エレホン・ステーション

くだまき

再会はコーヒーショップで

     ◆


 ――ここではない、何処かへ。


 無意識の内に、何とも格好つけた言い回しが頭の片隅に浮かんだ。

 大した理由などありはしない。

 上がりきらないモチベーションと二人三脚をしたところで、勉学に身など入らないだろう――といった身勝手極まりない判断で予備校を早めに切り上げた僕だったが、五分と待たずして自分の判断が間違いだったと痛感することになった。

 

 暑い。

 暑すぎるのだ。

 八月の昼日中、勤勉なお天道様をついつい睨みつけてしまいそうになるのも無理からぬ話で。

 お盆も過ぎたというのに夏の暑さは落ち着く気配すら感じさせないし、某花火大会は終わったというのに真夏のピークは去ろうともしないし、週間予報には共産主義国かと見紛うような、気の滅入るカラーリングが続いていた。


 学生の時分ならいざ知らず、机に噛り付いて一日を過ごす習性を有する浪人生の暑さ耐性は、冷凍庫から取り出したアイスクリームに僅差で敗北を喫するレベルなのだ。

 早いところ空調の効いた室内に身を寄せなければ、命に関わる。

 スマホを取り出すのも億劫なため、僕は脳内で低クオリティな地図アプリを起動する。最寄りの喫茶チェーンを目的地に設定し、おぼつかない足取りで歩き始めた。


 時折吹く風は涼しさなど微塵も内包しておらず、ただただ蒸し暑さを色濃くする。下ろしたてで硬さの残るスニーカーがアスファルトの熱で異様に柔らかくなったのを感じ始めたのと、ゴールに到着したのはほとんど同時だった。


 平日の昼間だというのに店内はなかなかの混雑具合。この炎天下に身を置いていれば、明確な目的や予定がない人の行動パターンなど似通ってもくるはずだし、致し方ないだろう。

 列に並びながらオーダーについて思案していると、背後で小さな声が聞こえた。


 「……トーくん?」


 自信なさげで弱々しい、しかし聞き覚えのある声。

 更に言えば懐かしさすら感じられる呼称。

 ゆっくりと振り返り、後ろに並んでいる人物を視認する。


 僕よりも頭一つ小さい背丈の女の子。着崩された制服が去年まで在籍していた高校のものだと気づくのにさほど時間は掛からなかった。モカブラウンの髪色はコーヒーショップと親和性が高そうだ――などと下らない感想は、驚きの感情に上書きされて消えていく。


 「……まよい?」


 近所に住む昔馴染み、御厨みくりやまよいだった。



 各々オーダーした品を手にして、幸運にも空いていたテーブル席へを腰を下ろすと、まよいが話し始めた。


 「トーくん久しぶりだねぇ。全然変わんないっていうか、実家のような安心感」

 「もしかしなくても褒めてはいないよな……。しばらく会わない内にまよいは随分チャラ――垢抜けたもんだ」


 まよいは僕の二つ年下である。幼い頃はよく一緒に遊んだりしていたものだが、小学校も高学年になる頃には次第に疎遠になり、顔を合わせる機会も減っていった。

 同じ高校に通っていたことは知っていたけれど、校内で遭遇したことは一度もないので、軽く見積もっても五、六年振りの邂逅となるだろう。


 「デリカシーのなさも相変わらずだよねぇ。素直に『可愛くなった』と褒めておけば良いものを……。トーくんってモテないでしょ?」

 「再会して数分でセンシティブな部分を攻撃してくるのは、ちょっと勘弁してほしい。あと『トーくん』はやめない?」

 「なんでさ。トーくんはトーくんでしょ」


 僕の名前、稲葉いなば燈也とうやの頭を切って伸ばしただけの安直なあだ名。幼少期にしか用いられなかった期間限定の呼称をこうも連呼されると、流石に気恥ずかしいものである。

 追加で拒否の意を唱えようとも思ったが、思いがけない再会に水を差すのも無粋だと考え、引いておくことにした。


 「で? ご多忙であらせられる予備校生様が、何故に真昼間からこんなところに?」

 「……別に年がら年中机に向かってる訳じゃないさ、たまには息抜きだってする」

 「…………ほぉん」


 ズゴゴ……と、クソ甘フラペチーノを口に含んだまよいの視線が僕を捉える。

 何かを言いたげな姿勢を見せつつも、決して言葉には出さない在り方が妙に怖かった。

 彼女の圧に耐え切れなくなった僕は正直に己の現状をゲロりつつ、苦し紛れにカウンターを放つという荒業に出る。


 「ああ……そうだよ。日々の勉強に嫌気が差して逃げ出したロクでもない男を笑えば良いさ――けど、まよいも人のこと言えないんじゃないか? 夏期講習真っ只中だろ?」


 チャラついた風貌のまよいからは縁遠いと思われるかもしれないが、僕の通っていた高校はそれなりのレベルの進学校である。素行があまりにも悪くなければガチガチに校則で拘束されるといったことはないので、彼女のようなタイプは珍しくない。

 しかし受験対策なども相応にカリキュラムとして組み込まれているため、二年のこの時期ともなれば多忙を極めているはずなのだ。


 「うん、そうだよ? でも私は割と優秀だから、ちょっとくらいサボっても問題ないし。一日の重みがトーくんとは違うっていうか」

 「…………」

 「ここぞとばかりにカウンターをお見舞いしたつもりの、トーくんの惨めさが浮き彫りになっただけっていうか」


 肉を切らせて骨を断つ――あっけらかんとした表情で言い放つまよいの一撃を綺麗に食らい、僕はガックリと項垂れた。


 「あはは、メッチャ落ち込むじゃん」

 「ちくしょう……」


 カラカラと彼女は笑う。

 まるで窓から見える雲一つない快晴のごとく朗らかに。


 けれど。

 瞳の奥、口元の端。

 ほんの一瞬だけ。

 炎天下の陽炎のように。

 ゆらりと揺れたまよいの表情は、鈍色の曇天模様だった。

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