月を飛ぶ蝶のように

十六夜 水明

母子の別れ

 その少女の瞳には〖光〗が無かった。

 その瞳が見つめる先には、雨漏りがひどいあばら家の天井。

 外では、ザァーザァーと大粒の雨が降っているようだ。それは、1人そこに居る少女の気持ちを代弁するかのように降り続けていた。



◈▪◈▪◈▪◈▪◈▪



 あの日も、ちょうど大雨の日だった。

 空は、鉛色の厚い雲によって覆われ、が降らせているのではないか、と思ってしまう程の大雨を降らせている。時折、雷鳴をとどろかせながら稲妻の光が空を駆ける様子は、まさに水龍のそれであった。


 これは、とある村外れの古いあばら家での出来事。


 その家は、知る人ぞ知る平安初期の当時としては珍しく、建てた当時は立派だったことが窺える屋敷だった。しかし、流石に庭も広いかと問われたら、そうでもない。只、破産した下級貴族が住める程度の屋敷があるだけなのだ。


 そこには、子供とは数え13程の少女とその母親が、村の誰とも関わらずに生活していた。


 身なりは、当時の平民よりもお粗末なもので、何度も何度も繕ったのが分かる使い古した着物に鼻緒を何度も結び直した跡のある藁草履。


 それこそ、貧しく苦しい暮らしではあったが、2人にとっては幸せな日常であった。



―――それこそ、母親が命を落とすまでは。


 それは、残暑が厳しく秋が始まったばかりの日。

 急に通り雨がきたため、畑仕事をしていた少女が家に雨宿りに戻った時。


「ただいまー!」

「……」

「? 」


 おかしい。声を掛けても、返事がない。

 いつもなら、母親が自身の娘の濡れた体を拭く為にかろうじであまり汚れていないがボロ布というのに相応しい布を持って足早に出迎えてくれる。

 しかし、それがないのだ。

 夕食の仕込みにしては早すぎるし、匂いもしない。



――――母様に……、何かあったのだろうか。


 そんな結論に至った少女は、直ぐさま血相を変えた。

 同時に、服と同じくらいボロボロの草履を乱雑に脱ぎ捨てる。そして、この時分、母親がよく居る居間に駆け込んだ。


母様ははさま!」

「ゔ、ぐぅ……」


 そこには、母親が青い顔をしながら心の臓がある左胸を苦し気に抑えながら倒れていた。


「……え? 母様? どうしたの! 母様! 母様! 」


 少女は、どこか痛いの? 心の臓が悪いの? と必死に声を掛ける。

 何度も、何度も、問いかけるうちに顔を悲しそうに歪めた少女の目尻には大粒の涙が溜まっていく。


『――水月すいげつ。ごめんね、もう…お別れみたい…………。』


 〖水月〗、それは少女の名であった。

 息の浅い母親は途切れながらではあるが、自身の娘に向けて確実に言葉を紡いく。


「母様。お別れって……? 」

 なんで、なんで? と、少女は母親の着物を強く握った。


『もう、一緒にいられないって、こ……』


 ゴロゴロ―――……ッドーン。


 その言葉を遮るように、とてつもない稲妻が大地にたたきつけられる音がそこら一体に鳴り響く。


『ほ、本当に、ごめんねぇ。一人にしちゃって…』

 カサカサの声は、確かに少女の耳に、そして心に届いていた。


「母様……死んじゃうの?」

『うん……、そうみたい、だわ……』


 母親は、どこか諦めたように、しかし娘への愛情を込めた視線を娘へと送る。


 対して、少女は母親が居なくなってしまうという、絶望的な状況を理解しきれずに、唇を噛んだ。そして、ぼろぼろと瞳に溜まっていた水晶の様な涙を頬に伝わせる。


『ほら……、泣かないで。あなた、の瞳は〖父様譲り〗の、綺麗な……綺麗な、星の色、なんだから……。泣いていたら、可愛くない、わ……。』


 そう、少女の瞳は生まれつき日の本の人間独特の黒の瞳ではなく、星の煌めきを閉じ込めたような青い星の色をしていた。

 当時、異端……妖物あやかしもの、とされたその色を持つ娘を守るために、母親は人里離れたこの家で育てていたのだ。


「やだ‥‥‥。母様、居なくなっちゃやだよ」


 だんだんと、母親の死期が近づいているとこを悟ったのだろう、少女は母親の手を強く握り呟いた。


『ご、めんね。もう……時間が、無い、みたい。大丈夫、なんとかなるよ。じゃあね、だんだん……眠くなっちゃった…………』

 そう言って、母親は次第に瞼を閉じていく。


「やだ‥‥。母様!」


『………………』



 それ以降、母親は何も言わずに永遠の眠りに着いた。

 時間を掛け段々と体温を失っていく様は、少女に母親の死を記憶に刻み付けるかのようだ。




―――――ザァザァザァ


「――――う゛、、、ぁ゛、、、」


 家に響いていたのは、少女の嗚咽と外で降る涙のように大粒な雨の音だけであった。


 それに、答える声はもう、無いというのに。




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