僕らの明るい未来のために。(三)

 パッセルの通っている学園では、生徒たちは全て貴族の子弟だ。彼らは通常、あまり外出できない。

 フリーギドゥムに別邸を構える貴族は、この祝祭にかこつけて家族で滞在することがあり、その場合には生徒に外出許可が出る。

 家族でも親戚でもなく、ただ後見人紛いの相手がいる、パッセルの方が珍しいのだ。

 現在、学園には相当数の生徒たちが残っている。

 祝祭の間、昼間に限り、学園は特別に前庭を開放し、ロマを始めとする多様な大道芸人たちや、ちょっとした食べ物や縁起物を売るような露店を招いている。彼らに対する規律は厳しく、生徒や見学に訪れた父兄がそれらを安全に楽しめるようにしているのだ。

 パッセルとレグルスも、その人々の中にいた。

 野菜やハムを挟んだパンを手に、竜王たちを模した踊りを披露している一団の前にいた時。

「パッセル?」

 背後から声をかけられて、振り向く。

「戻ってたのか?」

「うん。ちょっと見物に」

 それは、級友たちだった。五人が連れ立って、手に手に色々な食べ物を持っている。

「そちらは?」

 訝しげに、隣に立つ青年を見つめる。

「ああ、彼は、マグヌス子爵の息子でレグルス殿。今、水竜王宮で騎士の務めをされているんだ」

 その地位を聞いて、さほど表情が動かなかった者が二名、僅かに息を飲んだ者が、三名。

「これは、お初にお目にかかります、レグルス様」

 その内の一人が、抜け目なく挨拶している。

「お前、何でそんな方と知り合いなんだ?」

 軽く袖を引かれて、囁かれる。

「モノマキア伯とは、二年前の戦乱でご一緒致しましたので、そのご縁で」

 礼儀正しく、レグルスが口を挟む。

 ぱっ、と彼らの顔が明るくなった。

「反乱軍に参加されていたのですか?」

 彼らは、まだ幼い。先のイグニシアからの侵攻も、それに対する叛乱にも、当然関わることなどできなかった。

 あからさまな憧れに、僅かにレグルスが怯む。

 思えば二年前、アルマと初めて会った頃、彼もこんな感じの反応だったな、とパッセルは内心苦笑する。

 自分の憧れは、さぞや彼には重かったに違いない。

「戦場で軍を率いておられたのですか?」

「竜王様が顕現されたという噂ですが」

「敵をどれぐらい倒されましたか?」

 口々に青年へ詰め寄る旧友たちを、パッセルは片手で遮った。

「頼むよ、失礼があってはいけないんだ。レグルス殿は学園を見学に来られたんだし、あまり時間もないから」

 残念そうに、少年たちが口を尖らせる。

「また今度、きちんと紹介してくれよ」

「判ってるよ」

 鷹揚に告げて、踵を返した。レグルスの手を引き、その場を離れる。

「……パッセル。私をアルマの身代わりにしたな?」

 刺々しい声が降ってきて、少年は軽く肩を竦めた。

「あいつらに彼を紹介できないことぐらい、判るだろ?」

 そんなことになったら、おそらく、彼らの興奮は今の比ではないだろう。レグルスの存在で少しでも場をごまかせれば、と思っていたのは確かである。

 それはそうだが、と返しながら、しかしレグルスは釈然としない風だ。

「それに、どうしようもない子供だと思ってるんだろうけど、僕らだって何十年もすれば、それなりに国の重鎮になってたりするんだしさ」

 悪戯っぽく笑う少年が背負う爵位が、莫迦な事を、とは言い切らせない。

「それより、ほら。レグルスは学園って初めてなんだろ。色々見に行こう。僕がいれば、教室とかだって見られるから」

 レグルスは、大半の貴族の子弟と同じように家庭教師の元で学んでいた。このような場所は初めてだ。

 描きたいと望んだ時に描けない彼は、心が震えた光景を記憶に刻んでいる。その場を増やすことができれば、とパッセルが思っていたことも、また事実だ。

 それを察したのかどうか、レグルスはもう文句をつけなかった。




 すっかり陽が暮れた頃、壁の外側は、未だお祭り騒ぎだ。

 夕方、まだその太陽も地平線へ沈みもしていない頃に、パッセルとレグルスは竜王宮へ戻ってきた。

 その後慌しく準備をして、アルマとレグルスは出立し、パッセルは一人取り残された状態だ。

