怪獣は北へ向かう

口羽龍

1

 刑務所は静かだ。刑務所の中には犯罪を犯した人々がいる。己の罪を改め、反省する人もいれば、再び犯罪を犯そうと思う人もいる。彼らは逃げないように檻に閉じ込められている。


 藍子は半年ぐらい前にこの刑務所にやって来た。茶髪にロン毛の女性だ。とても静かな空間で、藍子はじっとしていた。もう何日もそんな感じだ。悔いを改めているようだ。


 次第に、藍子は泣き出した。自分はとんでもない事をしてしまった。死刑を言い渡されて、もう家に戻れないだろう。絞首刑にされるだろう。


 藍子は児童虐待で娘、京子(きょうこ)を死なせてしまった。最初はただの事故だと見せかけていた。だが、周辺の住民が怪しいと思い始め、次第に虐待していたんじゃないかと思い始めた。そして、警察に事情聴取をされ、認めた。それ以来、藍子は刑務所の中だ。


 藍子は涙ながらに京子と夫、雅(まさし)の写真を見ている。雅とは去年、離婚した。あの頃は幸せだったな。どうして私は虐待なんてしてしまったんだろう。虐待なんかしていない、あの頃に戻りたい。でも、もう戻れない。


 もう何日も外を出ていない。陽の光は、わずかにある窓からしか当たれない。とても寂しい。だが、それも自分に与えられた罰だ。抵抗せずに受けなければならない。


 雅は今、何をしているんだろうか? 新しい妻と結婚しているんだろうか? 幸せな生活を送っているんだろうか?


 時々、面会があるという。来るのは両親ばかりで、雅は来ない。京子を殺した元妻に会いたくないんだろうか?


 檻の中は一人ぼっちに近い。たまに看守が入ることがあるぐらいだ。とても寂しいが、これも自分への罰なんだ。


 時々、看守の足音が聞こえる。その度、藍子は震える。看守が何をしてくるんだろう。悪い事しか考えられない。


 看守は藍子の目の前を通り過ぎた。藍子はほっとした。近づくだけでもびくびくしてしまう。


 藍子は考えた。いつまでこんな日々が続くんだろう。いつ、自分への判決が出るんだろう。そして、どんな判決が出るんだろう。死刑だけはやめてほしい。それが切なる願いだ。


 その夜、藍子はわずかな隙間から夜空を見上げた。今日も夜空はきれいだ。だが、藍子の心は晴れない。星になった京子に、毎日謝っている。だが、何度謝っても許されない事だ。毎日謝っても結果が出るんだろうか。全く出ないに違いない。次第にその日課も無駄に思えてくるようだ。


 次第に眠くなってきた。果たしてあと何日、夜を迎えて眠る事ができるんだろう。時間は誰にも等しく巡ってくる。そして、死もやって来る。それはいつ、どんなきっかけでやって来るんだろう。


 夢の中で、藍子は京子と再会した。京子は可愛い寝顔で寝ている。藍子はベッドで寝ている京子を見て、涙を流した。どうして虐待なんてしてしまったんだろう。していなければ、何でもない日々を過ごしていたのに。京子の成長を見る事ができたのに。自分の過ちに気付いた時にはもう遅かった。私は何て悪い母親なんだろう。




 また朝が来た。あとどれぐらい朝を迎える事ができるんだろう。もしも死刑になったとすると、どれぐらい生きる事ができるんだろうか? 死刑が執行される日は、当日の朝しかわからない。何の前触れもなく、突然やって来る。当日その場で、何の予告もなく行うのは、その前に自殺する人をなくすためらしい。


 受刑者はまだ寝ているんだろうか? 誰の声もしない。今日もまたいつもの日々が続いていくんだろうか? とても寂しい。いつもと違った日々が来ないだろうか? だが、それは叶わない事だ。こうやって何もない日々を過ごし、ある日突然、死刑を執行されるんだろうか?


 藍子の目の前には朝食がある。だが、あまり食べられない。判決の日はいつかわからないが、刻一刻と近づいている。そう考えると、食欲がなくなる。


 結局、藍子は少ししか食べる事ができなかった。看守はすでに残した朝食を持っていった。藍子はじっとしている。元気がない。まだ自分のやった事で後悔していた。


 藍子は家族写真を見つめて泣き出した。あの頃は幸せだった。あの頃に戻りたい。でももう戻れない。戻れないのは自分のせいだ。自分が京子を虐待して、死なせたからだ。


 今日も看守の足音が聞こえる。今度は誰が捕まるんだろう。そして、誰が死刑を執行されるんだろう。ひょっとして、自分が呼び止められるんじゃないかな?


 その時、看守が自分の前で止まった。藍子は背筋が凍った。裁判が始まるんだろうか? どんな判決が出るんだろうか? 死刑であってほしくない。死んだ京子の分も生きなければならない。


「出ろ!」


 看守は恐ろしい表情だ。藍子に重い罰が下るのを知っているかのようだ。


 それを見て、藍子は立ち上がった。これから自分の運命が決まる。一体どんな判決が下るんだろう。死刑にはならないでほしい。それが藍子の願いだ。だが、藍子の願いは届くのだろうか?


