてきたのが三人組の女性たちである。
彼女たちは「サークルを作るためのアンケートに是非ともご協力ください。」と急にスマホの画面を見せてきて、俺が怪しみながら眉をひそめていると、ふとその中の一人が「えっ」と口元を手で隠した。
「やっぱりゴドウくんだ! 声でわかったよ」
数年ぶりに会った藤香薫は大人の女性になっていた。
薄いアイラインを引いて、半袖のサマーニットを身につけたまま、昔みたいに「わわわっ〜」と大袈裟なリアクションをしている。
俺は軽く手を上げて「おう」とちょい低めの声を出した。
「こんなところで会えるなんて想定外〜。東京来てたんだね! あ、紹介するね。こっちがイ・ホンちゃんで、こっちがリー・チェイさん。韓国人と中国人のお友達。二人ともすっごく日本語が上手なんだ」
「ああ、どうも。
「ゴドウくんはすごく優しい人なんだよ〜。ねえ、あの写真まだ持ってる? 私のサインが入っているやつ!」
「……あ〜、どこいったかなぁ。実家にはあると思うけど」
「えーひどい。これを私だと思って大切にしてね、って言ったのに〜。男の子ってほーんと移り気が激しいよねー!」
ほっぺを指で突かれる。
昔の俺であれば彼女の行為をご褒美だと称し「もう数ヶ月は顔を洗わない」なんてくだらない誓いを立てていただろうけれど、今のアラサーに近い年齢の彼女に咄嗟にそんな言動をされても困惑が勝ってしまう。
「藤香は一体ココで何を?」
「お友達の手伝いっ! ねえ、ゴドウくんも協力してくれない? 韓国で流行っているちょっとした心理テストなんだけどね」
そう言って彼女は俺に心理テストなるものをやらせてきた。
◯、△、□、Sの記号を用いて絵を自由に描くというもので、なんかこれで深層心理とやらがわかるのだという。
「はい」
「ほうほう……。ゴドウくん、やっぱり君は私の見込んだ男なだけあるよっ! こんな絵なんて見たことない!すごく珍しいっ」
彼女はその場に飛び跳ねながら「結果を後日よく調べてから教えたいから連絡先を交換しない?」とスマホを見せてきた。
勿論、即、承諾した。
〈Sana〉と表示されたユーザー名に疑問を覚えつつ、彼女は「ごめんね!お仕事の休憩中に!また連絡するねっ」と手を振って去っていった。
LINEには新しい友達が追加されている。
アイコンを開く。
夕暮れの中に彼女の後ろ姿が映し出されている。
ボヤけていて、本当に彼女なのか判断できない。
俺は知っていた。先ほどの心理テストの正体を。
最近ネットニュースで見たことがあったから。
藤香薫。高校の頃の同級生。
彼女は俺たちの学年で【マドンナ】と称されるほどの高嶺の花的存在の人間であった。
数々の伝説を打ち立てた完璧で究極のアイドル。
誰もが目だけでなく、魂ごと奪われてきた。
そんな彼女が、街で宗教勧誘をしていた。
× × ×
高校入学した直後から藤香薫は有名人であった。
俺は同じクラスの隣の席の女の子の名前すらも覚えていなかったのに、他クラスに在籍していた彼女の名前を真っ先に記憶できたのは、きっとそれ程までに知名度が高く、まさに学年の【マドンナ】と称されるほどの存在感を醸し出していたからに他ならない。
移動教室の際、渡り廊下で教科書を抱きながら目の前から歩いてきた彼女を見て「噂は本当だったんだ」と感じるほどであった。
前からやってきたのは藤香薫とその友達の三人組だったのに、それはまるでかつての大名行列のように感じられて、思わず持っていた教科書をその場に落としてしまうくらいの衝撃を抱いたものである。
『大丈夫ですか?』
『あ、いや……そ、その』
スクールカースト最下層で、中学時代は彼女どころか友達すらもほとんどいなかったコミュ障な俺に即座に駆け寄ってきて、落とした教科書を拾うのを手伝ってくれた藤香薫の姿を間近で見てしまって、その性格の良さや溢れんばかりの品や気質や優しさや華や良い匂い具合に、すぐに完敗した。即堕ち二コマだった。
誰にでも気兼ねなく接してくれる陰キャラに優しい学校のアイドル。
それはみんなを魅了する小悪魔的な愛嬌の良さもあり、その魅力にたなびいた己の立場をわきまえない男子たちはみな「もしかして俺でも?」と夢を見ることとなる。
