僕は君の事を忘れるけれど、ボクはキミの事を忘れない

香澄 翔

第1話 知らない少女

 もしもたった一つ好きなものを選ぶとしたら、君は何を選ぶだろうか。

 僕が選んだのは――



 木漏れ日が心地よく感じるある晴れた日のことだった。


「おはよっ」


 かけられた声の方に思わず僕は顔を向ける。そこには長い髪を微かに風で揺らすセーラー服姿の少女が立っていた。


「お、おはよう」


 僕は思わず挨拶を返すけれど、僕は彼女の顔に見覚えがなかった。

 制服からすれば、たぶん僕と同じ南高校の生徒だろう。それもリボンの赤い色からすれば、同学年で二年生だと思う。

 清楚な感じのする生粋の美少女だなと感じていた。可愛い子だなと声には出さずにつぶやく。あどけない笑顔を振りまいていた。


 誰か友達と間違えたのだろうか。それとも誰にでも挨拶する子なのだろうか。何にしてもすぐにいなくなると思っていたのに、彼女は当然のように僕の隣に並んで歩き続けていた。

 確かに学校への通学路ではある。他にも同じ方向に向かって歩いている人もちらほらとは見かける。けれどこんな隣に並んで歩くのは、友達か恋人同士くらいのものだろう。


 僕は彼女の事を知らない。全く覚えがない。それなのに彼女は当たり前のように、僕の隣を歩き続けていた。

 迷惑か、と言われれば可愛い子が隣にいて嫌な気分になる男はそうはいないとは思う。ましてや僕は彼女いない歴イコール年齢のどちらかといえばもてない方だ。クラスメイトの女子とたまに話すくらいはするけれど、普段それほど女の子とふれあう機会もない。緊張はしていたものの、嫌というわけでは決してない。


 だけどこうずっと続くとその緊張がだんだんと限界に達してくる。誰かに見られているんじゃないかと思うと気が気でもなかった。

 とにかく彼女に何かを告げようと彼女の方へと向き直る。


「たけるくん、寝癖ついてるよ」


 不意に彼女が僕の名を呼んでいた。


「え、なんで僕の名前……」

「いっつもここのところはねてるよね」


 にこやかに告げる彼女の言葉は僕の耳には入っていなかった。それよりもなぜ僕の名前を知っているのか。そしてさらに名字でなくて、親しげに名前で呼んでくるのか。

 自慢じゃないけれど、僕の事を名前で呼ぶような女友達はいない。本当に自慢にならないけど、彼女のことは覚えがない。


 彼女は少しだけ顔をうつむく。でもすぐに顔を上げて笑顔をもらしていた。

 可愛い。不覚ながらそう思ってしまう。


「ボクはキミのことなら何でも知っているんだよ」


 満面の笑顔で僕に向けて告げていた。

 清楚な見た目と異なる雰囲気の話し方に、僕は困惑して思わず感じたまま口にしてしまっていた。


「ストーカー?」

「キミ、失礼な事いうね」


 素直な僕の感想に、彼女は気に障ったのか眉を寄せる。表情がころころと変わって、やっぱり可愛らしい子だとは思う。


「同じ学校の生徒だっていうのに、ストーカーはないよね」


 ほんの少しだけ怒り顔を見せながら、彼女はそれでもふたたびほほえみをもらす。


「でも似たようなものかもしれないね」


 彼女は少し身体を寄せて、僕へと顔を近づける。

 吐息が掛かるような距離に近づいてきたことで、僕は思わず胸が鳴る。

 いやいや、僕は何を感じているんだ。彼女は知らない女の子だ。ちょっとよったくらいでどきどきするのもおかしいだろ。いやまぁ女の子に免疫がないのは確かだけど。そういうのは好きな子に対する気持ちだろ。


 ぱっと見ではストーカーするようなタイプには見えなかったけれど、人間見た目ではわかったものではない。彼女がどんな人かは今の僕にはわからない。


「似たようなものって」

「キミの事が好きだってことだよ」


 まっすぐに告げられた言葉に、僕は今後こそ言葉を失っていた。

 僕は知らないうちにとびきりの可愛い女の子に好かれて、告白されてしまったようです。

 いや、そんな訳あるか。そんな訳あるか。


 僕が学校一の美形だとかであれば、そういうこともあるかもしれないけど、残念ながらもてる顔はしていない。いや、ぶさいくでもないと思うけど。たぶん。おそらく。

 でもまぁ普通だ。特に嫌われたりはしていないと思うけど、かといって女の子にもてるタイプではない。そんな事あれば彼女いない歴イコール年齢なはずもない。


「罰ゲームか何か?」


 最初に思いついたのがそれだった。悲しくもあるが、ありそうな線だと思う。


「嫌だな。ボクは罰ゲームで人に好きというように見えるのかい」


 不満そうに口を膨らませていた。こんなところも可愛い。

 僕の胸は再びどきどきとリズムを跳ね上げていた。


 いやいや。そうじゃない。確かに可愛い子かもしれないけれど、突然に見知らぬ子から好きと言われてはいそうですかと納得できるものでもない。

 いや、ちょっと納得しそうになっている自分を感じて、ちょろいな僕はと内心思っていたものの、そのことに気がつかれる訳にはいかない。


八神やがみたける。ボクと同じ南高校の二年生。クラスはB。好きなものはサッカーとゲーム全般。ゲームは特にアクションゲームが好き。好きな食べ物はからあげ。好きな人は……いまはいない。どう、あってる?」

「……だいたい」


 憮然としてうなずく。

 僕は彼女のことを全く知らないのに、これだけ知られているというのはやっぱりストーカーなんじゃないだろうか。まぁ、こんな可愛い子が僕なんかをストーカーする理由もわからなかったけど。


「じゃあボクの名前、覚えてる?」


 彼女からの突然の問い。彼女は何かを期待するように僕の顔をのぞき込んでいた。

 覚えているも何も初対面だと思う。さすがにこんな可愛い子、しかも同じ学校の子と知り合いなら覚えていないはずがない。僕は人の名前を覚えるのは得意な方だ。


「いや覚えているも何も初対面だよね」

「……ほんとに覚えていないの?」


 その事を告げると、彼女はどこか寂しそうな顔をしてうつむいてしまう。

 実は僕が覚えていないだけで、本当は知り合いだったのだろうか。もしかしたらもっと小さい頃に出会っていたとか。確かに子供の頃に出会った相手まで全員覚えているという訳ではない。

 ただそれなら一年生の時に話しかけてこない理由がわからない。最近僕がいる事を知ったということだろうか。あるいは転校してきたとか。いや、転校生はきいたことがないし、そもそもそれなら最初はひさしぶりとか声をかけてくるのが普通だろう。


「覚えてないけど」

「あはは。まぁ、そうだよね。知ってた。キミはボクの事知らないって」


 大きく笑いながら僕の背中を強く叩く。ちょっと痛い。

 知らない事を知っていたという事は、やはり初対面で間違いなかったのだろう。からかわれていたのかもしれない。


「ボクはこはる。坂上こはる。覚えておいて。そして忘れないで」


 元気のある声で告げると、それから少し僕の前にでて振り返る。

 スカートが少し風で舞い上がるのを、通学バッグと一緒に押さえていた。

 明るくて優しい声。だけど彼女はどこか寂しげに見えた。

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