最終話 ただその日々に花束を
人生において、良いとき悪いときは人それぞれだろう。だが、それでも時は確実に針を進めるし、なんだかんだ節目節目のイベントは過ぎ去っていく。過ぎ去ったときは戻せないし、辛いこともなんだかんだで時が押し流してくれる。
「しかし、もう随分寒くなってきたな」
仕事が終わり、いつもの駅とは異なる駅へと俺は降り立った。見慣れない風景に少しだけ不思議な感じもしたが、年の瀬が近づいている東京はどこもにたような気もした。
今日は彼女との約束があり、いつもより早く仕事を切り上げている。俺は身体を少し縮めながら、体温を奪う冷たい風を耐え、足を進めていく。
いつの間にか冬がやってきていた。
『案ずるより産むが易し』とはよくいったもので、彼女はあっさり、あの日の最終面接で内定を言い渡された。
最終面接自体も、彼女が実際にその会社に入社予定があるかどうかの希望確認だったらしく、彼女が入社意志を伝えたら、あっさり内定が出たようだ。
(まったく、俺の方がよっぽど空回りだったな)
俺がエレベーター前でやらかしたことは、飲み会ですぐさま各方面に広がり、俺はちょっとした有名人になっていた。やはり誰しも他人のやらかし話や恥ずかしい話は好きみたいだ。田辺もよく、そのネタで俺をからかった。
ちなみに当の田辺だが、いつの間にか違う部署の子と付き合いだしていることを最近知った。彼曰く「足掻いてみればこんなもんです」とのことだ。変にかっこつけず、行動を起こせばなんとかなるものだ。俺はそんな失礼なことを思ったりもした。
「いらっしゃいませ!何名様ですか?」
「一名で」
俺は案内されるままに席に着く。既に手が寒さで赤くなっている。とにもかくにも、俺は温かい飲み物を必要としていた。
(早く着きすぎたな)
俺はウェイトレスからもらったおしぼりで手を拭きながら、メニューを眺める。駅の近くでたまたま目に入った喫茶店に入ったが、内装を見るにかなりよさげなお店であった。
「すいません。注文お願いします」
俺はホットティーを注文し、窓の外に目をやった。
俺があの日彼女に好きだと言ったこと、当時それが本心であったのか正直分からなかった。
確かに彼女のことを好意的には思っていたが、そうは言っても歳は離れていたし、女として見ていた部分がどの程度あったのかは微妙だ。
だが人として好きであったこと、それは間違いなく本心である。彼女の言葉に救われ、彼女のお陰で人生が変わった。些細なことであったが、世界の見え方が変わったのだ。
(まあ、彼女は割と好意的に見てくれていたみたいだったがな)
振り返ってみれば、彼女視点から見た俺は、俺から見る彼女よりはるかにドラマチックであった。困っているところに救世主のように現れ、相談に乗り、そしてこれでもかと思いの丈をぶつけた告白までしている。俺からすれば恥ずかしい記憶だが、彼女から見れば悪くはない。
俺はあの恥ずかしい告白には一旦触れないで、内定が決まった後彼女にお祝いでご馳走したのだが、その日の帰り際に、『私も好きです』と伝えられた。
社会人になり、あまりこういった甘酸っぱい経験から遠ざかっていたのもあるだろう。あれよあれよと付き合っていた。多分今は、胸を張って好きだといると思う。所詮男なんて単純なものだ。
俺は温かい紅茶を口に含む。彼女との待ち合わせ時間まではあと20分ほどある。いつもギリギリに来る彼女のことを考えると、まだ時間に余裕はあった。
(5分前くらいに店を出ればいいか。彼女のことだから、前髪がどうとかで時間かかるだろう)
俺は軽く笑って、スマートフォンを取り出す。
『すいません。5分遅れます』。彼女からメッセージが入っていた。
(やれやれ、まったくこいつは)
『許さん。ダッシュで来い』。俺はそうとだけメッセージを返し、メニュー表を手に取った。彼女のことだ、もう一品追加する時間ぐらいはあるだろう。
外では雪が降り出していた。
「ごめんなさい。遅れちゃって」
「いいよ、別に。今日、奢りでしょ?」
「えっ!?」
驚いたような表情をする彼女は頬が赤く染まり、若干息が荒れていた。せっかくセットしても急いできたら崩れるような気もするが、そこがある意味では彼女らしい気もした。
「ほら、さっさと行こう。じゃないとじっくり見る時間がなくなる」
俺は笑いながら言う。
今日はイルミネーションを観て、その後にディナーに行く予定だ。お店の時間が決まっている以上、遅くなればそれだけ見る時間が無くなってしまう。それにイルミネーションなんて学生時代から見ていない。少しだけわくわくしている自分もいた。
「ちょっ、待って……」
彼女はそう言って早足で俺の横まで来る。ここからは歩いて近いとはいえ、この人ごみの中でははぐれてしまいそうだ。
(どうしたもんかね)
俺がそんな風に考えていると、不意に俺の手に彼女が触れる。俺は彼女の方に目を向けると、彼女は恥ずかしそうに俯いていた。
(ま、そうだよな)
俺はどこか恥ずかしさを覚えながらも、彼女の手を握る。人混みに紛れないように、しっかりと。するとすぐに、彼女の握り返す力を感じた。
「………」
「………」
二人は特に何を言うでもなく、人の多い道を少しずつ進んでいく。俺は空いている方の手で、軽く頬をかいた。
(まったく、俺って奴は……)
俺は自分自身で緊張しているのがよく分かった。もう30過ぎた男が、未だに女性と手を繋ぐことに緊張している。それは人によって捉え方が違うだろうが、かつての俺だったら恥ずかしく感じただろう。だがそんなかつての考え、それに気付いた時、不思議と肩の力が抜けていた。
「わあ、きれい」
彼女が嬉しそうに言う。ああ。全くもってその通りだ。俺はそんな風にイルミネーションを見ながら笑う、彼女を見てそう思った。
イルミネーションなんか正直どうでもよかった。今こうしていること、それが全てであった。
(そうか。そうだったんだな)
俺はふと自分の中で何かが変わっていたのを感じた。
大木さんのこと、彼女のことは、きっと忘れはしないだろう。でも、その捉え方は随分と変化しているはずだ。少なくとも、これまでのように、苦々しい記憶ではなくなっている。
それに、それにだ。これから先、もっと恥ずかしいことも出てくるだろう。人は足を進める限り、何かに挑戦する限り、必ず失敗が出てくるのだ。例えそれが世間的にはできて当然のことであっても、当人にとっては必死の挑戦だ。
たったそれだけのこと。当たり前のことだ。失敗に学び、成長する。どんな子供だって通る道。知識をみにつけ、失敗を事前に回避することが多くなり、つい忘れてしまっていたことだ。
だから今日も、明日も、その先も。みな必死にダサくもがくのだ。
一歩でも前に進むために。
「ん?石田さん、どうかしました?」
「いや、別に。何でもないよ」
俺はそうとだけ言って、再びイルミネーションに目を向ける。通りは長く、目の前にアーチのようにかかるイルミネーションのが、どこまでも伸びているかのように見えた。
俺は彼女の手をとりながら、ゆっくりと進む人混みに合わせ、一歩ずつ前へと進んでいった。
ダサい自分に花束を 完
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