文月祭

京泉

文月祭

 夜だと言うのに蒸し蒸しとした空気が一層の不快感を与え、全身にじんわりと汗が滲む。

 すれ違う人の顔にも汗が浮かび、表情はどこか暗いように感じた。


 ──早く涼みたい。


 そう呟きながら足早に歩くこと数分、ようやくマンションへと辿り着いた。

 エントランスで自分の郵便受けから雑多に入れられた郵便物を鞄に押し込めて部屋へと向かう。エレベーターに乗り込み、七階で降りて廊下へ出る。そして部屋の前まで辿り着き、鍵を差し込んだ時だった。


「……ん?」


 ふと違和感を覚えて手を止める。


 扉の向こう側にある気配を感じたからだ。


 ──ああ⋯⋯そうか。


 予感を感じつつドアノブに手を掛けると抵抗なく回る。

 ゆっくりと開けると、玄関には見慣れない靴が置かれていた。それは男物の靴。


 シューズボックスの上の宅配業者からもらった今年のカレンダーを確かめる。


 ──もう、そんな季節か。


 七月──文月──がやって来たのだ。



 今では珍しくなったボックス席。

 向かい合わせで揺られる二両編成の電車は青々とした田園の中を走る。


「いやー信也に会えて本当に良かった」


 迷いに迷ってやっと信也のマンションに辿り着いたと笑うのは幼馴染の大輝。


「お前なあ⋯⋯まあいいよ。間に合ったのだから」

「へへっ。危なかったなあ」


 能天気に駅弁を頬張り三個目を開ける大輝を横目に信也は持って来た手紙を開く。

 それは実家からの手紙。

 

──今年は信也が選ばれた。大輝君と一緒に必ず「祭」に参加しなさい。


 選ばれた人へ届く儀式への招待状。

 これは七月に入ると毎年村出身の誰かの元へ届くもの。

 選ばれた者は必ず七月に行われる「祭」に参加しなくてはならないのだ。


 その祭は「文月祭」。七月に行われるからだとか手紙で選ばれた者が知らされるからだとか言われている。


「選ばれたのが信也で良かったよ」

「⋯⋯そうだな。俺も大輝と会いたいと思っていたしな」

「えっーそんなに会いたかったのぉ信也くぅん」

「うわっ! やめろよ食い途中の箸でつつくな」


 ニヒヒと笑う大輝は信也よりも大きな身体で同じ年だと言うのに子供っぽい事を平気でする。


「俺は会いたかったぜ」


 ニカリと笑う大輝に信也は「俺もだ」と返して手紙を旅行鞄にしまった。



 到着した駅は無人駅。

 村を出た時から何も変わらない風景に大輝は大きく伸びをしてから突然走り出した。


「うをー懐かしいー! おい信也早く来いよ。ここで川遊びしたよな」


 駅前とは言っても小さな商店が一つあるだけ。その商店の裏側には小川が流れている。

 小学生の頃、信也と大輝はこの名もなき小川で遊んだ。


「あーなくなっちまったのか学校。でも校舎は残ってるんだな。今見るとすげえ小さいよな俺らの学校」


 二人が通った小中学校。町の学校の分校だった。在籍中も全校生併せて十四人だった分校は五年前に廃校となった。


「んで、学校の帰り道がこの道で⋯⋯あったあった。信也久しぶりの挨拶しようぜ」


 あの頃は学校へと続く道は舗装されておらず真ん中に草の轍がある細い道だった。

 その途中に子供を見守るお地蔵様があり二人は帰り道で毎回手を合わせていたのだ。

 

