私の最期の夏休み

キヅ

1ヶ月の日記帳

もし死を迎えたならば、私はどうなるのか。


新しく生まれ変わる?

死後の世界へ行く?

存在していた記憶すら消え、無になるのだろうか。


最後の最後に考えたのは、そんなありふれたことだった。



私は高校三年生。18歳。そして今日から夏休みが始まる。周りのクラスメイトは、

「休みだ!」

「受験だ!」

などと言って騒いでいる。

ちなみに私は、これが最期の夏休み。


8月1日

夏休み最終日に向けて私は、計画を立てた。小学生の時に使っていた自由帳を本棚から抜き出して、パラパラとページをめくる。使っていないページを見つけて折り目を付けると、ありとあらゆる自殺方法を書き出していった。投身、薬物、首吊り、餓死・・・・・・。ポケットからスマホを取り出し調べてみると、聞いた事のない方法が山ほど見つかった。勢い余ってシャーペンの芯が折れるのと同時に、一滴の汗がノートに落ちて滲んだ。私は五秒ほど一点を見つめてから書くのを止め、ベットに寝転んだ。

そのまま眠りにつき、流れるように夏休み初日が終わった。


8月2日

今日は私が死にたい理由について話そうと思う。理由って言っても、ダイエットが面倒臭いとか、過食が治らないとか、ノンセクシャルだとか。挙げようと思えばいくらでも挙げられる。でも一つだけ教えて欲しいって言われたら、迷わずこの話をするよ。


あれは幼稚園の年長、五歳の時だった。今日みたいな夏の暑い日。私のお父さんとお母さんは仕事で家を空けていて、その間は「お父さんの友達」が私と兄と妹の面倒を見てくれることになってた。兄と妹は別室でお昼寝をしていたけれど、私はその「お父さんの友達」と遊んでた。その時は何も分からず、ちゃんと思ってた、遊んでたって。

時が過ぎて中学一年生になって、保健体育の授業を受けていた私は、震えが止まらなくなった。突然、あの時の「遊び」が鮮明に再生された。そう、あれは遊びなんかじゃなかった。性虐待。

なんで?

どうして?

今まで一瞬でも思い出したことがあっただろうか。自分の身体も、あの「お父さんの友達」も、拒めば拒むほど記憶が濃くなって、全てが気持ち悪かった。もちろん、家族にも先生にも言えるわけがなかった。

この日を境に、私は地獄続きの道を歩き始めた。

虐待を受けた日の記憶が毎日のようにフラッシュバックし、毎晩夢にも出てきた。そして朝目が覚める度にこう思った。


ああ、また今日が始まるんだ。


残念ながら、この気持ちに希望の意味は1ミリも込もっていない。毎朝涙を流す。涙が枯れることは無かったけれど。それでも必死に笑って、楽しく見えるように頑張って生きていた。


8月3日

今日は一日中過食をしてしまった。私の場合、原因は行き過ぎたダイエット。高校一年生の時、学校の子に、

「太ってて可哀想」

と言われたことが頭にこびりついて、周りの子と比べては自分を醜いと思うようになった。たった一言に人生を狂わされた自分が情けなくて、嫌い。どうせもうすぐ死ぬんだし、今更過食を治そうだなんて思わないのだけれど。どうせなら我慢してきた分、好きなものをお腹いっぱい食べてから死なないと。


8月5日~8月7日

今日から三日間、家族旅行に出掛ける。こういう時は、行きたくないとしても家族に合わせる。昨日の日記はどうしたのかって?特に何も無かった日は、日記を書く意味もないから。

一日目は東京へ、一人暮らしをしているお兄ちゃんを迎えに行った。それから車で渋谷に行ったり、目黒に行ったり。いわゆる「都会」と呼ばれる街並みを見て回った。今まで食べたことのないくらい美味しいホットケーキを食べて、少しだけ幸せな気持ちになった。