きっと同学年の男子であれば一度は藤香薫のことを好きになるという段階を踏んで、大人への階段を登っていったに違いない。
そのルックスは女優になることを期待され、
それでいて卒業まで彼氏を作らないという処女性を保ちながら、
卒業の進路を明かさず、かぐや姫が月に帰ってゆくかのごとく消息を絶ったことにより、彼女の人気は卒業してからも暫く続いていた。
圧倒的なスター性にくわえて、スポーツもできて、ピアノも弾けて、成績だって常に上位。
非の打ち所なんて粗探ししても見つからなかった。
ただ、それでもやはり一部の女子生徒からは嫉妬の対象にはなっていた。いじめはなかったが、彼女は少人数の友達といつもつるんでいた。
こういう話を聞いたことがある。
修学旅行の際、どうしても藤香薫の入浴画像や乳首の色を知りたかったゲスな男子が、付き合っていた彼女を利用して、藤香薫の盗撮写真を撮ろうとしたのである。
だが、結局のところそれは上手くいかなかった。
彼女は同性の前でも警戒を怠らず、着替えのときもお風呂のときもバスタオルを巻いて、絶対的な防御壁を作り上げていた。
テニス部に所属している彼女の着替えはいつだって顧問の手で防がれてきた。
こうやって、彼女は自身のブランドを卒業まで守りきり、男子たちの【マドンナ】として、最後まで君臨していたのである。
懐かしい。
思い出の一ページにはいつだって、彼女の存在が挟み込まれていた。
何年経とうと忘れるはずがない。
同級生の男子にとってあの学園生活は、彼女が在籍していたということだけで輝きを感じることができたのだから。
それらすべてを含めて【青春】だった。
× × ×
『ゴドウくんも一緒に水浴びする?』
『い、いや……俺は泳げないし』
『浴びるだけだよ? なんなの? 悪魔の実の能力者?』
『ワンピ好きなの?』
『東の海編だけね』
うだるような暑さが続いた夏の日。
こんな日にでも体育授業をさせられるのが学生の辛いところで、俺は校庭のグラウンドの砂たちが蒸気を発しているのを、木陰で休みながら見ていた。
そんなとき、藤香薫が近づいてきたのである。
彼女は女性にも関わらず、少年漫画の知識にも長けていて、それがより一層俺たち男子高校生の心を悶えさせた。
『ちょ、なにするんだよ!』
『油断するから悪いのさ』
『やったな、ほれ!』
『わ〜濡れちゃったじゃん。もー、ゴドウくんなにするの』
最初は足を洗うだけだった俺たちは次第に水掛け遊びに発展していった。
彼女の体操着は背中から見ると微かに避けていて、白のブラ紐が薄っすらと見えた。
もしもこのときの光景をカメラに収めていたのなら、男子間でどれだけ高単価で出回ったことであろう。
俺自身もそのときのブラの紐を何度もオカズにさせてもらった。
だから咄嗟に顔に水をかけられても上手くリアクションを取ることができなかった。
『あはは』
笑い声が廊下にこだましてゆく。
反響したセミの声が、俺たちの頭上から落ちてくる。
『ゴドウくんって優しいよね』
『えっ?』
『前にさ、当番じゃないのに黒板を消していたことあったじゃん。私、それ見てて、この人優しい人なんだーって思った』
この時ばかりは驚かされた。
むしろ、彼女に恐怖を覚えたほどである。喋ったことのない俺のことまでしっかり観察して褒めてくるだなんて、この人はどこまで自分のキャラを徹底しているんだろうって。
捻くれ者の自分ですら思わず圧倒されたほどだ。
素直に物事を享受できる人間であれば、恐らく即座に陥落させられていることであろう。
『おいしっ』
どこからか持ち込んできた三ツ矢サイダーを飲みながら、彼女は髪を掻き分けた。
汗が耳の後ろから首の奥まで流れ込んでゆく。
白い喉仏が振動している。
『飲みたい?』
『え、でも……それ』
『そんなにジロジロと見られたら飲みたいのかな?って思っちゃうじゃん〜。恥ずかしいよっ』
『ご、ごめん』
『いいよ、飲んで?』
『ほんとに?』
『うん、全部あげる』
俺は渡されたポットボトルに出来る限り口を付けないようにして、三ツ矢サイダーを飲んだ。
味はしなかった。
『やっぱり優しいね』
