第四話  来たれ! 試衛館へ 【前編】

 江戸市中では異人をこの国から追い出すべく、攘夷派武によるしゆうげきが続いていた。さらにこの騒動にかこつけて、浪人による人斬りまで発生したらしい。

 仕官するアテも金もなく、くさって行く己に耐えきれぬしよぎようだろうと、近藤は難しい顔で言っていたが、歳三は「腐りすぎてはえあつまっているような連中」と吐き捨てた。

 武士は腐るとしようまで腐ると言いたかったのだが、それを聞いていた総司が「面白い例えをするなぁ」と笑い転げた。

あきらめたか……?)

 朝稽古を終えた歳三は、井戸端で両腕を組むとそらにらんだ。

 その後――、歳三を捜しているらしい男が試衛館までやって来ることはなかった。

「――彼はさすがですね? 土方さん」

 歳三が振り向くと、歳三と同じく紺色の着物袴という、稽古着姿の総司がやって来た。

「誰のことを言っている?」

「蔵之介さんですよ。誰かと違ってなおなので、おしがあります」

 蔵之介は多摩・八王子の出身で、八王千人同心の家系で、くらすけという。

 歳三がまだ多摩にて薬売りをしている頃、顔を出している道場の中に久慈がいた。

 歳は歳三の三つ下で人懐っこく、いつか江戸で剣を学びたいと言っていた。

 ならば江戸に来ればいいと近藤が誘い、試衛館門弟となったのが半年前である。

 久慈の腕は、立ち合ったこともある歳三も文句はないが。

「俺を引き合いに出すンじゃねぇ。お前が教えてくれたことなんかなかったじゃねぇか」

 歳三が剣のほどきを受けたのは義兄・佐藤彦五郎と、現・試衛館次期四代目の近藤勇、あとは出稽古先の主ぐらいで、総司から手解きを受けた記憶はない。

 すると総司が、歳三をなだめる。

ねない、拗ねない」

「拗ねてねぇ!!」

 げきこうする歳三の側で、総司は縁側に腰を下ろした。

「――ですが、これから門弟が増えるとなると困った事になります」

「門弟が増えることは大いに結構なことじゃねぇか。ま、増えた野郎どもの重みで床が抜け落ちる心配はあるが」

「指南役の方の方ですよ」

「指南役?」

「今は大丈夫ですが、そのうち、私たちでは手が回らなくなります。それに――、若先生は他流も見ておくのもいいとおっしゃいますし」

「天然理心流を芋だの田舎剣法だの散々コケおろしていた他流の人間が、試衛館に教えに来ると思うか?」

「土方さんも結構、試衛館うちをボロ道場とか言ってますよ?」

「俺の場合は、ここのためを思ってのことだ」

 歳三の言ったことは、決して大袈裟ではない。

 近藤は以前、かちまちにあるしんかげりゆうすいめいかんに他流試合を申し込んだことがある。

 しかし、江戸では無名の天然理心流と近藤が多摩農村出身ということに、道場主は冷ややかな対応を見せたという。

 田舎剣法、農民上がり――、特に上から見てくる人間は、鼻で笑う。

 歳三は薬売りの時に、何度その目に晒されたか。

 薬売り風情が生意気な――、立ち寄った一部の道場で、あからさまに罵倒してきたものもいた。

 すると総司が、ふっと微笑んだ。

「でも、心当たりはあるんですよ? 一応」

 ふふふと笑う総司に、歳三は眉を寄せた。

「けっ。てめぇが楽になりてぇだけじゃねぇのか? 総司」

「忙しいと、美味しいものを食べられないじゃないですか。それに――、この先この世は、どうなるかわかりませんからね。自衛のためにと、門弟が増えるかもしれないじゃないですか。ね? 土方さん」

 くびかしげてにっこり笑う総司に、歳三はぜんとした。

 総司が言う最初の方は冗談だろうが、この世が安泰とはもう言えない。

 今月初旬も米国公使館である善福寺近くにて、通訳である異人が斬り殺されたという。

 攘夷について歳三はとやかくいうつもりはないが、やり方に腹が立った。

 大抵は不意打ちか、背後から斬り伏せるものらしい。

 ――けんをやりてぇなら、正面切ってやりやがれ!

