第7話 大好きだから忘れる

 今日は一日ずっとこはるのことばかり考えていた気がする。

 彼女の策略にまんまとはまっているように思えるけど、まぁ、もうこれが罰ゲームによるものだったとしても、それはそれでいいかなってそういう気もしてきていた。


 騙されているのだとしても、彼女と一緒にいる時間は楽しくて。楽しい想いをさせてくれたのなら、もう十分におつりはもらった気がする。

 ほれっぽいのかもしれない。でも仕方ないじゃないか。僕はもうほとんど女子と縁がない生活をしてきていたんだ。あんなにぐいぐいこられたら、気になってしまうって。


 それにわざわざ罰ゲームのために、手作り弁当を作ってくるなんて出来るだろうか。僕なら出来ない。

 ならやっぱり彼女は僕の事を本当に好きだと思ってくれているんだろうか。


 彼女に惚れられるような心当たりは何もない。こはるの勘違いか何かなのかもしれない。

 でももし勘違いだったとしても、好きでいてくれるならそれでいいんじゃないかなと、少し思い始めていた。


 放課後、僕は教室で待ち続ける。こはるはまだこない。日直か何かで遅れているのかもしれない。

 しばらく時間が経つ。僕の教室にはもう誰もいなくなった。本来教室の戸締まりは日直の仕事なのだけど、鍵を受け取って、戸締まりは僕がする事にした。


「こはる……遅いな……」


 何かあったのだろうか。

 それともやっぱり僕はからかわれていただけなのだろうか。

 いや、さすがにそれは考えにくい。僕をからかうためだけにはしては手が込みすぎている。そうなるとこはるに何かあったと考える方が自然だろう。

 探しに行くべきだろうか。でももしかしたらすれ違うかもしれない。


 考えてみるとこはるの連絡先は知らない。ライムのアカウント交換くらいしておくべきだったかもしれない。ライムは普段ほとんど妹のかなえくらいとしか送りあわないけど、いちおうアカウントは持っている。


 とりあえず廊下に出て辺りを見回してみる。この辺りにはいないようだ。

 春先の暖かい空気が廊下を満たしていた。西日が射していて、それなりの陽気に満たされている。

 だけど今はなぜかどこか寒気すら覚えて、なぜだか不安を覚えていた。


 こはるを探しにいこうと思って、考えてみるとこはるのクラスが何組かも知らなかった。僕は本当に彼女の事を何も知らない。リボンの色から同じ学年だという事がわかっているだけだ。

