第三十六話 マルクのメイド

「いってらっしゃいませ、エリオット様」

 とソフィアは馬車に乗って出て行くエリオットを見送り、屋敷の中に引き返した。

 ケイトはすでに出発していて、屋敷は引きこもりのマルクと後は執事やメイド達だけだ。

「フランちゃん、自由になりたい?」

 とソフィアが言った。

 ソフィアの部屋に戻ったが、動けないままフランは左目を潰され、全身には雷魔法の痺れが続いている。

「は、はい、お願いです。助けて……」

 とフランは身体中の体液を流しながら言った。

「そりゃ、シリルのようになりたくないわな」

「は、はい」

「じゃあさ、教えろ。ソフィアの母親、かなり虐められてたつったな? 最後はどうやって死んだんだ? 餓死か? それとも執事連中にヤリ殺されたのか? よく赤ん坊のソフィアは無事だったな?」

 ソフィアの言葉を聞いてフランは、ああ、なるほどと思った。

 これはソフィアの姿をした悪魔なのだと、それでようやく納得がいった。

 泣きべそでウジウジとして弱かったソフィア、魔力も少なかったはずのソフィアが急に魔法を使いローガンもエリオットも引き込んでしまっている。

 これは正真正銘の悪魔だ、ソフィアは悪魔に乗っ取られた、とうてい敵うはずがない、とフランは思い、絶望した。


「さ、先程も申し上げましたが万が一の為に貴族の子供は必要、ミランダが子を産むまではそれなりに看病もしてましたが……その後は奥様の手にかかり……」

「お前、助かりたいからって、他人に罪をなすりつけてんじゃねえぞ」

「ち、違いますわ。奥様は……それはミランダを憎んでおりましたから……生まれた赤ん坊はすぐに取り上げられ、庭師の夫妻がちょうど子を産んだので離乳するまでは一緒に育てました。ミランダは一目も赤ん坊に会わせてもらえないのと、身体も衰弱しておりましたし……」

「庭師の夫妻って今もいるの?」

「いえ、ソフィア様が離乳しお屋敷の中で暮らすようになってから、夫妻はすぐにお屋敷をクビになりました」

「何故?」

「それは……ソフィア様を産んだミランダは奥様に馬小屋に追いやられました。そこで寝起きさせたのは奥様のお言いつけで……それを哀れに思ったのでしょう。庭師の夫妻はソフィア様を育てながらも、ミランダの世話をしておりました」

「馬小屋?」

「は、はい……その、出産したすぐのミランダを馬小屋に……身体も復調せぬうちに…」

「そのせいで死んだわけ?」

「は、はい、さようで。ソフィア様が生まれたのは……さ、寒い冬の最中でした……私はそこまでしか……馬小屋に移った後の事は……存じません。ミランダを気の毒に思う使用人もおりましたからしばらくは生きていたようですが、奥様の怒りは凄まじく。うかつに世話をする事も出来ませんでしたから……」

