灯朧
小松加籟
朧月
朧月が暗雲の裂目から面貌を出している。ほのかな灯りを四境に投げかける飲料自動販売機の前に立ち、コーデュロイのデニムのポッケから財布を取り出す。
「あの、すみません」、——女の声がうしろから聴こえた。
財布から金銭を取り出そうとする掌が、ぴたっと止まる。
「五〇円、貸してくれませんか?」
「いいですよ」
と、おれは言った。
財布の小銭入れから五〇円玉を取り出し、女の差し出した掌の上にチャリンと落とした。
「ありがとうございます」
女は炭酸水を買った。
「こんな時刻に一人切りで外出ですか」
「ええ……自家は近所ですから。あなたもこの辺りにお住まいで?」、女は炭酸水にくちを附けながら尋ねた。
おれは返辞に窮した。二階建てアパート、けれども、その家に残してきた妹のことが、妙に気がかりだった。
「まあ、そうですね……」
女は、金銭は必ず返すといって、この場を去った。
「お兄ちゃん、あの女、なに?」
「うお、びっくりした」
妹が、気配もなくすぐ傍に立っていた。
「すずね、お前深夜に戸外に出るなって言っただろ」
「過保護だな」
「お兄ちゃん、あの女、なに?」
と、すずねは繰り返し尋ねた。
「知らない人だよ。家は近所って言ってた」
「一寸、そこの公園で休まない?」
「まあいいけどな」
公園に来た。先刻買った飲料をすずねに手渡すと、すずねは礼を言って受け取り、タブをひらいてくちを附けた。
「ゲームしよっと」
すずねはデバイスをタップして、ゲームを起動させた。
「なにしてんの」
「精神障碍者が作った現代ホラーRPG」
すずねはぽちぽちとデバイスをタップして、ゲームを始めた。
おれはブランコに乗り、ぎーぎーと漕ぐ。
おれは夜空を仰いだ。田舎は空が高いとか空の青さが善いとか、色々言われるけれども、都会の空は朱く近いという。
星々の光が、夜を少し明るくしている。
ブランコを降りて石造りのベンチに腰かけて、襯衣の胸ポケットから烟草を取り出して、ただ凍りつくような暗闇の中で、掌の裡に火を附けた。
少し遠い処で、すずねは未だブランコに乗ったまま微動だにせず、ゲームに興じている。デバイスの光が薄闇をわずかに照らしている。
おれの頸筋の後ろが、チクリと痛んだ。
「何だ……?」
すると、束の間ぼんやりしていると、目の前に大柄な男と小柄な女が立っていた。
「一寸来い」
大柄な男が、おれの腕を摑んで、強引に自動車に連れ込まれそうになった。
「すずね、警察を呼べ!」
「う、うん……」
小柄な女は運転席に座り、大柄な男に自動車の中に引きずり込まれた。
「あんたら、一体なんだ!?」
「黙ってろ。騒がなければ危害は加えない」
おれは身の危険を感じて、押し黙った。
車窓から外の夜景色を眺める余裕など、言うまでもなく、おれにはなかった。
暫くすると、自動車は地下駐車場らしき場所に停まった。
おれは促されてドアをひらき、外に出た。
地下の入り口から建築に入る。大柄な男が先導し、小柄な女とおれはエレベーターに乗り込み、二八階に着いた。
白を基調とした廣い空間に出た。テーブルに機械が置かれて、何らかの作業に没頭している白襯衣の男たちで一杯だった。
「お前もここでゲーム制作に携わってもらう」
「プログラミングの知識なんて、おれにはない……」
と、おれは言った。
「心配するな。人工知能を有するナビゲーションピクシーが作業の手伝いをしてくれる。或る企業が作った可愛い妖精さんが、お前のことも導くだろう」
「ナビゲーションピクシー?」
「ああ……このパソコンの画面を見ろ」
おれは言われた通りにした。画面の中で、小さな可愛らしい女の子が、確かに妖精めいた羽根の生えた姿をして、ヒマそうにしている。
「あ、来た」
と、機械の画面横のスピーカーから声が聴こえた。
「マニュアルもあるが、ナビゲーションピクシーの言う通りにしていれば、ゲーム制作は可能だ」
「報酬はあるのか? こんな強引な方法が罷り通るなら、それなりの報酬がある筈だ」
「心配するなと言っただろう。われわれは犯罪集団ではない。お前もゲーム事業に加わり、有料のゲームを作り、収入を得るんだ」
