第3話 サッカーは禁止って言われなかった?

 帰り道にある公園。

 春の風はささやかな花の香りを乗せて、ゆっくりと僕を包んでいく。柔らかな日差しは木漏れ日となって、辺りを照らしている。

 珍しく子供達の姿はない。いつもなら誰かしらが遊んでいるものなのだけど、たまたま人がいないタイミングだったのだろう。


 ふと忘れ物らしきサッカーボールが落ちているのに気がつく。誰かがここでサッカーをして遊んでいたのかもしれない。

 ボールを蹴り上げてみる。まだ覚えた技術はさび付いてはいないみたいで、ボールは思うように胸元へと飛び上がった。

 すぐにまた足をのばしてボールを何度もコントロールしていく。いわゆるリフティングというやつだ。このくらいなら練習すれば誰でもできるようにはなるが、それでも最初は手こずるものだろう。


 何度もボールを蹴り上げて、少し大きめにボールを浮かす。

 こうしていたらまた倒れてしまうのだろうか。でもまだ忘れられなかった。サッカーをしたい気持ちはどんどん膨らんでいくばかりだ。

 だからボールを扱うのをやめられなかった。

 うずく気持ちをぶつけるように大きくボールを跳ね上げる。


 その瞬間だった。

 後ろから突然に誰かの足が伸びてきて、ボールを奪い取るとそのまま自分の足下へと落とす。そして同時にふわりと紺色のスカートが舞って、長い髪が後からついてきていた。


 木々の間から差す日差しが彼女をきらきらと彩っていく。

 あっけにとられた僕に、彼女は少し口角を上げて笑みを浮かべていた。


「サッカーは禁止って言われなかった?」


 ボールを足下において微笑むのは、今朝出会った知らない少女。こはるの姿だった。

 彼女も学校の帰りなのだろう。通学鞄を手にしたセーラー服姿のままだ。ただ慣れた様子でボールを操る彼女は、たぶんサッカー経験者だと思う。それほどうまいという訳ではなさそうではあるものの、全くの素人ということはない。


 やはり僕がサッカーをしている事を知っていて、声をかけてきたのだろうか。

 いやよく考えるとそれはおかしい。それなら医者からサッカーを禁止された事を知っているのは変だ。

 もちろん僕の周りの人間はある程度は知っているから、たとえばサッカー部の元チームメイト達から聞いた可能性はある。でもサッカーをする僕に興味を持ったのだとすれば、サッカーができなくなった僕のことは興味を失っていてもおかしくない。


 サッカーができなくなった。自分で考えた事だけれど、それは僕の胸の中で強く痛む。

 サッカーが好きだった。小さな頃からずっとサッカーをしてきた。特別にすごい選手ではなかったけれど、それでも中学の時には県大会でベスト8までは残った。


 だけど僕はもうサッカーをする事はできない。

 体はどこもおかしくはないのに、なぜかよくわからない理由で止められている。

 まだ僕はサッカーができるのに。

 まだ僕はサッカーがしたいのに。


「ほんとにストーカーか?」


 半ば八つ当たり気味に僕は言い放つ。後にして思えば、この時の僕は少し気持ちがすれてしまっていたと思う。


「ちがうよ。ボクはキミのことを好きなだけ」


 こはるはストーカーである事を否定してくるが、しかしストーカーが自分のことをストーカーだと認めるはずもないし、それに僕の事を好きだという理由もよくわからない。

 とにかく僕はこはるの勘違いを正さなければならないと思っていた。


「勘違いだろ」

「ひどいな。勘違いなんかじゃないよ。ボクはキミの事をよく知っているんだから」


 こはるは少し目尻をあげて、唇をすぼめていた。


「ストーカーだから?」

「ちがうってば。もう」


 口を膨らませて、少しだけ顔を背ける。

 ちょっとだけ可愛いと思う。いや、正直彼女は普通にしていればかなり可愛い。ころころと変わる表情も、まるでひまわりの花のように明るくて、すぐに目を奪われる。

 だからこそどうして朝まで初対面だった僕のことをそんなに好きだと言うのかわからなかった。


 自慢じゃないけど、僕は決してもてる方じゃない。女子からは嫌われてはいないとは思うけれど、かといって眼中には入っていないと思う。ようは空気のような扱いだ。だから突然好きだと言われても信じられないし、うさんくさいとばかり思ってしまう。


