ユースティティアの末路

青空翔

第1話 日常

――――バサバサバサ。


白鳥が自由に空を舞い、たくさんの日光を浴びた日干しレンガの家々が立ち並び、明るく、どこか深みのある緑の生い茂るこの地は、“魔法”という概念が存在する世界。


魔法は人間がこの世界で生きる上で最も大切に考えているものの一つ。

魔法がその人物の価値を決めると言ってもいいほどの魔法主義な世界。


そんな魔法に縛られたこの世界の、小さな町の古く薄汚れたレンガ造りの家にある若い男が一人。


彼の名は、シアン・クロム。


淡麗な顔立ち、深海のような藍色の髪、果てしない夜空をそのままはめ込んだかのような切れ目。

誰がどう見ても惚れてしまう好青年。


そんな好青年は今、彼の髪色とは程遠い明るい制服を身に纏っている。

そんな制服姿からは彼の有望な未来が垣間見える。


――どうやら彼は今、身支度を整えているようだった。

洗面所に移動した彼は少し錆びついた蛇口をぐいっと捻り、そこから勢いよく流れだす透き通った水を両手で掬い、パシャパシャと顔を濡らす。

蛇口をも一度逆方向に捻り、水を止め、洗面所に常備してあった雪のような白いタオルで濡れた顔を拭く。

彼にとっての、いつもの日常。


顔を洗い、晴れ晴れとした彼はリビングに移動する。

流れに任せ、年季の入った木製の棚を開き、棚の中から食パンが数枚入った巾着を取り出す。そしてその巾着から一枚の食パンを取り出す。

さらに棚の奥の光が届きづらい場所に置いてあるいちご味のジャムを棚から取り出していく。ジャムのラベルを見てるみると大きな字で「甘さ控えめの美味しい、いちごのジャムです!」と書かれている。

――そう、男は甘いものが苦手だった。


小さな窓から日光の差すキッチンの棚から銀色に輝くナイフを取り出し、ジャムの地味に硬い蓋を握りしめ、目一杯の力で蓋を回す。

手慣れた手付きでパンにジャムを塗りたくり、塗り終わるやいなや、食パンを一口、ガブッと齧りつく。

さらにその勢いのまま二口、三口と食パンに齧りつき容易に平らげる。

美味だが、毎日食べていればどうにも飽きはきてしまう。この味に、これといった感想は出ない。

口直しとでも言うように、キッチンの水道で水をコップいっぱいまで汲み、一気に飲み干した彼。

朝の食事を終え、ふとリビングの古い壁掛け時計に目をやる。

――――8時、ぴったり。

 