二日目はバスツアーで、被災地に連れていかれた。そこで、

「世の中には簡単に死にたいだなんて言う人がいるけれど、そんなことは絶対にやめてください。皆さんが生きている今日は、誰かが行きたかった今日なんです。」

なんて話をされた。「消えたい」「死にたい」と思いながらも必死に抑えて生きてきたのに、それがそんなにもいけないことなのか。じゃあ無理矢理に、生きたいと思えばそれでいいのか。話を聞いていて、目を湿らせた。私の考えはおかしいと言われているような気がして。

私はなんて不謹慎なんだろう。来なければ良かった、来るべきではなかった。そんな気持ちでバスに揺られていた。

三日目は心も身体も疲れ切っていたのか、何をしたとかあまり覚えていなかった。


8月10日

今日は三者面談で学校へ行った。お母さんと先生が話して、私は黙ってそれを聞いている。いつもそうだ。将来何をするとかどんな仕事に就くとか、そんなのどうでもよかった。

私は、今生きていることが、これから生きていくことが苦しくて、重かった。


8月11日

実は、少し前にお母さんに、

「生きているのが嫌だ。死にたい。」

と心を固めて勇気を出して言った。それで、なんて返されたと思う?お母さんは、

「私が悪かった。全部悪い。私が死ぬから。」

と言った。ああ、この人なんにも分かってないんだって思った。私がうつ病を抱えていて日ごろから、

「何かあったら言いなさい。」

と優しく声を掛けられていたけど、私は毎度のように、

「大丈夫。何も無いよ。」

って目も合わせずに答える。それでもお母さんなら、上手く話せないことを分かってくれるかもしれない、助けてくれるかもしれない、とか考えてしまった私が馬鹿だった。あなたが死んで、何か変わる?別にお母さんのことが嫌いなわけじゃない。他の誰かに死んでもらって、私の気持ちが軽くなるわけじゃない。私はお母さんの返事に苦笑いがこぼれた。加えて頭が痛くなるくらい勝手に涙が出てきた。結局家族だって他人で、一人の人間でしかないんだなって思った。そういえば、死んでもいいのかなって考え始めたのも、その日辺りからだったかもしれない。


8月12日

今日は地元の夏祭りに行ってみた。中学時代の友達、懐かしいな。特別仲の良い子もいなかったけど。


8月13日

友達がいないわけじゃないんだけど、私は学校に行くのが本当に辛かった。目立たず誰の目にも触れず、ただ大人しい子でいた。正直に言うと、サボって遊びに行ってやろうかとか、教室でスマホいじっちゃおうかとか悪い事考えてた日もあった。でも私は弱くて何も出来ない、情けない人間だから。朝は時間通りに起きて、みんなと同じように授業を受けて、何も言われないように傷つかないようにって毎日普通でいた。それでも周りの視線が怖かった。誰かが授業中に怒られると、自分が怒られているような気持ちになって、苦しかった。助けを求められる人も浮かばなかった。


8月15日

今日はカウンセリングの日。月に一度だけ、私はカウンセリングに通っている。本音を言ってしまうと、全然意味無いなって思ってる。今まで何人かの先生と話をしてきたけれど、その度に、

「まだ人生長いんだからね」

「生きたくても生きられない人がいるんだよ」

「死んじゃったら負けだよ」

って同じような事を言われた。優しい仮面を被っているだけで、子供からしたらやっぱり無責任なんだよ、大人は。お母さんにも、「カウンセリングはもういらないよ」

と伝えているのに、無理にでも行かせようとしてくる。初めて会った赤の他人に、何を話せっていうの?私の何がわかるっていうの?お金がもったいないなあ。


8月17日

今日は一日中、愛犬のキキちゃんと一緒にダラダラと過ごした。キキちゃんは柴犬で、私が高校一年生の時にペットショップで一目惚れをして、家族になった。凄く元気で、私が散歩に連れていくといつも嬉しそうにリードを引っ張った。

