第16話 君から届いたメッセージ
放課後までの間、僕は結局こはるに会いに行くことは出来なかった。
こはるとそこまで親しい仲という訳ではないから、人がいる時間に呼び出してもらうのも気が引けたし、何を話していいものかわからなかった。
冷静に考えてみたら僕はかなりおかしいことを考えているとは思う。
ただ同然にしては同じ名前なんて出来すぎているし、僕が作り出した架空の人間でなければこはる本人である可能性は高い。ただし僕が作り出した架空の人間である可能性だって高いとは思った。
自分がおかしくなっているのか。それとも違う何かが起きているのか。僕には理解出来なかった。
そういえば今日は病院へいく日だ。
今までストレス性の病気だとか言われて、何の病気なんだかもよくわからなかったけれど、もしかしてこのことは僕の病気と関係があるのだろうか。
だとすれば先生にきいてみればわかるのだろうか。
でもそれも何か怖い気がしていた。先生が言っていないことだとすれば、何か自分が知ってはいけないようなことを知ろうとしているのではないかとも思う。
ただこのまま何もしないでいたとしても、気になって仕方なかった。
こはるはもう帰ってしまっただろうか。こはると話してみるべきなのだろうとは思う。このライムの『こはる』が彼女だとしても、彼女ではないにしても、訊けばはっきりすることだ。
だけどどこかふんぎりがつかないまま、気がつくと時間が過ぎていた。教室の中には他には誰も残っていない。
とにかくまずは帰ろう。
そう思った瞬間だった。スマホが音を立てて震えていた。
ライムの通知。そして差出人は『こはる』からだった。
胸の中がつよく跳ね上がる。はやる気持ちを抑えきれずに、慌てて僕はスマホのロックを外す。
こうして通知がくるということは、このこはるは僕が作り出した架空の人間ではないということだ。なら誰なのか。やっぱり昨日のこはるなのか。
そしてやっと届いた返信は何を告げてきたのか、気になって仕方なかった。
震える手でライムを立ち上げて通知内容を開く。
『キミからメッセージが届くのはひさしぶりだね。ボクはこはる。坂上こはるだよ』
その内容は当たり障りのない返信に過ぎなかったけれど、確かにこの先に誰かがいる。それだけはわかる。
『君は昨日あったこはるなの?』
すぐにメッセージを送る。いまなら返信があるだろうか。昨日のメッセージを送ってから返信が届くまでにかなりの時間がかかった。それなら今回も返信がくるまでには時間がかかるかもしれない。
心臓の鳴る音が大きくて、他の人にまで聞こえてしまうのではないかと思った。喉の渇きを強く感じていた。真実を知りたい。そう思う。
自分の中の知らない何かが、息を詰まらせたかのようにして空気を求める。
呼吸を忘れてしまったように胸が締め付けられていた。
かなり長い間のように感じていたけれど、でも実際にはほとんど間を置かずにメッセージが送られてくる。
『そうだよ。昨日キミが助けてくれたこはるだよ』
僕は頭を殴りつけられたかのような衝撃を感じていた。
その返信を想像していなかった訳ではない。それでも彼女だとはっきりしたことで、僕の鼓動はさらに強く跳ね上がった。
それならば昨日の時点でこはるは僕のことを知っていたということになる。確かに距離の詰め方はかなり早かったとは思う。でもそれはフレンドリーな子であれば、それほど珍しいことでもない程度だ。
だけどこはるの距離の詰め方が早かったのは、そうではないということなのだろう。
あのライムは彼氏彼女の関係でなければおかしい。それならばむしろこはるは感情を押し殺していたということになる。
彼女は僕のことを知っている。だけど僕は彼女のことを知らない。
『僕は君のことを知らない。なのにどうしてライムがつながっているんだ。僕と君はどういう関係なんだ』
とにかく僕はこはるとのことを知りたくてメッセージを送っていた。
知ってはいけない。そんな気持ちもどこかに感じていた。それでも僕は彼女のことを、そして自分が無くしてしまっている何かを知りたいという気持ちを抑えつけることは出来なかった。
こんどは本当になかなか返信が戻ってこなかった。
十分くらいは経っただろうか。その間、僕はずっとただ困惑の気持ちだけが頭の中を占めていて、むしろこはるに対しては恐れの方が強く感じていた。
それでも彼女と話したいと思った。
彼女のことを知りたいと思った。