 祝祭の間は、大抵こんなものだ。慣れている。

 学園にいるよりは、全然いい。

 それでも、まだ社交界へ出られない自分の年齢が、歯痒い。

 アルマとは、境遇が違う。それは判っているのだけれど。

 こんな時は、彼の隣を任されることが、酷く遠い夢のように思えてならないのだ。

 一人、少年は、薄暗い部屋の中で膝を抱えた。



◇ ◆ ◇ ◆



 翌朝、アルマは昼よりも前に目を覚ました。

 明らかにパッセルに気を使っているのだが、彼は、イグニシアにいた頃はもっと早く起きていた、と言って苦笑する。

 立場を考えても、今はその頃よりも夜の仕事が多くなっているのに。

 昼前には、竜王兵の宿舎に住んでいるレグルスもやってきた。

 彼はアルマの館の一室をアトリエとして借りている。三人は、その部屋の中で適当に寛いでいた。

 レグルスが、昨日見たものをざっくりとスケッチしていくのを眺める。

「何だ? これ」

「学園の図書館だ。天井が高くて、上の方まで書棚が続いている。本を取り出すのが大変そうだった」

 時折、アルマがスケッチの内容を尋ねては二人が答えていく。

 彼らとこんなにも親密な時間が取れるだけで、満足しなくては。

 だが、話題が昨夜の夜会のことになっていくと、少しばかり寂しげな雰囲気が出ていたのか、宥めるようにアルマは視線を向けてきた。

「まあ、もうしばらくの我慢だからな。お前も、この冬には社交界に出るんだろう?」

「え?」

 思いもしなかった言葉に、瞬く。

「伯爵から聞いてないか? 冬の祝祭には、王都でお前のお披露目をするんだってこの間手紙に書いてあったぜ」

「聞いてない……そんなこと」

 呆然としたまま、首を振る。

「まあ来年には十六だからな。丁度いい年齢だろう」

 簡単に、レグルスがつけ足した。

「王都で……?」

 小さく呟く。

 その内、願わくば近いうちに、社交界にデビューすることは予想してはいた。が、それは故郷のモノマキアで行われるものだとばかり思っていたのだ。

「モノマキア伯爵は、先の反乱軍で大きな功績を残しておられる。その嫡子だ、それぐらいしても不思議はない」

 イグニシアの貴族社会に詳しいレグルスが説明する。

「ま、次の冬には俺も王都に出向くことになりそうだから、宜しく頼むさ」

 軽くアルマが言って、パッセルの顔が更に明るくなる。

「アルマ、とうとう王宮に呼ばれたんだ!」

「ああ、いや、呼ばれるだけは前から呼ばれてたんだけどな。色々と都合がつかなくてさ」

 僅かに渋い顔で答える。

 彼はカタラクタの貴族社会には疎い。全体の勢力図を熟知するまで、そうそう中心地に突入もできなかった、というのは確かだろう。

 だが。

「ペルル様が嫌がりますからねぇ」

 笑みを堪えきれないまま、パッセルが呟く。眉間に皺を寄せて、アルマはその頭を小突いてきた。笑い声を立てて、それを避ける。

 ペルルが長期間フリーギドゥムを留守にする、王都や地方への旅を快く思っていないことは周知の事実である。

「ほら、もう、いっそ婚約とかしちゃえばいいんですよ。もうこっちに来て二年になるんだし、それこそ二人とも丁度いい年齢じゃないですか」

 煽るように言うと、アルマとレグルスが揃ってやや渋い表情になる。

 レグルスが、ペルルに対する仄かな想いを切り捨てられていないことは判っていたが、大抵のことに関して、パッセルはアルマの肩を持つ。

「子供が生意気を言うんじゃない」

 冗談交じりに、困ったような表情でアルマが返した。

「貴方は僕の憧れで目標ですからね。素晴らしい伴侶を得て貰わないと」

 少年はただ、根拠のない自信に満ちて、そう宣言する。



 いずれ、彼の隣に立つのだと。

 この先、敬愛する人々と共に、輝かしい、無限の可能性に満ちた未来を歩いていくのだと。

 最も輝ける少年時代の最中に、モノマキア伯爵の嫡子、パッセルは全く疑いもせずにそう信じていた。

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