第七十四話 氷魔法

「皆様、お揃いで。旦那様と奥様がお待ちです。ささ、どうぞお席へ」

 ソフィアがケイトへ目配りしたので、ケイトが先頭に入り、ローガン、エリオットと続いた。

 それぞれの決まった席を座ろうとした時、

「ソフィア、お前は座らなくていい」

 と伯爵が言った。

 ソフィアの席へスープを運んで来たメイドの手も止まる。

「お前、ここの主人は誰と心得てるのだ? 私の留守に大きな顔で屋敷の中を歩き回ったそうだな」

 ソフィアはマーガレット夫人に視線をやった。

 口角を上げて笑っている。

 伯爵は続けて、

「フランにあのような格好をさせて、それぞれに付いているメイドも入れ替えたそうだが、お前にそんな事をする権限を与えてないぞ!」

 と言い、マーガレット夫人も、ここぞとばかりに

「そうよ。お前は女中の子、この屋敷で住むことすら本来なら許されないのに! どういうつもりなの!」

 と言った。

 これをきっかけにソフィアを追い出してしまおうという腹づもりでもいた。


「お、お父様、お母様、今、すぐその話じゃなくていいじゃありませんか。お帰りになったばかりでお疲れでしょう?」

 と言ったのはケイトだった。

 二人は不愉快そうな顔でケイトを見て夫人が、

「ケイト! 何故この子を庇うの?」

 と言った。

「いいえ、お母様、何も……」

 俯くケイトに夫人は、

「ケイト、こちらへいらっしゃい」

 と言った。

 ケイトは青ざめた顔で夫人を見た。

「少し留守が長すぎたようね。あなた、いつから母親に意見するような娘になったの?」

「お母様…」

 どこから取り出したのか、夫人の手にはしなやかそうな鞭が握られていた。

 かつてはケイトもフランもそれを使い、幼い妹や若い使用人達に躾けだと称して振るったものだった。

 ケイトは立ち上がり、震えながら夫人の横に立った。

「さあ、手をお出しなさい」

 ケイトは夫人に言われた通りにテーブルの上に両手を置いた。

 ピシッと音がするのと同時にケイトが小さい声で唸った。

 乾いた皮の鞭は白いケイトの手の甲に傷を残し、赤い血の筋がついた。


「お許し下さい……」

 とケイトが言ったが、夫人は何度もケイトの手に鞭を振るった。

 いくつも傷がつきそこから赤い血が流れた。

 ソフィアはマルクとフランが自分をちらちらっと見ている事に気が付いていた。

 それはケイトを助けてやって欲しいという懇願の視線だった。

「マルク兄様、何でも他人に丸投げはよろしくなくてよ? ケイト姉様を助けたければあなたが手本を示さなくては。そうでないと伯爵家を継いだ兄様に誰が付いていくというの?」

 と面白げに言って笑った。

 伯爵は発言をしたソフィアに怒りの目を向け、夫人も鞭を振るう手を緩めた。

「今、なんと言った?」

 自分の娘が鞭で打たれているのに、楽しげにワインを飲んでいた伯爵がグラスを置いた。

「あら、お耳汚しでした? ごめんなさい、お父様」

 ソフィアは席に座るのを許されてはいなかったが、ちゃんと着席しマイアの運んだスープやオレンジジュースを飲んでいたし、ローガンとエリオットも構わずもしゃもしゃと食事を進めていた。

「お前達! 誰が食事を始めていいと言った!」

 伯爵から厳しい声が飛んだが、ローガンもエリオットもちらっとも視線を向けなかったし、ワルドも新しい肉料理を運んで来て伯爵よりも先にソフィアの前に置いた。


 彼らはもう飽き飽きしていたのだ。

 伯爵とその夫人がどうしてこんなに威張っているのかが不思議なくらいだった。

 人間に化けて執事として使用人として決められた仕事をするのはソフィアの元では不本意ではないし、彼女から流れ出る濃厚な魔力を浴びるのは素晴らしい特権だからだ。

 知能の高い魔族達は規律や任務をきちんと理解出来ているので、人間界でのそれを任務だと思えばせっせと働く。

 だがいつまでも伯爵夫妻に威張らせておくのは我慢がならなかった。

 魔族達は幼いソフィアがどんな目に遭わされていたのかを、使用人達の脳を食ってからそれを全て知っているからだ。

 それは自身がソフィアを虐めていた記憶だった。

 人間の身体を手に入れ、ソフィアを主と仰ぎ尽くしてきたが、脳にこびりつくソフィアを虐めてきた過去は汚点だった。

 使用人達を責めるのは夫に任せ、夫人はケイトへ意識を戻した。

「ケイトへの躾けが終わったら、フラン、あなたもメイド長として躾けが必要なようだからこちらへいらっしゃい」

 と夫人が言い、フランは真っ青な顔で、

「は、はい、奥様」

 とだけ言った。

「へえ~~~やっぱり、あたしよりもそっちのばーさんを飼い主だって認めるんだな?」

 カチャンとフォークを置き、ソフィアが言った。

 フランははっとソフィアを見たが、

「鞭で打たれる方がましなんだね?」

 と言われ、ぱっと夫人の方へ歩もうとしていた足を止めて、さっとマルクの側へ戻った。

「いいよ? ばーさんの鞭打ちに付き合ってやれよ」

 ソフィアがそう言った瞬間、夫人の鞭がソフィアめがけて撓った。

 それはテーブルの一番端にいるソフィアには届かなかったが、テーブルの上の皿や果物を破壊してクロスを破るほどの勢いだった。

「ひゅ~上手、貴族の奥様がこんなに鞭を使うのが上手いなんて、どれだけ人をしばいてきたんだっつうの」

 とソフィアが笑った。

「ソフィア!」

 と夫人が叫んで、もう一度鞭を振り上げた瞬間、ソフィアの指がパキンと鳴った。

 キラキラと輝く薄い氷の結晶がぱっと現れ、回転しながら夫人の方へ飛んだ。

 それは夫人の肩をザックリと切断し、鞭を持った腕がぽろりと落ちた。

「え?」

 と夫人は言ったが切断と同時に傷口は氷付き、血も出なかった。

「マーガレット!」

 と伯爵が立ち上がった。

「うわわわああ」

 と、マルクが叫んで動いた瞬間に椅子から転げ落ちた。

 目の前の惨劇にケイトは目を大きく見開いたが、言葉はなかった。

 ソフィアが両親に何かをするだろうとは予想していたからだ。

 そして両親は今夜死ぬかもしれないが、ケイト自身は助かりたかった。

 我慢すれば侯爵夫人になれる、それだけが心の支えだった。 

 ローガンを始めとした人間に化けた魔族達は満足そうな顔をした。

 使用人達はクスクスと笑い、ローガンとエリオットがグラスを合わせた。

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