 戦をけしかけるような言葉だが、おのれが目指す武士がまさに腐っていく。それが、がゆくてならない歳三であった。


                  ◆◆◆


 この日、永倉新八は飯田橋近くを歩いていた。

 半年まで師範代を務めていた飯田町のしんぎようとうりゆうつぼうちしゆどうじように顔を出し、その帰りである。主馬道場では久しぶりに共に汗を流した仲間にも会えたし、道場の運営も問題ないようだ。ゆえに、そこを去った心残りはない。

 永倉はあまり人と親しくするのは苦手だったが、主馬道場の門弟・しまかいとだけは馬が合った。



「ここを辞めて、また武者修行ですかい? 永倉さん」

 主馬道場の稽古場にて、稽古を終えた永倉を島田が呼び止めた。

 島田はたけしやくきゆうすんよんじゆつかんあるというきよかんだ。

「それも悪くはないな。もはや誰に遠慮することのない自由の身だからな」

 永倉新八は江戸生まれの、江戸育ち。松前藩士の家系に生まれた永倉はしんとうねんりゆうを極めたが、剣術好きの虫がうずいてだつぱんし、剣術修行の旅に出た。

 江戸に帰ってきた彼が身を置いたのが、坪内主馬道場である。

 そんな道場を、永倉は去ることにした。

 またも、剣術の虫が疼いたのである。

「永倉さんほどの腕があれば、仕官も夢じゃないっすよ」

「俺はもう、何処の藩に行くつもりはない。心配するな、島田。何処かの道場にまた転がり込んでいるだろうよ。俺は」

「今度逢うときは、強くなっておきますよ。その時は、相手をよろしくお願いします」

 島田はそう言って、大きな手を差し出してきた。



 はたして彼と再会する日が来るかはわからないが、今の永倉の心はくもり気味だ。

 島田には心配するなと言っておきながら、次の落ち着き先はそう簡単に見つかるわけでもなく、たくわえも底をつき出した。

 とうに迷うとは、このことである。

「なんだ、新八さんじゃないか」

 飯田橋まで来た時、不意に声を掛けられて永倉は視線を運んだ。

 彼に声をかけたのは、藤堂平助である。

 まだ十代という若さだが、北辰一刀流の目録までいったという。

 本人曰く、伊勢津藩十一代藩主・藤堂高猷とうどうたかゆきらくいんと言っているが、真偽はどうだろう。

「……藤堂、その呼び方はよせと言わなかったか?」

「硬いこと言うなって。俺たち、同じかまめしを食った仲だろ? 牢の中だったけどな」

 と笑う藤堂に、永倉は嘆息した。

げんかんの門弟が、こんなところでうろうろしていていいのか?」

 玄武館は江戸三大道場の一つ、神田お玉ヶ池にある北辰一刀流宗家のことだ。

「今は深川中町の伊東道場さ。ただ、今ちょっと他に誘われててさ。とうだいぞうせんせい(※伊東甲子太郎)に止められてるんだ」

「他流を学ぶのは、悪くないと思うが?」

「それがさぁ、違うんだよ」

「違う?」

 永倉が眉を寄せ、藤堂が先を話そうとしたとき――。

「見つけたぞ! 藤堂平助!!」

 橋の方から怒鳴ってくる声に振り向くと、長身の男がながやりを抱えて立っていた。

 原田左之助である。

 ――また、やつかいな奴がきた。

 永倉はどちらからといえば、藤堂より原田が苦手である。

 とにかくうるさい。人にからむわ、巻き込むわ、大番屋の牢に入ることになったのも、原田の喧嘩に巻き込まれた末の結果だ。

 永倉たちの前にやってきた原田は、何故か怒っていた。

 着物の袷は大きく開いて、晒が巻かれた腹が覗いている。

 髪は首の後ろで一つにくくり、黙っていればなかなかの美丈夫なのだが。

「どうかしたかい? 左之助さん」

「どうかしたかじゃねぇ! お前、三食昼寝付きの所に行くっていうじゃねぇか?」

「は……?」

 藤堂がぜんとして固まり、永倉もそれに習った。

「しかも、永倉こいつは誘って俺は無視とはどういうりようけんだ!!」

 妙な頭痛がする、永倉であった。

 彼は藤堂からまだ何も聞かされていない上に、誘われてもいない。その藤堂を見ればさすがに彼も困惑した表情になっている。

 永倉は、再び嘆息した。

「……あのな、原田……」

  


