第17話 上杉菊姫ちゃん その3

「私はなにもしません。ダンジョンらしく、モンスターと戦ってもらいましょう」


 キングウルフが下劣兄弟を威嚇する。


・そうきたか……


・モンスターテイマーかよ


・この発想はなかった


・勝ったな、風呂入ってくる


 視聴者同様、いや視聴者以上に、菊姫は黒子に憧憬の眼差しを向けていた。

 本来ハズレスキルに分類されるアイテム生産スキルを、ここまで極めてしまうなんて。


「あ、兄貴……」


「慌てるな弟よ。いまの俺たちは絶好調なんだぜ」


「そ、そうだな!!」


 兄弟たちがウルフに立ち向かう。

 キングウルフはSランクモンスター。速さも、爪や牙の鋭さも並のモンスターとは比べ物にならない。

 一番恐ろしいのは、ウルフが纏う体毛。

 激昂すると毛が硬く逆立ち、防御と攻撃の要となるのだ。


 黒子が先ほど使用した特性のハサミでなければ、傷つけることすら困難であろう。


 しかし、


「おー、あの2人、なかなか良い勝負しちゃってますね」


 2人のコンビネーション棍棒術に、ウルフは翻弄されていた。

 兄弟のスキルは『棍棒術』本来スキルレベルBであるが、菊姫の影響でAAレベルにまで上昇している。


 レベルが高ければ、自ずと棍棒の技術や攻撃力も上がるのだ。


「なに呑気なこと言っているの黒子。きっと菊姫のスキルで強くなっているからだわ。……そうよ、菊姫、あなたのスキルでウルフを強化できないの?」


 菊姫が視線を落とした。

 できることならやっているのだ。


「ご、ごめんなさい。狼さん、あの2人と戦ってくれているから、安心しちゃって」


 いまいち敵と認識できず、スキルが発動されないらしい。

 つくづく、使い勝手の悪いスキルである。


 菊姫の瞳から、ポロポロと涙が溢れだす。


「変わりたいって思ったのに、なにもできないどころか、足を引っ張って、ごめんなさい」


「菊姫……」


「わたしのスキルじゃ、どう足掻いても黒子さんみたいには……なれないんですね」


 こんなことなら、未来の自分に期待なんかしないで、ずっと日陰にこもっていればよかった。

 駿河のように、ネットで大人気のダンジョン冒険者になれるかも。なんて、所詮は幻想だったのか。


 菊姫の涙がマスクを濡らす。

 息苦しくなり、マスクを取る。


 キングウルフが、徐々にであるが弱り始めていた。


「わー、菊姫さんの素顔、とても綺麗ですね!!」


「え?」


「あの学校の人はみんな美人さんなのでしょうか? 駿河さんも美人ですし」


 こんなときに何を言い出すのか。


「あの……」


「大丈夫ですよ菊姫さん。この世に使えないスキルなんかないんです。要は、使い方なんです」


「使い方?」


 黒子は菊姫の隣に密着すると、肩を叩いて、下劣兄弟を指差した。


「落ち着いて、冷静になって、あの2人の頭だけを見つめて」


「頭だけ、ですか?」


 言われるがまま、兄弟の頭部を睨む。


「あなたと同じスキルを持つ人、以前会ったことがあります。もう冒険者は引退してますけど。その人が言うには」


 敵強化のスキルの真髄は、恐怖ではなく怒りによる敵対心。


「とめどなく不満を抱いてください。怒ってください。どうして駿河さんとの楽しい時間を、あんなやつらに邪魔されなくちゃいけないんだ。どうしてあんなやつらのために、ビクビク怯えていないといけないんだ、って」


 じっと、菊姫は兄弟を見つめた。

 黒子の言う通りだ。

 あの兄弟は怖い。けれど同時に、憎たらしい。

 性根の腐ったブ男。獣以下の存在。


 そんな連中のせいで、自分や駿河が苦しなくちゃいけないなんて、間違っている。


 下劣弟が高らかに笑った。


「ははは!! 兄貴ぃ、俺、どんどんパワーが漲るよ!!」


「俺もだぜ、弟よ」


 もっと強くしてしまった。

 それでも構わず、黒子が続ける。


「大丈夫です。集中して……。彼らの『悪い脳みそ』をどんどん強くしちゃいましょう」




 瞬間、兄弟に異変が起きる。

 ウルフの動きが遅く見える。

 思考力が爆発的に活性化し、ウルフを倒す算段がいくつも浮かび上がってくる。


 勝てる。

 脳が人生で最高潮に冴えまくっている。


 こんなモンスターさっさと倒して、あの女どもを犯してやる!!


