第三話 ナイフで喉を切り裂く

「ちょっとお待ちなさい、ソフィア」

 夕食後、部屋へ戻ろうとするソフィアにナタリーが声をかけてきた。

「何でしょう」

「あんたじゃないの? エリオットを階段から突き落としたのは!」

「な、何の事でしょう」

「エリオットは足の骨を折ったのよ?! 確かに誰かに背中を押されたって言っていたわ」

「さあ……」

「あんたの部屋から帰る途中の事故なんだから、あんたがやったんでしょう!」

「さあ……」

「しらばっくれて! この!」

 ナタリーは短気ですぐに手が出る。

 もっとも長女のケイトは愛用の鞭が出るので、まだナタリーの方がましだった。

 ケイトのおかげでソフィアの背中はミミズ腫れだらけだ。

「でも……ナタリー様は治癒魔法を使えるんでしょう? 治してさし上げては?」

 とソフィアは言ってみた。

 ぱしっと頬をたたかれ、ソフィアの細い身体が飛んだ。

「生意気な事を言うんじゃないわよ!」

 ナタリーは攻撃魔法は成績も優秀だが治癒魔法は上手く使いこなせない、という事をソフィアは知っていた。

「どうした? 今日はよくしゃべるじゃないか? ソフィア」

 もう一人の従兄弟でエリオットの兄のローガンが言った。

 こちらも金髪碧眼のすこぶる美青年で学園では女の取り巻きがたくさんいる。

「私、今日は疲れましたので、部屋に戻ってもよろしいですか? 噴水に突き飛ばされたり、身体を押さえられたり、息が出来なくて死んでしまったり、蘇生したり、いろいろあったものですから」

 とソフィアが言うとローガンは少しぎょっとしたような顔をした。

「何を言ってるんだ? まあいいや。ベッドに入りたいなら、連れてってやるよ」

 と下卑た笑いをした。

 ソフィアはローガンとエリオット兄弟に日常的に性的悪戯をされていた。

 裸にされ蹴ったり叩いたり、縄で繋がれて身体中なで回されたり。

 泣いて嫌がっても土下座してお願いしても、この兄弟はやめなかった。

 特にローガン。根っからのサディストで、学園でもソフィアを呼び出しては仲間の前でその股間の粗末なものをしゃぶらせたりした。

 ソフィアは痩せて身体中骨ばっているので面白みがなかったのか、無理矢理その身体を貫かれたのは一度だけだが、それはソフィアをますます死への憧れを強めさせた。

 抵抗する気も、怒る気力もない元のソフィアに、新しいソフィアは嫌悪感すら感じた。


「結構です」

 そう言って彼らに背を向けて、ソフィアは自分の部屋への階段を上った。

「そう言うなって」

 ニヤニヤしながらローガンが追いかけてくる。

「そんなメイドの子なんかどこがいいのよ! 気持ち悪い!」

 とナタリーが言った。

 半分とはいえ血の繋がった幼い妹が親族の男にオモチャにされているのを知りながら、バカにした笑い。

 ソフィアは黙って階段を上がった。

 ナタリーはふんと他所へ行ってしまい、にやにや笑いのローガンが後をついてくる。

 

「ねえ、ローガン様、私、ベッドじゃなくて四阿に行きたいです」

「は? 四阿?」

「ええ、駄目ですか? 今夜は月も綺麗だし、暖かいし、散歩に行きません?」

 四阿は屋敷の中庭の奥の薔薇園の中にある。

 昼間はそこで茶会をしたり、ガーデンパーティをしたりする綺麗な場所だが、夜は人目もなく淋しい。

「面倒くせえ。せっかく三階まであがったのによ」

 ローガンはソフィアのベッドにどさっと座った。

「ご存じです? メイド部屋の奥の扉から外階段に出られるんですよ? メイドがお休みを頂いた日に遅くなって、裏門を閉められても、そこから戻ってこられるんです。みんなお互い様だから内緒で開けてあるんですよ」

