一献寺香良はとにかくヤバい変態 2

 俺は相手を刺激しないようにそろ~っと部屋を出ていこうとした。変態を刺激しない最善の方法かと思ったが、


「待ち給え!」


 ドアに向かって歩きだし、背を向けたのが大失敗、変態が背中に飛びついてきた。


「ぎゃーっ変態!」


 マッチョとは思えない情けない声が、喉奥からほとばしった。


「失敬な! 誰が変態だ誰が!」


 そう言いながらも一献寺香良とかいう変態は俺の身体に全身を絡めてくる。

 それだけならまだしも、背中に唇を這わせたり、首筋に頬ずりしてくる。正直気持ちが良い……いやいや! 待て! 冷静になれ!


 たしかに美人だし、背中や下半身に当たる女性特有の柔らかいボディが思春期男子を惑わす強敵だということは認めざるを得ない。

 だが、しかし、そんなもんに誘惑されてどうする!

 なにせ相手は正体不明の変態だ。色香にやられちゃ後が怖い。

 ここはマッチョを活かして多少強引にでも振り払うべきだ。


 俺は巻き付いて離れない彼女の首を左手で、腕を右手で掴んだ。


「あっん……」


 一献寺香良が耳元で変な声を出しやがる。

 首も腕も、やけに汗で粘っている。興奮しすぎだろこの変態。

 今すぐ俺の持てるマッスルを総動員して力の限り振りほどいてやりたかったが躊躇ってしまった。


 一献寺香良の首も腕もあまりにも細く、華奢だった。掴んだだけで軋みそうなほど。

 これ以上力をかけるとさすがに大変なことになりそうな予感。


「あぁ……さぁ、どうするんだ? 私をその逞しい身体でめちゃめちゃにするのか? それもいいだろう。圧倒的な男の力で美しくか弱い女の私をいたぶってくれたまえ……強く、激しく、熱く……」


 ホント、何言ってるのこの人? マジで怖い。

 もうこのままこの変態を背中におぶったままここから逃げようかな?

 子泣きじじいに取り憑かれた人の気持ちが初めてわかった気がする。


「今逃げようと考えていただろう?」


 ギクゥッっ!

 まさかこの変態、他人の心が読めるのか!?

 サトリサトラレ、ヤリヤラレ!?


「ふふっ、だとしたら止めた方がいい。君のご両親がどうなってもいいのなら話は別だが……」


「そ、それはどういう……」


「君のご両親は我々の手中にある、ということだよ。高校生でも意味くらいわかるだろう? さぁ、早く私をその優れた素晴らしいモリモリのガチガチの肉体で好き勝手めちゃめちゃにやってくれ! 生命の尊厳すら汚すほど情熱的かつ破滅的に!」


「!? 前半と後半の文章辻褄合わなくないですか!? 訳分かりませんよ!」


「まだ高校生の君にはわからないかもしれないね。いや、実のところ私にもわからないのだ。ただ私は能見琴也、君に魅せられたのだ! だから私は君を呼んだのだよ。私のために、そして世界のために……」


 ちょっと何言ってるのかマジで本当に心底理解できない。

 マッチョが好きっぽいのは薄っすらとなんとなくだがわかった気がする。

 まさかマッチョになって変なのに目をつけられるとは思わなかった。マッチョもいいことばかりじゃないらしい。


 こういう危ないのは本当にあの世に送ったほうが世のため人のためなのかもしれないけど、だからといって俺自らの手で殺すのは絶対にイヤだ。ドラゴンは殴れても人は簡単に殴れない。

 あ、銃撃ってきたメン・イン・ブラックの連中は別ね。


 ここで一つ妙案が浮かんだ。

 このまま放置でいいんじゃない? 


 放置しとけばさすがに疲れて自分から離れるだろう。女性だし、そんなに時間もかからなさそうだし。


 放置作戦決行。


 すると、一献寺香良は俺の抵抗がないことをいいことに、俺の身体を全身で這いずり回り始めた。さなが虫のように。それも生活圏に出てくるタイプの嫌な害虫を思わせる動き。


「ははははっ!! いいぞ、この肉体! どこをとっても全てにおいて素晴らしい! さぁ、早く私をその丸太のような太い腕と脚で蹂躙してくれたまえ! どうした!? なぜしない? 美しい手弱女を獣性に身を任せ、己が手で弄びたくはないか!?」


 ホント、さっきから何を言ってるんだろうこの人は。

 この人の趣味についていけない。ついていきたくもない。ついていく理由もない。


 もう無視だ。無視を決め込もう。変態と会話をしようなんて無理だ。

 俺は悟った。諦めの境地に達した。

 心を無にして、変態が疲れて死んだ虫みたいに地に這いつくばるのを待った。


 そのときだった、


「能見くん、大丈夫っ!?」


 突然ドアが開き、やってきたのは師炉勇魚。

 目が合った。みるみるうちに彼女の顔色が変わってゆく。

 必死そうに真剣だった顔が、みるみるうちに笑顔に……なのに、額の上には太い血管の十字路がくっきり浮かび上がっていた。


「……どうやらお邪魔しちゃったみたいね」


 真冬の北極に吹き荒れるブリザードより冷たい響きの声で勇魚は言い放ち、くるりと踵を返して部屋を出ていこうとした。


 え、なんで!?

 俺を助けに来てくれたんだよね!?

 なぜに帰ろうとする!?


「ま、待ってくれ師炉勇魚!」


 立ち止まり、勇魚がこっちを振り向く、が、また出ていこうとする。


「待って待って待って!!!」


 勇魚が足を止めた。

 が、また行ってしまいそうになる。


「ちょいちょいちょいちょい! 待て待て待て待て!」


 勇魚が振り向いて言った。


「約束、忘れたの?」


「や、約束?」


「名前で呼んでって言ったよね」


 ああ、それか!

 でもそれって約束だったっけ?

 いや、今はそんなことを気にしてる場合じゃない!


「待ってくれ勇魚! 話を聞いてくれ!」


 勇魚はようやく立ち止まってくれた。


「話くらいは聞いてあげようかな」


 微笑む勇魚を見て、俺はホッと息をついた。


 勇魚が来てくれたからにはもう大丈夫……なのかな?

 とにかく勇魚が来てくれただけでものすごく安心感がある。

 学校のアイドルで著名な冒険者の娘の若くしてCクラス冒険者の彼女を心強く思い、頼りにしている俺がいる。


 しかし勇魚は一体何をそんなに怒っていたのだろう?

 助けに来てくれたはずなのに、助けるどころか帰ろうとしたし、ピンチな俺に優しい言葉をかけるどころかかなり冷たかったし……。


 せっかく助けに来てくれたのだから、文句は言わずに心の奥底にしまっておいた。迂闊に口に出して、またへそを曲げられても困るし。

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