「キキちゃん」

って名前を呼ぶと、必ず私の方を向いてくれる。アレルギー体質で少し心配だけど、健康に長生きしてくれたらいいな。


8月18日

結構楽しそうに生きてるじゃんって思った?全く楽しいって思えないわけじゃない。一人でいても嬉しくて笑うことはあるし、楽しいな、幸せだなって思える日も今まで生きてて沢山あった。それでも辛いことや苦しいことの存在が大きすぎて、楽しいって気持ちはすぐに埋もれていく。もっともっとポジティブに考えられる人間だったら、私は「死にたい」「消えたい」だなんて思うこともなかったかもしれない。気にし過ぎだってよく言われるけど、自分でもそう思う。だけど、治そうと思って簡単に治せるものじゃなかった。もう諦めるしかなくて、仕方なかったって思うようにしないと自分の中で処理出来なかった。


8月19日

私の家族はよく喋る。私は静かな場所が好きだから、ご飯の時とか家族がうるさいと本当にイライラして、心に何かが溜まっていった。短気な人間でごめんなさい。両親は毎日口喧嘩をしている。外出中もご飯中も、二人が顔を合わせる度に喧嘩が始まって、夜はうるさくて眠れない。それで私は自傷行為を繰り返す。体の傷はどんどん増えていって、人前では必ず長袖を着るようにしている。自分自身にも家族にも怒りが溜まって、気が付いたら涙を流していた。痛みは感じないから、何度も何度も腕を傷つけて、SNSで「死にたい」「消えたい」とつぶやくのが習慣になっていく。心はスッキリしなくても、泣き疲れて眠ることが殆どだった。週に四日はこんなことをするのだけど、まさに今日もそうだった。


8月20日

今日は友達に誘われて、カラオケに行った。その子は私に少し似ていて、ネガティブであまり目立つタイプの子じゃない。私が死にたいと言っても無理に止めようとはせず、

「あなたの人生なんだから、あなたが好きなように生きて、やりたいようにやるべきだよ」

と言った。ただ、

「私は友達でいるから」

といつも言われた。それは、「死んで欲しくない」とすごく遠回しに伝えられているように感じて、なんだか申し訳ない気持ちになった。私がいなくなったら、この子は泣いて悲しんでくれるんだろうか。いや、そんな期待はよそう。「友達」という言葉だけで繋がっている関係。どんなに仲の良い友達だとしても、相手は人間だから。何を考えているかなんてその人にしか分からない。人は見かけによらないっていうけど、もしかしたら裏では見下す様に笑っているかもしれない。そんなことを考えていたらキリがないけど。

カラオケはそれなりに楽しめたんじゃないだろうか。私にも「歌手」っていう夢があったし。


8月21日

今日は妹の誕生日で、海外のかわいいお菓子と水色の靴下、それと来年から高校生になるみたいだから筆箱をプレゼントした。私は家でも無口だから、あまり感情を人に伝えることは無いし、表に出したりしない。この日記だから言えることだけど、兄妹のことは大好き。照れくさくて、

「ありがとう」

って言葉にできない時も沢山あった。二人とも私とは反対に明るい性格で、兄は私がくらい気持ちでいる時に笑わせてくれたり、

「気分転換に遠い所にでも車で乗せてってやるよ」

って声を掛けてくれる。実際にお願いする気力も無いんだけれど。

妹はファッションに字の形に、いつも私の真似をする。昔は「なんで真似してくるの」って少し嫌な気持ちだった。でも今は、何故か少し嬉しい。ふざけてイタズラをした時、「お母さんには内緒ね」

と言って秘密を作ったりもした。二人とは喧嘩も多かったけど、


「ありがとう」


って心から伝えたい。私が死んでも笑顔で明るく生きて欲しい。誕生日、おめでとう。


8月23日

あと一週間で、私の夏休みも終わる。決して長くはなかったけど、あと少しで楽になれるのかもしれないって考えたら、胸の奥が軽くなった。「楽になれるかも」っていうのは、私は自分から命を捨てるから、死んでも無になれたり天国に行けるわけじゃないってこと。もしかしたらまた地獄に行っちゃうかもしれない。でもあと一週間は好きなように生きて、気持ちよく死ねたら心残りは無いと思う。どんなに痛くて辛い残酷な死に方になってしまっても。今までは死ぬ勇気なんか無くて、ただ何も無い日常を、人生をぼーっと生きてた。どんなに辛くたって、「死にたい」「消えたい」と嘆いたって、実際に「死」を目の前にすると、あと一歩が震えて出なかった。でももう怖いって感情すら無くなって、

