不思議な短編集
サボテンマン
四人の乗客
電車に閉じ込められてからどれくらいの時間が経ったろうか。急ブレーキをかけてとまった電車はいっこうに動き出す気配がない。ときおり運転手が状況を伝えるアナウンスをしてくれるが、復旧の目処が立たないのでは、気休めにもならない。
まったく、今日は散々だ。
「大変なことになりましたね」暇をもて余したのだろうが、近くに座っていた男が親しげに話しかけてきた。歳を重ねているように見えるが、清潔感もあって嫌な印象はない。
「終電が止まるなんて、珍しいこともあるんですね」
男の言うとおりだ。終電はなんとか帰りたい欲望の詰まった箱だろうに、いったい何が電車を止めたのだろうか。
「ほんと、ついてないですね」本当についていないと思った。おれは今日、仕事を失った。長年尽くしてきたはずの女優に裏切られたのだ。
「ぼく、仕事がうまくいかなくて、最悪の一日だったんです。だから、お酒でも飲んでから帰ろうと思ったんですけど、そのせいで帰れないなんて。まったく、とことんついてないですね」
普段なら見知らぬ人とは無闇に距離を縮めないようしているが、今日は酒もはいっている勢いもあって近しい境遇の男に親近感を覚えてしまった。
「お仕事はなにをされてるんですか?」
「俳優です」売れてないけど、と男は恥ずかしそうに付け加えた。
「それはすごい」思わず感嘆の声がもれた。真面目に仕事をしてきた身としては、夢を追いかける仕事は売れいようがいまいが、キラキラして見える。
「いえいえ、普通の仕事ができないだけの、はぐれものですよ」
「おふたりとも、働けてすごいですね」
突然、前に座っていた女が話に割り込んできた。おどおどしていて、暗そうにみえるが、意外と積極的な人なのだろうか。
「お姉さんは、いま仕事してないんですか?」俳優の男がデリカシーなく切り込んだ。なるほど、普通の仕事ができないわけだ。
「はい」と女は自嘲気味に笑った。「就活もしてたんですけど、うまくいかなくて」わたしなんてだれも必要としてないんですよ。と口にださないが表情に出ていた。
「仕事がないと、辛いですよね」思わず同調してしまった。
「お兄さん、働いているなら、アドバイスしてあげたらどうですか?」と俳優の男に言われたけれど、仕事を失ったやつに何を言えるだろうか。
「仕事なんて、しないほうが幸せなこともありますよ」
とても的はずれなことを言ってしまったのだろうか。女は「しないのと、できないのでは、全然違いますよ 」とうつむいてしまった。
「お兄さん、空気読めてないですよ。出世しないタイプですね」と俳優の男が耳打ちをする。
余計なお世話だ。間違ってはいないが。今日だって余計な正義感をださなければ、やけ酒を飲んで終電に乗ることもなかったはずだ。
気まずい空気が流れたあとに、堪えきれなくなったのか女が口を開いた。
「わたし、今日は終活をしようと思っていたんで
」
初めは面接の苦労話を聞かされるのかと思った。くじけずに面接を受けるなんてすごいと俳優の男が称賛したが、女の話をきくにどうやら字が違うようだ。
「就職の方じゃなくて、終わる方の終活です」
女は朝からずっと駅のホームにいたそうだ。次来る電車に飛び込もう、次こそは、次こそは、と続けているうちに終電になってしまい、仕方なく家に帰ることにしたらしい。
「わたし、死ぬこともできないんですよ」
いよいよ手に終えないと俳優の男と顔を見合わせる。うっかり変なスイッチを押して目の前で死なれても目覚めが悪いではないか。
「あ、ぼくが手伝いましょうか?」
二十代くらいだろうか、モデルのように綺麗な男がすっと手を挙げた。そのすらっとした見た目とは裏腹になんと残虐な提案をしているのだろうか。
唖然とするおれたちをよそに男は続けて言った。
「ぼく、殺し屋なんですよ。楽に死ねる方法なら、お手伝いできますよ」
プロによる魅力的なご提案だったが、女はすぐに答えなかった。
「お兄さん、冗談きついな」俳優の男が笑った。
そうだ、男が殺し屋なんて信じられない。殺し屋なんて漫画の世界だ。きっと女の作った陰鬱な空気をなごませようと冗談を言ったに違いない。
「証明しましょうか?」自称殺し屋の男が言う。