「舗装されてもお地蔵さんは残してくれたんだな」

「そりゃそうだろ。この村を見守ってくれてるお地蔵様だし⋯⋯そう言うのはここでは何よりも大事にされてるからな」


 信也が手を合わすとお地蔵様は何も言わずにただ微笑を返してくれる。

 何故かそれが嬉しくて、毎日二人で手を合わせたのだ。


「さて、行こうか」

「そうだな。遅れると怒られちまう。ほら行くぞ!」

「ちょっ、待てよ大輝。早いんだよお前は」


 すいっと向きを変えた大輝を追いかけるように信也も走り出す。

 いつぶりくらいだろうか。こんなに全力で走るのは。

 きっと大人になってからは初めてかもしれない。


 ──いつも大輝の後を追いかけていたな。


 涼しい顔をして走りながら「おせえぞ」と振り返る大輝を流れる汗をそのままにして信也は全速力で追いかけた。



 大輝とは家の前で別れ、信也が八年振りの実家の玄関を開け「ただいま」と声をかけるとパタパタと母親が奥から出て来た。


「ああ良かった間に合ったのね。お帰りなさい──大輝⋯⋯君は?」

「ああ、一緒に来た。アイツは実家の方へ帰ったよ」

「あ⋯⋯そうなの? そうね、村に入ったのだから⋯⋯信也、すぐに禊をしなさい。間に合ったとは言っても「祭」は今夜なのよ。本当にギリギリなのよ」

「分かってる」


 本来なら手紙を受け取り、大輝が尋ねて来たらすぐに帰省するはずだったが仕事の都合もあり当日となってしまった。

 信也が仕事をしている間、大輝は信也の部屋であれこれと満喫していたようだったが。


「お肉やお魚は食べてない?」

「三日前から米と納豆。豆腐の味噌汁、茄子の漬物とレタスのサラダだけ。朝も来る途中も何も食ってない」

「食べ物は大丈夫ね。おにぎり用意してあるからそれを食べてからお風呂に入りなさい。着物はお母さんが着付けるからお風呂を出たら座敷にくるのよ」

「分かった」


 信也は靴を脱ぎ揃えて実家にいる頃自分が使っていた部屋へ鞄を下ろして母親から渡されたおにぎりを口にしながら浴室へと向かい浴槽に浸かり身体を流す。

 普段はシャワーばかりで久しぶりに入る湯船は少し熱めのお湯で気持ちが良かった。


 しばらくぼーっとした信也はパシャりと湯を顔にかけて湯船を出ると冷水を溜めた桶を頭からかぶり浴びた。


「全くあんたは全然帰ってこないんだから。仕事はどうなの? ちゃんと生活してるの?」

「それなりには」

「久しぶりに帰って来たと思ったら「祭」だもの⋯⋯これからはたまに帰って来なさいよ」


 母親の手で着付けられる白い着物に白い袴。これが「祭」の主役の衣装。

 仕上がった信也を姿見で確認した母親は息子の晴れ姿なのに寂しそうに微笑んだ。


「じゃあ、お母さん信也の準備が終わったってお父さんたちに伝えてくるわ。迎えが来るまでこの部屋から出ないようにね。襖を閉めたらこのお札を襖の継ぎ目に貼りなさい。それから──大輝君の方は準備と言っても村に帰って来るだけで用意ができたようなものだから呼びに来るかもしれないけれど⋯⋯」

「分かってるって。来る間に「祭」の資料に目を通してある。出ないよ」

「そう、ならいいけど⋯⋯本当に出ちゃ駄目よ」


 何度も「出るな」と念押ししながら襖を閉じる母親を見送ってお札を貼った信也は部屋を見回す。

 いつもは客間として使用しているこの部屋の四隅に盛り塩がされ、窓の継ぎ目には村の神社のお札が貼られている。

 これでは自分が何かから守られているようでもあり、なんとなく閉じ込められているようでもあり──主役を担って初めて「祭」の本来の目的を知ったと信也は目を閉じた。


 ──こんな形で⋯⋯里帰りか。


 村での時間は楽しかった。けれどそれだけだった。成長と共に外の世界への好奇心が出てくると村での生活が窮屈になっていったのだ。

 村を歩けば殆どの人が自分を知っているし自分も相手を知っている。家族構成も仕事もだ。玄関の鍵はどの家もかけることは稀で他人が勝手に家へ出入りしていたり、普段と何か違う事が起きればあっという間に村中に広まってしまう。

 そう、常に村では誰かの目があったのだ。

 

 ただ、村中が団結しているとしても、決して余所者を排除するような時代錯誤な村ではない。しかし、新しい人が入って来たこともあるが馴染めなかった者は大抵長くて三年で出ていってしまうのだ。

 原因は村の人々の距離感が近いから。それゆえに親切になり過ぎるのだ。だから必要上の親切を受けることを監視されていると感じてしまうのだろう。


 それは村で育った信也にも芽生えていた感情。自分の故郷はどこだと聞かれたらこの村だと答えられるが、帰りたい気持ちはなかった。


 ──大輝は帰りたいと言っていたな。


 信也の部屋に居座っている間、無邪気に村での思い出を語りながら大輝は「村に帰りてえな」と何度もぼやいていた。


 その大輝を村に連れて来れた。

 信也はこれから本当の意味で大輝を村に還す。

 