「で、その金の一部をあんたらに振り込むのか?」と、おれは尋ねた。
「あとはナビゲーションピクシーと必要ならばマニュアル通りにやればいい」
と、大柄な男は言って、階段の方へと歩いて行った。
おれは坐り心地の微妙な椅子に坐り、機械の画面を眺める。ナビゲーションピクシーがこんにちわと挨拶した。
「音声まで人工知能が作ってるのか……?」と、おれは疑問をくちにした。
おれはとりあえず、インターネットで動画サイトにアクセスし、音楽を聴いた。ゲーム制作に必要なスキルや知識は皆無だが、ナビゲーションピクシーの科白をミュートして、いつもの音楽を聴き始めると、ミュートが解除された。
「無視すんなー!」
と、ナビゲーションピクシーが言った。
「一体、何のゲームを作ればいいかもわからないのに、いきなり誘拐されて、言う通りにするほど従順な訣じゃないんだ」
「あのね、ほんとのこと言うとね、有料オンラインゲームで世界を牛耳り、行政に介入して国家を動かす、っていう陰謀なのよ、コレ」
と、ナビゲーションピクシーは造作もなく笑って言った。
「そんな陰謀は聴いたこともないな……」
と、おれは愛想笑いを返しつつ、言った。
「まあ、カンタンにアバターから作りますか」
「そうだな……」
と、おれは心にもなく言った。
「妹に連絡してみるか……そのまえに烟草でも行きたいね」
おれは席を立ち、喫煙室に出向いた。
喫煙室には既に数人の女が居た。
「アレ、あんた誘拐組? 志願者?」
烟草に火を附けた折りに、壁にもたれた格好の若い女が、訊いた。
「誘拐組ですね……」
と、おれは事実だけを簡潔に答えた。
「あたし、夕花。あんたは?」
「美しい夜と書いて美夜と言います」
「女っぽい名前だね」
「まあ……」
と、おれは言って、苦笑いを浮かべた。
「誘拐してゲーム作れなんて、無茶振りもほどほどにしてくれって感じですね……」
「あんた、仕事は?」
おれは答えに詰まった。動間をおいて、
「高卒のフリーターですよ」
「そう? あたしはアプリ開発してたんだけど、会社がつぶれて、気が附いたら薄暗いゲーム制作に関わってたって訣」
「はあ……」
おれはくちから煙を吐きつつも、夕花の造作の整った顔を見た。夕花も烟草を喫っているが、無造作に火を消すと、二本目の烟草に火を附けた。夕花はスパスパ喫って、「まあ、お互い死なない程度に頑張ろうね」
と言って、喫煙室から退室した。
おれは席に戻り、SNSを立ち上げ、妹に連絡した。
「無事か?」
「お兄ちゃんの亡霊?」
と、すぐに返辞が来た。
「霊がメール打てる訣ないだろ」
「まあな」
「とりあえず、裏社会に属するゲーム制作会社に拉致されたっぽいんだよ。警察には行方不明ってことにしてくれ」
「了解」
妹への連絡が済み、おれはゲーム制作を進めることにした。
「イラスト書いて。立体化するから」
と、ナビゲーションピクシーが言った。
「イラスト? そんなカンタンにキャラクターが作れるのか?」
「絵心があればいいけど、デッサンでもいいよ」
「わかった。とりあえずやってみようか」
おれは『トリスタンとイズー』に登場する黄金の髪のイズーをイメージしたキャラクターを描いた。
「It good」
と、ナビゲーションピクシーは言った。
画面に立体化されたキャラクターが映し出される。
周りの人間は、ランニングマン体操をしていたり、アイドルグループの映像を視聴していたり、ゲーム制作の進捗は不明だが、皆各々ゲーム制作を進めているように見える。
「ネーミングセンスはあるかな?」
「キャラクター名はプレイヤーが自由に附けるんじゃないのか?」
「デフォルト名だよ。キャラクターモデルに名が附くのは、個性の造形だよ」
おれは動悩んでから、小説の登場人物の名を流用し、
「ロックで」
「舟でスキンヘッドがアメスピ喫ってるヤツかな?」
おれは薄ら笑いを浮べた。
灯朧 小松加籟 @tanpopo79
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