 とりあえず他のクラスを覗いている。しかし他のクラスはどこもすでに戸締まりがすんでおり、人のいる様子はなかった。

 やっぱり先に帰ってしまったのだろうか。


 そう思った時にふと廊下から外をみた時に、裏庭の方にこはるの姿が見て取れた。

 先に帰ってしまった訳ではなかったのかとほっとするものの、すぐに様子がおかしい事に気がつく。

 他にも誰かいるようだったけれど、ここからでは陰になってよく見えない。

 とにかくそっちにいってみようと思って階段を駆け下りる。それから裏庭の方へと急いで向かう。


 校舎の角、裏庭の直前まできた。まだこはるの姿は見えない。

 だけど僕が裏庭にたどり着く前に、何か言い争う声が聞こえてきていた。


「いいかげんにしてくれよ。ボクは君とつきあう気はないって、なんども言っているじゃないか。ボクにはもうすでにちゃんと彼氏がいるんだ」


 最初に聞こえたのは、どこか怒りすら感じさせるこはるの声だった。

 だけどそれ以上に、彼女の言葉の方が気になっていた。彼氏がいる。その言葉の衝撃に思っていた以上に打ちのめされる。

 他に彼氏がいるというのなら、やっぱり僕をからかっていただけだったのだろうか。


 あんなに可愛い子が僕を好きだなんて、何かおかしいと思ったんだ。でも。

 彼女の事を信じてもいいかなって、少し思ってきたところだったのに。


 僕の足はそれ以上、前には進めなくなっていた。

 目の前がふらふらと揺れていた。心臓が強く胸を鳴らしていた。息が出来なくて、苦しい。

 強い衝撃に、僕の頭は混乱していた。


 どうして。たかだか数日前に知り合った女の子に少しばかりからかわれていた。それだけだ。それだけなのに、どうして僕はこんなにも取り乱しているのだろう。

 何かこの世の終わりとすら感じられていた。

 そりゃあ僕は女の子には慣れていない。本当に小さな頃を除けば、女の子に好きだなんて言われた事はない。

 だから舞い上がってしまったのはわかる。それは仕方ない。

 でもそうだとして、どうしてここまで僕は打ちのめされているのだろうか。

 わからない。わからなかった。


 だけどもういい。ここから立ち去ろう。

 きびすを返して背を向けようとした瞬間、続いて野太い男の声が響いた。


「彼氏って、あんな奴のどこがいいんだよ。お前がどれだけあいつの事を好きであろうが、お前の事を全部忘れてしまうんだろ。嫌なんだよ。お前がこれ以上に苦しむのは。あいつの記憶喪失に振り回されるお前をみていると辛いんだよ。もうあいつのことは忘れてしまえよ。俺だったら、お前を苦しませたりしない」


 声の主はどこかで聴いたことがある声だとは思う。でもすぐに誰のものかはわからなかった。いやその声の主が誰かだなんてことは僕にはどうでもよかった。


 その言葉の内容に、僕は何か強い衝撃を感じていた。忘れる。忘れるって何だ。何か、何かが、僕に刃を突きつけるように思えた。

 そして続いて伝わるこはるの言葉に、さらに僕は引き裂かれるような痛みを覚えていた。


「たけるくんの事を悪く言わないで。いいんだよ。覚えていなくたって。忘れられてしまったって。ボクは、ずっとたけるくんが好きなんだ。何回忘れられたって。ボクは」


 こはるの口から僕の名前が出ていた。

 その言葉に僕は頭の中が真っ暗になって、心の中をずたぼろに切り裂かれたような気がしていた。


 こはるの言う彼氏っていうのは、僕の事なのか。

 忘れている? 僕が? 僕の?

 いや、どういうことだよ。

 僕はこはるを知らない。こはるなんて知らない。覚えていない。記憶の中にはない。

 だけどこはるは。僕を知っている。僕のことを何でも知っている。


 僕と一緒にいた。

 僕のためにサッカーを覚えた。

 そうだ。僕は。こはると。サッカーをした。

 こはるがサッカーしようよって、急にいいだして。僕はサッカーなんて知らなかったから、戸惑うばかりで。でもやってみたらなぜか意外とうまく蹴れて。だからこはるに教えてあげ。

 いや。なんだ。この記憶は。僕がサッカーを知らない? そんなことあるわけないだろ。僕はずっと小さな頃からサッカーをやってきたんだ。

 病気でやめたけど、弱小部だったけど、これでもサッカー部のエースだったんだ。

 サッカーを知らない僕なんてあり得ない。なのに。なぜか脳裏に浮かぶ。


 こはるは、僕と一緒にいた?

 いや、わからない。

 僕は忘れてしまった? こはるのことを? 僕は覚えていない? わからない。

 こはると歩いた。こはると一緒に

 こはるが僕と一緒にやるためにサッカーを覚えた。どうして。いつそんなことが。どうしてそんなことを僕は思った。

 何が起きている。何が起こった。


 僕の頭の中はぐちゃぐちゃにかき乱されていく。


「あ……ああ……」


 無意識のうちに声を漏らしていた。


「たけるくん!?」


 その声に気がついたのか、こはるの声が響いた。


 こはるが心配そうに僕にかけよってきていた。優しくて悲しそうな顔をしていた。

 こはるの顔が見えた。ああ、愛しいなって思う。大好きだよって思う。


 だから泣かないで欲しい。君が泣いているところは見たくないんだ。

 一緒にいたい。大好きだ。だけど。だから。


 ダメだ。思い出したらいけない。思い出すな。いま思い出してはいけない。


 僕の気持ちがあふれだすようで、気持ちが漏れ出すようで。

 そしてそのままそれは僕を飲み込んで、頭の中を津波のように押し消していく。


 やめてくれ。嫌だ。嫌なんだ。もう忘れたくない。忘れたくないんだ。

 なのに。その力には僕はあらがえなくて。


 頭の中を真っ白いもやが埋め尽くすようで。


 僕はこはるが好きだ。大好きだ。だから僕はこはるに好きだよって伝えて、僕とこはるはつきあい始めた。

 大好きだった。大好きだったから。


 僕は。


 こはるを忘れた。

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