 藤堂曰く――、彼はある道場の師範代と親しくなったという。その師範代曰く、他流の者を指南役に迎えたいという。

 自分たちの流派でもやっていけないことはないが、いざとなれば他流の者とたいすることがあるかも知れない。せめて一つぐらいは知っておいたほうが無難だということらしい。

「――それで、お前が誘われたというわけか? 藤堂」

 永倉は両腕を組んだ。

「そういうこと。なのにどうして、三食昼寝付きの所に行くって話になったのかなぁ?」

 稲荷社の石段に腰を下ろしてほおづえをついた藤堂は、そう言って原田を見上げた。

「俺の知り合いが伊東道場の門弟でな。そいつから聞いたのさ」

「三食昼寝付きとは、彼はいわなかったよ?」

「それで――、その道場は何という名前なのだ?」

 永倉の問いに、藤堂は記憶を辿りつつ答えた。

「市谷甲良屋敷にある天然理心流、試衛館って言ってたかなぁ……」

「天然理心流、試衛館……?」

 お互いに顔を見合わせた永倉と、原田だった。

 道場を渡り歩いていた永倉でさえ、流派も知らなければ、道場名も初耳であった。


                    ◆


 夕刻――。

 ゆうまでの間、部屋で横になっていた歳三の所に、出稽古に行っていた総司がやって来た。歳三のところ以外に行くところはないのかと思うほど、総司はやって来る。

 大抵は何か用があるわけでもなく、無駄話をしにくるのだ。

 歳三はいまいち、総司という青年の性格が理解できない。

「土方さん、います?」

 例によって障子越しに立つ総司に、歳三は上体を起こすと「ああ」と入室を許可した。

「三番町での話、覚えてます?」

「ああ。薬売りのことを、聞いて行ったという野郎がいたって話だろ? それが、どうかしたか?」

 歳三は前髪を掻き上げつつ、聞き返す。

 三番町では、天然理心流門下が小さな道場を開設している。

 その道場に「薬売りを知らないか?」と聞いた男がいたという。

「実は今日は八王子まで行ってきたんですが、一年前に剣術をやっている薬売りがいたって話になりましてね」

 総司の話に、髪を掻き上げていた歳三の手が止まる。

「――?」

「私はてっきり土方さんだと思いましたが」

 そう言って苦笑する総司を、歳三は睨んだ。

 総司が聞いてきたその出稽古先によれば、その薬売りは八王子の甲源一刀流道場に現れ、立ち合って欲しいと言ったらしい。

 しかも、その薬売りの流派が天然理心流。その妙な薬売りの出現で、その道場とそんなに離れていないという総司の出稽古先は、暫くその道場から睨まれたらしい。

「総司。なんで俺が薬売りに戻って、いまさら八王子くんだりまでいかなきゃならねぇ」

 歳三が薬売りだったのは、二年前までである。

「じゃあ、その薬売りは誰なんでしょう?」

「知るか!」

「ですが、三番町に来た男が捜している薬売りはやはり、土方さんですよ。もちろん用があるのは薬のほうではなく、土方さんのほう。でなきゃ、剣術道場で薬売りがどうのって聞いて行きませんから。土方さん、相当恨まれますねぇ?」

 総司の言っていることは、歳三も同感である。

 恐らく四年前のことが現在になって祟ったのだろうが、歳三本人としてはそんなに悪いことをしたという自覚はない。

 恐らく今になって歳三を探し始めたのは、八王子の道場に現れた薬売りの所為だろう。

 歳三の場合、道場に顔は出してはいたが立ち合って欲しいとは言わなかった。

 そうしなくても、相手がざとく歳三の持ち物から木刀を見つけ、立ち合っていけというからだ。

 しかし八王子に現れた薬売りは、違った。

 よほど腕に自信があったのだろう。

「それより、指南役とやらは見つかったのか?」

 報復者など来られても困るが、試衛館の門弟増加と、彼らを教える腕利きも欲しいところだ。

 そんな歳三の問いに、総司が困惑げな表情をした。

「それが、ちょっと妙な具合になっちゃいまして……」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る