第17話 五つの市場

 二日後の金曜日の午後四時、颯太は一人で、ヴァルチャーの地下にあるトレーニング施設でサンドバッグを殴っていた。何度も何度も、続けざまに繰り出される打撃により、地下室には「ドスッ、ドスッ」といった鈍い音が響いていた。颯太は上下紺色のジャージに身を包み、額に汗を浮かべながら夢中でトレーニングを行っている。かれこれ一時間は続けていた。

 

やがて、颯太は、右足での強烈なローキックを放ち、ひと際大きな音が響いた。さすがに体力の限界が来たのか、颯太は仰向けに倒れこんだ。「ハァ、ハァ……」とその呼吸は激しく乱れている。


 しばらくして呼吸が落ち着いてくると、颯太は、小さくつぶやいた

「なんでこんなにも仕事がないんだ。やばいだろこの会社……」


 二日前、浮気調査の仕事を嫌々こなした颯太であったが、その後はなんの依頼も会社に入らなかった。あれだけ嫌気がさしていた、浮気調査の仕事ですらヴァルチャーからしたら貴重な仕事だったのだ。そのことに気が付いた颯太はぞっとした。


(俺は、なんにもわかっちゃいなかったんだ。ここまで壊滅的な状況だとは思わなかった。いったい、社長たち三人は今までどうやって暮らしてきたんだ。このままだと倒産するぞ。いや、むしろなんでまだ潰れてないんだ? )

 

 本格的に仕事を開始して、わずか一週間ほどで、危機的状況を完全に理解していた。

 

 そもそもなぜここまでヴァルチャーに仕事が入ってこないかというと、ヴァルチャーの企業レベルが低いことが原因であった。

 

 企業レベルとは千以上は存在する能力者専門企業、通称「能企」をその実力でランク分けしたものである。レベルⅠからレベルⅤまであり、一番下がⅠでⅤが上である。企業に所属している能力者の活躍度によってポイントが会社に与えられるのである。3か月間の間にポイントが集計され、それに応じて企業レベルが変わる。


「会社レベルⅠ」三か月間のポイントが五百未満の会社は零細企業と呼ばれる。


「会社レベルⅡ」三か月間のポイントが五百以上三千未満の会社は小規模企業呼ばれる。


「会社レベルⅢ」三か月間のポイントが三千以上一万点未満の会社は中堅企業と呼ばれる。


「会社レベルⅣ」は三か月間のポイントが一万点以上五万点未満の企業を差し、大企業である。


「会社レベルⅤ」は三か月間のポイントが五万点以上の企業を指し、日本国民みんなからの憧れの会社である。日本には四社しか存在していない。

 

 颯太の同期である神野迅が入社した「クレセド」、久遠寺大河が入社した「レべカ」はどちらも日本を代表する会社であり、当然企業レベルⅤであった。

 

 こうした能企業界において颯太の所属する「ヴァルチャー」は企業レベルⅠであった。それも、会社が設立してから二十年連続で。一度もレベルⅡに上がったことはなかった。

 

 企業レベルはいわば会社の力と信頼を現す証であり、ランクが低いと当然依頼は少なくなり、その依頼金も少なくなってしまう。 

 

 四月に始まったポイント集計の第一期の間にヴァルチャーが獲得したポイントは四月末の段階で六十四ポイントであった。先日の浮気調査依頼分の九ポイント、痴漢からのボディガード分の二ポイント、ペットの捜索依頼の四ポイントを加算しての数字である。


「会社レベルⅡ」になるのでさえこのままでは厳しい状況であった。

 

 能力者業界にはそもそも、以下の五つの大きな市場があるのだがヴァルチャーは、ランクが低すぎてそれらの市場の中でろくな実績をあげることができていなかった。


 一つ目は警察の手助けをする「検挙」部門である。元々、能企は能力犯罪に対抗するために作られた会社であるため、最もスタンダードな、仕事といえる。市場規模は三千億円。


 二つ目は消防の手助けをする「救助」部門である。能力者を救助に当てることにより二十年前に比べ火事や事故の死傷者数が半減した。市場規模は二千億円。

 

 三つ目はダンジョン探索部門である。能力の発現と同時に発生したダンジョンにはさまざまな資源が眠っている。現在の科学力では作り出すことができない武器や薬、食材や鉱石などを入手することができる。しかしダンジョン内には強力なモンスターや過酷な環境やトラップなどが存在している。さまざまな企業が躍起になってダンジョンに人材を送り込んでいる。市場規模は二十兆円


 四つ目はバトル部門である。ここ十年で急激に拡大した市場である。その名の通り能力者同士が戦い、それを観客が、見るというエンターテイメントである。あらゆる大会が開かれている。

 国際社会でも大人気で国内の市場規模は八千億円を超えている。野球やサッカーを超えて今や一番人気のスポーツだ。

 優れた能力者は絶大な人気者になりグッズなども作られる。


 五つ目は上のどれにも当てはまらない仕事を受けおう専門職部門である。上の四つの仕事は花形業務であるが、優れたスキルが必要な、いわば上級能力者向けの仕事であるが、専門職部門は一芸に秀でている能力者が行うことが多い。

 

 例えば、回復スキルを生かして医師として働いたり、調合スキルを活かして薬剤師になったり、鑑定スキルを活かして骨董屋になったりしたりする。

 

 上の四つの部門に比べたら派手さはないが、価値ある仕事であった。

 

 大体の会社はこれらの業界のうちのどれかに力を入れている。もっとも業界の頂点「クレセド」のように全ての分野を席巻している企業もあるが。

 

 それに比べて颯太が所属しているヴァルチャーは得意な分野が特になかった。依頼が入るのは格安の、「何でも屋」のような依頼ばかりであった。依頼がないときはダンジョンの低層で鉱石狩りをして何とか食いつないできていたが、このままではいつ倒産してもおかしくない危機的状況であると言えた。


「これじゃあ恩返ししようにもできないぞ。どうすればいいんだ! はぁ……」

颯太は、再び深いため息をつくと、今朝のことを思い出した。

 

 朝、出勤すると、副社長の有希が

「今日も仕事はない。昨日と同じように待機してくれ」

 と言ってきたため颯太はがっかりした。


 社長の猛は有希によるとまだ寝ているらしく会社にはいなかった。有希は会社の自分の部屋にこもり、飛鳥は溜まっていた事務作業を終わらせるというため、仕方がなく颯太はずっとトレーニングルームで体を鍛えていた。


「なんでもっと早く気が付かなかったんだ……。よく考えたら基本給が十四万八千円の時点でおかしいじゃないか。一般の新卒でももっともらってるぞ。なんでこんな会社に入ってしまったんだ」


 颯太はあまりの仕事のなさにやけになっていた。心は悪い方へばかり考えてしまう。

 しかし、しばらくすると、だんだんと冷静さを取り戻していった。


(いや。自分を採ってくれた会社のことを悪く言うなんて最低だぞ。どん底の俺を唯一とってくれた会社じゃないか。どんな状況でもあきらめず頑張らなきゃな。必ず恩返しはしよう)


 颯太の心の中では善の部分と悪の部分がぶつかり葛藤していた。しかし、最後はやや、善の部分が勝った。


「もう少し頑張るか」

 

 颯太は倒れこんだまま壁に掛けられている時計を見た。時刻は午後四時二十分であった。この会社の勤務時間は午後5時までである。颯太は再びサンドバッグを打ち始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る