【1】

 友人モドキ共からの『お誘い』を断る口実と小遣い稼ぎとを兼ねて家の最寄駅から少し離れたコンビニでバイトをすることにした。顔見知りと遭遇すると色々と困るので、場所選びは慎重に行なったつもりだ。


 早速バイト初日。国道の騒がしい車両音にうんざりしつつ、職場へ足を運ぶ。

 香水だかなんだかわからないが芳しい匂いのする三十路の店長から、私の教育係を紹介する趣旨のメールが来ていたのでスタッフルーム、もといバックヤードで待機していると、数日ぶりに嗅ぐ匂いを振り撒きながら店長がやってきた。

「こんにちはぁ〜 あらぁ 原山ちゃんたら早かったのねぇ〜」

「お久しぶりです、今来たところです」

 オネェの店長に初めて会った時は流石に驚いたが、私はもう慣れてしまったらしい。

「もぉ〜少しで石寺いしてらちゃん来ると思うし、ちょっとだけ待ってちょ〜だいね」

どうやら私の教育係はイシテラという人のようだ。

「わかりました」

愛想笑いで無愛想な本性を上書きして、少しでもイメージアップを図る。まぁこの店長はそういうの気にしてなさそうだけど。

 黄昏時のドアと壁一枚隔てた向こう側では、地元の学生達がわちゃわちゃと子犬のようにはしゃいでいる。

 店前の国道の喧騒は、もう聴こえない。


「はぁ…」

 最近購入した電子書籍、と言っても漫画だが。つまらないそれを読み続けて十五分ほどになる。

「遅いわねぇん…石寺ちゃんたらどうしちゃったのかしら…」

 店長の口ぶり的に、私の教育係が遅刻常習犯であるという線は薄そうだ。しかしこのまま先輩が到着しなければ、私の記念すべきバイト初日はただバックヤードで待機しただけで終わってしまう。それは困る。

「ちょっとお店の方見てくるわねぇ」

 店長はそう言い残して賑やかな店内に消えた。


 それから五分ほどたった後だろうか、『がちゃ』とスタッフルームの裏口が前触れもなく開いたもので、思わず振り返る。

「ふぅ…しつこい人たち……って円香まどかちゃん!?どうしてここに……」

「えっ…長井先輩…なんで……」

 突然の再会に理解が追いつかない。確か先輩は遠方に引っ越したハズ。それがどうして今の状況に至ったのだ?考えれば考えるほど解らなくなる。脳は燻された蜜蜂のように錯乱し、心臓は今にも止まってしまいそうだ。

「もぉ〜 あんな奴らなんて強引に振り切っちゃえばいいのにぃん アイツら今度会ったらあーし直々にオシオキしちゃうんだからぁん!」

 店長が不穏なことを口走りながらバックヤードに戻ってきたので余計に混乱したが、逆に落ち着いてきた。気がする。

 