「おーい信也」


 瞑想していた信也の耳に大輝の声が響いた。

 返事をしようとした信也はゾクリとした違和感にその身を硬くした。


「お前の準備が終わったって聞いたぞ。「祭」に行こうぜ」


 能天気な声と口調は大輝そのもの。なのに何かが違う。


「あれ? 居ないのか? おばさんも居ないのかな。仕方ない。先に行ってるか。信也は「祭」の主役だもんな今は駄目だなあ」


 砂利を踏む音が小さくなり、大輝の影が見えなくなったのを確認すると信也は塩水を口に含んで吐き出した。


 それから更に数時間待たされ、夜の帳が下りた時間。村の神社の神職を先頭に迎えが来た。

 彼らは部屋を見渡し札の角が黒ずみ周りが微かに毛羽立った窓のお札を見て眉を顰めたがすぐ表情を戻して深々と頭を下げ、信也に向かって「ご苦労様です」と声をかけた。

 

「これより「祭」を行います。この時点から「祭」が終わるまで信也さんは言葉を発してはなりません。よろしいですね」


 頷く信也が落ち着いているのに安堵の表情を見せ、神職は「祭」の手順を語った。

 これから神社へ向かい祈祷を行う。祈祷の後は御神体が置かれる神社の奥宮へと向かい日付が変わるまで神職と氏子達と共に御神体に祈る。その間信也は何があっても言葉を発してはならないのだと。


「それでは参りましょう」


 信也は促されるまま神職に付き従って歩き出す。

 祭囃子が始まり「祭」道中は神社へと向かう。途中、信也に向けて手を合わせる人達の中に大輝の姿を見つけた。いつものニカリとした笑顔でグッと親指を立てた大輝に信也は頷いて応えた。


 神社に近付き露店が並ぶ中を進む。


「頑張れよー信也」


 両手にイカ焼きと焼きとうもろこし、トルネードに巻かれたポテトとチョコバナナを持ち、脇に綿菓子の袋を挟んだ大輝の姿に思わず笑いそうになるが唇を引き締めて心の中で「食い過ぎだ」と信也はぼやく。

 それが伝わったのか大輝はニヒヒと笑いあっという間にそれらを食べ尽くした。


 信也を守るような行列は露店を抜け、提灯に照らされた人達が手を合わせる姿が浮かぶ中を更に進む。

 ボソボソと聞こえるのは祝詞だろうか。


 小声で囁かれる声は幾重にも重なり信也の緊張が増して行く。

 

 やがて見えて来た鳥居をくぐるとそこから先の参道は提灯の代わりに等間隔に置かれた蝋燭の火がゆらめいていた。

 

 本殿で祈祷を行い、いよいよ奥宮へと向かう。

 