 フランはそこまで言ってからソフィアの顔を見て「ひっ」と叫んだ。

 八歳のソフィア、小さく、華奢で、美しく愛らしい妖精のようなソフィア。

 母親のミランダ譲りの美貌で儚く、守ってやりたいような淋しげな瞳。

 だが、今のソフィアの顔は怒りと憎しみで整った顔は崩壊し、白く透きとおった肌は赤黒く、プラチナブロンドもシルバーの瞳もが禍々しく光っていた。

「こい、場所変えるから」

 ソフィアはパキンと指を鳴らした。



 次にソフィアが現れたのはマルクの部屋だった。

 ミルルとメルルがいない今は「マルク様、ぼっちゃま様」とおだて上げてくれる人間がおらずさぞかし腐っているだろうマルク。

 コンコンとノックをするとドアを開けたのはメアリだった。

「くそニート野郎は?」

「マ、マルク様は奥でお食事中でございます」

 とメアリは言いながら道を空けた。

 今にも噴き出しそうな攻撃的な怒りを感じたからだ。


 ソフィアはマルクの部屋に入った。

 嫡男だけあり、大きな豪華な部屋だった。

 リビングがあり、奥にはベッドルームと食事をする部屋、さらにバスルームに仕える水場もあった。

 案内されてソフィアが食事をする部屋を覗くと、

「さっさと食えよ。こっちも忙しいんだからさ」

 とマイアに責められていた。

 ケイトと顔を合わせたくないマルクは最近は部屋でもそもそと一人で食事を取っている。

「お前一人の為に余計な手間がかかってんだ」

「ご、ごめん、マイア、で、でも、そんなに言わなくても、ぼ、僕は伯爵家の嫡男だぞ!」

「は? 知るかそんなもん。あたしらから見たら、お前なんぞ肉塊にしか見えねえよ」

 とマイアに言われてマルクはえへへと頭をかいた。


「楽しそうね」

 ソフィアの声にマイアはぱっと顔を明るくしたが、ソフィアの発する憎悪を感じ口を閉じた。同僚のメアリも「何も言うな、動くな」と警戒している。

「ソ、ソフィアか、まだ食事中なんだけど、こんな早朝から何だ」

 とマルクが言い、フォークを置いた。

 鈍感なのは人間だけだった。

 ソフィアがまた指をパキンと鳴らすと、シュッとその場にフランが現れて床に倒れ込んだ。

「フ、フラン、何をやって?」

 フラン左目を押さえてたまま、床に蹲ったままで震えている。

「マイア、ローガンを呼べ、どこにいんだよ!」

 とソフィアが怒鳴った。

「ローガン様ですか? 今は学院の方へ」

「だったら、呼びに行け! 今すぐ! ローガンを! ローガンンンンン!!!」

 ソフィアは我が儘な子供が我慢出来ないふうに地団駄を踏んだ。

「わ、分かりました! メアリ! 今すぐローガン様の所へ走れ!」

「はっ!」

 そこに人間のマルクがいようが、フランがいようが、構わずにメアリはその場からしゅっと姿を消した。


 マルクはぽかんとそれを見送り、フランは床に蹲ったまま震えている。

「ソフィア様、一体どうしたんです? メイド長のフラン様じゃないですか」

 とマイアが言った。

「そうだ、こいつ、今日からクズニートのメイドな。ミルルとメルルが着てた、あのピンクとブルーのメイド服、あるだろ? 超ミニスカート、ニーソックス、厚底ブーツでパンチラさせながら、ボンボン袖のあれ、こいつの制服な。それ以外認めないから」

「「「え!」」」

 マルクとマイアとフランの声が重なり、

「そ、そんな……」

「えー、フランにあのメイド服は無理だよ。フランて母様と同じ年だろ? 無理無理」

「ぷっ」

 三人三様の返事があった。

「嫌ならいいよ。二人とも、エリオットのおやつ箱な。新鮮な生で喰ってもらえよ」

「!」

 フランは泣きだし、マルクは首を傾げ、

「え? ちょっと何言ってるのか分からないんだが」

 と言った。

「うるせえ! この豚野郎! テメエ、丸焼きにしてやろうか!」

 フランの顔は真っ青で、マルクは意味が分からず、マイアはソフィアをこれ以上怒らせるのはまずいと感じ、黙っている。

 ぼっとソフィアの手の平に炎が灯った。

 その炎をマルクに叩きつけたが、空間からひょいと手が出て、その炎を受け止めてから握り潰した。

「ローガン様!」

 とマイラの声がして、手の次にローガンが姿を現した。

「ローガン、いつの間にそんな空間転移なんて高等魔法を使えるようになったんだ? いや、それにソフィアも……それ炎爆だろ? お前、魔法が使えたのか」

 と炎を恐れ、腕で顔を庇うような体勢だったマルクが呟いた。


「ソフィア様、どうしたんですか? 急なお呼びで」

「ローガン、乳飲み子のソフィアを育てた庭師の夫婦って今どこにいるの?」

「それは探してみないと分かりかねますね」

「探して、今すぐ」

「今すぐですか?」

「今すぐったら今すぐよ!」

「承りました」

「見つけたら、話が聞きたいから連れてきて」

「では、執事長のワルドを仲間にしてもよろしいか? ローガンの記憶と情報によると、伯爵家の雇用、人事関係は執事長のワルドが采配をふるいます。あなたが生まれた八年前、ワルドはすでに執事長の地位にありましたが、伯爵夫人の言いつけ通り、率先してあなたの母親を虐める役をこなしておりました」

 ソフィアの顔がぴくりと引きつった。

「何でもお見通しなのね、ええ、そう。母親に関する事を聞きたいの。だからワルドを歓迎してやってちょうだい。丁寧にね」

「かしこまりました」

 ローガンは丁寧に一礼したが、マルクとフランを見て、

「この二人は?」

 と言った。

「フランはミルルとメルルの代わりにあの制服を着て、マルク兄様のメイドになるのよ。フラン、毎朝、ちゃんとマルク兄様を起こして、朝食へ連れて着てね。ちゃんと制服着用してね?」

 ソフィアがフランに微笑みかけ、フランに回復魔法をかけた。

 右目の傷も、雷魔法の痺れも取れたが、フランは恐怖で腰が抜けたままだった。

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