第四十六話 ナイト・デ・オルボン
「やれやれ、何の騒ぎですか」
と居間に入って来たのはローガン、エリオット兄弟だった。
「ただいま」
「お帰りなさいませ、ローガン様、エリオット様」
と真っ先に言ったのはワルドで、マイアとメアリもそれに続いてお辞儀をした。
「前から思ってたんだけど……」
とソフィアが彼らを見渡した。
「あんた達の順応力、凄くない? 馴染みすぎでしょ」
「魔物のままでは難しいですが、人間の脳を喰らってますからね。生前のままの通りに動けますよ。もちろん、それまでの人間性は消して、新たな主への忠誠心と共に」
とローガンが言った。
「ローガン! 助けて頂戴! ソフィアが私に手をあげたのよ! フレデリック叔父様にだって無礼な口を利いたわ!」
とケイトが叫んだ。酒瓶で殴られた頬は赤黒く腫れ上がり、鼻血が出ている。
フレデリックにはそれを気遣う余裕もないようで、呆然としたままだった。
「おやおや、ようやくケイト姉様を処罰する気になりましたか、ソフィア様」
と言ったのはエリオットだった。
「は?」と言ったのは顔を腫らしたケイトで、フレデリックの顔色も変わった。
「何を言ってるの? ローガン、助けてよ! あなたの悪事だって今までたくさんお父様が握り潰してきてあげたでしょう? 私を助けなさいよ! ワルド! あなたもよ! あなたが出入りの商人から賄賂を受け取って、高値で買い付けてるの知ってるのよ! 私を助けないとお父様に言いつけるわよ!」
「おやおや、このワルドという男、悪い人間ですねぇ。だが、そんな事はどうでもいい。この男は清潔で、寝床も暖かい。キッチンからは上手い料理が運ばれてくる。それで満足ですから、私にあなたを助けなければならない理由はないし、私の今の地位を奪うというなら、あなたのお父様も私の腹の中に入る事になりますよ、ケイトお嬢様。今やこの伯爵家はソフィア様の物。コックも庭師もメイドも、全てソフィア様の眷属でございますから」
とワルドが言い、また丁寧にお辞儀をした。
「この間、総入れ替えしたしね。見物だったな。我先にと人間の皮を欲しがる奴らの争奪戦、ソフィア様にお仕えするに値する魔物の選抜はこの先は少し難しくしなければならないかもな」
とエリオットが言い、クスクスと笑った。
ケイトは焦ったようにローガンを見たがニヤニヤとしているだけだった。そしてメイドのマイアとメアリも意地の悪い顔でケイトを見下ろしている。
「そ、そんな、どうして? 私だけが虐めたわけじゃない」
「ご心配なく、あなただけじゃない。ナタリーも死んだ、もちろん我々ローガン、エリオット兄弟もね。メイド達も凄まじい最後を迎えました。泣き叫び、生きながら喰われる者、焼き殺された者、身体中をトゲで貫かれ虫の息で数日放置された者、生きた虫や糞を食わされ続け途中で気が触れた者、ゴブリンの巣に運ばれ今なお犯され続けている者もいるでしょうね。全てソフィア様に凄まじい虐めをした者の末路ですよ」
「そんな……」
「わ、私は関係ないだろう!」
と言ったのはフレデリックだ。
「夫人がミランダを憎み、その娘を毛嫌いしていたのは知っていたがそれだけだ。私は誰も虐めてなんかいない! ソフィアとだって、あまり顔を合わせた事もない。だから私は関係ないだろ?」
ローガンを始め、眷属達がソフィアを見た。
「フレデリック叔父様、そういうこと言う? ケイトを殺すなら俺を殺せとか言わないの?」
「皆、可愛い甥っ子姪っ子なだけだ。愛とかじゃない。そもそも実の叔父と姪だぞ? 愛し合うなんてありえないだろう」
「叔父様……私を愛して下さったのではないのですか? 一生側にいると、誓ったではありませんか! 私達の愛は真実の愛だと……」
「ば、馬鹿な、ケイト! 余計な事を言うんじゃない!」
「叔父様……」
ケイトの声はか細く、絶望した顔だった。