ニタニタと笑いながら、俺の顔を見つめている。
二年間同じクラスだったのに一度も喋ったことない関係だったとは思えないほどの距離の近さだった。
当然ながら好きになった。
元々好きだったけど、これでベタ惚れした。
俺だってみんなと同じは嫌だった。
体育祭の二人三脚では彼女とペアになりたくて男子間で喧嘩が勃発したりするし、修学旅行の恋バナでは『藤香薫』の名前があまりにも被りすぎて殿堂入りにさせられるくらいだ。
彼女のことをよく知らない野郎は『藤香薫はもういいって!王道すぎるって!』みたいな逆張りをしていたけど、彼女と接した瞬間から『一周回って、むしろ藤香薫の時代だよな?』と掌を返していた。
そういうやつばっかりだった。
言葉にはしなかったが、むしろ最初から最後までずっと藤香薫の時代だった。
彼女の伝説的なマドンナエピソードで欠かせないのはやはり【卒業式長蛇の列事件】だろうか。
これは言葉の通り、卒業式の際に第二ボタンを自らあげたい男子たちが藤井薫に記念受験的なノリで告白しまくって、それが長蛇の列となったというものである。
もちろん俺も並んだ。
しっかり告白して、ちゃんとフラれた。
『ええっと……薫さんのことが大好きです。もしよければお付き合いしてくれませんか?』
『ゴドウくんも私のこと好きだったの!? わ〜、びっくりしちゃった。ごめんね、気持ちはすっごく嬉しいんだけど、お付き合いはできません。でも友達でいてね? 私のこと忘れないでっ』
テンプレートの言葉を並び立てる彼女と一緒に写真を撮った。
これは並んでいたすべての生徒たちにやっていたようで、一部の女子生徒も並んで告白して、フラれて一緒に写真を撮っていた。
後半は完全にアイドルの握手会のチェキ撮影みたいな時間になっていた。
彼女は律儀にマジックで一人一人写真にメッセージを書いていた。
俺には『優しいゴドウくん』とだけ書かれていた。
情報が少なすぎて笑ってしまったのを覚えている。
『ありがと〜。好きになってくれて。これを私だと思って大切にしてねっ!』
俺は87人目の失恋者として列を抜けて、そのまま学校を後にした。
それから街で再会するまで藤香薫に会うことはなかった。
私のように大切にしてね、と言われたので、家に帰ってからすぐにオカズにした。
白濁した液体をピースしている彼女に顔にぶっかけてやった。
藤香薫のブラ紐を引っ張る妄想をしながら、脳内でドロドロのグチョグチョに犯しまくった。
どうせ手が届かないのだから気持ちが届かないことはわかっていたのに。
後悔と罪悪が湧いてきて、そのツーショット写真はビリビリに破って、それからトイレに流した。
× × ×
カフェインとアルコールを定期的に摂取しなければ耐えられない身体になってしまっていた。
ブラックコーヒーや生ビールを飲めないことをアピールしていた頃が懐かしい。
駅の喫煙所でタバコを吸って、コンビニで食べ物を購入してから帰宅する。
鏡の前に立ったとき、伸びきった髭が見えたとき、あまりにも自分がやつれていることに気がついた。
髭を伸ばせばハリウッド俳優みたいになれると思っていたが、元々の顔の作りが異なっていた。
とりあえず髭は剃っておくことにした。
意味もなくSNSを開く。ドーパミンがウジャウジャと湧いてくる。レコメンドされた流行りのインフルエンサーらしき女性が流行りの曲を踊っていたが、知らないやつが知らない曲を踊っているだけの動画の何が面白いのか理解できなくて、すぐにブラウザバックした。
靴下やシャツがまだそんなに臭わなかったので、明日も使えると思い、ファブリーズだけして、部屋干ししておく。ちょっとやそっとのことがない限り、洗濯には出さない。清潔感など二の次だ。
モテるモテないを軸に置き、性欲に一途になれたのは若さがあったからだと気付かされる。
そんなことよりも生活が重要だった。
なによりもお金が必要だ。
ビールを飲みながらぼんやりとしていると時間がやってきた。
新規の通知がきて「今からZoomに入れたりする?」と招待のリンクが送られてくる。
俺は無難なスタンプを送りつけて、イヤホンを耳につけて、MacBookを開いた。