冗談じゃない。殺されてたまるか。俳優の男と競るように「結構です」と答える。
巻き込まれたくない。と背もたれに身体を預けた。殺し屋の男が本物かどうかわからないが、あとは女に任せよう。どうせ本当に死ぬつもりなんてないんだ。
女は躊躇いながら口を開いた。
「あの、本当にお手伝いしてくれるんですか?」
本当に死ぬつもりなのか。もちろんですと自称殺し屋の男が即答している。止めたほうがいいのか。あまりに爽やかな流れだが、目の前で自殺どころか殺人が繰り広げられようとしているなんて、目覚めが悪いどころではない。
「すみません、せめてぼくたちがいないところでやってもらっていいです」俳優の男が見当違いな横やりをいれた。勇気があることは結構だが、あまり自称殺し屋を刺激しないでもらいたい。
「まさか」と自称殺し屋は笑った。「殺し屋は自分の手を汚さないですよ」常識でしょうと言うが、殺し屋の常識などしらない。常識があるなら殺し屋なんて名乗りでないで欲しかった。
「流行りとかあるんですか?」俳優の男は興味をもってしまった。
「いまの主流はこれですね」と自称殺し屋の男は胸ポケットから取り出した飲み薬を手にのせた。「この薬を飲めば、眠るようにおだやかにいけるんです」
一見普通の飲み薬だ。薬局で処方されるものと違いはない。でも、殺し屋を名乗る男が言うのだから本物なのかもしれない。
「同じ電車に居合わせたのも縁ですから、よければみなさんにひとつずつ差し上げますよ」
いらない。仕事を失ったからといって死にたいわけではない。「まだ生きていたいので」と丁重にお断りをする。
「殺すことにも使えますよ」と言われてつい裏切った上司の顔が浮かんだ。あの薬をもらえば、復讐ができるのか。
「どうしますか?」
「いや、結構」どうやら殺したいほど憎んではいないらしい。腹のなかでもやついていたものがすっと晴れたような気持ちになった。
「お姉さんは?」
女は真剣に悩んでいるようだった。「でも、わたしが突然死んだら、お兄さんが捕まっちゃう」
自称殺し屋の男は大丈夫とうなずいた。「この薬で死んでも診断は病死になる。終電のアルコール中毒なんて、よくある話ですよ」
女はしばらく悩んでから、首を横にふった。「ごめんなさい、やっぱり、いらないです」
ほっと肩の力が抜けた。
殺し屋の男は「良かった」と薬を引っ込めた。「お姉さんは、まだ生きていたいってことですよ」
お見事、と危うく手を打つところだった。きっと殺し屋なんて嘘で、自称殺し屋の男は女を救うために試したんだ。
「わたしが、生きたい?」
女は気恥ずかしそうに笑った。
「お姉さん、笑うと可愛いですね」と俳優の男が立ち上がった。「よかったら、今度ぼくたちの舞台に出てみませんか」
「ぶたい?」女は状況を理解できずに身体を縮ませた。
「実は、ぼくたちの舞台の主演女優が急に連絡とれなくなったんですよ。丁度お仕事もしてないみたいだし、お姉さんが出てくれるなら本当に助かります」
「演技なんて」と女は躊躇うが、俳優の男は引かない。
「大丈夫ですよ。死のうとする勇気があるなら、演技くらい簡単にできますよ」
「そうですよ」とつい背中を押してしまう。
「わたしに、できる」女の声は涙がにじんでいた。
よかった、よかったと俳優の男も嬉しそうだ。「そうだ、よかったら殺し屋のお兄さんもどうですか。名演技でしたよ」
ぼくは結構と自称殺し屋の男は断った。「本業が忙しいんです。ほら、今日も終電」
そういわずと俳優の男が諦めずに勧誘しようとするが、殺し屋の男は遮った。「ほら、もう少しで急病人の対応が終わると思うので、今日はここまでにしましょう」
と殺し屋の男が言い終わると同時に運転手がまもなく運転再開のアナウンスをする。
ようやく帰れる。と安堵した。しかし、素敵な出会いだった。まるでドラマを見ているかのようだった。
最悪な一日だったけれど、また明日から頑張ろう。死にたくなる日がくるまでは、諦めずに働こう。
しかし、なんだろうか。心に引っかかることがある。しばらく考え込んでから、ふっとため息をつく。
無事に降りられたら、終電に乗ることは、もうやめよう。
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