ダサい自分に花束を

野村里志

第1話 ダサい話に花束を



「失恋 立ち直り方」と検索する。


 なるほど。技術が人の心を救う時代は遠そうだ。


 学問が発展して、脳科学者も増えて、心理学なんて研究も日進月歩で進んでいる。実際それで救われた人がいるのも事実だろう。


 しかし俺を救ってくれる答えはネットの海であろうと見つかりはしなかった。










 俺はスマホをポケットにしまい、顔を上げる。本屋にはこれでもかと恋愛心理学やカウンセリングの本が並んでいる。知識は偉大だ。人生に特効薬を与えてくれる。


 俺はこれまで困難やストレスにも自分で対処してきた。仕事がうまくいかないときも、難しい問題が降ってきても。運動したり、紙に書いたり、分析したり。なんとか対処できていた。


 でもこれはダメだった。きっと『心』というものは、『頭』の中には存在しない。


 俺は誰かに話したかった。きっと周りの連中は慰めてくれるだろう。ちょっと一言「飲み行こう」と誘えば良い。


 しかしどうしてもスマホに手を伸ばせない。本当に何もする気が起きなかった。


 理屈では分かっている。頭では理解している。相談すればきっと楽になる。誰かと話せば気が晴れる。それは百も承知だ。


 でもどうしてもやる気は出ない。合理的な説明はできなかった。


 人の心は人でしか救えない。きっとそうなのだ。俺はそんな風に考えた。


 だがそんなことは百も承知だ。それを分かっているからこそ、俺は職場でもそれなりに評価されている。


 例えば、そう。人をよく観察し、相手に敬意を払う。会う人の一人一人に、「貴方は価値がある人」だと態度で示す。


 自己啓発本によくある内容を実践しているだけだが、それなりに効果があった。それに、俺自身も少なからず仲良くなりたいと思っていたのだ。間違った方法じゃない。


 何も難しいことではない。意外と見落とされがちなことをきちんとやる。挨拶、気遣い、etc...。それだけで人間関係はうまくいくのだ。


 だがしかし、来週それができるかが分からなかった。


 俺は今後、同じように振る舞えるだろうか。その余裕があるだろうか。ひょっとすると些細な配慮すらできないかもしれない。


 砕け散った心のグラスには、他者に注げるものなど残ってはいなかった。









 それは先週のことだった。


 いい歳して恋愛の仕方もよく知らない。俺は30歳にもなってその現実を突きつけられた。


 どうやって誘えばいいのか。どうすれば恋人ができるのか。仕事の要領や人付き合いがうまくなっても、異性との付き合い方だけは寧ろ退化している気さえした。


 同僚が結婚した。

 

 どうしようもないぐらい好きだった。


 その気持ちは伝えられなかった。いや伝えさせてくれなかったと言うべきだったのだろうか。思えばアプローチはどこか空回りだった。


 一緒に仕事帰りにご飯に行ったこともあった。帰り道に一緒になれば、よく駅まで一緒に帰った。ただそこのところは、時間が合いそうだったら俺が合わせて帰るようにしてる部分も多かった。今思えば、よくハラスメントで訴えられなかったなと思う。


 相手がいるのかは深く聞かなかった。というか、聞く必要が無いと思っていた。仮に彼氏がいたとしても、自分のアプローチをきっかけにこっちを選ぶ可能性だってある。


 むしろ聞けばその可能性を潰してしまう。だからやるべきではない。そんなことを本で読んだ気がするから、それはしなかった。


 だが、結果としてずるずると二年間も片思いをしていた。


 彼女は決して険悪にならないよう、俺を拒絶はせず、かといって決して俺の想いには応えない。告白だってさせなかった。


 あくまで、友人。今思えばそのラインが引かれていた。彼女が上手だった。


 俺はそうとも知らずに毎日のように話しかけていた。メッセージを送って、返してくれる。それが時々素っ気ないものだったとしても。例えばそれがスタンプだけみたいな普通に考えれば気がある相手には送らない返信だったとしても、俺は気にならなかった。


 少しずつ振り向いてもらえている。そう考えて近づいていた。


 いつか共に歩むことができる。そんな馬鹿な未来を信じて。





 別に付き合っているわけでもないのに。





 俺は別に彼女が悪いとは思っていない。あるのは自分への情けなさ、そしてそのダサい姿への自己嫌悪だった。


 しかし現実は俺を逃さない。ここにきて職場でよく話しかけていたことが跳ね返ってくる。周りの目なんて気にしていない。だから俺の彼女への好意に、気づいているやつもいただろう。


 ダサすぎるし、かっこ悪すぎる。


 いや、かっこ悪い事自体はいい。周りも多分俺の事はそんな気にしていない。すぐに忘れるし、そもそも話にすらしないかもしれない。


 問題は本質的にダサすぎること。俺がそう思っていることだ。


 相手がいる女性をそうとも知らず口説き続けてきた男、いやはっきり好きと言っていたならともかく、中途半端に接近しようとしていた男。


 本当にキモすぎる。ダサすぎる。心の底から反吐が出る。


 自分の理想、いや、せめてもの最低限のライン、それを大きく下回った現実の自分がそこにいる。


 俺は偉そうにわかった気になって、その実何一つ達成してはいなかった。







 たまたま目についたラブコメ長編漫画を買ってみる。主人公がダサくて、でも一生懸命で。昔はキモすぎるって笑ってた。こんなの買うヤツまじでおかしいって笑ってた。


 それが今、全部自分に跳ね返る。


 今の俺は、この主人公を笑えない。最後にはヒロインを手にすることになるのだから。


 ご都合主義、そうとすら思わない。


 自分はその物語の彼よりも、ずっとダサくて情けない。彼が成功してくれる方が、俺自身が救われる。せめて物語の中でくらい、夢を見せてもらいたい。


 ダサいヤツが必死に足掻いて成功する姿を。


 結婚の話を第三者経由でも聞いた。正直、既に指輪を見て知っていたが、俺は「そうなんだ、お祝いしなきゃですね!」なんて言っていた。結局いまだに「おめでとう」の一言も言えてない。既に一週間はたっていた。


 気付かされた。自分の矮小さを。ああ、俺はこんなにも器量の狭い人間なんだなって。


 理屈と感情は違う。


 どんなに頑張っても、心は理性の言うことを聞いたりなんかしない。


 俺は馬鹿だ。いつも馬鹿だ。


 だからいつも間違える。


 賢しく見せたって結局のところ女一人口説き落とせないどうしようもない間抜けだ。生物の本質としては、完全に退化している。


 そんなとき。丁度そんなときだった。


 駅のホームで、涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた、スーツ姿のその子を見つけたのは。





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