第36話 たとえ忘れたとしても

 僕はこはるを探していた。

 どこにいるかもわからない。何が起きているかもわからない。だけどこはるを探さなければいけない。そう思っていた。

 どこにいけばいいかもわからないけれど、ただ僕は気がつくとこはるの家の前までやってきていた。


 そこがこはるの家だと気がついたのは、目の前にたどりついたときだった。

 でもどうして僕はここがこはるの家だとわかったんだ。心の中で疑問に感じるが、すぐになぜかは思い出していた。


 そうだ。あいつにここで僕は殴られた。怒りと悔しさと強い感情の起伏を覚えている。

 あいつからこはるを引き離さなきゃいけない。細かい事は思い出せないけど、そう強く思った。


 その瞬間に僕のスマホが音を奏でていた。ライムの音だ。

 またかなみだろうか。実際メッセージを送ってくるのは、かなみくらいだ。だったら確認するのは後でいいだろうかとも思う。

 でも絶対に今見ないと後悔する。そんな何か大きな強迫観念にかられて、僕はスマホを開く。

 届いていたメッセージ。


『助けて』


 その言葉をみた瞬間。

 僕の頭の中に何かが流れていく。激しく濁流のように、僕の中にいくつもの映像が浮かんでは消えていく。


 こはるとの出会い。

 こはると一緒に遊んだこと。

 こはるからの告白。

 そして。


 こはるをあの男から助けようとしたこと。

 そうだ。あいつだけは許せないんだ。

 あの男はこはるを汚そうとしていた。

 自分の立場につけこんだ卑劣な奴だった。


 僕はそういう奴が一番嫌いだった。

 自分が清廉潔白な人間だとは思わない。だけどそれでもやってはいけないことがある。


 それをあいつは犯した。

 そうだ。僕は。こはるを助けたいんだ。こはるを助ける。


 僕は。

 それと共にこはるの家の中から強い声が聞こえた。


『たけるくん。たけるくん。たけるくん。助けて。助けて!!』


 こはるが僕を呼んでいた。

 僕に助けてと叫んでいた。

 こはるはそこにいる。家の中にいる。


 理屈ではありえない。でも僕はこはるの声が届いていた。

 こはるの気持ちが届いていた。


 だから僕は家の扉を開く。

 こはるがあの男につかまっていた。思わず僕は叫ぶ。


「こはるを離せ!!」


 僕はそのままあの男へと飛びかかっていた。


「お前は!?」


 あの男が声を漏らしていた。

 でもそんなことはかまうことはない。僕はこはるを救う。こはるを助けるんだ。

 それ以外には何も考えていなかった。

 なんでそう思えたのかわからない。でも目の前の彼女を救うことが、僕にとって一番大切なことなんだ。

 こはるを救う。ただそれだけのために、僕は飛びかかる。


「なんでお前がここにいるんだ!? なぜ」


 男の言葉はきかずに、僕はそのまま体をぶつけていた。

 こはるの手をつかんでいた腕が離れる。

 男はそのまま床へと倒れていたから、僕はそのまま相手の上へととびのって抑える。


「こはる、警察を呼ぶんだ! はやく!」

「あ、う、うん」


 叫んだ声にこはるが反応していた。

 よし。これでいい。あとは警察がくるまで、こいつを何とか抑えればこちらの勝ちだ。

 こいつには確か接近禁止命令が出ているはず。こはるに近づいただけで罪になる。だから僕はこいつを逃がさないだけでいい。


「きさま!?」


 ただ男は僕をはじき飛ばすようにして立ち上がる。

 かなりの力だった。だけどすぐに僕は男の腰へと飛びかかる。

 男はふらついて倒れかけるが、それでも何とか耐えると、僕をその手で殴り飛ばしていく。

 強い衝撃が走った。

 痛みが何度も送られてくる。

 それでもいい。離すもんか。絶対に離さない。

 こいつをここで取り逃す訳にはいかないんだ。僕は絶対に離さない。

 そして痛みと共に、僕の心の中のもやが少しずつ晴れていくのを感じていた。

 直接的な記憶ではなく、この間接的な心が、僕の病気を少しずつ消しているのがわかる。


「警察ですか!? いま襲われているんです。助けてください!」


 こはるは警察への通報は出来たのだろう。

 あとはこいつを抑えつけておけばいい。

 まだ記憶はすべてを取り戻した訳ではない。

 でもこはるを助けなければいけない。その気持ちだけは本当の気持ちだった。


「こはる! 鍵を閉めろ。こいつを逃がすな」


 僕は叫ぶ。

 警察が来るまで取り押さえなければ。

 もうこんなことはさせない。こはるを。助けるんだ。僕が。


「離せ! なんでお前が」


 男は僕の頭を殴りつける。強い痛みが走っていた。

 でも僕は離さない。こいつを絶対に許してたまるものか。

 そうだ。以前にもこんなことがあった。

 僕はこはるを助けたいと思った。だからわざと殴られて、そしてこいつを犯人に仕立て上げることで証拠を作った。

 ならもういちど。こんどこそ完璧な証拠を作るんだ。


「絶対に僕はお前を許さない。僕は、こはるを守る。だって僕は」


 相手をつかんでいる両手に力を込める。


「こはるのことが大好きだから!!!」


 思いだした。思い出していた。

 僕はこはるが好きなんだ。

 こはるを守りたいんだ。


 何度も何度も忘れていた。忘れてしまっていた。

 思い出していた。


 こはるを大好きなこと。

 こはるを大好きでいたいこと。


 大好きなことを思い出したから、忘れてしまうかもしれない。忘れたくない。

 でも僕が思い出さなければ、こはるが傷つけられてしまう。

 こいつからこはるを守るために、僕はすべてを思い出した。


 これで僕はまたこはるのことを忘れてしまうのかもしれない。

 でも今はこはるのことを守る。今は忘れない。絶対に守る。絶対に。


 僕の右手が逆に男の頭を捉える。

 あいつは吹き飛んで転がっていく。

 そのまま男の上に覆い被さる。相手の手をひねりあげながら、そのまま床へと抑えつけていた。

 僕だってサッカー部でそれなりに体を鍛えている。もう二度とこんな真似はさせない。


「や……やめ……やめろ……」

「二度とこはるに近づくな! 僕が許さない。何度お前がやってきても、僕が絶対に、こはるを守るから!!」

「わ……わかった……わかったから……離してくれ……!!」


 男は悲鳴のような声をあげる。

 それでも僕はこいつを離さない。

 もう二度と、絶対にこはるに近づけないように。

 僕はすべてを思い出していた。こはるを守りたいという気持ちが僕を突き動かしていた。

 すべてを忘れてしまったとしても、こはるを守るために。

 ただ警察がくるまで、僕はこいつを抑え続けていた。

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