「……」

「………」

 沈黙が続くなか、店長がそれを破る。

「ま、まぁ とりあえず全員揃ったことだしぃ…そろそろお互いに自己紹介して業務内容の詳しい説明を…」

 ごもっともである。しかし、どちらから喋れば良いのかわからず、会話は停滞している。

「……あぁんもう! 石寺ちゃん! 自己紹介してちょ〜だい!」

 店長のアシストによって長井先輩?とりあえず先輩が紅く彩られた口を開く。

「………その…うん……とりあえず久しぶりだね…あっ、苗字…変わったんだ…今は石寺なの…」

「なんかごちゃついて混乱するだろうし、下の名前で呼んでくれて構わないよ 円香ちゃんなら…」

 ほんのり頬を染め、目線を薄汚れた床へ落とす。

 そんな先輩の姿に私の心臓はただバクバクと鼓動を速めるばかりだ。

 少し間が空き、空気が狂う前に口を開く。

「ッッ……ひ…久しぶり…です……」

「お元気…でしたか…?」

 あまりの衝撃に私の前頭葉は麻痺しているのかもしれない。そう思うぐらいに上手く言葉を紡げない。

「………まぁ…元気……だよ? そっちはどう?」

「私は…ずっと…… えぇ、元気です」

 私の糸車はようやっと回りはじめたらしい。

「ふ〜ん…なら良いんだけどね……でも……」

「? どうかしましたか?」

「ああ、アハハ…何でもないよ…何でもない…から」

 何やら含みのありそうな台詞だったが、私はそれどころではなく、決壊寸前の恋情を抑えるのに必死であった。

「…あのぉ〜そろそろ業務内容の説明に…」

 店長が気まずそうな口調で流れを断ち切った。

「ああ! そうだったそうだった…今日から教育係としてビシバシ教えていくから…」

「改めて、よろしくね円香ちゃん」

「はい!」


 青春、又はそれに類するものの輝きを見て、

 『若さを楽しみなさいよ…!』と、心の中で激励を送る店長であった。


 再会から二時間とあと少し経った頃だろうか、先輩が少し不安げに話を切り出した。

「…ねえ、円香ちゃん…今日このあと…空いてる?」

「 え……ぁ、暇です…よ?」

 両親が居らず、親族からの仕送りで一人暮らしをしている私には門限という概念は存在しない。

 今までは、近所に住んでいた伯母夫婦が色々と面倒を見てくれていたが、息子(私から見れば従兄弟)が少し遠くの高校に合格したのを機に、そちらの方に引っ越してしまった。一年と半年ほど前のことである。

「じゃあさ、今夜…ウチに来てくれる?」

「えぁっ…あの……その………」

 突然のお誘いに、またもや糸が絡まる。

「だめ…かな?」

 首を少しばかり傾けながら、上目遣いでこちらを見つめている。そのずるい表情はひどく美しかった。

「…ぜ、ぜひ行かせてくださいっ」

 およそ三年ぶりに再会したばかりの、しかも肉親でも親友でもないただの先輩の家に邪魔するなど、マトモではないことは理解していた。しかし、理性では制御できないほどに、私の胸はけたたましく高鳴って、今にも爆発しそうになっていたのだ。

「まぁ…! 良いの? おばさん達の了承とかは?」

「いや…伯母さん達は一年半ぐらい前に引っ越して…今は一人暮らししているんで、全然大丈夫です」

「あら…そうだったの……」

「はい! だから今夜はお邪魔させていただきます」


 太陽は地平線に眠り、月が眠たげに目を擦る頃、私たちは各駅停車に揺られながら帰路についていた。バイト初日は何のアクシデントも…無かったワケではないが、一応無事に終えられた。多分。

 しかし、まさかずっと片思いしていた先輩と再会し、そのまま先輩の家にお邪魔することになるだなんて思いもしなかった。いや、そんなコトを想像していたら流石に気持ち悪いか…

「…まさか円香ちゃんとまた逢えるなんてね」

「私も長井せ…石寺先輩とはもう逢えないかと思ってました……」

「アハハ…も〜だから蛍でいいって〜」

「いや…でも……うぅん…」

 級友クラスメイトとかだったなら簡単に肯けたが、好きな人となるとそうはいかない。

「別にアタシは上下関係とか気にしないわよ?」

「いや……あの…そうじゃないんです…」

「あ〜 もしかして恥ずかしい?」

「いや…ちがっ」

「妥協して蛍さんじゃダメ?」

「うぅ…わかりました…」

「じゃあ早速呼んでくれる?」

「あっ…ぇ…ぅぅ……ほ、蛍…さん…」

 相変わらず押しが強い人だ…

 しかし、私が名を呼んだときの先ぱ…蛍さんの表情はとても美しかった。あんなに可憐で、どこか妖艶な、いや、その顔を具体的に形容する言葉は私の脳髄には浮かんでいない。

 ―――まもなく馬酔まよい、馬酔です。お出口は…

「さ、降りよっか 家はすぐそこだからね」

「はい…蛍さん!」

「ふふっ♪」

 街灯と少しばかり欠けた月に照らされて、私たちは八時過ぎの街を行く。

ちょっとだけ頬を紅く染めて、会話を弾ませながら。

 手を繋ぐにはまだ早いかな…?

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