「ふーん、確かにあんたはソフィア虐めには関係ないけど、幼女好きってだけで八つ裂きの刑は決定だから。幼女好きはみんな死ねばいいと思ってるから。だけどお前の処刑は後々。お客様がいらしてるからね」
ソフィアはそう言って、ローガンを見た。
ローガンがパチンと指を鳴らした。
居間の空間がぐにゃりと歪んだ。
ゆらゆらと波打つよういそれは広がり、やがてそこから大きな黒い影がドスンと床に落ちた。
それを見たケイトが「ひいいい」と唸った。
大きすぎる脂肪を包んだ皮は何重にも重なり、手も足も全てが肉饅頭のようで、身体中に脂汗をかき、出過ぎた腹、尻の為に下着をつけているのかどうかも見えない。パンパンに張った顔、肉がつきすぎて口が半開きになっている。腕も足も肉屋に吊っているハムのようで関節で曲げるのも難儀そうだった。
一目で不潔と分かるのは腕や足の筋が垢で真っ黒であるし、裸足の爪先も伸ばしっぱなしで奇妙な色に変色していた。もじゃもじゃした体毛は黒く濃く、その物体と共にやってきたハエがぶーんとその周囲に飛んでいた。そして何よりもそれの出現と同時に部屋中が悪臭に包まれた。
「こちらはオルボン家のご長男でナイト・デ・オルボン様よ。ソフィアの婚約者だったのだけど、虐めで噴水で溺れ、頭を打ってそのまま死んでしまったの。だから次はケイトお姉様が婚約者になるのだわ」
ナイト・デ・オルボンは驚いた様な顔をしたが、すぐに手に持っていた砂糖菓子を口に入れた。べちゃべちゃと不快な音がして、彼がそれを飲み込むまで一同はそれを眺めていた。
「お母様がぜひ侯爵家と縁続きになりたいと必死でまとめた縁談よ? お姉様、まさかお母様を悲しませる様な真似はしませんよね?」
ソフィアはナイト・デ・オルボンに近づき、
「オルボン様、あれがヘンデル伯爵家長女であなたさまの婚約者のケイトですわ。どうぞ可愛がってやってください」
と言った。
ケイトは尻餅をついたまま、後ずさる。
「ひいいい……嫌、嫌よ。助けて、ソフィア、悪かったわ。ごめんなさい……叔父様! 助けて!」
ナイト・デ・オルボンはキョロキョロと周囲を見渡し、それから紹介されたケイトへ目をやった。デコも頬も鼻も脂肪で固まり、目が開いているのかどうかも分からない顔だった。
「オルボン家といえば、広大な領地に莫大な資産。ケイト姉様が嫁げば父様も母様も喜ぶんじゃないかな」
とローガンが言い、エリオットもうなずいた。
「嫌ぁぁぁぁぁぁ」
ケイトは泣き叫び、子供のように床を叩いた。
それから床を這いずりながらソフィアの足下へやってきて、
「お願い、ソフィア、お願いします。許して……許して……何でもするわ……だからその男を私に近づけないで」 と言った。
「ケイトお姉様、おかしな事を言うねぇ。何でもするならオルボン様と結婚しなさいよ。ソフィアが何度泣いて懇願してもあんた達は虐めをやめなかった。ソフィアをあざ笑って、侮蔑の言葉を投げかけた。顔を踏みつけられ、唾を吐きかけられ、鞭でしばかれ、地面のぬかるみに突き落とされたよ。生まれて来た事が間違いで罰だとも言われたね。お前らの父親が拒否出来ないメイドに手を出した事は棚の上で、ソフィアとミランダばかり悪者にしてさ。夫人はミランダを恨む前にする事があっただろ! テメエの節操のない旦那の下半身でも切り取ってやれば良かったんじゃねえの? あんたら全員を殺して、この屋敷を燃やしてもあたしは気が済まないんだよ!」
ソフィアはケイトを睨み、それからローガン、エリオットの顔を見て、ワルド、マイア、メアリを今にも殺してやりたいと思った。
その瞬間、ソフィアの身体が熱くなり、昂ぶった感情に合わせて体内を循環している魔力がぶわぁっと大きな波になった。
パチッパチッと火花が飛んで、ソフィアのプラチナブロンドの髪の毛とシルバーの瞳が朱色に染まり光った。
「ソフィア様!」
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