僕らの明るい未来のために。(二)

 一年は、三竜王の季節によって区切られる。

 真冬から春までを司る、風竜王。

 春から真夏までを司る、火竜王。

 そして真夏から真冬までを司る、水竜王だ。

 四柱目の竜王である地竜王が復活されても、暦は改正されはしなかった。もう、何千年もこの周期で人は暮らしてきている。新しい暦を決めるにも時間と手間がかかりすぎる、と、以前学園の教師は言っていた。


 明日から始まる祝祭の準備で、昼食後すぐにペルルとアルマは竜王宮に行ってしまった。

 ペルルは勿論、竜王宮の主催する儀式を全て取り仕切らなくてはならない。

 そしてアルマは、貴族が催す夜会の殆どに招待されている。

 このフリーギドゥムは水竜王宮の直轄地だ。ここを治める領主はいない。

 だが、竜王宮の本宮があるという地は、民に、そして貴族たちにとって重要だ。年中を通して巡礼者はやってくるし、祝祭ともなるとそれは数倍に膨れ上がる。

 フリーギドゥムに別邸すら構えている貴族や商人は少なくない。

 世界の各地で催される無数の宴のうち幾らかが、このフリーギドゥムに集中しているのだ。


 レグルスの今の身分は騎士だ。

 彼は現在、修練という名目で、竜王兵に所属している。職業として竜王に仕えている訳ではない。一時的なものだ。時期がくれば、また、帰属は変わるだろう。そう、子爵位を継ぐ時などに。

 現在の仕事は基本的にはアルマの護衛だ。竜王宮の渉外として社交界に出ることの多い〈魔王〉のすえだが、竜王宮の戒律の関係上、竜王兵はその場において彼の護衛に就くことができないからだ。

 アルマが外出していなければ、午前中のようにペルルの護衛にも就くが。

 その二人が揃って会議に出てしまった今、レグルスも暇である。

 廊下を歩く音に、パッセルは客間から顔を出した。

「どこ行くのさ?」

 青年は軽く振り向いて答える。

「塔に。街を見てくる」

 その手には、硬い木の板で作られた紙挟みが抱えられている。

「僕も行っていい?」

「暑いぞ」

 肩を竦めて言うが、拒絶されている訳ではない。パッセルは急ぎ、彼の後ろに続いた。

 暑いと言っても、物見台にはちゃんと屋根がある。風が吹きこんでくることもあって、さほどの不快さはない筈だ。

 が、地上十数メートルまでを階段で登ることは失念していた。流石に汗だくになりながら、二人は上階までを無言で進む。

 ここからは、街が一望できる。あちこちに色とりどりの旗がはためき、人々が街路に繰り出している様を、パッセルは目を輝かせて見下ろした。

 レグルスは手早く一枚の羊皮紙を取り出している。紙挟みの上に置くと、じっと眼下の街を見つめた。やがて、木炭が羊皮紙の上を滑るように動き始める。

 この青年が絵を描くことを好むのは、竜王宮内では公然の秘密である。

 貴族として将来その地位を告ぐ者としては、些か不釣合いな趣味とみなされがちであり、彼は父や祖父にはそれを打ち明けられていない。

 彼が竜王兵に所属しているのは、アルマに誘われたからでもあった。暗に、仕事がない時には思う存分絵を描ける、と持ちかけられて。

 最初に知った時には、パッセルも酷く驚いた。

 だが、それを知らされたのはアルマからの信頼の証でもあり、彼はすぐにその秘密を護ることを誓った。

 それに、普段は厳しく、嫌味の多いレグルスの描く絵は、とても柔らかく暖かな印象で、パッセルは密かに気に入っていたのだ。

 青年の方も、傍らの少年に見られながら描くことにもう慣れてしまっている。

 羊皮紙には、祭りに沸き立つ街の様子が、遠くからの視点で表現されていた。

「ねえ。街の中に行けば、もっと詳しく描けるんじゃない?」

 ふいにかけられた言葉に、青年は視線も向けない。

「アルマもペルルも忙しいのに、私が何の理由もなくここを離れることはできない。……祭りを見てみたくはあるが」

 彼も貴族の子弟だ。ここへ来る以前も、祝祭の日は社交界で忙しかったことだろう。庶民の祭りなど、無縁だったに違いない。

「レグルスは祝祭の間の用事っていうと、アルマと一緒に夜会に出ることぐらい?」

「まあそうだ」

「じゃあ、昼間は暇だよね」

 すらすらと続ける少年に、ようやくレグルスは胡散臭げな視線を向けた。

「暇じゃないと先刻さっきから言っている」

「でも、理由があれば、街へ出られるんだろう?」

 パッセルは、これ以上なく無邪気な表情で尋ねた。



◇ ◆ ◇ ◆



 パッセルとレグルスは、翌日の昼前に竜王宮を出た。

 まだ眠たげなアルマがそれを見送る。

「俺も行ければいいんだが」

 少しばかり羨ましそうに呟く。が、流石にこの真夏にフードを下ろして街を歩き回る訳にもいかない。

 かと言って顔を晒して街を歩けば、大騒ぎになることは間違いない。彼はただの貴族の子弟という訳ではないのだ。

「今夜も長丁場になる、アルマ。ちゃんと休んでいた方がいい」

 昨夜、いきなり軽い夜会をこなしてきた二人だ。尤も、レグルスはアルマに比べて、社交界での重要度はまだ低い。自然、負担もそれほどではないようだ。

 アルマが髪を寝癖でぼさぼさにしたまま苦笑した。

「お前、段々エスタに似てきたよ」

 聞き慣れない名前に、パッセルとレグルスが顔を見合わせる。

 気をつけて行ってこい、と、アルマは二人を送り出した。


 当然ながら、水竜王宮は礼拝に押しかける人々でいっぱいだ。

 二人はこっそりと裏口から脱出する。

 その周辺も、正門へ向かう人々でごった返してはいたが、それでもまだ歩く余地はある。

「おい、待て!」

 すいすいと慣れた様子でその中を進むパッセルを、慌ててレグルスが追いかける。

 今日の外出の名目は、客人であるモノマキア伯爵の嫡子の護衛だ。見失っては元も子もない。

 だが、既に成長期を終えたレグルスは、少年のように小回りが利かず、あちこちで人にぶつかっている。

 人が少なくなった辺りで立ち止まっていたパッセルのところに、ようやく辿りつく。

「昼過ぎぐらいまで、街の方はあまり盛り上がらないんだ。この人たちは、竜王宮に行くし。だから、まず、学園に行こうよ」

「お前の?」

 レグルスの問いに、頷く。

「学園内のお祭りは、大体夕方ぐらいまで。街は夜の方が盛り上がるんだけどね」

「そこまでは許可できないぞ」

 レグルスも夜会に行く準備がある。何より、パッセルを夜の街へ出すことなど、少なくとも竜王宮の保護下にある今、できることではない。

「判ってるよ。夕方には帰るから」

 物分りよく返す少年を、やや胡散臭げに青年は見下ろした。



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