かつて好きだった、みんなのアイドルだったあの藤香薫とオンラインで通話ができるというのに、心は一ミリも踊り出さなかった。
「おつかれ〜。あれ、ゴドウくん。飲んでるの? もー。これはZoom飲み会じゃないよ?」
「……んー、悪い。なんか飲みたくて」
「えーっと……ゴドウくん、もしかしてストレスが溜まってたりする? ちょうどよかった。実はね、やってもらった心理テストの結果が出たんだけど、びっくり仰天! かなりの危険信号! お酒を飲みながら120キロのスピードを出して、車を運転しているときくらい赤信号だった! ねえゴドウくん、大丈夫? 最近眠れてる?」
「うーん……。あんまりかな。昼夜逆転してるってのもあるかもだけど」
画面越しに見る藤香薫の態度が前のめりになっているのを感じる。
きっと彼らが用意した受け答えのテンプレート的な展開にまんまと乗せられてしまっているのだろう。
その証拠に口角が釣り上がっている。
「ゴドウくん、落ち着いて聞いてね。あなたはいま魂が淀んでいます。実はストレスってのは空気中に浮かぶ負のエネルギーを無意識に呼吸時に取り込んでしまっているのが原因らしいの。だからどれだけストレス対策をしても効果がないのは、負のエネルギーが魂まで影響を与えてしまっているからなんだ。これはいま日本人全体が悩まされている病の一つで、大元である負のエネルギーを浄化させないことには、いつまで経っても幸福にはなれないの……!」
「……それ、本当なのか?」
俺は全く聞いてなかったが、半信半疑なフリをして、彼女の話を待った。
どんどん肩が重くなってゆくのを感じる。
「うん、本当なの。最初は信じられないと思うんだけど、負のエネルギーってのは本当にあって、例えばハウスダストってあるじゃん? 言い換えるならこれも負のエネルギーの一種なんだよ。だからまず空気清浄機を置くことをお勧めしている。私も最近ね、空気清浄機を購入したの。ほら、これを見て。あ、全然! 押し売りとかじゃないよ! 出来ればあったほうが心が安らぐよーっていうだけだから! 家電量販店で一万円以内で買えるから、もし最近疲れてるなぁ不調だなぁと思ったら、空気清浄機を買うことを検討してみてね!」
「……わかった。」
俺は話を聞きながらビールを飲む。
「そんなお金ないよーって人には盛り塩がおすすめ!ただし、塩は岩塩を使うこと! あと方角的にも置いたらいけない場所とかもあるから、わからないことがあったらいつでも聞いてね。私の友達に住職さんがいるからまた紹介してあげる。それと……ゴドウくん、仕事の調子はどう? 働きすぎていない?」
「あー……まぁ休みは少ないかな」
嘘だった。休みしかなかった。
「うーん、今の労働環境に問題があるのかも知れないね。負のエネルギーってのは全体から発するものだから、ネガティブなことを考えている人間の周りにはネガティブな人って集まりがちなの。もしゴドウくんが、今の仕事が辛い!辞めたい!と思っているけど、なかなか辞める勇気を踏み出せないのであれば、私がサポートしてあげる。これからが本題なんだけど、韓国に【チョニョ・アビス】って人がいるんだけど、この人の考え方がすっごく面白くて、私この本を読んで感銘を受けたんだ! ココに書いてあることを実践すれば私は幸せになれるんだぁって! 魂の汚れを浄化するための呼吸法なんかも記してあるし、実際これを試してから、世界を見違えるように明るくなったの!? 信じられないよね、でも本当で、私もびっくりしたんだ……」
頭が痛くなってきた。
俺は相槌を打ちながら、彼女の言葉を聞き流した。
聞き流すことしか、できなかった。
× × ×
『あー、藤香のことだろ? 丁度いま噂になってるよ……。アイツ最近やべーんだろ? なんか聞いたところによると、手当たり次第、当時のクラスメイトたちにアポ取って、変な宗教勧誘をおこなっているらしいぜ。あんな子じゃなかったんだけどなぁ……』
『……俺らが原因だったりするのかな?』
『え、なんで?』
『だって、学生時代にあれだけ【マドンナ】っつて、持ち上げただろ? 同性のことも信頼してなかったみたいだし、そういうのってすごいストレスに晒されるものじゃないのかなあ』