「いよいよだなあ」


 本殿を出た所で大輝が声をかけて来た。

 さっきは気が付かなかったが大輝も白い着物に白い袴姿だった。


「あ、そうか信也は喋っちゃいけないんだったっけか」

「──で、では、奥宮へ参ります⋯⋯大輝君も、ついて来てください」

「はーい!」


 一緒に奥宮へ向かう若手の神職の数人は顔色が悪い。御神体に祈るというのはそんなに過酷な神事だったろうか。

 「祭」の手引き書にはただ祈るとしか書いてなかったはず。


 厳しい表情の神職達と相変わらずな大輝に苦笑しつつ信也は歩き出す。

 奥宮へ続く参道に踏み入れればそこは蝋燭の灯と蛍が舞う幻想的な雰囲気に包まれる。

 石段を上がると木々に囲まれた広場に出た。そこには大きな注連縄がかけられた岩が置かれ、小さな祠や灯籠が置かれていた。


 ──これが御神体。


 まるで別の世界に迷い込んだかのような感覚を覚える光景に圧倒される。ここは神域であり聖域なのだと。


「信也さんはこちらへ、大輝君はここへ」

「俺は縄で囲まれたとこに入ればいいんだな。よっ⋯⋯と、これでいい──」


 大輝が四方を注連縄で囲んだ中に入りこむと彼は突然カクンと膝を付いてペタリと座り込んだ。

 大輝の四方に置かれた蝋燭の炎が揺れたのを確認した神職と氏子は大輝を囲むように座り、ドンと太鼓が鳴らされると一斉に大祓詞が始まった。


 太鼓の音、シャンシャンと鳴らされる神楽鈴。そして大祓詞の声が重なる。

 大輝は目を閉じてその声に耳を傾けているようだったが、不意にパチリと目を開いた。

 大輝は何かを探すかのようにキョロキョロと周りを見回し、御神体のそばで両手を合わせた信也と目が合うとニカッと笑った。


「ひいぃっ!」

「大祓詞を止めてはなりません」

「は、はいっ──」


 奥宮へ向かう時青ざめていた若い神職の一人が小さな悲鳴を上げた。


「はーっ本当危なかったよ。俺、もう少しで完全に飲まれる所だったからさあ」


 胡座をかいた大輝がニコニコしながら言う。

 あの日。大輝と再会した時のように信也にじっとりとした汗が滲む。


「俺さお前と再開した日、腹が減りすぎててなんか食おうと思っていたらすげえうまそうな匂いがしてさ、その方向に行ったら信也がいたんだよ」


 ゆらゆらと揺れる大輝。

 信也は込み上げるものを必死に押さえ込んでいた。


「その匂いってさ、信也からしてたんだ。ああうまそうだ。ああ食いたいなって」


 「祭」の手紙を受け取ったあの日。そこには「祭」に選ばれた事だけではなく、大輝を抑える方法が書かれていた。


 大輝と会ったら部屋の四隅に盛り塩を置き、結界の中に閉じ込めること。自身は神社のお守りを肌身離さず身に付ける。そして大輝に「祭」の日まで食べ続けさせるようにと。

 大輝の腹を常に満たさせておく。信也の身の代わりになるくらいに。


 「祭」に選ばれた手紙を受け取ったらすぐにでも村に帰れとされるのは自分の身を守る為。信也はすぐに帰れない都合により危険な状態だった。

 

「実はさ俺、お前の仕事の帰り道で食おうと思ってたんだけどさ。お前の部屋から出られなかったんだよねえ。帰って来たら食うぞって決めても必ずお前は沢山俺に食わせるもんだから満足しちゃってた」


 信也はじっと大輝の独白に耳を傾ける。

 気が付いていた。

 本人は部屋に閉じ込めているのにその思念は強く漏れ出し、仕事の帰り道で何度も大輝の「食いたい」と言う声を聞いていたのだから。

 ただ、その声が響くと同時にお地蔵様が現れ「大丈夫」だと信也を守ってくれていた。それは子供の頃手を合わせていた学校の帰り道のあのお地蔵様だった。


「ほら、帰り道っていったら誰に襲われても不思議じゃないだろ? 俺だとバレないしさ。まあ、俺って信也以外には見えないけどさあ、でも神社の人達のなかには俺が鬼に視えるらしいよ」


 信也の額に汗が伝う。

 ここにいるのは大輝であって大輝ではない。そんな事はない。大輝は大輝。親友の大輝だと強く願っていた。


「でもなあ俺、信也を食いたかったけど、食いたくなかったんだよなあ。よくわかんないけど」


 頭を掻きながら困ったような顔の大輝。


「村に入ってまた腹が減ったから、もしかしたら食えるかなって信也の家に行ったけどさ⋯⋯今は食わなくてよかったって思ってる──ありがとうな信也、俺に食われてくれなくて、食われないよう頑張ってくれて、俺が飲まれる前に村に連れ帰ってくれて」


