第97話 知恵の化身

 ――なにがあったのですか?


 大人たちが私の“売り先”を考える中、何処からともなく聞きなれない声がしました。

 「見たところ葬儀の後のようですが、どなたかご不幸に?」

 大人たちが振り返ったそこには見慣れぬ男性が一人立っていました。

 村では見たことのない赤みがかった茶色の髪の男性は白衣を纏っており、明らかに村の人間ではありませんでした。

 「誰だ」

 村人の一人が明らかに警戒した様子で尋ねます。すると白衣の人は薬草と取りに来たところを迷子になったと答え、王都で薬局を営んでいる薬師だと名乗りました。

 「この近くで珍しい薬草が採れると聞いて来たのですが、どうやら道に迷ったみたいで。もしかして流行病かなにかですか?」

 「この子の親が死んだだけだ。あんたには関係ない」

 「二人とも?」

 「だからあんたには関係ない」

 とにかくこの部外者を外に出そうと村の人たちは声色を強めます。しかし薬師の人はそれに怯むことなく、そっと私の頭を撫でてくれました。

 「辛いと思うけど、ご両親の分まで強く生きるんだよ」

 やさしく微笑む薬師さんは私が要らない子だと知らないんだ。そうだよね。これから何処かに売られることになるなんて普通は思わないよね。でもこの村じゃ孤児は必要ないんですよ。

 「ん?」

 薬師さんが少し驚いた顔で私を見ました。それもそのはず。彼が羽織る白衣の袖を私はギュッと握りしめていたのです。

 「ごめんよ。僕はこの村の人間じゃないんだ。キミを引き取ることは出来ないよ」

 苦笑いする薬師さんは無理に引き離そうとはせず、優しく白衣を握る私の手を解きます。

 「僕はこれで失礼するよ。この道を真っすぐ行けば街道に出ますか?」

 「ああ。二度と来るんじゃねぇぞ」

 「お邪魔してすみませんでした。それじゃ、これで――ハハ。これは困ったなぁ」

 村人の態度に怒ることなく、素直に立ち去ろうとする薬師さんは再び苦笑いします。だって私がまた白衣の袖を握っているのです。離すまいと強く握る私はどんな顔をしていたのでしょうか。薬師さんは再度袖を握る私に困惑しています振り解こうとはしません。薬師さんは「一緒に来るかい?」と言ってくれました。

 「王都まではすごく時間が掛かるけど、それでも来るかい?」

 薬師さんのその言葉に笑顔で、元気よく頷く私は彼に抱き着きました。そんな私の頭を優しく撫でる薬師さんはその場にいた村の人たちに私を引き取る旨を伝えます。

 村の人たちは薬師さんが私を引き取ると言った瞬間、顔色を変え、よそ者に渡す訳にはいかんと薬師さんを囲みました。闇市で私を売ろうとしていた人たちがなにをと思います。もしかしたらタダで渡す訳にはいかないと脅していたのかもしれません。ですが薬師さんは村人たちに屈することなく、彼らから守るように私を引き寄せました。


 その後、薬師さんと村人の間で言い争いが起き、最終的には薬師さんが半ば強引に私を村の外に連れ出してくれました。

 村にとって彼は人攫い――いえ、私と言う「商品」を奪った盗人かもしれません。けれど私にとっては救世主のような存在です。

 「本当に良かったのかい? 僕みたいな人間に付いて来て」

 村から続く一本道をから街道に出たところで薬師さんが尋ねてきました。私はその時、無言で頷いただけだったと思います。

 「そうかい。なら良かった。僕はルーク。ルーク・ガーバット。王都で薬師をしている。キミは?」

 「――ソフィア」

 「ソフィアか。確か意味は『知恵の化身』だったかな」

 「ちえのけしん?」

 「ああ。キミのご両親は賢い子になって欲しいと願ったんだろうね。ソフィア?」

 「薬師さんなに?」

 「引き取った以上、最後までキミの面倒を見る。ご両親が込めたその名に恥じない大人に育てるよ」

 当時の私には上手く理解できなかったかもしれません。けれどルークさんの、師匠の決意は伝わりました。


 ――ソフィー。起きろー。


 遠くでエドの声が聞こえる。


 ――風邪ひいても知らないからなぁ。


 そっか。カルテ書いてたら寝ちゃったんだ。


 ――疲れているんだろう。寝かせてやれ。


 アリサさんの声も聞こえる。声は聞こえるけどまだ夢の中にいたいな。もうあの時のようにはいかないけど、だから――


 『……私、もっと頑張ります』


 たまには夢の中に出てきてくださいね。

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