『いや、関係ねーだろ。そもそも藤香自体、チヤホヤされるのを喜んでいたように思うぜ?』
『当時はな。でも今こうなってるってことはどこかのタイミングで精神が限界に達したんじゃね。だから卒業後にみんなの前から姿を消した、とか』
『なるほどな。若い頃チヤホヤされてきて承認欲求モンスターとなってしまって、その自己肯定感の低さで壊れちまったってことか……。美人ってメンヘラになりやすいもんなぁ』
『あのさ、藤香が学生時代に仲良かった友達二人いたじゃん。あの二人と連絡取れたりする? 今の状態の藤香になったワケを知ってるのかなぁって』
『おけ、ちょっと聞いてみるわ』
電話を切って、ベランダでタバコを吸う。
夜風が気持ちいいと思えず、すぐに火を消した。
×××
『えっと、ゴドウくん? 初めまして、
喫茶店で会ったベビーカーを引いた女性は境さんと名乗り席についた。
当時、藤香薫が仲良くしていた貴重な女友達のうちの一人だった。
もちろん、俺は陰キャラだったので直接的に関わったことはない。
『Sanaちゃんのことですよね?』
『Sana? ……いや、藤香薫さんのことを聞きたくて。この9年間彼女はなにをしていたのかなって』
『ごめんなさい。薫ちゃんのことですよね。ええっと、実はあの子、前の名前を捨てたかなんかで、他人にSanaと呼ばせることを強要しているみたいなんですよね……。私も卒業してからほとんど関わりがなかったので詳しいことはわからないんですけど……』
境さんは結婚指輪光らせながら小さな声で告げる。
『卒業してから藤香はなにをしていたとかわかりますか?』
『えっと……あんまり言っちゃいけないんですけど、家族間でトラブルがあったらしくて、数年は大学にも進学せずに家に引きこもっていたそうです。私も風の噂でしか聞いてないんですけど、お父さんの介護をしていたとか。それから夜の仕事もしていたみたいで』
『藤香がですか?』
『はい……』
あまりの展開に俺は水を飲むことすらもできなくなっていた。
これ以上、探ってはいけない。
そう思いつつも、好奇心から藤香薫について調べるようになっていった。
『あー、働いてましたよ。Sanaちゃんでしょ? なんか変な男と同棲していたっけかなぁー。別れろって言ったのに殴られるからって中々別れなくて、なんでそんなクズと付き合ってるんだ?って一回ウチの元従業員が聞いたそうなんですけど、なんかハメ撮り動画(?)ってのを人質にされていて、いいようにこき使われていたみたいですよ。ホントかどうか知らないっすけどねw』
『Sanaちゃん? いい子だったよ〜。顔も可愛くて、べっぴんさんで、よく働いてくれてた。でも、ちょっと精神的におかしくなってしまうことがあって、急に泣き出したりしてさ。『わたしはレイプされた!!レイプされた!!!!』って夜中に泣き叫ぶことがあって、本当に怖かったよ……。心療内科に行くことをお勧めしたんだけどね、お金がないからとかなんかで、iPhoneすらも買い替えられなかったんだって……』
『あの子が名前を捨てた理由? ああ、知ってますよ。幼い頃にお母さんを亡くしてて、父子家庭だったんですよね。で、お父さんも病気になっちゃって……かなり苦労してますよ。学生時代は友達もいて、容姿も性格も良いからかなりモテてたみたいですけど、本人的にはキツかったんじゃないかなぁ。お父さんを楽にさせてあげるために必死に頑張って良い大学に入ろうと努力していたのに、高校卒業してからすぐにお父さんがぶっ倒れたみたいで。彼女が21のときにお父さんが亡くなって、それからちょっとおかしくなっちゃった。露出の高い服を着て、男に媚びるようになっていって、自分のことを《Sana》なんて名乗り始めた。ワケを聞いたら[両親がいなくなったから現世は諦めた]って……。本人的にも辛かったんでしょうね』