 だけどそんな僕の気持ちには気がついていないのか、こはるは眉をよせて僕の顔をのぞき込んでいた。


「もしかしてキミ、ボクの事嫌い?」


 少し言い過ぎたのかもしれない。彼女はどこかすねた様子で口をすぼめている。

 ただ特に彼女のことを嫌いかと言われれば、特にそういうつもりもなかった。


「嫌いじゃないよ。そもそも君の事何も知らないし」


 僕の答えにまるで言質を取ったがごとく、彼女は目を輝かせていた。


「じゃあ好きってことだね」

「なんでそうなる」


 からからと笑う彼女にため息を漏らす。


「だって嫌いじゃなければ好きってことでしょ」

「君には中間ってものがないのか」

「そんな曖昧なものなんて、なくたっていいんだよ」


 彼女はボールを蹴り上げて胸元にあげると、その後も連続してボールを足下ではさばいていた。


「ボクもこれくらいなら出来るようになったんだよ」


 自慢げにいうこはるだったが、確かに素人の女子にしてはうまいものだと思う。ただ所詮は素人の域を脱している訳でもない。かなりぎこちなさも感じられる。

 それにスカートでリフティングするのは正直よくない。

 その見える。見えてしまう。中が。

 僕は少し顔を背けて目を手でおおいかくす。


「その。ちょっと見えるから……」

「ん? 大丈夫だよ。スパッツはいてるから」


 言いながらスカートのすそをわずかにあげてみせる。


「ちょっ、何を」

「そんなに照れなくっても、ボクとキミの仲じゃないか」


 慌ててさらに顔を背ける僕に、こはるは近づいてきて顔を近づける。

 近い。近いよ。


「どんな仲だよっ!? 今日初めてあったばかりだろ」


 思わず声を荒げてしまうが、しかしこはるは気にした様子もない。明らかに僕の反応を楽しんでいるようだった。


「まぁボクとしても別に見せたい訳じゃないから、この辺にしておいてあげよう」


 なぜか偉そうに胸を張っていた。

 ちなみにそのせいで思わず見てしまったけれど、あんまり彼女は胸はないと思う。どちらかというと小さい方だ。たぶん。


「……いまなんか失礼な事考えてない?」

「いやいや。ないない」


 慌てて首を振るうが、するどい。女子は自分に向けられた目線に敏感だというけれど、それはやっぱり本当なのかもしれない。


「あやしいなぁ。まぁいいや」


 訝しげな目で僕を見つめていた。

 ただ表情がころころと変わって明るい子だなとも思う。

 それに突然の出会い方で混乱していたけれど、決してこはると話すのは嫌ではなかった。むしろ女子と触れあう事が少ない僕でも、あまり緊張せずに話せていると思う。

 それは最初の出会い方が不思議な出会いだったからかもしれない。


「たけるくん、いま部活やっていないから暇だよね」

「……まぁ、暇っちゃ暇だけど」

「ならボクにつきあってよ」

「つきあうって何に?」

「安心して。高額な壺を買わせたりはしないから」

「……むしろ今ので超不安になったんだけど」

「大丈夫大丈夫。最初は痛いかもしれないけど、なれれば良くなるから」

「何するつもりだよ」

「まぁ冗談はさておいて。ちょっとつきあって欲しい事があるんだ」


 こはるはころころと回るような笑顔を浮かべて、僕へと投げかけていた。

 一瞬どうしようかと迷いもしたものの、確かに特別な用事がある訳でもない。少なくともこはるは悪いやつではなさそうだったし、少しくらいつきあってもいいかとは思う。


 こはるの案内に従って、街中を歩き始める。

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