 それは信也がよく知る大輝の笑顔だった。

 信也の頬にいく筋もの涙が伝う。


「ああもう泣くなよ! せっかくのイケメンが台無しになるぜ? 笑えよ、信也」


 大輝は声を上げて笑う。

 その時。ドンと太鼓が鳴り、一斉に氏子達が立ち上がった。

 シャンと神楽鈴が鳴ると、大祓詞の声が大きくなった。


「そろそろ日付が変わるな。「祭」が終わる。お別れだな信也」


 そう言って大輝は立ち上がって信也に背を向ける。

 太鼓が激しく打ち鳴り、シャンシャンと神楽鈴が振られる音、大祓詞の声の中振り返った大輝は両手を広げニカリと笑った。

 信也も何度も頷きながら親指を立てて突き出し笑顔を見せた。


「それでこそ俺の親友だ」


 笑顔のその姿は少しずつ薄くなり、やがて消えた。



 仏花と線香を供えた墓石の前で信也は手を合わせる。

 完全に怪異へと変貌する前に人としてここに大輝は帰って来た。

 彼の姿は今やどこにもない。


「あら、信也君」

「おばさん⋯⋯」

「これからお礼に伺おうと思っていたのよ。ありがとう。大輝を連れ帰ってくれて」


 その微笑みは慈愛に満ちていて信也は胸が熱くなる。

 人懐っこくておおらかで。それは大輝と同じだった。


「少しお話ししたいわ。ここは暑いから休憩所を借りましょう」


 大輝の母親に誘われて信也は彼女の後について行く。

 そこは木陰になっていて、気持ち良い風が吹く度にさわさわと葉が揺れる音がした。

 大輝の母親は缶ジュースを二つ買って来て一つを信也に渡すと向い側に腰掛けた。


「あの子⋯⋯大輝は変わっていなかったかしら」

「はい。俺のよく知る大輝でした」


 「良かった」とジュースを口にして大輝の母親は安心と寂しさに目を細めた。

 あの時、大輝が言っていた。

 大輝の姿は信也にしか見えていなかったのだ。

 霊力と言うものか、波長が合うのか大輝の姿を視えたものがいるとしても鬼の姿に見えたのだと。


「背負わせてしまってごめんなさいね」

「いえ、俺は、俺が選ばれて良かったと思ってます」


 毎年七月に行う村の祭「文月祭」は御神体に半年間の穢と罪を祓い清めてもらい、安寧を感謝する他の地域と何も変わらない普通の夏祭りだ。


 けれど、ある事が起こったその年は本来の「文月祭」を執り行うのだ。


 この村に生まれ育ったものが必ず聞かされる御伽噺。それは村に生まれた者は鬼の血を引き、稀に鬼還りする。

 この村ではその御伽噺が今でも続いている。


「大輝は八年前、信也君が村を出た次の日に学校近くのお地蔵様の所で倒れていたのよ」

「心臓発作でしたね」

「そう。いつもの通り家を出たのに突然だったわ。新しい生活を始めたその日の内に信也君は駆け付けてくれたわね」


 大輝はお地蔵様に手を合わせた帰り道、突然の心臓発作を起こしてそのまま還らぬ人となった。

 あの日のことは忘れられないと信也はジュースの缶をギュと握り締める。

 信也が村を出発した日は元気に見送りをしてくれていたのに。あまりにも早い再会は悲しいものになってしまった。

 

「先月、お墓の納骨室が開いていると神社の人がやって来て、ああ大輝は鬼還りしてしまったんだって」


 鬼還りをした者は生者だった頃に会いたいと強く願った者を食いに行くのだと言う。

 急いで村の人達は戸籍とは別に村人全員の名前を納めている神社に集まり、札を確認したのだ。

 そして⋯⋯信也の札に鋭い爪傷を見つけ、大輝は信也を食いに行ったのだと確信した。


「選ばれる。と言うのは「祭」にではなく鬼に選ばれると言う事なのよ」


 選ばれた者の元に鬼還りした死者は「文月祭」までに必ず現れる。

 選ばれた者は鬼還りした死者に食われないよう自分の身の代わりになる食べ物を与えながら村に連れ帰りその魂を浄め鎮める。

 それが本来の「文月祭」だ。


 もし、選ばれた者が食われたとしたらその魂は次の鬼還りとなり、食った鬼還りは彷徨う怪異へと堕ちてしまうのだ。


「⋯⋯怖くなかった?」

「少しは。けど、相手が大輝だからですかね。会えたことの方が⋯⋯嬉しさの方が優っていました」


 信也は本心からそう思う。

 絶対に食われてやらない。自分も大輝も鬼に負けてやらない。そんな強い思いが信也と大輝の間にはあったと信じていたい。


「親友ですから」


 そう言って信也は笑う。

 その笑顔を見て大輝の母親は安心したように笑みを浮かべた。


 

 冷気を帯びた風が通り抜け信也はふと足を止めた。


 夏が終わり、秋も過ぎようとしている。

 この街ですれ違う人の表情は相変わらずどこか暗いがそれが信也には居心地が良いものだ。


 ──⋯⋯たい──


雑多な街はいつでも沢山の音に溢れている。


 ──くい⋯⋯い──


 仕事の帰り道。聞こえて来たそれは幻聴かそれとも誰かの話し声か。


 ──食いたい──


 もし、性懲りも無く鬼還りして大輝が現れたとしても。何度でも村へ連れて行ってやる。

 何度でも一緒に帰ってやる。


 やがて声は街の音に掻き消され聞こえなくなった。


 信也はスマホを起動させ写真を見つめた。テーブルに広げられた食べ物と缶ビールを片手にした信也。その隣には誰も映っていない。

 それは信也の部屋で大輝と撮ったはずの写真だった。


「お前に食われてなんかやらねえよ」 


 そう呟いて画面から消えた親友に向かって信也は不敵に笑ってみせた。


 

 大輝の声はその日だけ。

 以来、大輝の声を聞くことはなくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

文月祭 京泉 @keisen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