どうしたらいいかわからない。わからないけれど、真実を知りたいと思った。
そしてもういちどメッセージを知らせる音が鳴り響く。
『どういう関係なんだろうね。ボクにもわからないよ。でもね。少なくともライムのつながりがあるくらいにはかつて関係があったってことだよ。キミは全部忘れてしまっているんだろうけどね』
こはるも二人の関係については悩んでいるのか答えを出せないようだった。
ただこはるのメッセージに書かれていた『忘れている』という言葉に、僕はめまいを覚えて、喉の奥が焼け付くようで、胃の中身をすべて吐き出しそうにすら感じていた。
忘れている。確かにそうだとすれば、すべてつじつまはあう。僕とこはるは関係があって、でも僕がすべて忘れているのだとすれば、この過去のやりとりもわかる。
僕の病気は記憶喪失だったのか。一部の記憶をなくしてしまっているのか。それならこはるが僕のことを知っていて、こはるが僕に覚えていないといったこともつじつまがあう。
納得は出来る。出来るけれど、でもこはるのことは思い出せない。こう言われてみればかつて何かがあったような気もするけれど、それが気のせいなのか、実際に記憶の端に残っているのかはわからなかった。
そしてすぐに再びライムのメッセージが音を奏でた。
『あの後からキミはなぜかライムはぜんぜん返信をくれなかった。だから今回のメッセージにボクは驚いているし、どうしたらいいのかわからないんだ。ここでボクが書いているメッセージが、キミにどんな作用をするのか、まるでわからない。でもね。でも』
その言葉はこはるの想いがあふれてくるかのようだった。
そしてすぐに連続していくつものメッセージが送られてくる。
『ボクはうれしかった』
『キミからの言葉がうれしかった』
『キミとこうしてやりとりできることが、何よりもうれしかった』
『だけど』
『こんなことを言ってしまったら、キミはまた忘れてしまうのかもしれない』
『だから返信できなかった』
『でもそれでも送らずにはいられないんだ』
『うれしかった。キミからの言葉をずっと待っていた』
『ボクはどうしたらいいのかわからない』
『でも。でもボクは』
『キミが好きなんだ』
連続して何通も送られてくるメッセージ。
その中に強い感情が含まれていることは感じられていた。
やっぱりこはると僕とはつきあっていたのだろう。そしてこはるはまだ僕のことを好きでいてくれるのだろう。
僕は忘れてしまっている。こはるのことは可愛いとは思った。でも好きだという気持ちは覚えていない。僕はこはるを知らない。それなのにまだ僕のことを好きでいてくれて、そしてこはるはボクが忘れていることを知っているのだろう。
なのに。
僕はただ恐れだけを感じていた。
何に対する恐怖なのかはわからない。でも体が震えていた。
自分の知らないところで何かが起きていることに対してだろうか。
僕のことを少なからず想ってくれている人のことを忘れていたことに対してだろうか。
知らない子が僕のことを好きでいることに対してだろうか。
それとも、もういちど忘れてしまうかもしれないことに対してだろうか。
僕はライムの画面を閉じていた。
頭を抱え込んで、それから強くかきむしる。頭の中が混乱して何を感じたらいいのかわからなかった。
何だよ。何が起きているんだよ。僕はどうして彼女のことを忘れているんだ。
こはるは何を知っているんだろう。こはるは何を見てきたのだろう。
わからない。わからないんだ。
でもこれ以上には忘れちゃいけないのだと思った。
いま僕は覚えている。こはるのことを覚えている。でも僕が知っているのは、昨日のこはるだけ。かつて交わしたのだろう、こはるの想いも、こはるへの想いも覚えてはいない。
忘れているのなら思い出したい。知らないことがあるなんて気持ち悪いと思う。
なのになぜか思い出してはいけないとも思う。
それは僕がいま忘れていることと関係があるのだろうか。僕はまた忘れてしまうのだろうか。だから思い出してはいけないのだろうか。
わからない。わからなかった。
ただ。こはるという名前だけが、僕の胸の中にしこりのように残り続けている。
ボールが蹴りたいな。無心にボールを蹴って忘れてしまいたい。
サッカーがしたい。
何かわからない気持ちからの反動なのか。僕はただ好きなものにぶつかりたいと思って、ふらふらと歩き始めていた。
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