第83話 考え方は人それぞれ

 「――ほんとにパンだけなのね」

 「はい。話を聞く限り、小麦や牛乳が原因ではなさそうなんです」

 「参考になるか分からないけど、あたしも変わった患者を診たことがあるわ」

 カレンさんのカルテを読みながら、なにか思い当たる節があるのかリリアさんは自身が過去に診たある患者の話を始めました。

 「昔ね、チーズアレルギーの患者を診たことがあるの」

 「チーズ?」

 「そう。それもブルーチーズ」

 「え? ブルーチーズだけですか」

 確かに変わった患者だし、特定の食べ物だけという点ではカレンさんと共通しています。でもどうしてブルーチーズだけアレルギーが出たんだろう。

 「正確にはね、チーズに使われていた“アオカビ”が原因だったの」

 「え、カビってあのカビですか」

 「ブルーチーズは“アオカビ”を使って熟成させるの。知らなかった?」

 「初めて聞きました。でもどうして“アオカビ”が原因だってわかったんですか」

 「他のチーズじゃ症状が出ないって聞いたのよ。だからブルーチーズにあって他のチーズに無いものはなんだって考えたのよ」

 「なるほど……あ!」

 「なにか思い付いた?」

 「確証はないですけど、もしかしたら……」

 パンにあってパスタに無いもの。クッキーに無くてパンにあるもの――一つだけ思い浮かびました。

 「リリアさん!」

 「な、なによ」


 「酵母ですよ! パンは生地に酵母を加えて発酵させますが、パスタやクッキーの生地に酵母は使いません」

 アオカビと酵母が一緒とは思いませんが、発酵を促すもの同士なにか共通点があると思った私はその仮説の合理性をリリアさんに伺いました。するとなんとなく難しい顔をするリリアさんでしたが、最終的には「否定は出来ない」と私の仮説を支持してくれました。

 「確かに考え方としては間違ってないと思うわ。でも問題はそれをどうやって立証するか、でしょ?」

 「はい。さすがにパンを食べてもらって確かめる訳にはいきませんし、他に確かめる方法があれば良いんですが」

 酵母が入った普通のパンとそうでないパン――たぶん後者は美味しくないだろうけど、両者を食べ比べてもらい症状の出方で判断する方法が確実だと言えます。ですがそれは患者さん、今回の場合だとカレンさんを危険にさらす恐れがあります。いまは痒みが出る程度で収まっているけど、突然発作を起こさないとは限りません。

 「実際に試すしかないのよ」

 「え?」

 「誘発試験って言うんだけど、原因と推測されるものを実際に摂取してもらって症状が出るかどうか調べるの」

 「でもそれって当然リスクが――」

 「あるわね。だから患者本人の承諾は必須。リスクを可能な限り排除して行うわ」

 リリアさんの言い方だとたぶん、この人は実際に試したことがあるんだと思います。確かにアレルゲンを特定するには有効だろうし、私もその方法が真っ先に頭に浮かびました。確実な方法なのだろうけど患者さんを危険に晒してしまうのも事実です。正直、私の中では選択肢としての優先順位は最下位です。

 「やっぱり納得いかない? あんたは優しそうだからね。ま、あくまで一つの方法ってだけよ」

 「リリアさん」

 「なに?」

 「患者さんにとってなにが一番良いのでしょうか」

 「さぁね。患者によって考え方は違うわ。そのカレンとか言う患者が現状を望むなら無理に変える必要はない」

 あとは患者と話し合って決めれば良いと助言をくれるリリアさんは残っていた紅茶を飲み干し立ち上がりました。

 「まさか帰るとか言わないですよね」

 「宿に戻るだけよ。村はずれにあるでしょ?」

 「ああ。ドスさんのところですね」

 「明日の昼には村を出るわ。あ、見送りは良いから」

 「で、でも……」

 「あたしを見送る暇があるなら患者を診なさい。それじゃね。元気にしてるようで安心したわ」

 お茶のお礼を言って診察室を出るリリアさんはそのままお店を出て行き、その姿に私は少しだけカッコよさを覚えました。


 翌日。私は往診のついでにカレンさんの家を訪れました。理由はもちろんアレルギーの件です。

 カレンさんにはパンに使われている酵母が原因の可能性があると伝え、それを確かめるための誘発試験をするかどうか尋ねました。私としては検査を受けてもらい、原因を確定させたかったのですがカレンさんはやんわりとですがそれを断りました。リスクがあると言うのも理由ですが、パンを食べない生活も悪くないと言うのが大きいようでした。

 (――これで良かったんだよね)

 カレンさんの家からの帰り道。私は何度も自問しました。

 結果として、カレンさんはパンを食べない生活を選びました。決めるのは患者であるカレンさん自身です。私は彼女の意思を尊重するしかありませんが個人的には納得できない部分があります。

 それでも今回の症例は学ぶべきことも多かったのは言うまでもなく、患者さんと足並みを揃える必要性を改めて気付かされるきっかけとなった症例になりました。


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