 看守に連れられてきたのは、入口ではない。入口から車で裁判所に向かうのが普通なのに、どうしてだろう。明らかに違う。こんなの現実じゃない。だが、受け入れなければならない。


 刑務所の地下には、裁判室がある。これもおかしい。どうして刑務所の地下に裁判室という部屋があるんだろうか? 中学校の頃に社会で習った話とは全く違う。


 藍子は裁判室にやって来た。目の前には裁判官がいる。だが、裁判官は人間ではなく、オオカミだ。どうしてだろう。こんなのこの世界ではありえない。まるで違う世界のようだ。オオカミは裁判官のように黒いスーツを着ている。


 裁判室には客席がない。いるのは裁判官と証人だけだ。ここも普通の裁判とは違う。


 裁判官は木づちを叩いた。裁判官は厳しい口調だ。まるで藍子の罪を知っていて、厳しい罰を与えようとしているような表情だ。


「宮本藍子、お前は娘を虐待して死なせた。間違いないな?」

「はい、間違いありません」


 藍子は下を向いている。罪を深く受け止めているようだ。


「なぜ、そのような事をした?」

「家事に疲れ、娘などいなくなればいいと思いました」


 藍子はいつの間にか涙を流していた。どうしてそんな事をしてしまったんだろうか?


「そのような身勝手な事、あってはならぬ!」


 裁判官はさらに厳しい表情になった。娘を虐待で死なせた罪を許せないと思っているようだ。


「申し訳ありませんでした!」


 藍子は頭を下げた。だが、娘は戻ってこない。生き返らないのだ。


「もう遅い! 死んだ娘はもう戻らない!」

「反省しております。ですから、死刑だけは」


 藍子は願っていた。どうにか死刑だけは避けてほしい。娘は生きられなかった分も生きたいのに。叶わぬ夢となってしまうんだろうか?


「ほほう。そういうなら死刑は避けておこう」


 藍子はほっとした。だが、裁判官は笑みを浮かべている。もっと苦しい刑罰があるんだろうか? ほっとしたと同時に、藍子は少し不安になった。


「あ、ありがとうございました!」


 だが今は、死刑にならなかった事に感謝しなければ。藍子は少しほっとした。


「ただし、その代わりに別の刑罰を与える」

「死刑以外なら、どんな刑であっても受けたいと思います」


 藍子は少し肩が抜けている。死刑になる心配はない。


「覚悟はできておるか?」


 裁判官は真剣な表情だ。死刑以外ならどんな刑でも覚悟はできているようだ。


「はい。どんな刑でも受け止めます」

「そうか」


 すると、裁判官は木づちを叩いた。判決が決まったようだ。藍子は上を向いた。どんな判決が出るんだろう。


「判決を言い渡す。被告人、宮本藍子を怪獣の刑に処す!」


 藍子は驚いた。こんな刑があるなんて。こんなの、絶対に現実じゃない。怪獣の刑なんて、こんな刑は現実にない。早く夢から覚めろ!


「怪獣の刑?」


 藍子は首をかしげた。その刑は一体どんな刑だろうか?


「お前は娘の命を奪った。お前は怪獣に等しい。よって、お前は人間ではなく怪獣となるのだ! ただし、あと1週間しか自分の人格は保てぬ。それ以後は獣の心で生きていく事になる。自分ではなくなるのだ!」


 藍子は生き延びる事ができる。だが、あと1週間で自分じゃなくなってしまい、怪獣の心になってしまうのだ。藍子はやはり疑った。こんな刑、現実にない。


「は・・・、はい・・・」


 だが、藍子は受け止めた。どんな刑でも真摯に受け止めなければ。これは裁判だ。逆らえない。


 藍子は看守に連れられて、裁判室を後にした。その横には何人もの看守がいる。藍子が逃げるのを警戒して、集まっているようだ。藍子は彼らをじっと見て、おののいた。


 藍子は不安になっていた。怪獣の刑なんて、前代未聞だ。自分はあと1週間しか人間の心を持てないのか。そんなの嫌だ。人間でいたい。


 そのまま藍子は長い下り階段に連れて行かれた。その階段は暗い。一体どこまで続くんだろう。そして、その先で何をされるんだろう。


 階段の先には扉がある。こんな所に何があるんだろう。藍子は首をかしげた。その横にいる看守は涼しげな表情だ。まるでこの場所を知っているかのようだ。


 看守が扉を開けると、そこには礼拝室のような場所がある。部屋の奥には祈祷師のような女がいる。ここも明らかにおかしい。こんなの刑務所にあるはずがない。


「そこに座れ」


 看守は半ば強制的に藍子を座らせ、両手両足をロープに縛りつけた。一体何をされるんだろう。藍子は不安でしかない。


 その時、向こうを向いていた祈祷師が藍子の方を向き、笑みを浮かべた。この祈禱師が怪獣の刑を執行するんだろうか?


 突然、祈祷師は両手を挙げ、呪文を唱えた。


「ベコーメベコーメベアステ、ベコーメベコーメベアステ」


 藍子はその様子をじっと見ていた。しばらくすると、体が熱くなっていく。体に何が起こっているんだろう。


 藍子は首を下げた。すると、藍子の手が獣の手になっていき、緑になっていく。信じられない。こんなの現実じゃない。だんだん、藍子は緑の何かになっていくのがわかる。これが『怪獣の刑』なのか。


 藍子が完全に怪獣となると、看守は両手足の縄を解き、牢屋に連れて行った。そこで1週間閉じ込められた後、藍子は野に放たれ、怪獣として生きる事になる。

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