「おっと、急がないと」


なにやら慌てた様子で、急いで玄関前へと走る。

玄関に着くやいなやそびえ立つ立鏡をまじまじと見つめ、彼には似つかわしくない真っ赤なネクタイをしっかりと締め直す。

ネクタイを締め直したことで自然と自分の気も引き締まったのか、


「――――よし、行くか。」


と一言。

玄関の扉を勢いよく開ければ、たちまち外の新鮮な朝の光が一気に家の中へと流れ込み、玄関ホールを埋め尽くす。


彼の瞳には満天の星空が写っていた。

朝日を取り込んで爛々と輝く瞳が、眼前を射抜く。

――――彼の名は、シアン・クロム。

誰もが認める美青年でありながら、まだまだ若々しい青二才。

そして今日、名門ユースティティア高等学園の入学式を迎える。


玄関を勢いよく開けた彼の一歩目は実に力の入った一歩目であり、その踏み込んだ足の力を利用し、凄まじいスピードで駆け出す。

スピードに乗った彼の体はたくさんの日光を受け、パワフルな身のこなしでまさしく風を切っていた。

最早、彼は身が風を切る音だけを聞き走っていた。


そんなスピードに乗っている彼だが、しっかりと交通ルールは守っている。

実に模範的な行動というべきだろう。


そうして交通ルールに則り、風に身を任せ走っていれば――どうやら、ロンド駅に着いたらしい。

ロンド駅は、こんな辺鄙な田舎には珍しい巨大な駅であった。

都市と都市に挟まれた駅なので、田舎にも関わらず、機関車には、たくさんの人間が乗車している。

そのせいで駅はいつも混雑している。

しかし、シアンは駅に慣れているようで、真っ直ぐに人間の集団が一つの物体のように固まっている受付へと歩みを進めた。


歩きながら彼は制服のポケットに入れておいた機能性に欠け、単純なチャックだけがついた、小さな財布を取り出す。

そんな安っぽい財布の中から手探りで銅銭をかき分け、銭の周りがギザギザした銀銭の掘り出しを試みた。


「お、見っけ。」


指の感覚だけを頼りに見つけ出したそれは、ガラス張りの天井を貫通する眩い朝の光を反射する。

財布の中から発掘した銀銭を手に、列の最後尾に並ぶ。


特に暇つぶしになるようなものを持ち合わせていなかった彼は、この田舎には相応しくない長蛇の列にひどく退屈していた。


かれこれ20分ほど待っただろうか。

彼の目の前の人が受付を終わらせ、長蛇の列の先頭が入れ替わる。

ようやく彼の番が回ってきた。

20分間もの間、ずっと握りしめていた銀銭を受付の人に渡し、汗ばんだ手で受付の人から渡された切符を大切に、大切に受け取り、心の内で歓喜する。

きっと銀銭を20分間も握り続けていた左手は、金属の臭いがこびりついているだろう。


「切符の受け取りが早くなる魔法ってのはないものなのか?」


「はあ、今の時代魔法をつかわないなんて……魔法も所詮飾りに過ぎないな。」


ふと、そんな愚痴をこぼし、目を細めた。

さっきは銀銭を輝かせていた天井からの日光が今では鬱陶しく、目に突き刺さる。

彼は受付から貰った切符に視線を移す。

切符には、


「8:40」


の数字が目に写る。

どうやら次の機関車は8:40分に来るらしい。

右手首に付いている質素な腕時計で現在時刻を確認する。


「8:25」


質素な時計が現在時刻を示す。


「後15分か…」


特にすることもない彼は、この15分の間をまた退屈することになりそうだ。

そんな事を考えて、駅のホームで微動だにせずじっと機関車を待っていた。

その時ふと横からある甲高い声が聞こえてきた。

――泣き声である。

反射的にその声の方へ視線を移す。

するとそこには――赤いドレスを纏った、美しくも小さな少女が一人。

シアンより幾つか下、まだ言葉も饒舌でない幼子に見える。

背丈に似合わない赤いドレスも、駅の床につくかつかないかの狭間。

突如聞こえたその声に、駅にいた一同の視線がその少女へ集中する。

そしてまもなく、その集中していた視線は拡散していく。

その少女に視線を向けるだけで、手を差し伸べるものは駅には一人も存在していなかったのだ。

――いや、彼を除いて誰一人として存在していなかった。

――退屈ばかりで宙を眺めていたシアンは、その状況を見かねて、美しき少女に慈悲の声をかける。


「初めまして、可憐なお嬢さん。

そんなに泣いていると、冥界のケロベロスに攫われてしまうかもよ?」

 

少女の視線は声のする方に吸い寄せられる。

シアンと少女の視線が交差した。

自然と彼の美貌に目を奪われた後、少女はたどたどしい口調で言葉を紡ぐ。


「あのっ……おにいさんは、だれ?」


「僕?僕は通りすがりの魔法使いさ。

君を助けに来たんだよ。」


微笑むシアン。

そのキザな台詞に少女は頬に薔薇を咲かせ、


「えっと、あのね……まほーつかいのおにいさん、わたし……おかあさまとはぐれちゃったの。

おにいさんなら、おかあさまのばしょ、しってる?」


俯きながら、消え入るような声で事情を語る。

魔法使いのお兄さん、もといシアンは数秒間顎に手を添え思考した後、


「ははっ、勿論。

 じゃあ、お兄さんに着いてきてね?」


少女が快く肯定の返事を言ったのを聞き、

腫れ物を扱うように優しく彼女の手を掴んで、そのまま駅の事務室の方へと歩みを進めた。

事務室に待機していた駅員に事情を説明し、彼女を事務室に預ける。

――これで一安心だろう。


「えっ、おにいさん……いっちゃうの?」


「うん、僕は魔法使いだからね。まだまだ助けなきゃ行けない人がいっぱいいるんだ。」


名残惜しそうな彼女に、満面の笑みを向けてシアンは立ち去る。


「まって!おにいさん……!」


――ありがとう!

少女は別れ際に、彼の笑みを真似て、満点の笑みでその一言を告げた。

純粋無垢で、穢れを知らない笑顔で。


「…………うん、元気でね。」


同様に手を振り返した彼は、まばゆさに目を細めた。

天井から降り注ぐ光と、少女の眼差しのまばゆさに。

――これは、また初恋泥棒しちゃったかな?

去っていく小さな背中を見つめながら、彼は笑みを崩すことなく目を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る