 が、


「う、動かねえ」


「俺もだぜ、兄貴ぃ!!」


 肉体が脳の指示を受け付けない。

 指先一つ動かない。


 ウルフから距離を取りたいのに足が動かない。

 女どもがなにかしたのか。確認したくても首も眼球も回らない。

 微かに指が動いた。


 さっきしようとしたことが、かなり遅れて、しかもゆっくり実行される。


 まるで思考だけが先走っているかのよう。



 彼らに訪れた異変。

 その正体は、菊姫のスキルによるものだった。


 敵を強化するスキルの効果を、兄弟の脳みそに絞ったのだ。

 情報の処理速度、四肢への電気信号、すべてが常人を遥かに上回っているのが、己の肉体すら置き去りにしているのである。


 結果として、脳と体の時間の流れ、バランスにズレが生じ、全身の筋肉組織は混乱。

 マトモに動くことすらできなくなってしまった。


 上司から一度に大量の命令を下されて、何から始めればいいかわからず硬直する新入社員のようだ。


「この辺いいでしょう」


 ウルフが下劣兄を食おうとした瞬間、黒子は煙玉を投げつけた。


 キングウルフ用の麻酔薬である。


 ウルフは気絶するように眠り、戦闘が終わった。


 兄弟はいまだに止まったままである。


「黒子さん……わ、わたし……」


「お手柄ですね!! 菊姫さん!!」


「こ、これ、私が?」


「はい!! 菊姫さんのスキルの力です!!」


 自分に、このハズレスキルに、こんなことができるなんて。

 菊姫が流していた涙の色が変わる。


 失望から、歓喜へと。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 その後、下劣兄弟を縄でガチガチに縛り、菊姫のスキルは解除された。

 もう恐怖も敵意も抱いていないのだろう。


 駿河が2人に切先を向ける。


「あなた達、ドットマジェスティなの?」


「けっ、だったらなんだよ」


「松平小牧、知ってる?」


「知らねえよそんなやつ」


「じゃあ、あなた達のボスについて、教えなさい」


「誰が……」


 言い終わる寸前、黒子がキングウルフの方を見た。


「そのうち起きちゃいますね、ウルフ。そろそろ逃げましょうか。3人だけで」


「くっ!! お、俺たちが知っていることはひとつ……ボスの目的は、戦闘が得意な冒険者を集めること。理由は知らねえよ。ただ、ボスは犯罪を握りつぶせる力があるし、所属していて損はねえってだけだ」


 さらに駿河が問う。


「活動目的は?」


「さあな。おかしなことがあれば報告しろ、としか指示されてねえ」


「ボスはどこ? だれ?」


「……」


 返答が止まった。

 それを口にすることは、自殺と同じという意味なのだろう。


 質問は終わった。

 最後に黒子が、下劣兄弟にスプレーを吹きかける。

 キングウルフの毛を素材にしたスプレーだ。


「ケホッ、なにしやがる!!」


「依頼人さんに失礼なことをしてしまったので、せめてものお詫びです」


「はあ?」


「きっと救助隊が来てくれますけど、そうなったらお二人、警察に連行されるじゃないですか? 駿河さんの視聴者の多くが通報していると思うので」


「けっ、そんなもん、もみ消してやるよ!!」


「でも、もみ消せないかもしれないですよね? なので、簡単に救助されないように、キングウルフに好かれる匂いをつけておきました」


「え」


「救助隊が来ても、キングウルフが守ってくれますよ!!」


 依頼されていた活力剤を側におく。

 手足を縛っているので、今回はサインを貰わないらしい。


「ささ、駿河さん、菊姫さん、帰りましょう」


「ちょ、待てよ!! 俺たちはどうなるんだよ!!」


「キングウルフはお利口なので、お腹が空いたら食べ物もってきてくれますよ」


「そういう問題じゃねえ!! おい!! おい!!」


 黒子たちがいなくなると、キングウルフが目を覚ました。

 2人の匂いを嗅ぎ、子供を愛でるように舌で舐め回す。


「あ、兄貴ぃ〜」


「ここから出せええええ!!!!」


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 ダンジョンから出た後、菊姫は黒子と駿河に深々と頭を下げた。


「ありがとう……ございました」


「いえいえ、私なんて大したことしてないですって」


 謙遜する黒子に、駿河が告げる。


「なに言ってるの。黒子のおかげで助かったわ。ありがとう」


「駿河さんまで。あ、あはは〜」


「で、どうだったの菊姫。ダンジョン、もう懲りた?」


 夕暮れの生暖かい風が菊姫の髪を撫でた。

 怖かった。自分の無力さを改めて思い知った。

 でもーー。


「なんだか、少し、楽しかった、です」


「そう? まあ確かに、最後のトドメを刺したのは菊姫だものね」


「ハズレスキルでも、使い方次第であんなことできるなんて、驚きで、まだドキドキしています」


「それで? これからもダンジョン攻略するの?」


 ピンと胸を張った彼女の前髪の隙間から、丸い瞳が煌めいた。

 おどおどして、ずっと怯えた表情をしていた菊姫はもういない。


「また、やってみたいです。もっともっと、変われる気がするから……。もし、もしよかったら、そのときは」


「えぇ。あなた一人じゃまだ不安ですもの。付き合うわ」


 黒子の口角が大きく上がる。


「困ったことがあれば、いつでも連絡してください!! 黒猫黒子のデリバリーサービスが、すぐに駆けつけます!!」


「ありがとう……ございます」


 ハズレスキルにだって困難を乗り越える力がある。

 この日、ずっと日陰にいた菊姫が、人生ではじめての自信を胸に宿したのだった。

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