第66話 未来の薬師へ

 「ご連絡頂ければこちらから伺ったのに、わざわざありがとうございます」

 「大変な時ですから。さっそくですが必要な書類の確認をお願いできますか」

 「ありがとうございます――はい。全て揃っていますね。エド、ちょっと奥にいるから掃除お願いね」

 ルイスさんから大きな封筒を受け取り、必要な書類が同封されていることを確認した私は診察室に彼を案内しました。協会の人が来た時点で何かを察したんだね。エドの表情はどこか寂しそう。そんな彼を見てルイスさんは「同席させなくて良いのですか」と私に耳打ちしてきました。

 「あの少年も当事者なのではないですか?」

 「この件は私が師匠――ルーク・ガーバットから任されたことですので」

 「そうですか」

 「それに、そちらへお話を持って行く前に話し合いは終わらせていますので。あ、こちらへどうぞ」

 ルイスさんには患者さんが座っていた椅子に座ってもらい、私は師匠が使っていた椅子を使います。そういえば師匠はすぐに診察せずに患者さんと雑談から入ることが多かったな。何気ない会話から異変に気付けるとかで患者さんとの会話を大事にしていたな。机の上にカルテ用紙を広げても患者さんの前では何も書かずに診察中に取ったメモを元にあとから書いていたよね。ここに座るとそんなことを思い出しました。

 「ソフィアさん?」

 「あ、すみません。ちょっと昔のことを思い出して。改めてですが――」

 「はい。ソフィアさん。この建物を当協会へお譲り頂けるということで間違いないですね」

 「売却も考えましたが、ここを薬局として存続させるにはそれが良いと判断しました」

 「修行中の貴女では薬局を継ぐことが出来ない。だから当会へ居抜き薬局として譲ることを選択したと?」

 「いまの私にはそれが正解だと思ったので」

 本当のことを言えば、師匠との思い出が詰まったこの店を手放したくはありません。けれど、師匠という後ろ盾を失くした私は“5年ルール”の例外に当たらず新たに自分の店を持つことは出来ません。いまの私に出来るのはこの店を薬局として存続させるために薬師協会にこの建物の権利を譲ること。彼らに管理を任せれば独立したいという薬師がいつかこの店を継いでくれるかもしれません。

 「私は明日、エルダーに戻ります。鍵はその時に協会へお持ちします」

 「本当によろしいんですね」

 「はい」

 「わかりました。ではお渡しした書類に署名を。一部はソフィアさんがもう一部は協会の控えです。署名の前に再度条件の確認をお忘れなく」

 ルイスさんに促され、先ほど受け取った書類を机の上に広げて『譲渡契約書』に記載された譲渡条件を再度確認します。

 私がこの店を薬師協会に譲渡するにあたって薬師協会と取り決めた条件はただ一つ。貸し出す際は五年の修業期間を終え新規開業を希望する薬師に優先的に貸し出すこと。ただそれだけ。

 建物取引を扱う商人に頼めばすぐに譲渡先が見つかり、幾分かお金も手に入るけど商人を頼れば私が希望する薬局としての存続は難しくなります。薬師協会を介せば無償譲渡の代わりに薬局用の空き店舗として登録されるので使用用途を薬局もしくは診療所に限定できるし、私が出したように貸出先の条件を付けることも可能です。

 「条件面は問題ありません。このままで構いません」

 「分かりました。それでは署名を」

 「はい――これで良いですか」

 二通の契約書には既に協会のサインが入っており、それぞれにサインする私は一部をルイスさんに返却して互いに署名を確認します。新しい薬師がこの思い出の場所を守ってくれることを祈って、未来の薬師がこの場所で活躍してくれるよう願いを込めて署名しました。時間にしてほんの数分の作業。これで契約成立。師匠が長年守ってきたこの店は明日から薬師協会の持ち物になりました。

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