第3話 母の慟哭

母は、どこへ行ったか、わからない僕らの飼い主を必死に探していた。僕らの様子を見にくると、半日は、山を降りて行く。帰ってくる母の顔は、いつも、曇っていたが、僕ら兄弟が、ふざけて戯れあっていると。表情は和らいでいた。ただ、この日、母の帰りは、いつもより、遅かった。多くの野犬達が食料を求めて、僕らの家を目指し、また、ある者は、僕らの飼い主が大切にしていた鶏小屋を目指していた。

「帰ってこないで」

僕は、必死に、叫んでいた。母は、飼い主から鶏小屋を守るように訓練されている。こんな状況で、母が帰ってきたら、一匹で、飢えた犬達と闘う事になる。鶏小屋を目指す者がいれば、僕らのいる小屋に来て、僕らの食糧を探す者もいた。みんな飢えていた。目つきも変わり、お腹は、凹んでいて、肋骨が浮き出ていた。僕らは、飼い主のお陰で、生き続けている。みんな、人間のいない世界で、必死に生きている。突然、鶏小屋の方から、大きな吠え声が聞こえてきた。僕は、思わず、飛び出ていきそうになったが、弟が僕の尻尾を咥えて引き留めた。

「絶対、出てはいけないって、母ちゃんが言ってた」

僕は、母に言われた事を思い出して、じっと堪えた。

「母ちゃんだ」

妹が言った。みんな母が帰って来た事を吠え声で知った。すぐにでも、飛び出して会いたかったけど、外の気配は、殺伐としていた。僕らのいる小屋では、僕らの食糧を見つけ出し、皆、必死で貪っていた。鶏小屋の方では、逃げ惑う鳥の羽ばたきと、たくさんの犬の吠える声。悲鳴。唸り声に満ちていた。何羽かの鶏が、僕らの小屋の方に走り出してきた。

「小屋が破られたんだ」

僕は、呟いた。母が一匹で、阻止できる訳はなく、たくさんの犬達が、鶏小屋に押し入り、手当たり次第に鶏達を追いかけていた。

「キャン!」

母の声が上がった時、僕は、思わず、駆け出していた。真っ直ぐに、鶏小屋に向かって走る。兄弟の中で、僕は、走るのが、1番早かった。喧嘩だって、強い。庭を駆け抜け、坂を降りると、飼い主さん達が大事にしている鶏小屋だった。

「母ちゃん!」

僕は、鶏小屋の扉が、突き破れているのを見つけた。あんなに丈夫だった、建物が、あちこち食い破られるている。中からは、著しい血の匂いと、鶏達の声が聞こえる。一面に、野犬とかした犬達が、右往左往して鶏達に襲い掛かっている。その中で、地面に、身を横たえる母の姿があった。

「母ちゃん」

僕は、母に擦り寄った。

「どうして?」

母は、全身を噛まれていた。喉に大きな裂け目があった。飢えた犬達が、必死で鶏達を守ろうとする母に致命的な傷を負わせていた。

「アル?」

母は、うっすらと閉じていた目を開けた。

「早く逃げなさい。みんなが、食べ尽くす前に」

「嫌だ」

「みんなが、迎えに来るから、きっと。逃げなさい」

「やだ」

「お願いだから。ちび達を助けて欲しいの」

母の目が、僕をまっすぐ見ていた。

「アルが、守るのよ。みんなが帰ってくるまで」

「母ちゃんを置いて行けない」

「少し、眠ったら、行くから。ちび達を連れて逃げるの」

「絶対、くる?」

「絶対、いくから」

僕は、母が少し寝たいと言うので、すぐ、その場から離れて、弟達のいる小屋に戻った。小屋の中でも、まだ、食料に群がり、僕の事なんて、誰も目をくれなかった。僕は、弟達に合図をして、古タイヤの隙間から、連れ出すと裏山へと向かって走っていった。後から、来ると言っていた母は、この後も、来る事はなかった。日が登った後、鶏小屋に行ってみたら、母のいた場所に、大きく何かを引きずった後がついていた。ははの匂いだけが、残っていて僕は泣いた。あの時、僕は、どうしたら良かったのだろう?誰か、教えて欲しい。

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