『Sana? あー、アイツちょーヤバかったよw 学生時代チヤホヤされてきたからなのか知らないけど、自分のことをお姫様のように扱わないと拗ねて暴れたりしてさ〜ヤバいよね? 酒癖も悪かったし、酔ったらすぐゲロ吐いて全裸になるの。それで危ないからやめなよ、って注意したんだけど、結局やめなかった。これはガチでヤバい話なんだけど……あいつそれで強姦されたみたいで……。酔ったところを半グレ集団に輪姦されて……結構問題になったらしいよ。そっからはなんかそれを相談してたDV束縛野郎と付き合ったりして、借金肩代わりしたのに、逃げられたりなんかで、それで今は変な宗教にのめり込んでいるんでしょ? ほんと、あの子ヤバいんだから。あんまり関わらないほうがいいよ……』
× × ×
「それでね、ゴドウくん。アビス教で一番大切な教えはここからだよ。魂の汚れ、即ち、魂を救済するためには現世を捨てて、肉体を器とし、次のステージに上がらなくちゃいけないの」
ビールを飲みながらでなければ、彼女の話を聞けなかった。
今にも涙が出てきそうで、それを噛み殺すために、必死に下唇を噛んだ。
ぼやけた視界の中で、彼女が必死になって、俺に教えを説こうとしている。
でもその瞳は曇っていて、俺のことなんて見ていなかった。
自分の利益獲得のために、俺を信者に引き入れようとしているだけだった。
「大切なのはお金じゃないの。お金をたくさん持っているものが勝ち組だとか、スペックの高い人と結婚できれば安泰だとか、そういうのは全部間違っている! 負のエネルギーに魂をとらわれてしまった人間はすぐに勝利至上主義に走りがちだけど、本当の幸福は“愛”にある。いい? 五道くん。大切なのは魂の浄化。救済なの。つまり、私たちがやるべきことは──」
いや、違う。彼女は利益獲得のためにやっているのではない。
本当に俺を救おうとして手を差し伸べているのだ。
かつて仲良くしてくれた友をこの辛い現実から抜け出すための方法を必死になって授けようとしているのだ。
だけど、俺は確かに別に今が幸せってワケじゃなくて、人生に大してマンネリ化を抱いているけど、そんなに不幸ってワケではなかった。
少なくとも──Sanaちゃん。
藤香薫ちゃん、君よりはよっぽど幸せだ。
救いたいのはこっちのほうだ。
でも救うだなんて上から目線の行動をしたくないし、自分から抜け出さない限り、きっとその苦痛は終わることはないのだろう。
他人から決められた軸のまま生きていると、大切なものを失ってゆく。
そんな幸せになるための定義を説いて、彼女に『信仰宗教なんてやめよう!そこから抜け出して、自分の本当にしたかった目標のために生きよう!』だなんて、言えるほど俺は出来た人間じゃなかった。
俺は彼女の写真を大切に扱わなかった。
藤香薫を結局、容姿でしか判断していなくて、美人を自分の彼女にしたいという優越感に浸りたいだけであった。
クラスメイトの誰も、数名の友人ですらも、そして彼女自身でさえも、本当の藤香薫を認めてあげられなかった。
彼女は演じるしかなかった。
他人から言われるがまま【マドンナ】として生きることしか、自分に価値がないと思ってしまっていた。
だから、行く道を失ったとき、迷ってしまったのだ。
縋るものは宗教しかなかった。
自分を助けてくれるのは“神だけ”だと信じるしかなかった。
だからどんなに胡散臭い教祖でさえも、崇めてしまっている。
俺はきっと──彼女を救うことなど出来ないのだろう。
『飲みたい?』
「──そう、
Zoomを退出して、すぐに彼女のLINEをブロックする。
昼間にコーヒーを飲んだせいか、カフェインで胸焼けを起こして吐きそうになった。
窓を開けてタバコを吸う。
それでも気分は良くならない。
東京は暑すぎた。
家々の光を眺めてからリビングに戻る。
開いたMacBookの前に着席して、気を紛らすために、Netflixを開いた。イヤホンをつけて2倍速でワンピースの実写ドラマを観る。酒のせいか、歳のせいか、内容が一ミリも入ってこなくて到底面白いとは思えなかった。でも映画レビューサイトで星5をつけた。それは社会に対してのほんの些細な降伏だった。
学生時代のマドンナが街で宗教勧誘をしていた。 首領・アリマジュタローネ @arimazyutaroune
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