「ああ、死ねるんだ、夏休みが終われば死ねるんだ」

って思うだけだった。初めてで不思議な感情だった。一週間後は、どんな景色が見れるんだろう。


8月25日

今日は絵を描いた。みんなが見ているアニメのイラストだったり、鉛筆画にも挑戦してみた。小さい時から絵を描いたり本を読むことが好きで、どちらかと言うとインドアな性格だった。進路も、美術の短期大学に通わせてもらう予定だった。私にはもうそんなこと関係ないのだけど。絵が好きな理由は、自分の理想やイメージを絵にすることで、心が満たされていたからだと思う。でもいつからか何枚描いても満足できなくなって、納得のいかない絵ばかりを描いてはストレスをためていた。それからしばらく描いてなかったけれど、今日は久しぶりに描いてみた。あっという間に時間が過ぎて、気が付いたら日が暮れていて驚いた。ずっと同じ姿勢で描いていたからか、首と腰が固くなっていた。疲れていたので、横になったらすぐに眠りについた。


8月26日

昨日はすぐに眠れたけれど、いつもと同じ夢を見て、やっぱり寝起きは最悪だった。今日は涙も出なかった。残念だけど、今になって慣れてしまったのかもしれない。うつ病は日が経つにつれて悪化していくばかり。過食だってどんなに頑張っても治らなかった。私の病は薬なんてものじゃ治せない。「甘えだ」「サボりだ」って言われると思う。それが分かっているから、周りに助けなんて求めても意味が無い。どんなに優しい人も、結局は自分のことが一番可愛いと思ってる。人間ってそういう生き物だから。

「頑張れ」は私が知ってる言葉の中で一番に無責任な言葉。


8月30日

明日死ぬというのに、私はこの長い休みで、笑ってしまうほど中身のない日々を過ごした。朝は悪魔に起こされ、習慣のように過食し、病んで酷く鬱になり、疲れ果てて深い眠りにつく。今まで生きてきて、、一体何回「死にたい」って言葉を考えたんだろうか。私は明日死んでこの世界から消えていくけれど、二日、三日と経ったらきっと、家族でさえも今までと同じ普通の生活に戻るんだろう。私一人がいなくなっても同じように時間は過ぎるし、同じように地球は回る。


違うのは私だけ。

諦めたのも私だけ。


最後に誰かに会いに行ったりしないし、泣きもしないし、遺書を書いたりもしない。ただ今までと同じように一人で、静かに死んでいきたい。全ての人に忘れられてしまう日が来ても、それでいい。もしも私のために涙を流してくれる人がいたとしても、その涙すら見る価値が私には無いと思う。自殺を止めて欲しいとも思わない。誰かが泣いたところで、止めたところで、私の気持ちは変わらない。「死にたい」という感情の周りが、辛いことや苦しいことで固められてしまった。もうそれは壊せないし、ヒビでさえ入らない。全てを諦めた、情けなくて弱いのは私。皆、何かを我慢し、犠牲にして生きているのに、わたしはそれが出来なかった。それでも自分の味方は自分しかいないから、私が私に、


「頑張ったね」


って思う言ってあげるしかないんだろう。

そうだ、ロープを買ってこないと。


8月31日

今日は夏休み最終日。

私の死を祝うようにセミの大合唱が響き、太陽は照り、暑い日になった。


これは私の最期の日記。


頑張ったね




自由帳の「首吊り」と書かれたところが少し滲んでいる。私は二つのノートを本棚にしまい、座っていた椅子を吊るされたロープの真下に移動させた。ゆっくりと椅子に上がり、ロープに手をかける。


最後の私は、どんな顔をしてたかな。



「やっと全て終わるんだ」


瞳を閉じて、勢い良く輪っかの中に飛び込んだ。



今日は、私の最期の夏休み。

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私の最期の夏休み キヅ @kiyokizu

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