 と言うと、ローガンは興味を示したように起き上がった。


 そっとメイド部屋の前を通り抜ける。

 一番奥の扉を開くと、朽ちかけた木の階段があった。

「そっと行ってくださいね、危険だから」

「ああ、へえ、面白いじゃねえか。確かにこっからなら誰にも見つからずに抜け出せるな」

「でしょう? 行きましょう」

「お前、先に降りろ」

「え?」

「後から突き飛ばされるなんてごめんだからな」

「そんなことしません」

「お前……何だか急に変わったな。何やられてもめそめそしてるだけだったのに」

「そうですかぁ? 反吐が出るような嫌な事でも慣れるんじゃないかな」

 と言いながらソフィアは先に階段へ出た。

 それから構わずに階段を下りていく。

 古くて老朽化してる階段はどすどす歩いたら危険だった。

 そっとそっと、ソフィアは歩いた。

 

 元のソフィアはよく夜中に抜け出して四阿で泣いていた。

 だから階段のどこが脆くて危険なのか知ってる。

 兄弟揃って階段落ちは芸がないとは思ったが、急な事態で仕掛けも出来ないのは仕方ない、とソフィアはほくそ笑んだ。

 せいぜい、兄貴の方は派手に死なせてやるよ、とソフィアは思った。

「ローガン様、そこの三段目は脆くて危ないですから、避けて四段目に下りた方がいいです」

 と言うとローガンは何も疑いもせず、一段飛ばしてその下に力を入れて下りた。

 途端に板を踏み抜き、足がその割れ目に挟まりローガンは尻餅をついた。

「てめえ! 違うじゃねえか!」

「うるせえよ」

「は?」

「うるせえつってんだ」

 ソフィアは手に持っていたフォークをぎゃあぎゃあとわめくローガンの右目に突き刺した。

「ぎゃああああああ」

 とローガンの悲鳴が響き渡る前に持って来たボロタオルを口に押し込む。


「殺すなんてもったいない。お前みたいなクズはこうやってじっくりいたぶり続けてやりたいんだ。けどまだまだ他に遊び相手はいるみたいだから、お前はこれでおしまい。ばいばい。この屋敷のリリイ以外のメイドは飼い主と一緒で意地がわりぃけど、仕事はきっちりするね。このナイフの切れ味の良いこと!」


 ローガンの喉から血が噴き出し、驚いたような表情でローガンは息絶えた。

 その身体を階段の隙間から地面に落とす。実際、この階段は老朽化して立ち入り禁止の階段だった。きつい伯爵夫人の目に留めれば叱られるのは必至で、メイド達もその言いつけを守り滅多に人も来ない。立ち入り禁止だけあって、いつか取り壊しにするつもりで下の方には大型ゴミを持って来て積んである。

 その中に紛れ込ませておけば、しばらくは見つからないだろうな、見つかってあいつらの顔が青くなるのも見たいけど、とソフィアは思いながらクスクスと笑った。

 派手に落ちたローガンの死体を下まで見に行くと、あお向けになった死体の上に乗ってその血を舐めている者がいた。

「なんだ、お前?」

 とソフィアが言うと、はっと振り返った。

「お前、ソフィアが可愛がっていた黒猫じゃん、へえ、あっそ。黒猫に変化してる何かだったんだ?」

 シャーッと黒猫が威嚇したが、よろけて蹲った衝撃で猫の姿が崩れた。

 発現した魔力のせいか、ソフィアもはっきりとそれを見た。

「妖魔かなんかの種類? ふーん、ま、いいわ。そのクズの死体が欲しいならあげるよ。食っちまってくれたらせいせいする。じゃーね」

 ソフィアは黒い妖魔と死体をそのままにして階段を上がった。 

「ふふふ、死んで蘇生したわりには上出来な一日じゃね?」

 壊れた階段をよこらしょっと上がって行って廊下に戻り、自分の部屋に戻る。

 汚れたナイフとフォークをちゃんと部屋の水道で洗い、自分もシャワーを浴びて寝る事にした。その頃、ようやく仕事を追えたメイド達が部屋に引き上げて来たようで、かすかに廊下で声がした。

 今日はよく眠れそうだ。な、ソフィア。

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