第6話 お弁当を二人で

 この朝も気持ちの良い天気で、ぽかぽかと日差しが暖かい。

 春がきたなと、僕は思う。ちゅんちゅんとなくスズメたちの声が、さわやかな朝を演出していると思う。

 隣にいる不思議な女の子のことを除けば。


「たけるくん、おはよ」


 こはるが僕の隣でにこやかに微笑んでいた。

 当然のごとく隣に並んで歩いている。でもなんだかんだいいつつも、決して嫌な気持ちになっていないのは、やっぱり彼女が可愛いからだろうか。僕って奴はなんて現金なのか。


「あ、ああ。おはよう」


 どうしても少しどきどきとする。やっぱり女の子は苦手だと思う。どう接していいものかわからない。


「今日たけるくんのクラスでは、数学の宿題でてた? ボク、すごく時間かかっちゃって大変だったんだよね」

「……宿題。はて、なんだっけな」


 むろん宿題が出ているのは知っている。だけど正直、数学は苦手だ。自力で出来るとは思えない。なので学校についたら学に写させてもらう予定だ。


「あー。また斉藤くんのを写すつもりでしょ。ダメだよ、宿題はちゃんと自分でやらないと」

「いや、まぁ、そうはいっても人には向き不向きというものがあってなぁ」


 他の科目ならともかく、数学だけは、数学だけは苦手なのである。

 いやぶっちゃけ他も得意とは言い切れないが、数学は難しすぎるのだ。数式をみているだけでくらくらとする。

 ただそんな会話をしていると、どこかで以前にもこんな会話をした事があるような気がしていた。もっとも僕には親しい女の子の友達なんていないから、したとしても男友達とだろうけども。


「そうなんだ。もうすぐテストだけど大丈夫?」

「まあ……うん。大丈夫……ではないかな」


 心配そうなこはるに、曖昧に答える。正直テストなんて忘れていたし、全く自信はない。何とか赤点だけでも回避したいところだ。

 少しため息をもらす。そんな様子を見かねたのか、こはるが声を上げる。


「じゃあ、私が教えてあげるよ」

「君が?」

「キミじゃなくて、こはるって呼んでほしいな」


 こはるはじっと顔を寄せてくる。

 近い。近いから。

 慌てて上体を反らして、少し距離をとる。僕の事を気にかかるようにするとかなんとか言っていたけれど、もう十分に気になっているとは思う。

 ああ。もう。僕は、ちょろいな。可愛い女の子に少し近づいてこられただけで、もう意識がいっぱいになってしまっている。

 少し上目遣いになって僕を見上げている姿が可愛いと思う。

 いや、だ、だまされないぞ。これはきっと罰ゲームか何かなんだ。

 ああ。でも、こんな可愛い子ならだまされてもいい気もする。


「こ、こはるが教えてくれるのか」

「うん。こうみえても私、数学得意なんだ。さすがに今日の宿題は間に合わないけどさ。放課後、一緒に勉強しよ」


 にこやかに微笑む彼女に、それもありかなと思う。どうせ病気のせいでもう部活にも入っていない。時間は十分にある。


「わかった。じゃあお願いしようかな」

「うん。じゃあ放課後に教室に迎えにいくね」


 こはるは満面の笑みを浮かべていた。

 この笑顔が嘘だとは僕には思えなかった。





「たけるくん、ご飯一緒に食べよ」


 放課後を待つまでもなく、こはるは僕の教室にやってきていた。

 お弁当を手にしてにこやかに微笑みかけてくる。


「こはる!?」


 予想もしていなかった訪問に、思わず口をぱくぱくと金魚のように開けていたと思う。


「うん。こはるだよ」


 彼女は事も無げに言い放つと、それから問答無用とばかりに僕の机の前に腰掛ける。


「あ、たけるくんはやっぱり今日も菓子パン? 体に悪いよ。お弁当作ってきたから」


 言いながらお弁当を広げていた。そして二つのお弁当箱が置かれている。どうやら二人分用意されているようだ。

 たぶんこれ僕の分なんだろうな。

 そう思うとなんだか気恥ずかしくも思う。

 ただいきなりクラス外の人間が入ってきたにもかかわらず、軽く目をやった程度で他の誰も気にもしていないようだった。

 そのことになんとなく違和感を覚えるものの、それよりも目の前に広げられたお弁当の方に視線を奪われる。

 唐揚げに卵焼き、ウインナー。僕の好きなものばかりが詰まっている。


「これ、こはるが作ったの?」

「うん。ボクが作ったんだ。食べて食べて」


 こはるの差し出してきたお弁当から一つつまんで食べる。


「美味しい!?」


 見た目もかなり綺麗だと思っていたけれど、思っていたよりもさらに美味しい。意外と料理得意なんだなぁと思いつつ、ちらりと彼女の方へと視線を送る。

 こはるは僕の反応に満足したのかにこやかな笑顔を浮かべながら、僕の方を見つめていた。


「でしょー。ボク、がんばったんだよ」


 言いながら自分の分のお弁当をつまんでいた。

 なんだかこういうのも、どこかであこがれていた風景だとは思う。いつか出来たらいいなと思っていた形が、まさかこんな形で叶うとは思っていなかったけれど。


 だけど不意に僕の頭の中に何かひっかかるものがあった。

 あれ、何か。違和感がある。何かが違う。急に感じた気持ちに、僕はしばらく呆然として宙を見上げていた。

 どこかで、前にもこんな事があった気がする。


 いや、僕には今までつきあってくれた子もいなければお弁当を作ってきてくれる子もいなかった。アニメやマンガなんかでみる、仲良しの幼なじみもいない。

 強いていうならば妹はいるし仲は良い方だとは思うものの、当然ながらお弁当を作ってきてくれたりする事はない。

 だからこんな風に女の子と二人でお弁当を食べるなんて事はなかったはずだ。


 なのに僕はどこかでこんな事があったような気がして、だけど具体的な内容は何も思い出す事がなくて。わずかに頭が痛む。

 これがデジャブという奴なのだろうか。確かにたまに前にもこんなことがあったようなという感じを受ける事はたまにある。でも今感じている気持ちは、それどころではなくて、強く僕に訴えてくるような気すらしていた。


 思い出せない。思い浮かばない。

 だけどなぜか思い出さなきゃいけない。忘れてしまっていてはいけない。

 そう思えて、胸の中が強く鼓動していた。ばくばくと揺れる心臓を何とか落ち着けようとして深呼吸を始める。


「ど、どうしたの。たけるくん」


 こはるが心配そうに僕を見つめていた。

 そうだ。こんなことは前にもあった。

 誰かと一緒にお弁当を食べていた。

 だれと。こはると? いや、それはありえない。こはるとは出会ったばかりだ。

 学と? 確かに学と一緒にご飯を食べることはある。でも違う。それは友達と一緒の時間じゃなかった。どこか甘くて照れくさいような、そんな時間だったと思う。

 勘違いなのだろうか。普通に考えればそうだ。

 僕の頭の中は次第に困惑に満ちて、どうしたらいいのかわからなくなっていた。

 でもこうしている時間が、心地よい時間であることは間違いなかった。

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